代行世界のカサノヴァ

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051 神聖アウラリア帝国最後の日(3)

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「カステリオ卿! カステリオ卿は何処いずこに!」

 うしおのように押し寄せる民衆の叫びの中、司教は大声でその名前を呼んだ。その声を聞きつけたかのように、また王宮の門が開いた。中から現れたのは、やはり貴族の正装に身を包んだカステリオ卿ロザリーであった。予期せぬ新たな役者の登場にまたも民衆が湧き返る中、卿はゆっくりと祭檀に進み出た。

「おお、カステリオ卿! そなたの存念を――」

 その名を呼びながら司教はよろよろとカステリオ卿に歩み寄った。だが卿は司教の脇を素通りし、両王の前に進み出て恭しく跪いた。

「我らが王となり初めての仕事を為す! 両王の名の下に、ロザリー=ウルフハイム=カステリオを新たなる国家の宰相に任命する!」

「身に余る光栄! このロザリー=ウルフハイム=カステリオ、謹んで拝命致します!」

 一瞬の沈黙。だがそのあと、民衆の興奮は頂点に達した。狂ったように三人の名を叫び続けている者がいる、滝のように涙を流し続けている者もいる。

 そんな熱狂の只中にあって、これぞ奇跡だ、と民衆の一人がぽつりと呟いた。

 周囲の絶叫に呑まれて消えたその呟きは、けれどもその場に居合わせた者の心の中にあったものを他のどんな言葉よりも的確に言い表していた。

「皆の者! 今ここに新たな国家が誕生した! 姉妹相食み、君臣が争い合う不毛な日々は終わった! 今日からは我々が三位一体となり、この国を栄光ある未来へと押し進めてゆく! そしていつの日か、今まさに滅んだ帝国――かつて世界の半分を統べると謳われた神聖アウラリア帝国に勝るとも劣らぬ強大な国を、我々の手で必ずや築き上げてみせる!」

 熱狂する民衆に手を振って応える三人の背後に、司教は脂汗を流しながら一人、取り残されていた。まったく予期しなかった皇女の反乱と、矢継ぎ早に打ち出された新たな国家のビジョン、何よりそんな気狂い沙汰を最大限の歓喜をもって受け止める民衆に、頭がついていかない。

 ほとんど思考停止のまま司教が思ったのは、これをこのまま続けさせてはならないということだった。

 司教は祭服の隠しから密かに手鏡を取り出し、手の中で小さく傾けた。次の瞬間、祭壇の脇に整列した衛兵の間から幾つもの黒い影が飛び出した。わざとらしく慌てふためいて見せる衛兵は、けれどもその場から動こうとしない。これは司教が精霊庁より帯同した聖堂騎士団の顔ぶれで、帝国の衛兵に混じり会場の護衛を務めていたものだ。任に就くにあたり、背後から彼らが飛び出してくることを司教に言い含められていたことは言うまでもない。

 突然現れた黒ずくめの男たちに、民衆の間から先ほどまでとは違う叫び声があがる。放たれた黒い影のうちの二つがアイリアに、三つがエレネに、そして五つがロザリーに向かい駆けた。この人数の配分は、仮に三人がこの式場に揃った場合にと司教が段取りをつけておいたものであり、そのまま司教による三人の戦闘力の評価でもあった。

 儀礼に臨む三人はいずれも帯剣していない。奇跡を示すことができないアイリアには二人で充分。エレネも三人で事足りるだろう。ロザリーは平時であれば十人差し向けても足りないが、自分が殺されるとは夢にも思っていないこの場であれば五人でも足りる――それが司教の読みだった。

 ただ読み違えていたのは、その企てを刺客の人数に至るまで正確に把握し、綿密に対策を立てていた男の存在だった。

 司教の手の中で鏡がきらめいた直後、同様に鏡により反射させられた太陽の光がアイリアたち三人の目を次々と照らした。司教の合図があったらすぐに同じことをしろ――祐人にそう指示されていたルカの早業である。

