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006 女嫌い(2)
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「……お、気がついたか」
女が意識を取り戻したのはもう夜更けだった。月明かりの届かない小屋に五郎太は蝋燭を立て、乾飯を戻した粥をすすりながら女が目覚めるのを待っていたのである。
「腹がへったであろう。遠慮なく食べるがいい」
そう言って五郎太は女に粥を差し出した。食器など小屋にあった木椀を使ったありあわせのものだったが、味噌はきかせてあるし疲れた身体にはしみるだろう。
けれどもそんな五郎太の配慮をよそに、女は椀を受け取ろうとはしなかった。その代わり自分の装束に目をやり、おそらくはそこに一度脱がされたことの痕跡をみている。
――それで、五郎太には女の考えていることがわかった。女が身に着けている装束は明らかに男物だった。南蛮の衣服に暗い五郎太にも、それははっきりとわかる。
百人からの従者の上に立つこの者が男物の装束を身に着けている。それが意味するところはひとつだ。豊かな乳を隠すためにさらしを巻いていたことからもそれは伺える。
……つまるところ、五郎太は見てはならぬものを見てしまったのである。
「口を封じたいのであればそうするがいい。手向かいはいたさぬ」
五郎太に目を向けないまま放たれた女の殺気は露骨だった。それをやんわりと受け止めるように、五郎太はあえて先回りにそう言った。
「実を申せばな、俺はゆえあって生きる望みを失うておる。一思いに引導を渡してもらえるなら、俺としてはむしろありがたいのだ」
粥を咀嚼しながら何でもないことのように五郎太は言った。
その言葉に嘘はなかった。戦の声を聞きつけ、行きがかり上あの物ノ怪とやり合うことになった。だがすぐその手前まで五郎太が何をしようとしていたかと言えば、もはやこれまでと腹を切ろうとしていたのだ。
物ノ怪と戦っているときはそれさえも忘れた。五郎太とて歴戦の武士である。修羅に入れば考えることはひとつ。目の前の敵をどう殺すか、唯それだけだ。
だが戦が終わり、娑婆に立ち戻ってみれば、心にはまた虚しい風が吹くだけだった。せめてこの者を生かしてから死のうと、そう思って精々介抱に努めてきた。自分が命を繋いだこの者に殺されるのならと、五郎太は何とはなしに満足だった。
そんな思いがつい顔に出てほくそ笑む五郎太を訝しそうに見つめたあと、女は憮然とした顔のまま五郎太が差し出した椀を手に取った。
「……だったら、なんでオレを助けた」
「ん?」
「生きる望みもねえって言うオマエが、なんだってまた見ず知らずのオレを命張ってまで助けた」
無造作に椀の粥をかき込みながら、苛立ちを隠そうともせずに女は問い質した。
あからさまな男口調は五郎太の理解を裏付けるものだったが、椀の飯を食ったところをみるとそれほど深刻に五郎太を殺したいわけでもなさそうだ。
……それならばまあそれで良い。別段死に急ぐわけでもない。そう思い、女の問いに答えるため五郎太はすすっていた粥の椀を口から離した。
「そうさなあ。正直、俺にもよくわからんが、さしずめお主の郎党の死に様に感じるものがあったからであろう」
「死に様だぁ?」
「そうともよ。あの凄まじき物ノ怪を相手に、誰一人背を向けてはおらなんだ。みな勇敢に立ち向かって死んでおったぞ。お主を守らんとしてな」
「……」
「勇敢に死んでいった者は敵味方のう敬え、とは俺のお屋形様のお言葉よ。あの雄々しき殿輩が命をかけて守らんとしたお主を救って進ぜるのが人の道であろうと、そう思ってな」
「オマエはもう生きる望みもねえってのにか?」
「ん?」
「さっき言ってたじゃねえか。オマエはもう生きる望みもねえ、ってよ」
「それとこれとは関係あるまいに」
