上 下
13 / 50

012 二人旅(2)

しおりを挟む
 三日目の夜を小川の畔で過ごした翌朝。地平から顔を覗かせる太陽と共に目を覚ました五郎太は、清涼な朝の気を受けながら装束を脱ぎ捨て、川に入った。

 水は充分に冷たかった。五郎太は荷縄を丸めて川の水に濡らし、それを身体に叩きつけるようにして垢離をとってゆく。修験者の荒行にも似たこの五郎太の行水の仕様は平時でも変わらない。痛いには痛い。だがこうしなければどうにも身体を清めたという気分にならないのである。

「……」

 一頻り行水したところで五郎太は川からあがろうとし――けれども何となく水の中に立ち止まった。

 水面に目を落とし、そこに己の顔が映っているのを見た。とりとめなく歪むその顔を眺めながら、今更のように五郎太は己のあるじ―明智日向守光秀様横死の経緯いきさつについて考え始めた。

 遂に馳せ参じることが叶わなかった山崎は天王山での戦……だが思考はそれよりもずっと前に遡る。

 本能寺に仮宿する右大将様――大殿おおとの織田信長様をお屋形様が討ち滅ぼしたという夜。そのときのお屋形様のお顔が、五郎太にはどうしても思い浮かばない。川面に映る己の顔のごとく、ひとつに定まることなくぐにゃぐにゃと歪んで見えるのである。

 ……お屋形様直々のお指図があってのこととはいえ、お傍を離れていたことが悔やまれる。お指図に背いてでも俺はその場所にいるべきだった。たとえそれで死ぬことになっていたとしても、そのときのお屋形様のお顔をこのまなこに映してさえいれば、こんな出口のない堂々巡りの中へと彷徨い込むことはなかったのだ――

「――む」

 背中に小さな水音を聞き、五郎太は反射的に振り返った。

 川べりに丁度目隠しのように立つ大岩の向こう側に、五郎太と同じように素裸となったクリスが水に入ろうとしているのが見えた。

 五郎太がクリスの裸身を目にするのはこれが二度目である。生まれたての陽の光を受けた真白な身体が、小屋の中で見たものとは違う瑞々しい色香をもって五郎太の目を射た。

 我知らず凝視した。たなごころで汲まれた水を浴び、きらきらしく輝く滴がしたたるその嫋やかな女体に、それがクリスのものであることも忘れ、五郎太は思わず唾を飲んだ。

「……っ!」

 ――と、ようやく五郎太の視線に気づいたものとみえるクリスが弾かれたように両手で前を隠した。だがすぐに隠すのをやめ、ばつが悪そうに頭を掻いて二度、三度と水を浴びた。そうして鋭い目で五郎太を睨みつけたあと、今度は腰に手をあて己の裸を見せつけるように五郎太へ向き直った。

「見たいんならこっち来てじっくり見ろよ」

 白日のもとにさらけ出された眩いばかりの女体に、五郎太はたまらず目をそらした。

「男の裸を見る趣味はない」

「どうだかな。……ったく、朝だと思って油断したぜ。あんな獣じみた目で見られてたんじゃ水浴びもできやしねえ」

 そう言って小さく鼻を鳴らすと、クリスは水浴びに戻った。だがふと思い出したように自分の乳に触れ、その柔らかさを確かめるように軽く揉んでみせた。

「……去年まではこんなにデカくなかったんだけどな」

 独り言のようなその呟きに、五郎太を挑発するような響きはなかった。その代わり、まるで拾ってきた仔犬が熊にでもなってしまったかのような、どうすればいいかわからないといった困惑が滲んでいた。

「胸も尻も、気がついたらこんなに膨らんじまってよ、隠すのがどんどん難しくなってきてる。オマエが黙っててくれたってバレんのは時間の問題だろうな」

 そう言って瞼を伏せるクリスの声には、どことなく儚げな趣があった。

 なぜ隠し立てしているのか――と五郎太は聞かない。クリスの口振りから察するに、男と偽っているのは自身の望みではないものとみえる。となれば、それはお家がらみの事情の他あり得まい。

 お家の事情とあらば、口を挟むことなど五郎太には思いも寄らない。それに聞かずとも大方のところはわかる。嫡男の問題だ。嫡男が得られず苦労している家は少なくない。羽柴筑前守のところがまさにそれで、いずれ猶子を取ることになるだろうと専らの噂であった。

 姫であるものを偽って嫡男に仕立てるというのはさすがに聞いたことがないが、有り得ない話ではない。だがもちろん、それは五郎太の生きる世の埒外で繰り広げられる、いわば雲の上の出来事に相違ない。そんな雲の上の出来事を暴き立てようとする思いは、五郎太には毛頭ないのである。

 だが沈黙して川の中に佇む五郎太をどうとったのか、クリスはふっと息をついて五郎太に背を向け、また水を使い始めた。

「なんも聞かないんだな、オマエは」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

S級騎士の俺が精鋭部隊の隊長に任命されたが、部下がみんな年上のS級女騎士だった

ミズノみすぎ
ファンタジー
「黒騎士ゼクード・フォルス。君を竜狩り精鋭部隊【ドラゴンキラー隊】の隊長に任命する」  15歳の春。  念願のS級騎士になった俺は、いきなり国王様からそんな命令を下された。 「隊長とか面倒くさいんですけど」  S級騎士はモテるって聞いたからなったけど、隊長とかそんな重いポジションは…… 「部下は美女揃いだぞ?」 「やらせていただきます!」  こうして俺は仕方なく隊長となった。  渡された部隊名簿を見ると隊員は俺を含めた女騎士3人の計4人構成となっていた。  女騎士二人は17歳。  もう一人の女騎士は19歳(俺の担任の先生)。   「あの……みんな年上なんですが」 「だが美人揃いだぞ?」 「がんばります!」  とは言ったものの。  俺のような若輩者の部下にされて、彼女たちに文句はないのだろうか?  と思っていた翌日の朝。  実家の玄関を部下となる女騎士が叩いてきた! ★のマークがついた話数にはイラストや4コマなどが後書きに記載されています。 ※2023年11月25日に書籍が発売!  イラストレーターはiltusa先生です! ※コミカライズも進行中!

戦国を駆ける軍師・山本勘助の嫡男、山本雪之丞

沙羅双樹
歴史・時代
川中島の合戦で亡くなった軍師、山本勘助に嫡男がいた。その男は、山本雪之丞と言い、頭が良く、姿かたちも美しい若者であった。その日、信玄の館を訪れた雪之丞は、上洛の手段を考えている信玄に、「第二啄木鳥の戦法」を提案したのだった……。 この小説はカクヨムに連載中の「武田信玄上洛記」を大幅に加筆訂正したものです。より読みやすく面白く書き直しました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【おんJ】 彡(゚)(゚)ファッ!?ワイが天下分け目の関ヶ原の戦いに!?

俊也
SF
これまた、かつて私がおーぷん2ちゃんねるに載せ、ご好評頂きました戦国架空戦記SSです。 この他、 「新訳 零戦戦記」 「総統戦記」もよろしくお願いします。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...