 不意打ちであれば、あるいは間に合わなかったのかも知れない。けれども祐人の言いつけ通り、光を目に受けたその瞬間からエレネとロザリーは詠唱を開始していた。だから男たちの匕首が身体に届くよりも早く、二人は詠唱を終えた。

「……おお、奇跡が!」

 最初に奇跡を示したのはロザリーだった。男たちがまさに駆け込んでくるそこに、突如、巨大な火球が膨れあがった。燃えさかる紅蓮の火球は瞬く間に五つの影を呑み込み、跡形もなく蒸発させた。

 わずかに遅れて、エレネの手から一陣の風が吹き、男たちをなますに切り裂いた。それはまったく一瞬のことだったので、おそらく男たちも自分が切り裂かれたことに気づかないまま死んでいったことだろう。

 ――それはまさに豪奢な見世物だった。事実、二人の奇跡を目の当たりにした民衆は、割れんばかりの拍手をもってそれを称えた。だが、刺客はまだ残っていた。残る二人の黒服がアイリアの目前まで迫り、民衆から悲鳴があがる。

 そこで二つの銃声――

◇ ◇ ◇

『――これは?』

『初めて会ったあのとき、アイリアを救った奇跡の武器だ』

『あのときの……しかし、私には奇跡が』

『いいや、アイリアには使える。これには、俺が奇跡の力をこめたから』

『ユートの奇跡……?』

『アイリアを守るように、俺が奇跡の力をこめた。だからアイリアにも使える。アイリアの身を守ってくれる』

『どうやって使えばいい?』

『こうやって狙って、ここを引くだけ。それだけで大丈夫。ここを引いた瞬間、相手は死んでる』

『……そんな恐ろしい奇跡が』

『うん、恐ろしい奇跡。でもこれはアイリアを守るための奇跡だから』

『ユートが、私を守ってくれる……』

『その通りだ。だから何も恐れなくて良い。いいか、合図は光だ。眩しい光がアイリアの目に射したら――』

◇ ◇ ◇

「はあ、はあ、はあ……」

 アイリアは荒い息づかいで自分が屠った者たちの死体を見下ろした。祐人から託された銃を握る手は震えている。その震えを抑えるように大きく息を吸い、吐いた。そしておもむろに振り返り、呆然と立ちつくす司教に向き直った。

「刺客はこれだけか」

「え? ……ええ、まあ」

 言ってしまってから、司教は自分が口にした言葉の意味に気づき、愕然とした。言い繕いの言葉を探して、だがそれが見つかるより早く、アイリアが口を開いた。

「先皇の件も心得ている。ついこの前、私がこの身に受けたこともな」

「それは……いや、しかし」

「何も知らずにいたと思ったか。ずいぶんと嘗められたものだな」

「……」

「祝いの場ゆえ、今度こたびはこれで手打ちとする。だが、次はこの程度では済まさぬと法王に伝えよ!」

 最後の一言、ありったけの怒りをこめてアイリアは吠えた。

◇ ◇ ◇

 司教が小さな悲鳴をあげ逃げるように退去し、聖堂騎士団の面々がそれに続くのを認めて、祐人は思わずその場にへたりこんだ。……自分で書いた式次第とはいえ、その通りに進むかは式が始まってみるまでわからない。

 結果は文句のつけようもないものと言えた。民衆の興奮は天を衝くばかりで、三人の名前を呼ぶ声はひきもきらない。エレネ、ロザリーばかりではなく、アイリアまでもが奇跡を示した。これでこの国は変わる、この国の未来が拓ける。三人の偉業を称える民衆の声を聞きながら、けれども民衆が待ちわびていたものはそんな小さな奇跡などではなかったことを祐人は悟った。

 きっとこの三人が力を合わせて国を盛り立ててゆくことを誓った、この光景こそが――

 民衆に手を振りながら、三人は王宮の中へと消えていった。祐人もすぐに駆けつけたいところだったが、まだ一仕事残っている。後ろ髪引かれる思いで、祐人は足早に王宮の裏手に待たせている人たちのもとへと向かった。
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