19 / 50
018 死合い(2)
しおりを挟む
「ええ、それにつきましてはたいへん感謝致しております。生死の別さえ定かではなかったお兄様がお戻りになられて喜びの涙を流したのも束の間、寸刻前には思いも寄らなかった我が身の慶事を重ねて知ることができたのでありますから」
クリスにエルゼベートと呼ばれた女性の、穏やかな口調の中に目一杯の皮肉を含ませた言葉を耳にして、その容色に見惚れていた五郎太はようやく我に返った。
同時にエルゼベートの、クリスと同じく抜けるように白い顔のこめかみのあたりによく見れば青筋が浮いているのを認め、急にげんなりとした気分になった。……やはり妹御にも話など通っていなかったのだ。そうであればこの怒りようももっともである。そんな五郎太の胸の内を聞き届けたかのように、エルゼベートは尚も続けた。
「無論、わたくしとて皇家の女です。お兄様の命とあらばいずこへなりとも嫁ぐ覚悟はできておりました。ですが、何処のお国より参ったかもわからず……そればかりかどうやら話さえ通っていなかったものと見えるお方と結婚しろとは、いくらお兄様とはいえあまりにもあんまりではありませんか……?」
遂にエルゼベートの肩がわなわなと震え出した。その言、至極もっともである。気持ちは俺にも痛い程よくわかる――と、内心に深く頷きながらも、五郎太はエルゼベートから自分に向けられる射抜かんばかりの視線が気になった。その怒りはもっともである……もっともではあるが、この件に関して俺を睨まれても困る。
助けを求めるように、五郎太はちらと周囲に目を遣った。この異常な遣り取りを止めにかかる家臣がいないものかと期待を込めてのことだったのだが、そんな殊勝な者は一人もいないばかりか、皆興味深そうに事の成り行きを見つめている。にやにやと薄ら笑いを浮かべている者さえいる。いったいこの者達はどういう男達なのだと五郎太が思ったとき、隣からまたクリスの声がかかった。
「では、エルゼベートはこの者との結婚には不服ということか」
「不服では御座いませぬ。ええ、決して不服では御座いませぬが、わたくしにも女としての意地が御座います。素性がわからぬ殿方と結婚せよとのことであれば、せめてそのお相手が自分より優れたお方であることを確かめさせていただきたく」
「つまり?」
「つまり、そのお方とお手合わせ願いたく存じます。わたくしが敗北致しました暁には、喜んでそのお方の妻となりましょう」
「さすが我が妹、話が早くて助かる」
「待て待て待て!」
とんでもない方向に行きかけた話に、五郎太は慌てて割って入った。
「俺は承諾するなどとは一言も言っておらぬぞ! まして手合わせだと!? 俺に女子と戦えと言うのか!」
「……おや、これは聞き捨てなりませんね」
前方からどすの利いた声がかかった。エルゼベートはその見目麗しい顔を引き攣らせながら、誰の目にもはっきりとわかる怒りの眼差しを五郎太に向けてきた。
「貴方様のお言葉は女を男の下に見ているように聞こえましたが」
「当然であろう! 女子相手に手合わせなどできるか!」
「お兄様、気が変わりました。わたくしの魂の尊厳に懸けて是が非でもこのお方と手合わせ――いいえ、生死をかけての決闘をお願い致したく存じます」
「うむ、許す」
「許す、ではない! 俺が嫌だと言っておろうが!」
「おいゴロー、うちの妹はそんなに貶したもんじゃねえぞ? なにせ精霊魔法の腕なら帝国きっての使い手だからな」
「しかし女子ではないか!」
「精霊魔法など使いませぬ」
ほとんど悲鳴に近い五郎太の訴えを、あからさまな怒気を込めたエルゼベートの一言が遮った。
「ほう」
「精霊魔法など使うものですか。そのお方が相手であればわたくしのつたない錬金術で充分」
「しかし妹よ、さっきとは逆に言うけどな、こいつは魔法と名のつくものは使えんが、槍一本で地竜を屠ったほどの剛の者だぞ?」
「先程おっしゃっていた話ですか。そのような与太話をわたくしが信じるとでも?」
