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048 戴冠式前夜(3)
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「アイリア。辛い思いをさせて本当に済まなかった。ここまでは確かに苦しかったかも知れない。でも隣にエレネがいて、ロザリーの補佐があって、それでも前に進めないほどこの国は絶望的な状況か? 俺はそうは思わない。三人が力を合わせて事にあたれば、解決できない問題なんてないはずだ。違うか?」
「……信じられない。そんな……そんな夢のような話」
呆然とした表情をそのままに、アイリアは口の中でそう呟いた。だがやがてふっと笑うと、晴れやかな顔を祐人に向けた。
「いや……信じよう。信じるしかない。貴方が……ユートがそう言うのだから」
「なんだよそれ」
「最愛の人が言うことを信じられなくて、何を信じればいいのだ」
「つか、信じるも信じないも本当のことだから!」
祐人がむきになってそう言うとアイリアはぷっと吹き出し、そのまま一頻り笑った。……やっと笑ってくれた。そう思って、祐人は少しだけ安心した。
目元に残っていた涙を指で拭ったあと、アイリアは穏やかな微笑を浮かべ、真っ直ぐに祐人を見て、言った。
「ユート、頼みがある」
「なんだ?」
「明日の戴冠式、貴方がこの国の皇帝になってほしい」
優しく、晴れやかな顔だった。そんな顔にも、言葉にも、アイリアの祐人への信頼が溢れていた。
「非凡なるその手腕、見せてもらった。私と姉上、それにカステリオ卿までもひとつにまとめ上げるなど、他にこの国の誰ができよう。ユート、貴方こそこの乱世に国を保つお人だ。男の皇帝など先例がない。だがこの期に及んで先例など何になろう。皇帝の冠は貴方にこそ相応しい。仔細は私が取り計らう。姉上とも話して、明日の戴冠式では――」
「いや、俺は皇帝にはならない」
もう何度目になるかわからないその一言で、祐人はアイリアの言葉を遮った。
……まったく、誰もが俺を皇帝にしたがる。そう思って祐人は、悪魔の言っていたことがようやく腑に落ちるのを感じた。
俺を王様にすることならできる。だが王様にならず、王様を裏で操れるようにすることは難しい。……そう、皇帝になるよりも、こっちの方がよほど難しかったのだ。
だが、祐人には確信があった。自分が皇帝になるよりも、こっちの方が絶対にいい国が作れると――
「俺は皇帝にはならない。そんなものになりたかったわけじゃない」
もう一度そう繰り返す祐人に、アイリアは少し驚いた顔をしたあと、真剣な目で祐人を見つめた。
「……なぜだ。皇帝になりたくないというのなら……それならば、何のためにユートは――」
「この国を強く大きくし、敵国と戦っても負けない国にするためだ」
それは初めてのあの朝、この国に来た理由を訊ねるアイリアに、祐人が返した答えだった。そのときのことを思い出したようにアイリアは小さくひとつ身体を震わせ……なぜだろう、それからまた寒さに耐えるように自分の身体を抱いた。
「さっきも言っただろ。俺みたいな素性の知れない男が表舞台に立ってどうする。俺が皇帝になるなんて、誰がそんなこと望んでいる。俺は何もいらない。地位も栄誉もいらない。ただアイリアとエレネ、そしてロザリーに、俺の考える、この国の未来を切り拓くための方法を伝えたい。時が止まっていたこの国を、俺の手で動かしたいんだ」
――言いながら祐人は、俺はこの国にとって稀代の大悪党だな、と思った。
綺麗な言葉で誤魔化しているが、それは要するに傀儡政権を作るということだ。自分は決して表に出ず、王や諸侯を意のままに操って理想とする国を作り上げる。それこそがウォーシミュレーションゲームなのだ。
悪魔さえ匙を投げたゲームの枠組みを構築する作業は、ついに佳境に入った。そう思って拳を握りしめる祐人の前で、アイリアは激情を抑えるように自分の身体を強く抱き締めながら絞り出すような声で言った。
