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第十章 虚空
第一話 逃亡先
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いくら身体能力が強化されているとはいえ、心までは強化されていない。暗闇が支配する森の中でひとりぼっちにされては恐怖で立ちすくんでしまうのも無理はない。
こんな時に役に立つのは歩の索敵能力だ。木々の影に隠れているかもしれない敵をいち早く感知できるし、安全なルートを選んで進むこともできる。バカにしていた能力がその実、最も使える能力ではないかと思える瞬間だった。
エルフの里に引き返すのも一つの手だろうが、その選択肢を選ぶことはちっぽけなプライドを傷つけることにつながる。戦争を機に別行動をするようになった正孝に”腰抜け”の称号を与えられているのに、唯一エルフの里に残った美咲にまで一生弄られることになってしまう。それは避けたいし、せっかく手に入れた力を使用して楽しく生きたいとも考えている。
しばらくそのままじっとしていたが、このままでは好転することはないとようやく悟ったのか、歩について行くのを諦めてトボトボ歩き出した。
それを影でこっそり見ていた歩はホッと息を吐いて座り込んだ。常時索敵能力を展開している歩にとってこの森は、拓けた野原にいるも同義。安心安全に休めることが保証されていれば、どんな場所だろうと体を投げ出せる。それとは裏腹に森の中で何の頼りもなく、一人ビクビクとおっかなびっくり歩く茂を見れば、別世界の者同士助け合えば良いと思われるかもしれない。
(……茂くんには悪いけど、寄生虫はごめんだよ……)
茂はその特異能力からも分かるように蛭のような性格をしている。強い者や役立つ者に取り付き、美味い汁だけを啜ろうとする寄生生物。その上、虎の威を借る狐であり、弱い者を虐げるチンピラ根性の持ち主。一緒に付いて来させれば歩は今後ずっと利用されてしまう。もし利用されるにしろ使われる人間くらいは選びたい。
歩はどんどん遠ざかって行く茂の気配を尻目に、ため息をつきながら天を仰いだ。
「はぁ……巫女様……」
この世界で唯一の心の支えでもあったエルフの巫女。妖艶で淫靡で崇拝したくなるほどに神々しかった愛しの君。
それがどういうわけか、この数カ月でただの普通の女の子へと変わっていた。それだけなら手の届く位置に降りてきたと歓喜してもいいところだが、不思議なことに自分で呼び出したはずの守護者の顔を全く覚えていなかったのだ。あれほど連呼していた歩の名前を聞いても困惑するばかりで要領を得ず、ついには泣き出して収拾が付かなくなる始末。
何が彼女を変えてしまったのか定かではないが、どうも魔王や魔獣の襲撃を受けたのが原因ではないかと森王から聞かされた。巫女の急激な変化からエルフの里にいる意味を見出せず、逃げるように出てきたのが歩の理由だった。
「……何もエルフがこの世界の全てじゃないよ。僕を必要としてくれる人はもっと他にいるさ」
祈るように言い聞かせて立ち上がった。とりあえずは人の街を目指して、安全第一に歩き出す。
二人はそれぞれ別の道を歩き出した。
エルフの里を出てから数日後、歩は無事にヒューマンの街に入ることができる。茂は途中で盗賊団に出会い、多少のいざこざこそあったが、その力を買われて幹部にまでのし上がることになる。
*
街に着いた歩を待っていたのは空腹だった。
最初の何日かはエルフからこっそり頂戴した路銀がそのお腹を満たしたが、それが尽きると稼ぎ口も知らない歩は何も食べられなくなり、路地裏の隅でうずくまるしかできなくなっていた。
小説を読み漁っていた彼にとって、異世界の稼ぎといえばギルドである。だが右も左も分からないこの異世界で、文字も読めず、人見知りから声もかけられないというヘタレっぷりを発動して、二進も三進も行かずこのザマである。
(もう……ダメかも……)
自分では何もできない歩。常に誰かの真似をして生きてきた。親族の目に怯え、友達や先生に嫌われないように体裁を整えて生活してきた。誰の目からも真面目で良い人として生きてきた彼にとって元の世界は窮屈で仕方がなかった。
だからこそ異世界無双に憧れた。創作物は現実世界を忘れることのできる歩の逃げ道だった。
そんな世界に来ても心根は変わりはしない。自分の無力を思い知り、お腹のすいた現状に憎しみすら抱いた。
(……とりあえずその辺の人に話を聞いてみよう。話はそれからだよ)
そう自分に言い聞かせる。人見知りだとかそんなことを言っている場合ではない。このままではそれこそ盗みを働く他生きる道はない。
ふっと顔を上げるとすっかり夜だった。街ゆく人もまばらになっているのを確認して顔を伏せた。
(……明日にしよう)
決断が遅かったと自己完結してさっきと変わらない形に戻る。今日もじっと怯えながら朝まで我慢する。最近しっかり寝ることができていない。目の下に真っ黒なクマを作りながらぼーっとしていると目の前に人が止まった。
「……おい、あんた大丈夫か?」
「……へ?」
この街でかけられたこともない心配の声に顔を上げる。ぼんやりした視界の中、その姿を認めた。
小綺麗に仕立てた紳士的な印象を与えるこざっぱりした中年だ。白いシャツにカーキ色のベストを身に着け、ベストとおそろいのスラックスで真面目な印象を与える。口髭は剃り上げ、真っ白なあごひげを立派に生やしもみあげとつながっている。白髪をオールバックにして茶色い淵の無骨なメガネをかけた一見すれば貴族に見まごう容姿をしている。
「若いな……家出か?こんなところじゃ寝られんだろ。俺もさっきこの街に着いたんだ。この近くに俺の店があるんだが、一晩だけでも泊まってかないか?悪いようにはしないぜ?」
こんな時に役に立つのは歩の索敵能力だ。木々の影に隠れているかもしれない敵をいち早く感知できるし、安全なルートを選んで進むこともできる。バカにしていた能力がその実、最も使える能力ではないかと思える瞬間だった。
エルフの里に引き返すのも一つの手だろうが、その選択肢を選ぶことはちっぽけなプライドを傷つけることにつながる。戦争を機に別行動をするようになった正孝に”腰抜け”の称号を与えられているのに、唯一エルフの里に残った美咲にまで一生弄られることになってしまう。それは避けたいし、せっかく手に入れた力を使用して楽しく生きたいとも考えている。
しばらくそのままじっとしていたが、このままでは好転することはないとようやく悟ったのか、歩について行くのを諦めてトボトボ歩き出した。
それを影でこっそり見ていた歩はホッと息を吐いて座り込んだ。常時索敵能力を展開している歩にとってこの森は、拓けた野原にいるも同義。安心安全に休めることが保証されていれば、どんな場所だろうと体を投げ出せる。それとは裏腹に森の中で何の頼りもなく、一人ビクビクとおっかなびっくり歩く茂を見れば、別世界の者同士助け合えば良いと思われるかもしれない。
(……茂くんには悪いけど、寄生虫はごめんだよ……)
茂はその特異能力からも分かるように蛭のような性格をしている。強い者や役立つ者に取り付き、美味い汁だけを啜ろうとする寄生生物。その上、虎の威を借る狐であり、弱い者を虐げるチンピラ根性の持ち主。一緒に付いて来させれば歩は今後ずっと利用されてしまう。もし利用されるにしろ使われる人間くらいは選びたい。
歩はどんどん遠ざかって行く茂の気配を尻目に、ため息をつきながら天を仰いだ。
「はぁ……巫女様……」
この世界で唯一の心の支えでもあったエルフの巫女。妖艶で淫靡で崇拝したくなるほどに神々しかった愛しの君。
それがどういうわけか、この数カ月でただの普通の女の子へと変わっていた。それだけなら手の届く位置に降りてきたと歓喜してもいいところだが、不思議なことに自分で呼び出したはずの守護者の顔を全く覚えていなかったのだ。あれほど連呼していた歩の名前を聞いても困惑するばかりで要領を得ず、ついには泣き出して収拾が付かなくなる始末。
何が彼女を変えてしまったのか定かではないが、どうも魔王や魔獣の襲撃を受けたのが原因ではないかと森王から聞かされた。巫女の急激な変化からエルフの里にいる意味を見出せず、逃げるように出てきたのが歩の理由だった。
「……何もエルフがこの世界の全てじゃないよ。僕を必要としてくれる人はもっと他にいるさ」
祈るように言い聞かせて立ち上がった。とりあえずは人の街を目指して、安全第一に歩き出す。
二人はそれぞれ別の道を歩き出した。
エルフの里を出てから数日後、歩は無事にヒューマンの街に入ることができる。茂は途中で盗賊団に出会い、多少のいざこざこそあったが、その力を買われて幹部にまでのし上がることになる。
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街に着いた歩を待っていたのは空腹だった。
最初の何日かはエルフからこっそり頂戴した路銀がそのお腹を満たしたが、それが尽きると稼ぎ口も知らない歩は何も食べられなくなり、路地裏の隅でうずくまるしかできなくなっていた。
小説を読み漁っていた彼にとって、異世界の稼ぎといえばギルドである。だが右も左も分からないこの異世界で、文字も読めず、人見知りから声もかけられないというヘタレっぷりを発動して、二進も三進も行かずこのザマである。
(もう……ダメかも……)
自分では何もできない歩。常に誰かの真似をして生きてきた。親族の目に怯え、友達や先生に嫌われないように体裁を整えて生活してきた。誰の目からも真面目で良い人として生きてきた彼にとって元の世界は窮屈で仕方がなかった。
だからこそ異世界無双に憧れた。創作物は現実世界を忘れることのできる歩の逃げ道だった。
そんな世界に来ても心根は変わりはしない。自分の無力を思い知り、お腹のすいた現状に憎しみすら抱いた。
(……とりあえずその辺の人に話を聞いてみよう。話はそれからだよ)
そう自分に言い聞かせる。人見知りだとかそんなことを言っている場合ではない。このままではそれこそ盗みを働く他生きる道はない。
ふっと顔を上げるとすっかり夜だった。街ゆく人もまばらになっているのを確認して顔を伏せた。
(……明日にしよう)
決断が遅かったと自己完結してさっきと変わらない形に戻る。今日もじっと怯えながら朝まで我慢する。最近しっかり寝ることができていない。目の下に真っ黒なクマを作りながらぼーっとしていると目の前に人が止まった。
「……おい、あんた大丈夫か?」
「……へ?」
この街でかけられたこともない心配の声に顔を上げる。ぼんやりした視界の中、その姿を認めた。
小綺麗に仕立てた紳士的な印象を与えるこざっぱりした中年だ。白いシャツにカーキ色のベストを身に着け、ベストとおそろいのスラックスで真面目な印象を与える。口髭は剃り上げ、真っ白なあごひげを立派に生やしもみあげとつながっている。白髪をオールバックにして茶色い淵の無骨なメガネをかけた一見すれば貴族に見まごう容姿をしている。
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