吐き捨てるようにそう言うエルゼベートに、クリスは「ほい」と言って何かを投げた。反射的に手に受けたエルゼベートがそれを見て、さっと顔色を変えるのがわかった。それはどうやらあの物ノ怪の牙のようだった。
「どうだ。いい竜牙兵が作れそうだろ?」
「……信じられません」
「オレだって信じられねえさ。なにせ五年前のあんときは選りすぐりの精霊魔術師が二百人から犠牲になって、それでも追い返すことしかできなかったわけだからな」
「……」
「けど、これからはこの帝国も安泰ってわけだ。またヤツが出て来たらこいつがサッと出向いて退治してくれるわけだからな」
「だから! あんな化物とやり合うのはもう御免だと言ったであろう!」
「でもゴロー、あいつの斃し方はもうわかっただろ?」
「あんなものは斃し方などとは言わん! 苦し紛れでたまたまどうにかなっただけではないか!」
「フツーは苦し紛れでもどうにもならねえんだよ。またヤツが出て来たら沢山の兵士が殺されるかと思うと、オレは……」
「いや、しかしだな……」
「ってなわけだから、やっぱゴローに頑張ってもらわないとな!」
「それとこれとは話が別だ! 俺は金輪際あんな化物とは――」
「――お二人で盛り上がっていらっしゃいますところ失礼ですが」
その言葉通り、二人で盛り上がっていたところへエルゼベートが割って入った。天衝くばかりの怒髪をどうにか抑え、精一杯涼し気に装っていることがよくわかる能面のような顔で一語一語はっきりと、
「何の話だったかお忘れではないでしょうか?」
とエルゼベートは言った。
「こいつが槍一本で地竜を倒すようなデタラメな強さだってのは理解できたか?」
「はい。理解できました」
「それでもこいつと決闘するのか?」
「望むところです」
「というわけだ、ゴロー。すまんけど相手してやってくんない?」
「……条件がある」
「なんだ」
「妹御は得意の精霊魔法とやらを封じて俺と戦うのだな?」
「いかにも」
「なら俺も諸々封じさせてもらう。刀は使わぬ。槍もいらぬわ」
「それでどうやって倒すんだ?」
「倒しなどせぬ。己の嫁御になるかも知れぬ女性を傷つけることなどできるか。参ったと言わせれば良いのだろう……それでどうだ」
「ってことだけど、エルゼベートはどうだ?」
「わたくしはそれで結構です」
「よし、決まりだな。それじゃ――」
「ただし!」
締めようとするクリスの言葉に、エルゼベートがぴしゃりと被せた。
「このお方はわたくしに手心を加えて下さるようですが、わたくしの方は一切手加減致しませぬ。遺言状のご用意をお忘れなきよう!」
最後は叩きつけるようにそう言って、エルゼベートは足早に広間を退出していった。その後ろ姿が見えなくなってしまうまで見守ったあと、クリスは思い出したように隣の五郎太に目を戻した。
「だそうだ」
「……しかと承った」
* * *
――といった一連の顛末により、五郎太は不本意ながら命を懸けてクリスの妹であるエルゼベートと対決する破目になったのである。
クリスにエルゼベートと呼ばれた女性の、穏やかな口調の中に目一杯の皮肉を含ませた言葉を耳にして、その容色に見惚れていた五郎太はようやく我に返った。
同時にエルゼベートの、クリスと同じく抜けるように白い顔のこめかみのあたりによく見れば青筋が浮いているのを認め、急にげんなりとした気分になった。……やはり妹御にも話など通っていなかったのだ。そうであればこの怒りようももっともである。そんな五郎太の胸の内を聞き届けたかのように、エルゼベートは尚も続けた。
「無論、わたくしとて皇家の女です。お兄様の命とあらばいずこへなりとも嫁ぐ覚悟はできておりました。ですが、何処のお国より参ったかもわからず……そればかりかどうやら話さえ通っていなかったものと見えるお方と結婚しろとは、いくらお兄様とはいえあまりにもあんまりではありませんか……?」
遂にエルゼベートの肩がわなわなと震え出した。その言、至極もっともである。気持ちは俺にも痛い程よくわかる――と、内心に深く頷きながらも、五郎太はエルゼベートから自分に向けられる射抜かんばかりの視線が気になった。その怒りはもっともである……もっともではあるが、この件に関して俺を睨まれても困る。
