追放された薬師は騎士と王子に溺愛される 薬を作るしか能がないのに、騎士団の皆さんが離してくれません!

沙寺絃

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1巻

1-2

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 商人や旅人相手なら需要があるだろうが、薬師協会からの認定を受けていないリゼットは、ギルド以外には薬品を売れない。
 それでもソロでの採取時には役に立つ。そう自分に言い聞かせ、リゼットは背嚢はいのうから薬草袋を取り出して採取を始めた。

「この辺りはいい薬草が豊富にあるね」

 グリーンハーブにブルーハーブ。薬草と呼ばれる植物は、回復ポーションの素材として優秀だ。
 マジックハーブやマナの実。魔法植物に分類される植物は、魔力回復のマナポーションを作る時に役立つ。
 毒キノコやパープルハーブ。これらは毒や麻痺まひどくを持つ植物だが、調合次第では解毒薬を作ることもできる。
 調合できるのは回復薬ばかりではない。敵魔物に毒を与える毒薬や、退魔の香水のような魔物を遠ざけるもの、味方の攻撃力や防御力を向上させる【強化薬】も作れる。
 もっとも、それらの薬品が冒険者たちに評価されることは滅多にない。
 回復はヒーラーが、敵魔物の能力を下げることは魔術師ができる。
 しかも調合師の薬と違って、魔力さえあればその場ですぐに発動できてしまう。
 マナポーションさえあれば無尽蔵に強化魔法や回復魔法を使えるため、あらゆる面で調合師より使い勝手が良い。
 調合師は、ヒーラーや魔術師を雇えない駆け出し冒険者が仕方なくパーティーメンバーに加える存在に過ぎない。それが冒険者たちの共通認識だった。

「今日はこれだけ集めれば十分かな? うーん、もう少し欲しいかな……」

 リゼットは集めた薬草の量を確認しながら呟く。
 薬草を沢山採取すれば、その分薬作りの材料費が浮く。それに今回受けたもの以外にも、薬草を募集している依頼が何件かあった。余分に採取して、そっちの依頼にも納品しよう。
 もうちょっと奥まで行ってみることにしたリゼットは、さらに森の奥へと足を踏み入れる。
 辺りに人がいないこともあって、リゼットは薬草採取にすっかり没頭していた。
 そのせいで気付くのが遅れた。自分がいつの間にか、ティムールの森の最深部へ迷い込んでいたことに……

「……おかしいな、ここってさっき通った場所だよね?」

 どうやら迷ってしまったようだ。さっきから見覚えのある景色の中をグルグル回っている。
 このままでは森で夜を越すことになるかもしれない……そう思った時だった。
 突然、背後の茂みがガサガサと揺れた。

「っ、何!?」

 リゼットが身構えたその瞬間、木々の間から巨躯きょくの魔物が飛び出してきた。

「魔物!? どうして、退魔の香水をつけているのに!?」

 それは体長二メートルを余裕で超える巨大な鬼――オーガだった。
 狂暴で残忍な性格で、人の生肉を主食とする魔物だ。

「ウガアアアァァァァァッ!!」

 オーガは迷うことなくリゼットに向かって突進してきた。すんでのところでなんとかかわす。
 あちこち負傷しているようだ。他の魔物に襲われて逃げてきたのだろうか? そのせいで退魔の香水も意味を成さなかったのかもしれない。

「いやあああああっ!! こっちに来ないでくださいぃぃっ!!」

 リゼットは叫びながら荷物の中を探った。
【炎のフラスコ】を取り出してオーガに投擲とうてきする。
 命中したフラスコは炎上し、激しい炎がオーガの全身を包んだ。オーガは苦悶くもんの絶叫をほとばしらせる。
 炎のフラスコは、調合師のスキルで作った薬品である。
 耐衝撃性に優れる魔結晶ガラスに、可燃性と爆発性の高い薬品を詰め込み、着弾時の衝撃で爆発炎上するように調合してある。
 魔術師が使用する炎魔法・ファイアーボール程度の威力がある。
 しかし魔法に比べると素材費がかかる上に、魔結晶ガラスも高い。コスパが悪いと敬遠されがちな薬品である。

「ガ……アァ……アァァ……ッ!!」

 オーガはまだ生きている。トドメを刺すアイテムはないかと、リゼットはさらに荷物を探した。
 二本目のフラスコを取り出した、その時だった。今度は前方のやぶがガサリと動いた。