「関係あるさ。オレも同じだったらどうするってんだよ?」
「同じ、とはどういうことだ」
「オレもオマエと同じで、死にてえと思ってたとしたらどうしてくれんだ、ってことだ。……ったく、もう少しで逝けたってのによ。あ? どう落とし前つけてくれんだ?」
くちゃくちゃと粥を咀嚼しながら、女はそう言って恨みの目を五郎太に向けてくる。同じく粥を口に含んだまま聞いていた五郎太はぽかんとした顔をした後、ぶはっと盛大に粥を吹いた。
「は、は、は、は……」
「……なにがおかしい」
「いや、すまぬ。すまぬがしかし……は、は、は」
「だからなにがおかしいってんだよ!」
「いやさ、あれよ。俺と同じで生きる望みを失うて死にたいと言うお主が、隠し立てしておることが明るみになるのを嫌うて人まで殺すかと思うてなあ」
粥にまみれた口のまわりを拭いながら五郎太がそう言うと、女はひっぱたかれたように目を大きく見開き、それから怒りのためか真っ赤になって忌々しげに五郎太から目をそらした。
「……オマエを殺そうなんて、思ってやしねえよ」
「そうか。ならばそれは俺の早とちりであったな」
「……」
「なに、心配はいらぬ。これでも口は堅い方だ。ここで見たものは金輪際誰にも話さぬ。もし誰かに話さば、そのときは俺自身の手でこの首掻っ切ってみせるわ」
そう言って五郎太は箸を持つ手で首を切る仕草をしてみせた。気休めに言ったのではない。女がそれほど気にしていることならば墓まで持っていってやろうと、真剣にそう考えたのだ。
けれどもそんな五郎太の気持ちをよそに女はしばらく目も合わせぬまま黙っていた後、不貞腐れたような声でぶっきら棒に言い放った。
「……そんなんじゃ足りねえな」
「ふむ。では何が所望だ?」
「オマエにも人に知られたくねえ秘密のひとつくらいあんだろ。それをオレに話せ」
女の追究に、五郎太は粥を掻きこむ手を止めた。木椀を床に置き、真面目な顔で女に向き直った。
「わかった。それでお主の溜飲が下がるのなら、特別に話して進ぜよう」
「……」
「俺はな、女がこわいのだ」
女が意識を取り戻したのはもう夜更けだった。月明かりの届かない小屋に五郎太は蝋燭を立て、乾飯を戻した粥をすすりながら女が目覚めるのを待っていたのである。
「腹がへったであろう。遠慮なく食べるがいい」
そう言って五郎太は女に粥を差し出した。食器など小屋にあった木椀を使ったありあわせのものだったが、味噌はきかせてあるし疲れた身体にはしみるだろう。
けれどもそんな五郎太の配慮をよそに、女は椀を受け取ろうとはしなかった。その代わり自分の装束に目をやり、おそらくはそこに一度脱がされたことの痕跡をみている。
――それで、五郎太には女の考えていることがわかった。女が身に着けている装束は明らかに男物だった。南蛮の衣服に暗い五郎太にも、それははっきりとわかる。
百人からの従者の上に立つこの者が男物の装束を身に着けている。それが意味するところはひとつだ。豊かな乳を隠すためにさらしを巻いていたことからもそれは伺える。
……つまるところ、五郎太は見てはならぬものを見てしまったのである。
「口を封じたいのであればそうするがいい。手向かいはいたさぬ」
五郎太に目を向けないまま放たれた女の殺気は露骨だった。それをやんわりと受け止めるように、五郎太はあえて先回りにそう言った。
「実を申せばな、俺はゆえあって生きる望みを失うておる。一思いに引導を渡してもらえるなら、俺としてはむしろありがたいのだ」
粥を咀嚼しながら何でもないことのように五郎太は言った。
その言葉に嘘はなかった。戦の声を聞きつけ、行きがかり上あの物ノ怪とやり合うことになった。だがすぐその手前まで五郎太が何をしようとしていたかと言えば、もはやこれまでと腹を切ろうとしていたのだ。
物ノ怪と戦っているときはそれさえも忘れた。五郎太とて歴戦の武士である。修羅に入れば考えることはひとつ。目の前の敵をどう殺すか、唯それだけだ。