助けを求めるように、五郎太はちらと周囲に目を遣った。この異常な遣り取りを止めにかかる家臣がいないものかと期待を込めてのことだったのだが、そんな殊勝な者は一人もいないばかりか、皆興味深そうに事の成り行きを見つめている。にやにやと薄ら笑いを浮かべている者さえいる。いったいこの者達はどういう男達なのだと五郎太が思ったとき、隣からまたクリスの声がかかった。
「では、エルゼベートはこの者との結婚には不服ということか」
「不服では御座いませぬ。ええ、決して不服では御座いませぬが、わたくしにも女としての意地が御座います。素性がわからぬ殿方と結婚せよとのことであれば、せめてそのお相手が自分より優れたお方であることを確かめさせていただきたく」
「つまり?」
「つまり、そのお方とお手合わせ願いたく存じます。わたくしが敗北致しました暁には、喜んでそのお方の妻となりましょう」
「さすが我が妹、話が早くて助かる」
「待て待て待て!」
とんでもない方向に行きかけた話に、五郎太は慌てて割って入った。
「俺は承諾するなどとは一言も言っておらぬぞ! まして手合わせだと!? 俺に女子と戦えと言うのか!」
「……おや、これは聞き捨てなりませんね」
前方からどすの利いた声がかかった。エルゼベートはその見目麗しい顔を引き攣らせながら、誰の目にもはっきりとわかる怒りの眼差しを五郎太に向けてきた。
「貴方様のお言葉は女を男の下に見ているように聞こえましたが」
「当然であろう! 女子相手に手合わせなどできるか!」
「お兄様、気が変わりました。わたくしの魂の尊厳に懸けて是が非でもこのお方と手合わせ――いいえ、生死をかけての決闘をお願い致したく存じます」
「うむ、許す」
「許す、ではない! 俺が嫌だと言っておろうが!」
「おいゴロー、うちの妹はそんなに貶したもんじゃねえぞ? なにせ精霊魔法の腕なら帝国きっての使い手だからな」
「しかし女子ではないか!」
「精霊魔法など使いませぬ」
ほとんど悲鳴に近い五郎太の訴えを、あからさまな怒気を込めたエルゼベートの一言が遮った。
「ほう」
「精霊魔法など使うものですか。そのお方が相手であればわたくしのつたない錬金術で充分」
「しかし妹よ、さっきとは逆に言うけどな、こいつは魔法と名のつくものは使えんが、槍一本で地竜を屠ったほどの剛の者だぞ?」
「先程おっしゃっていた話ですか。そのような与太話をわたくしが信じるとでも?」
吐き捨てるようにそう言うエルゼベートに、クリスは「ほい」と言って何かを投げた。反射的に手に受けたエルゼベートがそれを見て、さっと顔色を変えるのがわかった。それはどうやらあの物ノ怪の牙のようだった。
「どうだ。いい竜牙兵が作れそうだろ?」
「……信じられません」
「オレだって信じられねえさ。なにせ五年前のあんときは選りすぐりの精霊魔術師が二百人から犠牲になって、それでも追い返すことしかできなかったわけだからな」
「……」
「けど、これからはこの帝国も安泰ってわけだ。またヤツが出て来たらこいつがサッと出向いて退治してくれるわけだからな」
「だから! あんな化物とやり合うのはもう御免だと言ったであろう!」
「でもゴロー、あいつの斃し方はもうわかっただろ?」
「あんなものは斃し方などとは言わん! 苦し紛れでたまたまどうにかなっただけではないか!」
「フツーは苦し紛れでもどうにもならねえんだよ。またヤツが出て来たら沢山の兵士が殺されるかと思うと、オレは……」
「いや、しかしだな……」
「ってなわけだから、やっぱゴローに頑張ってもらわないとな!」
「それとこれとは話が別だ! 俺は金輪際あんな化物とは――」
「――お二人で盛り上がっていらっしゃいますところ失礼ですが」
その言葉通り、二人で盛り上がっていたところへエルゼベートが割って入った。天衝くばかりの怒髪をどうにか抑え、精一杯涼し気に装っていることがよくわかる能面のような顔で一語一語はっきりと、
「何の話だったかお忘れではないでしょうか?」
とエルゼベートは言った。