「それならば……それならば私はどうやってユートに報いればいいのだ。女としてのこの身は、もうユートに捧げている。初めて会ったあの日から、私の身も心もユートのものだ。この上ユートに捧げられるものが私にあるとすれば、それはもうこの国だけだ。ユートが欲しいものはそれだと思った。だから私はそれをユートに捧げようと! それなのに……それなのにユートは!」
「アイリア。俺は――」
「ユートは私に沢山のものをくれた! 私の命を救い、女としての悦びをくれた! 私の不安を消し、その上この国の未来まで! 私はどうやってユートに報いればいいのだ!? 何を返せばいいのだ!? どうか教えてほしい! ユートのためならば私は何でもする! ユートのために、私には何ができる!?」
「それなら、これからずっと俺の傍にいてくれ」
素直な気持ちが祐人の口からこぼれた。自分が身を投じたゲームの枠組み作り、国の手綱を握るためのあれこれ――そうした事情はあっても、それはそれ。祐人の心もまた、あの日、峠の山道をアイリアと踏み越えた日から何も変わっていなかった。
「アイリアのことが好きだから、ずっと傍で支えていきたい。だから、ずっと俺の傍にいてくれ。俺に自分の希望があるとすれば、それだけだ」
思えばこちらに来て初めて誰かを好きと言ったな……順番がおかしくないか、と祐人は思った。アイリアは最初呆けたような顔をし、それから顔を歪ませ、大粒の涙を流しながら祐人に抱きついた。
「ばか! それは私の台詞だ、ばか! どこへ行っていたのだ、ばか! あの日に言っただろう、私はもうユート無しでは生きていけないと! ユートが余所の国に行ってしまったと思って、何度あとを追い国を飛び出そうと思ったか! ユートがもう二度と戻ってこないと思って、何度死んでしまおうと思ったか!」
「アイリア……」
「ああ、愛している。愛している、ユート。私はもう決して貴方の傍を離れない。たとえ世界が滅びようとも、この身は貴方に寄り添って朽ち果てる。私の身も心も、魂さえも貴方のものだ。生涯、貴方の傍にいることを誓う。だから貴方も――ユートも二度と私を手放さないでほしい……」
月明かりさえ届かない部屋に二人の影が重なり合い、絡み合い、ひとつになって溶けてゆく。
それを見届けたように、大広間にかかる古時計のベルが戴冠式の日の始まりを告げた。
「……信じられない。そんな……そんな夢のような話」
呆然とした表情をそのままに、アイリアは口の中でそう呟いた。だがやがてふっと笑うと、晴れやかな顔を祐人に向けた。
「いや……信じよう。信じるしかない。貴方が……ユートがそう言うのだから」
「なんだよそれ」
「最愛の人が言うことを信じられなくて、何を信じればいいのだ」
「つか、信じるも信じないも本当のことだから!」
祐人がむきになってそう言うとアイリアはぷっと吹き出し、そのまま一頻り笑った。……やっと笑ってくれた。そう思って、祐人は少しだけ安心した。
目元に残っていた涙を指で拭ったあと、アイリアは穏やかな微笑を浮かべ、真っ直ぐに祐人を見て、言った。
「ユート、頼みがある」
「なんだ?」
「明日の戴冠式、貴方がこの国の皇帝になってほしい」
優しく、晴れやかな顔だった。そんな顔にも、言葉にも、アイリアの祐人への信頼が溢れていた。
「非凡なるその手腕、見せてもらった。私と姉上、それにカステリオ卿までもひとつにまとめ上げるなど、他にこの国の誰ができよう。ユート、貴方こそこの乱世に国を保つお人だ。男の皇帝など先例がない。だがこの期に及んで先例など何になろう。皇帝の冠は貴方にこそ相応しい。仔細は私が取り計らう。姉上とも話して、明日の戴冠式では――」
「いや、俺は皇帝にはならない」
もう何度目になるかわからないその一言で、祐人はアイリアの言葉を遮った。
……まったく、誰もが俺を皇帝にしたがる。そう思って祐人は、悪魔の言っていたことがようやく腑に落ちるのを感じた。
俺を王様にすることならできる。だが王様にならず、王様を裏で操れるようにすることは難しい。……そう、皇帝になるよりも、こっちの方がよほど難しかったのだ。
だが、祐人には確信があった。自分が皇帝になるよりも、こっちの方が絶対にいい国が作れると――
「俺は皇帝にはならない。そんなものになりたかったわけじゃない」
もう一度そう繰り返す祐人に、アイリアは少し驚いた顔をしたあと、真剣な目で祐人を見つめた。
「……なぜだ。皇帝になりたくないというのなら……それならば、何のためにユートは――」
「この国を強く大きくし、敵国と戦っても負けない国にするためだ」
それは初めてのあの朝、この国に来た理由を訊ねるアイリアに、祐人が返した答えだった。そのときのことを思い出したようにアイリアは小さくひとつ身体を震わせ……なぜだろう、それからまた寒さに耐えるように自分の身体を抱いた。
「さっきも言っただろ。俺みたいな素性の知れない男が表舞台に立ってどうする。俺が皇帝になるなんて、誰がそんなこと望んでいる。俺は何もいらない。地位も栄誉もいらない。ただアイリアとエレネ、そしてロザリーに、俺の考える、この国の未来を切り拓くための方法を伝えたい。時が止まっていたこの国を、俺の手で動かしたいんだ」
――言いながら祐人は、俺はこの国にとって稀代の大悪党だな、と思った。
綺麗な言葉で誤魔化しているが、それは要するに傀儡政権を作るということだ。自分は決して表に出ず、王や諸侯を意のままに操って理想とする国を作り上げる。それこそがウォーシミュレーションゲームなのだ。
悪魔さえ匙を投げたゲームの枠組みを構築する作業は、ついに佳境に入った。そう思って拳を握りしめる祐人の前で、アイリアは激情を抑えるように自分の身体を強く抱き締めながら絞り出すような声で言った。
「それならば……それならば私はどうやってユートに報いればいいのだ。女としてのこの身は、もうユートに捧げている。初めて会ったあの日から、私の身も心もユートのものだ。この上ユートに捧げられるものが私にあるとすれば、それはもうこの国だけだ。ユートが欲しいものはそれだと思った。だから私はそれをユートに捧げようと! それなのに……それなのにユートは!」
「アイリア。俺は――」
「ユートは私に沢山のものをくれた! 私の命を救い、女としての悦びをくれた! 私の不安を消し、その上この国の未来まで! 私はどうやってユートに報いればいいのだ!? 何を返せばいいのだ!? どうか教えてほしい! ユートのためならば私は何でもする! ユートのために、私には何ができる!?」
「それなら、これからずっと俺の傍にいてくれ」
素直な気持ちが祐人の口からこぼれた。自分が身を投じたゲームの枠組み作り、国の手綱を握るためのあれこれ――そうした事情はあっても、それはそれ。祐人の心もまた、あの日、峠の山道をアイリアと踏み越えた日から何も変わっていなかった。
「アイリアのことが好きだから、ずっと傍で支えていきたい。だから、ずっと俺の傍にいてくれ。俺に自分の希望があるとすれば、それだけだ」
思えばこちらに来て初めて誰かを好きと言ったな……順番がおかしくないか、と祐人は思った。アイリアは最初呆けたような顔をし、それから顔を歪ませ、大粒の涙を流しながら祐人に抱きついた。
「ばか! それは私の台詞だ、ばか! どこへ行っていたのだ、ばか! あの日に言っただろう、私はもうユート無しでは生きていけないと! ユートが余所の国に行ってしまったと思って、何度あとを追い国を飛び出そうと思ったか! ユートがもう二度と戻ってこないと思って、何度死んでしまおうと思ったか!」
「アイリア……」
「ああ、愛している。愛している、ユート。私はもう決して貴方の傍を離れない。たとえ世界が滅びようとも、この身は貴方に寄り添って朽ち果てる。私の身も心も、魂さえも貴方のものだ。生涯、貴方の傍にいることを誓う。だから貴方も――ユートも二度と私を手放さないでほしい……」
月明かりさえ届かない部屋に二人の影が重なり合い、絡み合い、ひとつになって溶けてゆく。
それを見届けたように、大広間にかかる古時計のベルが戴冠式の日の始まりを告げた。
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