だが戦が終わり、娑婆に立ち戻ってみれば、心にはまた虚しい風が吹くだけだった。せめてこの者を生かしてから死のうと、そう思って精々介抱に努めてきた。自分が命を繋いだこの者に殺されるのならと、五郎太は何とはなしに満足だった。
そんな思いがつい顔に出てほくそ笑む五郎太を訝しそうに見つめたあと、女は憮然とした顔のまま五郎太が差し出した椀を手に取った。
「……だったら、なんでオレを助けた」
「ん?」
「生きる望みもねえって言うオマエが、なんだってまた見ず知らずのオレを命張ってまで助けた」
無造作に椀の粥をかき込みながら、苛立ちを隠そうともせずに女は問い質した。
あからさまな男口調は五郎太の理解を裏付けるものだったが、椀の飯を食ったところをみるとそれほど深刻に五郎太を殺したいわけでもなさそうだ。
……それならばまあそれで良い。別段死に急ぐわけでもない。そう思い、女の問いに答えるため五郎太はすすっていた粥の椀を口から離した。
「そうさなあ。正直、俺にもよくわからんが、さしずめお主の郎党の死に様に感じるものがあったからであろう」
「死に様だぁ?」
「そうともよ。あの凄まじき物ノ怪を相手に、誰一人背を向けてはおらなんだ。みな勇敢に立ち向かって死んでおったぞ。お主を守らんとしてな」
「……」
「勇敢に死んでいった者は敵味方のう敬え、とは俺のお屋形様のお言葉よ。あの雄々しき殿輩が命をかけて守らんとしたお主を救って進ぜるのが人の道であろうと、そう思ってな」
「オマエはもう生きる望みもねえってのにか?」
「ん?」
「さっき言ってたじゃねえか。オマエはもう生きる望みもねえ、ってよ」
「それとこれとは関係あるまいに」
「関係あるさ。オレも同じだったらどうするってんだよ?」
「同じ、とはどういうことだ」
「オレもオマエと同じで、死にてえと思ってたとしたらどうしてくれんだ、ってことだ。……ったく、もう少しで逝けたってのによ。あ? どう落とし前つけてくれんだ?」
くちゃくちゃと粥を咀嚼しながら、女はそう言って恨みの目を五郎太に向けてくる。同じく粥を口に含んだまま聞いていた五郎太はぽかんとした顔をした後、ぶはっと盛大に粥を吹いた。
「は、は、は、は……」
「……なにがおかしい」
「いや、すまぬ。すまぬがしかし……は、は、は」
「だからなにがおかしいってんだよ!」
「いやさ、あれよ。俺と同じで生きる望みを失うて死にたいと言うお主が、隠し立てしておることが明るみになるのを嫌うて人まで殺すかと思うてなあ」
粥にまみれた口のまわりを拭いながら五郎太がそう言うと、女はひっぱたかれたように目を大きく見開き、それから怒りのためか真っ赤になって忌々しげに五郎太から目をそらした。
「……オマエを殺そうなんて、思ってやしねえよ」
「そうか。ならばそれは俺の早とちりであったな」
「……」
「なに、心配はいらぬ。これでも口は堅い方だ。ここで見たものは金輪際誰にも話さぬ。もし誰かに話さば、そのときは俺自身の手でこの首掻っ切ってみせるわ」
そう言って五郎太は箸を持つ手で首を切る仕草をしてみせた。気休めに言ったのではない。女がそれほど気にしていることならば墓まで持っていってやろうと、真剣にそう考えたのだ。
けれどもそんな五郎太の気持ちをよそに女はしばらく目も合わせぬまま黙っていた後、不貞腐れたような声でぶっきら棒に言い放った。
「……そんなんじゃ足りねえな」
「ふむ。では何が所望だ?」
「オマエにも人に知られたくねえ秘密のひとつくらいあんだろ。それをオレに話せ」
女の追究に、五郎太は粥を掻きこむ手を止めた。木椀を床に置き、真面目な顔で女に向き直った。
「わかった。それでお主の溜飲が下がるのなら、特別に話して進ぜよう」
「……」
「俺はな、女がこわいのだ」
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