「大丈夫ですか!?」

 やぶを割って出てきたのは、プレートアーマーに身を包んだ騎士たちだった。
 白銀のよろいには、王家直属の証であるグラジオラスの紋章が刻まれている。王家に仕える王国騎士団の証だ。
 王家の紋章を偽造することは死刑に値する大罪である。そんなリスクの高い真似をする不届き者は王都周辺にはいない。彼らは本物の王国騎士だろう。
 騎士たちは五人いた。その中でもひと際目立つのが、先頭に立つ大剣を持つ騎士だ。
 銀色の髪に青い瞳を持つ若い青年騎士。彼は燃え盛るオーガを見て一瞬驚いたが、すぐに気を取り直した様子で大剣を構え直した。

「そこまでだ、もう逃がさない! 我が剣の前にちりとなれ――必殺・【雷光一閃らいこういっせん】!!」

 騎士が大剣を一閃させる。雷を纏った刃がオーガの体を切り裂く。
 オーガの上半身と下半身が切り離された。

「ギャアアアア……アアァ……ァ……ッ!!」

 両断されたオーガは炎のフラスコの残り火であっという間に焼き尽くされ、黒い消し炭となって崩れ落ちる。
 リゼットは呆然としていた。目の前で起きた出来事が信じられなかった。

(ああ、炎のフラスコは一本作るのに二千ベル以上かかるのに……!)

 今日受けた依頼の稼ぎは千八百ベルだから大赤字だ。
 これから節約生活に入らなきゃいけないのに、もったいない。……いや、そうじゃなくて。

「あの、貴方がたは……?」

 騎士たちに声をかける。オーガを両断した銀髪の騎士が振り向いた。
 思わず見惚みとれそうになる美形だ。彼は整った表情に爽やかな微笑みを浮かべる。

「驚かせて申し訳ありません。我々は王国騎士団の騎士です。俺は副団長を務めるシグルドといいます」

 王国騎士団。
 クラネス王国内でも選りすぐりのエリートばかりが在籍するという騎士団。
 見栄えのいい騎士が多く、若い女性の憧れの的だ。

「どうして王国騎士団の方々がここに……?」
「本日はティムールの森に出没する魔物の調査を行っておりました。しかしオーガを一体討ち逃してしまい、追いかけていたんです」
「ああ、それで私のほうに走ってきたんですね」

 やはり追い立てられていたから、退魔の香水の匂いも気にせず走ってきたのだ。リゼットは納得する。

「貴女には恐ろしい思いをさせてしまいました。――申し訳ありません」

 シグルドはリゼットの足元にひざまずいて頭を下げた。他の騎士たちもシグルドにならって頭を下げる。
 リゼットは慌てた。自分は怪我けが一つしていない。助けてもらったのだから、謝られる必要はない。

「気にしないでください! 私は皆さんに助けていただいたんですよ。ありがとうございます」
「そう言っていただけると、我々としても救われます。……しかし、俺たちが助ける必要はなかったでしょうかね」

 シグルドは黒焦げになったオーガの残骸ざんがいを見て苦笑する。
 トドメを刺したのはシグルドの一撃だが、オーガを燃やし尽くしたのは炎のフラスコだ。

(はあ……もったいない……)

 しかし、いつまでもそんなことを言っていられない。
 リゼットは気持ちを切り替えると、改めてシグルドたちにお礼を言う。

「そんなことはありません。とても助かりました」
「いえいえ、どういたしまして」

 シグルドと名乗った騎士は爽やかに笑う。
 副団長と言っていたが、ずいぶんと若い青年だ。まだ二十歳そこそこといった年齢だろうか。
 端整な顔立ちに銀色の短髪。かなりの美青年だ。
 何より印象的なのはその瞳だ。冬の湖を連想させる青い瞳が、星のようにキラキラと輝いている。

「民を助けるのは騎士の義務です。特に貴女のようなか弱い女性はね」
「そういうものですか」
「はい、そうなのです!」

 シグルドは立ち居振る舞いが洗練されていて、堂々としている。
 装備しているのは白銀のよろいに、装飾が施された大剣だ。
 ……なんだかまぶしい。圧倒的なようのオーラに目が潰れそうだ。

「ところで、お嬢さんはどちらから来られたのですか? 見たところ冒険者のようですが……」
「あ……私はリゼット・ロゼットと言います。冒険者ギルド所属の調合師です。ティムールの森には、依頼と素材集めのために来ました」
「なんと、そうでしたか」
「ですが道に迷ってしまって……どちらへいけば森の外へ出られるでしょうか?」
「この辺りはかなりの奥地です。口で教えただけでは迷ってしまうでしょう。我々もそろそろ引き上げる予定だったので、ご一緒にどうぞ」
「これ以上、騎士団の方にご迷惑をおかけする訳には……」
「冒険者とはいえ女性を一人で森の中に放置するほうが、騎士としてよほど不安になってしまいますよ。なあ、お前たち?」

 シグルドが他の騎士たちに笑いかける。騎士たちも同意を示した。
 みんな騎士なだけあって、爽やかで紳士的な人々だ。
 一度迷ってしまった以上、案内してもらったほうが確実だ。
 リゼットは彼らの厚意を受け取ることにした。

「……それでは、お言葉に甘えてもいいですか?」
「もちろん。困っている方を助けるのが我らの仕事です。それに……」
「それに?」
「先程の道具は何なのですか!? オーガを炎上させてしまうとは、そんな強力なアイテムは見たことがありません!! どこで入手したのか教えてください!!」

 彼は目を輝かせてリゼットに詰め寄ってきた。

「えぇっ!? えーと、ごく普通の炎のフラスコですけど……」
「そんなはずはありません! 炎のフラスコは騎士団にも配備されていますが、巨体のオーガを燃やし尽くす威力はありませんよ!」
「そうなんですか? 普通だと思うけどなあ……私の元仲間なんて、炎魔法でオーガを焼いていましたし」

 ふと思い浮かんだメイラの姿が、リゼットを卑屈にさせる。

「失礼ながら、その方の冒険職は?」
「アークウィザードです」
「魔法職の中でも上級職ですね! 冒険者レベルは?」
「レベル五十のSランク冒険者です」
「一流ではありませんか! 確かにそれならオーガを炎魔法で倒すことも可能でしょう。ところで貴女の職業は調合師ですよね?」
「……ええ、まあ」
「先程の炎のフラスコは貴女が作られたのですか?」
「はい、そうですが……」
「……素晴らしい! 調合師が作った薬品が、あんな威力を発揮するなんて聞いたことがありませんよ! ぜひ詳しく話を聞かせてください!」
「ひぃっ!?」
「うわぁ、近い、近いです! 落ち着いてください、副団長‼」

 シグルドがものすごい勢いで迫ってくる。他の騎士たちが慌てて引き離した。

「おっと、すみません。俺の悪い癖です。民や部下の命を預かる立場なので、強いアイテムには目がないんです。騎士団に配備されたら死傷者を減らせますからね」
「はあ、そうですか……でも、本当に大したことないフラスコなんです。そんなにすごい物じゃないですよ」

 リゼットは苦笑しながら言った。なぜ騎士たちがこんなに驚いているのかサッパリ分からないからだ。リゼットにとって、自分にできる程度のことは仲間たちもできて当然だった。
 炎のフラスコ程度の威力なら、アークウィザードのメイラが使う炎魔法で出せる。それも材料や調合の手間など必要なく、一瞬で。
 魔法に比べると薬の調合には材料費や時間がかかる。冒険の時にも沢山の荷物を持ち歩くことになる。お荷物扱いされていたのは、そのせいなのだから。

「とにかく、詳しい話は王都に戻ってからにしましょう。向こうに騎士団の馬車があります。一緒に来てくださいますか?」
「はい、分かりました。よろしくお願いします」

 リゼットは騎士たちに連れられて森の中を進む。
 馬車は少し開けた場所に停めてあった。
 御者ぎょしゃも騎士ばかり。普段あまり見ない騎士がつどう光景に、リゼットは息を呑んだ。

(うわあ、壮観……)

 騎士たちの年齢は若者から中年までさまざまだ。共通しているのは、全員見た目が整っていること。所作も洗練されていて、さすが王家直属の騎士たちだと思わされる。

「皆、待たせたな! オーガは打ち倒したぞ!」
「副団長! おかえりなさい!」
「さすがは副団長です。お見事です」

 彼らは副団長であるシグルドが戻ってくるのを待っていた。シグルドの帰還に気付くと一斉に敬礼する。

「おや、そちらのお嬢さんは?」
「こちらは冒険者のリゼットさんだ。オーガを倒すのに協力してもらった」
「そうでしたか。リゼット殿、ありがとうございます」
「い、い、いえ、わた、私なんて、ちょっと薬品を投げただけですから……!」

 騎士たちに頭を下げられて、リゼットはわたわたと両手を振る。

謙遜けんそんする必要はありませんよ、リゼットさん。副団長の俺から見てもお見事でした!」

 シグルドがウインクする。他人から褒められるのに慣れていないリゼットは、口から心臓が飛び出そうになった。

「ひいぃ……っ!?」
「申し訳ありません。驚かせてしまいましたか?」
「それはそうですよ、副団長。これだけの騎士がそろっているのは珍しいでしょう」
「皆、気のいい部下たちです。ご安心くださいね」

 シグルドは爽やかな笑顔を浮かべている。悪意は感じられない。純粋に気遣ってくれているのだろう。
 だが彼のまぶしさに目が潰れてしまいそうだ。この場から逃げたい。

「あ、あのう、気分が少し優れないので、一人になってもいいですか……!?」
「おっと、そうでしたね! リゼットさんはオーガに襲われて怖かったんですよね。気が利かず申し訳ありません!」
「ひっ!? あ、頭を上げてください……!! わた、わた、わた……!!」
「わた?」
(私なんかに頭を下げる価値はありませんから!!)

 そう言いたかったのに、緊張のあまり言葉がうまく出てこない。
 シグルドは怪訝けげんそうにリゼットを見ていたが、すぐにポンと手を叩く。

「ああ、綿! つまりリゼットさんは寒いのですね!」
「え? ……は、はい!?」
「お前たち、彼女に毛布を! 温かい飲み物も用意するように!」
「はい、了解しました!」

 シグルドが指示を出す。
 リゼットはあれよあれよという間に、温かい毛布で全身ぐるぐる巻きにされ、手にはホットミルクを押し付けられてしまった。
 訳がわからないままミルクを一口飲む。温かくておいしい。

(ええっと、これってどういう状況?)

 どうして自分は騎士たちにもみくちゃにされているのだろうか?
 困惑するリゼットを他所よそに、騎士たちはテキパキと動き回る。

「他に欲しいものはありませんか?」
「い、いえ、大丈夫です……」
「遠慮なさらずに。何でも仰ってください。蜂蜜はちみつ入りの菓子はいかがですか? チョコレートは?」
「本当に結構ですから……というか、そんな贅沢なものを持ち歩いているんですか……?」
「万が一遭難した時の栄養補給用に持ってきていたのです。沢山ありますから、好きに食べてください!」
「そ、そんなに大事なものをいただけませんよ! 私のことは気にしないでください!」
「そうですか……リゼットさんは謙虚な女性なのですね」

 シグルドは爽やかに笑う。あまりに屈託なく悪意のない微笑みに、リゼットは言葉を失った。
 この人、絶対に良い家の出身だ。そして天然だ。間違いない。

「お前たち、リゼットさんを馬車まで案内して差し上げろ」
「はっ‼」

 リゼットは騎士たちに囲まれて、馬車へ案内された。

「や、やっと一人になれた……ん?」

 馬車に乗り込んでほっとする。が、馬車の中には先客がいた。一人の少年が壁に背をもたせかけて座っている。
 年齢はリゼットと同じくらいか、少し年下か。紫の髪を肩の上で切りそろえた、赤い瞳の少年だ。
 騎士とは違い、黒いローブを羽織はおっている。しかしその顔立ちは、外で見た騎士たちよりも整っている。とんでもない美少年だ。

「ん?」

 彼はリゼットが入ってくるのに気付くと顔を上げる。
 宝石にも似た赤い瞳に見つめられて、リゼットの心臓が飛び跳ねる。

「あ、あの、私、リゼット・ロゼットといいます。森の奥でオーガに襲われていたところ、騎士団の皆様に保護していただきました」
「ああ、そうなのかい。僕は王国騎士団で魔道具の開発をしているユーリスだ。今回は新しい魔道具の動作を確認するために同行しているんだ」
「ユーリスさん、ですか」

 彼は見た目がうるわしいだけでなく、声も美しい。鈴を転がすような声色にドギマギしてしまう。

「ところで、見たところ一人みたいだけど。どうしてこんな森の奥にいたんだい?」
「わ、私は冒険者で、冒険職は調合師です。森の奥で薬の素材を採取していたんです」
「冒険者で調合師? あの不遇職の?」
「ふ、不遇職っ!?」
「一般的には、調合師の回復薬より回復職の回復魔法のほうが良いと言われている。それに、調合師の爆薬よりも魔術師の攻撃魔法のほうが良いとも言われているね」
「うぅぅ、そうですけど……薬なんて誰にでも作れますもんね……あははは……」

 そんなことは分かっている。だけど昨日パーティーを解雇されたばかりだから、さすがにへこむ。
 しかもこんな美少年に指摘されて、余計に居たたまれない。
 思わず乾いた笑いが漏れる。するとユーリスは急に真剣な顔になった。

「もっとも、世間の評価が真実とは限らないけどね」
「え?」
「僕もよく言われるのさ。魔道具より魔法を直接使ったほうが早いじゃないかってね。でも僕はそう思わない。魔道具は技術だ。技術は国の宝だ。僕は自分の研究が、この国の未来に役立つと信じているよ」
「ユーリスさん……」
「薬作りだって技術だよね。キミは、自分の作った薬が誰かの役に立つと信じられない?」
「そ、そんなことはありません! 私、薬作りは死んだお母さんに教えてもらって……薬作りの技術には自信があります! 他は全然ダメだけど、薬作りだけは!」
「それならいいんだ。自信がない人の作った薬なんて誰も使いたくないからね」

 ユーリスはクスリと流し目で笑うと、リゼットに右手を差し出した。

「よろしくね。弱気な調合師さん」
「は、はい。よ、よろしくお願いします」

 差し出された手を握り返す。
 ユーリスの手は白くて滑らかで、まるで陶器を思い起こさせる。
 それでも触れていると、温かな体温が伝わってきた。
 精巧な人形のごとく整った顔立ちをしているけど、やっぱり人間なのだと実感する。
 二人が手を離したタイミングで、馬車がゆっくりと走り出す。
 ユーリスは膝の上に乗せた長方形の板に目を落とした。調理用のまな板ぐらいの大きさだ。
 表面には何やら数値や図形が表示されている。リゼットは首を傾げた。

「それも魔道具ですか?」
「そうだよ。僕が開発したタブレットだ。今回の討伐に同行したのも、この魔道具の性能を実戦で確かめるためなんだ」
「戦闘用の魔道具なんですか?」
「いいや違うよ。これはね――」

 ユーリスが言いかけたところで森の中に轟音ごうおんが響き、馬車が大きく揺れた。

「ひいぃっ!?」
「おっと!」

 リゼットとユーリスは大きくバウンドする。バランスを崩したリゼットをユーリスが受け止めた。
 ふわりといい香りが鼻先をかすめた。ユーリスは男の人なのにいい匂いがする。
 それに比べて自分はどうだろう。昨日はお風呂に入ったけど、今日一日採取していた。汗をかいていて臭うかもしれない。

「ご、ごめんなさい! すぐ離れますね!!」
「気にしないで。それより今の音、外で何かあったのかな」
「わ、分かりません。……ちょっと外を見てみます」

 リゼットは馬車の扉を開ける。……外は明らかに異様な雰囲気に包まれていた。
 何かが近付いてくる気配がする。
 それは徐々に大きくなり、やがて巨大な魔物の姿が見えた。
 ズルッ……ズルゥッ……ヌチャアッ……
 巨大な岩石のような影が、粘質な水音を伴ってい寄ってくる。
 周囲の木々をたおして、まっすぐこの馬車に向かってきている。
 その魔物はティムールの森の最深部にあって、うわさによると冥界に繋がっている底なし沼に生息するとささやかれる化け物。
 巨大な胴体に九つの首、猛毒を持つSランク魔物【ヒュドラ】だ。

「う、嘘……まさか、ヒュドラ!?」
「あれが何か知っているのかい? さすが冒険者だね」
「有名なんですよ! 冒険者ギルドのAランクパーティーですら、討伐に失敗して全滅したとうわさされている化け物ですよ!!」
「Aランクパーティーが全滅……それはまずいな。このままだと馬車ごと飲み込まれるかもしれない」

 リゼットは頭を抱える。ヒュドラは巨大きょだい水蛇みずちとの異名を持っている。要するに蛇だ。
 蛇に丸呑みにされる自分を想像して戦々恐々とする。
 だが、シグルドは冷静だった。馬車から飛び降り、部下の騎士と隊伍たいごを組んで腰の剣を抜き構える。
 他の騎士たちもシグルドにならってそれぞれの武器を構えた。

「リゼットさんとユーリス様は馬車の中に避難していてください! ここは我々が食い止めます!!」
「でも……!」
「大丈夫です、ご安心を! 王国騎士団の名にかけて、シグルド・ジークムントの誇りにかけて、貴女方を守り抜いてみせましょう! 我々の力をご覧あれ!!」

 シグルドは大仰おおぎょうな口上を並べ立て、ヒュドラへ駆けていく。他の騎士たちも後に続いた。
 先頭を走るシグルドの刃がヒュドラの首の一つを切り落とす。


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