「こいつが槍一本で地竜を倒すようなデタラメな強さだってのは理解できたか?」
「はい。理解できました」
「それでもこいつと決闘するのか?」
「望むところです」
「というわけだ、ゴロー。すまんけど相手してやってくんない?」
「……条件がある」
「なんだ」
「妹御は得意の精霊魔法とやらを封じて俺と戦うのだな?」
「いかにも」
「なら俺も諸々封じさせてもらう。刀は使わぬ。槍もいらぬわ」
「それでどうやって倒すんだ?」
「倒しなどせぬ。己の嫁御になるかも知れぬ女性を傷つけることなどできるか。参ったと言わせれば良いのだろう……それでどうだ」
「ってことだけど、エルゼベートはどうだ?」
「わたくしはそれで結構です」
「よし、決まりだな。それじゃ――」
「ただし!」
締めようとするクリスの言葉に、エルゼベートがぴしゃりと被せた。
「このお方はわたくしに手心を加えて下さるようですが、わたくしの方は一切手加減致しませぬ。遺言状のご用意をお忘れなきよう!」
最後は叩きつけるようにそう言って、エルゼベートは足早に広間を退出していった。その後ろ姿が見えなくなってしまうまで見守ったあと、クリスは思い出したように隣の五郎太に目を戻した。
「だそうだ」
「……しかと承った」
* * *
――といった一連の顛末により、五郎太は不本意ながら命を懸けてクリスの妹であるエルゼベートと対決する破目になったのである。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

蘭癖高家
八島唯
歴史・時代
一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。
遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。
時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。
大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを――
※挿絵はAI作成です。

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
旧陸軍の天才?に転生したので大東亜戦争に勝ちます
竹本田重朗
ファンタジー
転生石原閣下による大東亜戦争必勝論
東亜連邦を志した同志達よ、ごきげんようである。どうやら、私は旧陸軍の石原莞爾に転生してしまったらしい。これは神の思し召しなのかもしれない。どうであれ、現代日本のような没落を回避するために粉骨砕身で働こうじゃないか。東亜の同志と手を取り合って真なる独立を掴み取るまで…
※超注意書き※
1.政治的な主張をする目的は一切ありません
2.そのため政治的な要素は「濁す」又は「省略」することがあります
3.あくまでもフィクションのファンタジーの非現実です
4.そこら中に無茶苦茶が含まれています
5.現実的に存在する如何なる国家や地域、団体、人物と関係ありません
6.カクヨムとマルチ投稿
以上をご理解の上でお読みください

杜の国の王〜この子を守るためならなんだって〜
メロのん
ファンタジー
最愛の母が死んだ。悲しみに明け暮れるウカノは、もう1度母に会いたいと奇跡を可能にする魔法を発動する。しかし魔法が発動したそこにいたのは母ではなく不思議な生き物であった。
幼少期より家の中で立場の悪かったウカノはこれをきっかけに、今まで国が何度も探索に失敗した未知の森へと進む。
そこは圧倒的強者たちによる弱肉強食が繰り広げられる魔境であった。そんな場所でなんとか生きていくウカノたち。
森の中で成長していき、そしてどのように生きていくのか。

のほほん異世界暮らし
みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。
それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる