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6 救いの手
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ランチーリー男爵は立ったままでヨーゼンバルに頭を下げた。
「殿下の前で申し訳ありません。教育が至らなかったとしか申し上げようもございません」
「うん。気にするなとは言えない次元だね。これから側に置き、教育し直してくれ。それまで爵位の譲渡は認められない」
ヨーゼンバルは真面目な顔でランチーリー男爵に答えた。
男爵家では、金銭的な問題で娘に教育を施せないことはよくあることだ。しかし、それなら、領地内にて嫁入り先を探したり、メイド見習いとしてどこかのお屋敷に預けるなりするものだ。
ランチーリー男爵家でも、領民の未来を守るべく嫡男と長女にはできるだけの教育をした。しかし、次女であるキャリソーナにまでは手が回らず、ランチーリー男爵はキャリソーナを平民に嫁がせるつもりだった。
そんなキャリソーナが王都に行ってみたいと言った。ランチーリー男爵は二年間だけという約束で、キャリソーナが王都暮しをすることを許してしまった。ランチーリー男爵は『市井遊びがしたいのだろう』程度に考えていたのだ。『市井の平民に嫁ぐのもよし』と。
領地の平民に嫁げば王都になど行けるはずもない娘にせめてもの餞のつもりだった。
それがそもそも間違いだったのだろう。
「はい。殿下の恩情には大変感謝しております」
これには、ランチーリー男爵だけでなくノッスタン公爵も頭を下げた。そのタイミングでノッスタン公爵が頭を下げたことにビルマルカスが驚いた。
「ち、父上……?」
ノッスタン公爵は抑揚のない口調でビルマルカスに答える。
「お前は今日からランチーリー男爵の婿養子だ。殿下からのお言葉通り、キャリソーナ嬢が淑女教育を修了できればランチーリー男爵から爵位を譲渡される」
「え? ですが、キャリソーナには兄がいるはずですっ!」
「そうだ。だから、殿下の裁量でランチーリー男爵のご子息には騎士爵が与えられることにしてくださったのだ。ご子息には昨日納得していただいた」
ランチーリー男爵子息は現在王立騎士団に所属している。末は隊長かと言われるほどの実力者である。とはいえ、爵位としては騎士爵より男爵の方が上だ。ランチーリー男爵子息は妹の後始末は家族の義務だと納得していた。
「本来ならお前たちは平民になるところだったのだぞ。それを、ヨーゼンバル殿下が救いの手を差し伸べてくれたのだ」
ビルマルカスは、父親とヨーゼンバルを交互に見た。ヨーゼンバルは目が合ったので、ビルマルカスの疑問に答えてやることにした。
「ビルマルカス。君がディナシェリアの手を離したことには、本当に感謝しているよ。
ディナシェリアが憂いを残さず王家に嫁ぐには、君たちが安定していることも必要ではないかと考えたのだ。ランチーリー男爵令息に爵位を与えるのは、間接的に君たちに爵位を与えるためだ。
私が考え判断したのは、ここまでだ」
ヨーゼンバルの言葉をノッスタン公爵が引き継いだ。
「殿下から恩情はいただけた。ただし、ランチーリー男爵と話し合った結果、今日から3年間を限度とすることにした。殿下に恩情をいただいたのに期待に添えませんでしたとは言えぬからな」
キャリソーナは不安になるような話であることを察してビルマルカスの腕に縋る。ビルマルカスは何をどう考えるべきかわからずただ聞いていた。
「キャリソーナ嬢の淑女教育とお前の領主教育を、三年後に王城にて裁定することとする。ネトビルア公爵夫人が王妃陛下に裁定をお願いしてくれるそうだ。
お前の裁定は私がしよう。甘くするつもりはないぞ」
ビルマルカスは頭を抱えた。
「三年後、どちらかでも不合格となったら、ご子息にランチーリー男爵家を継いでもらいお前たちとは縁を切る」
ビルマルカスは顔だけ上げた。
「そうなったら、お、お……れたち……は?」
消え入りそうな声だがノッスタン公爵は気にする様子もなく淡々と答えた。
「無論、平民となる」
ビルマルカスは頭を抱えたまま左右に振った。まるで子供がダダを捏ねているようだった。
「そうそう。お前の私物だが、必要最低限の物以外は売り飛ばしたぞ」
ビルマルカスはすでに何にも反応しなくなっていた。
「それでも、ディナシェリア嬢への慰謝料は足りなかったがな。
ネトビルア公爵殿はザクダイトがマリーエマンス嬢を幸せにすると約束することで金額もご納得いただいたのだ。
ネトビルア公爵殿にもザクダイトにも感謝しなさい」
「え? 俺の金は?」
それまで淡々と話していたノッスタン公爵が眉を釣り上げ立ち上がる。そして、キャリソーナを押しのけ、ビルマルカスの頬を拳で殴った。
「まだそんなものがあると思っているのかっ!? ここまで何の話を聞いてきたのだ!?
そのような気持ちで三年後の裁定に合格できると思わぬことだ。裁定の際には、知識だけでなく心根も裁定するのだぞっ!」
ビルマルカスは殴られたのは初めてだったので、まさか殴られるとは思わず逃げることも避けることもしなかった。なので、まともに拳を食らっていた。頬を押さえ涙を流してノッスタン公爵を見つめていた。
「まずは自分のことでなく、周りの人、自分が迷惑をかけてしまっている人、お世話になっている人、その人たちの気持ちや望むこと嫌がることを考えなさいっ! 人の気持ちを慮れなければ、よい領主になれるわけがなかろう!」
ノッスタン公爵はビルマルカスの襟首を掴み、引きづり、扉の方へと投げた。ビルマルカスは顔から床へ転んだ。毛足の長い絨毯なので痛みはないだろうが、父親に十八年間されたことがないようなことをされたのだ。ショックで立てない様子だった。
「お前の荷物はすでにランチーリー男爵領へ送った。お前たちもすぐに発ちなさい」
ネトビルア公爵家の私兵が入ってきて、ビルマルカスとキャリソーナを連れ出した。キャリソーナは『お父様!お父様!』と騒いでいたが、ランチーリー男爵が振り向くことはなかった。ビルマルカスは両肘を取られ引きづられて行った。
キャリソーナの声が聞こえなくなり、馬車が出ていく音がした。
ホッと全員がため息をついた。
「お前たちは下がりなさい」
ネトビルア公爵がザクダイトとマリーエマンスに言った。
「「はい」」
二人は立ち上がった。ザクダイトはマリーエマンスに手を差し出した。マリーエマンスは照れながらその手をとり、二人は手を繋いでメイドに促されて部屋を出た。ノッスタン公爵がここにいるのだからサロンでお茶でもするのだろう。
二人が出ていくと、ランチーリー男爵がディナシェリアに頭を下げた。
「本当にバカ娘が申し訳ありませんでした」
「それを言うなら我が家もです。愚息が長い間迷惑をかけました」
ノッスタン公爵までもディナシェリアに頭を下げたのだ。
「お二人ともお止めくださいませ。わたくしにも至らぬことがあったのです。ビルマルカス様のお心を止めおけず、申し訳ありません」
ディナシェリアも頭を下げる。
「そうですよ。お二人とも。これはもう済んだ問題といたしましょう」
ネトビルア公爵が納得しているようなので、キャリソーナとビルマルカスについてはこれ以上話をしないことになった。
ディナシェリアは正直ホッとしていた。
これ以上話をしたら、ビルマルカスに気持ちがなかったことをしゃべってしまいそうであったからだ。
ザクダイトとマリーエマンスの退室時の様子を見て、ディナシェリアはもう少しビルマルカスに優しく出来なかったのかと自問自答した。
ザクダイトとマリーエマンスは、公爵家同士で顔見知りであったとはいえ、婚約者として一日目である。その二人が、あのように寄り添おうとしていたのだ。
『もっとわたくしからビルマルカス様へ何か出来たのかもしれないわ』
ディナシェリアが反省するには充分な光景だった。
「殿下の前で申し訳ありません。教育が至らなかったとしか申し上げようもございません」
「うん。気にするなとは言えない次元だね。これから側に置き、教育し直してくれ。それまで爵位の譲渡は認められない」
ヨーゼンバルは真面目な顔でランチーリー男爵に答えた。
男爵家では、金銭的な問題で娘に教育を施せないことはよくあることだ。しかし、それなら、領地内にて嫁入り先を探したり、メイド見習いとしてどこかのお屋敷に預けるなりするものだ。
ランチーリー男爵家でも、領民の未来を守るべく嫡男と長女にはできるだけの教育をした。しかし、次女であるキャリソーナにまでは手が回らず、ランチーリー男爵はキャリソーナを平民に嫁がせるつもりだった。
そんなキャリソーナが王都に行ってみたいと言った。ランチーリー男爵は二年間だけという約束で、キャリソーナが王都暮しをすることを許してしまった。ランチーリー男爵は『市井遊びがしたいのだろう』程度に考えていたのだ。『市井の平民に嫁ぐのもよし』と。
領地の平民に嫁げば王都になど行けるはずもない娘にせめてもの餞のつもりだった。
それがそもそも間違いだったのだろう。
「はい。殿下の恩情には大変感謝しております」
これには、ランチーリー男爵だけでなくノッスタン公爵も頭を下げた。そのタイミングでノッスタン公爵が頭を下げたことにビルマルカスが驚いた。
「ち、父上……?」
ノッスタン公爵は抑揚のない口調でビルマルカスに答える。
「お前は今日からランチーリー男爵の婿養子だ。殿下からのお言葉通り、キャリソーナ嬢が淑女教育を修了できればランチーリー男爵から爵位を譲渡される」
「え? ですが、キャリソーナには兄がいるはずですっ!」
「そうだ。だから、殿下の裁量でランチーリー男爵のご子息には騎士爵が与えられることにしてくださったのだ。ご子息には昨日納得していただいた」
ランチーリー男爵子息は現在王立騎士団に所属している。末は隊長かと言われるほどの実力者である。とはいえ、爵位としては騎士爵より男爵の方が上だ。ランチーリー男爵子息は妹の後始末は家族の義務だと納得していた。
「本来ならお前たちは平民になるところだったのだぞ。それを、ヨーゼンバル殿下が救いの手を差し伸べてくれたのだ」
ビルマルカスは、父親とヨーゼンバルを交互に見た。ヨーゼンバルは目が合ったので、ビルマルカスの疑問に答えてやることにした。
「ビルマルカス。君がディナシェリアの手を離したことには、本当に感謝しているよ。
ディナシェリアが憂いを残さず王家に嫁ぐには、君たちが安定していることも必要ではないかと考えたのだ。ランチーリー男爵令息に爵位を与えるのは、間接的に君たちに爵位を与えるためだ。
私が考え判断したのは、ここまでだ」
ヨーゼンバルの言葉をノッスタン公爵が引き継いだ。
「殿下から恩情はいただけた。ただし、ランチーリー男爵と話し合った結果、今日から3年間を限度とすることにした。殿下に恩情をいただいたのに期待に添えませんでしたとは言えぬからな」
キャリソーナは不安になるような話であることを察してビルマルカスの腕に縋る。ビルマルカスは何をどう考えるべきかわからずただ聞いていた。
「キャリソーナ嬢の淑女教育とお前の領主教育を、三年後に王城にて裁定することとする。ネトビルア公爵夫人が王妃陛下に裁定をお願いしてくれるそうだ。
お前の裁定は私がしよう。甘くするつもりはないぞ」
ビルマルカスは頭を抱えた。
「三年後、どちらかでも不合格となったら、ご子息にランチーリー男爵家を継いでもらいお前たちとは縁を切る」
ビルマルカスは顔だけ上げた。
「そうなったら、お、お……れたち……は?」
消え入りそうな声だがノッスタン公爵は気にする様子もなく淡々と答えた。
「無論、平民となる」
ビルマルカスは頭を抱えたまま左右に振った。まるで子供がダダを捏ねているようだった。
「そうそう。お前の私物だが、必要最低限の物以外は売り飛ばしたぞ」
ビルマルカスはすでに何にも反応しなくなっていた。
「それでも、ディナシェリア嬢への慰謝料は足りなかったがな。
ネトビルア公爵殿はザクダイトがマリーエマンス嬢を幸せにすると約束することで金額もご納得いただいたのだ。
ネトビルア公爵殿にもザクダイトにも感謝しなさい」
「え? 俺の金は?」
それまで淡々と話していたノッスタン公爵が眉を釣り上げ立ち上がる。そして、キャリソーナを押しのけ、ビルマルカスの頬を拳で殴った。
「まだそんなものがあると思っているのかっ!? ここまで何の話を聞いてきたのだ!?
そのような気持ちで三年後の裁定に合格できると思わぬことだ。裁定の際には、知識だけでなく心根も裁定するのだぞっ!」
ビルマルカスは殴られたのは初めてだったので、まさか殴られるとは思わず逃げることも避けることもしなかった。なので、まともに拳を食らっていた。頬を押さえ涙を流してノッスタン公爵を見つめていた。
「まずは自分のことでなく、周りの人、自分が迷惑をかけてしまっている人、お世話になっている人、その人たちの気持ちや望むこと嫌がることを考えなさいっ! 人の気持ちを慮れなければ、よい領主になれるわけがなかろう!」
ノッスタン公爵はビルマルカスの襟首を掴み、引きづり、扉の方へと投げた。ビルマルカスは顔から床へ転んだ。毛足の長い絨毯なので痛みはないだろうが、父親に十八年間されたことがないようなことをされたのだ。ショックで立てない様子だった。
「お前の荷物はすでにランチーリー男爵領へ送った。お前たちもすぐに発ちなさい」
ネトビルア公爵家の私兵が入ってきて、ビルマルカスとキャリソーナを連れ出した。キャリソーナは『お父様!お父様!』と騒いでいたが、ランチーリー男爵が振り向くことはなかった。ビルマルカスは両肘を取られ引きづられて行った。
キャリソーナの声が聞こえなくなり、馬車が出ていく音がした。
ホッと全員がため息をついた。
「お前たちは下がりなさい」
ネトビルア公爵がザクダイトとマリーエマンスに言った。
「「はい」」
二人は立ち上がった。ザクダイトはマリーエマンスに手を差し出した。マリーエマンスは照れながらその手をとり、二人は手を繋いでメイドに促されて部屋を出た。ノッスタン公爵がここにいるのだからサロンでお茶でもするのだろう。
二人が出ていくと、ランチーリー男爵がディナシェリアに頭を下げた。
「本当にバカ娘が申し訳ありませんでした」
「それを言うなら我が家もです。愚息が長い間迷惑をかけました」
ノッスタン公爵までもディナシェリアに頭を下げたのだ。
「お二人ともお止めくださいませ。わたくしにも至らぬことがあったのです。ビルマルカス様のお心を止めおけず、申し訳ありません」
ディナシェリアも頭を下げる。
「そうですよ。お二人とも。これはもう済んだ問題といたしましょう」
ネトビルア公爵が納得しているようなので、キャリソーナとビルマルカスについてはこれ以上話をしないことになった。
ディナシェリアは正直ホッとしていた。
これ以上話をしたら、ビルマルカスに気持ちがなかったことをしゃべってしまいそうであったからだ。
ザクダイトとマリーエマンスの退室時の様子を見て、ディナシェリアはもう少しビルマルカスに優しく出来なかったのかと自問自答した。
ザクダイトとマリーエマンスは、公爵家同士で顔見知りであったとはいえ、婚約者として一日目である。その二人が、あのように寄り添おうとしていたのだ。
『もっとわたくしからビルマルカス様へ何か出来たのかもしれないわ』
ディナシェリアが反省するには充分な光景だった。
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