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第三章 勇者

第三十二話 朱槍

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豪華な食卓。
高級な葡萄酒を片手に、食事を楽しむのはグラジャラク大陸の新しい支配者。

第二魔王”朱槍しゅそう”。名をイミーナ。

本日は祝賀会と題して、侯爵や伯爵を始めとする重鎮たちが呼び出された。皆、大陸内に土地や自国を持つ優秀な領主だが、力ではイミーナより一段、ないし二段階劣る。ミーシャと比べればその差は歴然だ。

だからこそ、大半が浮かない顔をしている。
ミーシャを殺しきれたのなら、こんなに暗い祝いの席ではなかっただろう。

「本日はおめでとうございます。朱槍様」

やって来たのは子爵。家臣の中ではもっとも若く才覚に溢れた未来ある希望の魔族。

席から立ち、酒瓶を持ち、注ぎにやって来た。まだ少し残っていたグラスの酒を唇を湿らす程度に呷ると、注ぎやすいように子爵にグラスを傾けた。

「恐れ入ります」

それに礼を言うと、葡萄酒を注ぐ。あからさまなおべっかだが、こういう男だ。
上に気に入られて、すぐにでも出世しようとしているのが見え見えである。

だが、イミーナも悪い気はしていない。子爵は侯爵の老人と比べれば先が長い。今後を担うリーダーとして立たせるのも悪くない気がしている。

老い先短いくせにミーシャが死ななかったことで自分たちに飛び火しないかビクビクしている様な奴等をこのまま上に立たせるよりは国の為になる。

(もう既にあの子は過去のものなのよ?)

黒雲との話し合いの結果が今なのだ。
政治に関して完全に置物だったあの小娘を思えば、今の魔王の方が国の為になるのは間違いないだろうが、政治や忠誠などで揺らいでいるわけではない。イミーナもそれくらい分かっている。

「朱槍様…あの方は今、何処にいるのですかな?」

さっきから一言も喋っていなかった侯爵が声を出した。名前で呼ばないのは恐怖が勝っているからだろう。

「…グラジャラクここを目指していないとだけ言っておきます。他は憶測の域を出ないので…」

その返答に安堵の息を漏らすものもいれば、口を横一文字に結んで腕を組むものもいる。

みなごろしは最強の個であり、戦いとなれば幾ら死人が出るのか分かったものではない。
今すぐ戦いがないのであれば、防備を固める必要が出てくるだろう。考えることは山積みだ。

(ふざけている)

何のための祝賀か分かっていない。唯一、子爵のみイミーナに対して敬いがある。

イミーナは注がれたグラスの葡萄酒を一気に飲み、空にすると机に勢いよく置いた。カンッという甲高い音が鳴り、静まり返った大広間に響いた。家臣たちの耳目を集めると、イミーナは一人一人の顔をじっくりと見る。

「皆さん食事が進んでおりませんね。お口に合いませんか?」

威圧された家臣はどう言ったらいいか、困惑気味に俯く。イミーナの怒りはもっともだが、それを享受できるほどミーシャの脅威は甘くはない。

化け物を敵に回した時、それが自分の大陸の支配者であった事実を思えば、裏切ったのはあくまでイミーナであり、自分たちは関係がないという立場でありたいものだ。

イミーナは詰めが甘い。家臣を味方にするにしろ、鏖を完全に抹殺してから魔王の座に就くべきだったのだ。今の段階ではすべてが中途半端である。

驚くべきは黒雲がそれを容認した事だ。円卓は人類抹殺の同盟であり、仲違いを許さないという決まりだったと認識していたが、こうしてイミーナが円卓に加入する事ができた。
何を握っているのか知らないが、魔王になり、名前までいただいている。

公には立派な魔王だがこの場ではそうはいかない。
ただの裏切り者だ。

「…この国の贅を凝らした最高級の料理です。それぞれの領土から採れた新鮮な食物を、最高の料理人が調理し、机一杯に並べている」

手を広げ、この机にある料理の壮大さを表す。

「侯爵…このお肉はあなたの家畜のものです。この新鮮なお野菜は男爵の領土から、このお酒は?子爵の酒造から…」

「何をおっしゃりたいのかな?」

伯爵が質問を返す。
イミーナはニコリと笑い、権力者たちを見渡す。

「我らが一丸となれば豪華で煌びやかな国となる。この料理の様に素晴らしい国にね…」

それを聞いて、ふふっと笑いが出る。笑みをこぼしたのは伯爵だった。

「確かに煌びやかですな。食材選びにも余念がない…それで?料理人はどこですかな?」

それを聞いた時の会場内は寒気がするほどだった。

「…何か勘違いされているようですね伯爵。料理人は私たちですよ。どこにでも自慢できる。そういう素晴らしい国に私たちがするんです」

それは誰しも分かる事だ。伯爵の言いたいことは別にある事も。というよりイミーナを怒らせない様にするならそれ以上言うべきでない。

「我らが料理人ですか?まぁ確かにそうでしょう。内政は朱槍様を含め我らのおかげかもしれません」

「なぁ伯爵…その辺に…」

侯爵は伯爵の言葉に被せようとするが、イミーナは侯爵に手を出して口を塞ぐ。

「構いません侯爵。さぁ伯爵…話して」

「…あの方は我らの国の看板です。脅威の象徴。それを思えば、今回のこの一件…時期尚早と言わざる負えないのではないでしょうか?」

「ふむ、と申しますと?」

「完璧に事が運ぶまで動くべきではなかったとあえて言わせていただきます」

イミーナは右手にフォークを持ち、蝋燭の火の光を反射させる。その光景に息をのむが、目の前のお皿に乗った野菜にちょんっと突き立て、口に運ぶとポリポリ良い音を立てて咀嚼する。

「これは何と言うお野菜でしょうか?」

男爵が「カドガという根野菜です」と一言。

「なるほど。カドガ、覚えました。実に歯ごたえの良いお野菜です」

同じように料理に手を伸ばす。

「殺せなかったのは私のミスです。そこは皆様の期待に沿えなかった事でしょう…」

フォークを左手に持ち替え、ナイフを右手に持つとメインの肉を切り分ける。

「伯爵。貴方の言いたいことが分からないわけではありません。しかし、貴方に唯一無二の機会を、時期尚早などという言葉で濁されるのは許し難い」

切り分けるとナイフを置いて伯爵を見る。

そしてフォークに持ち替えると、切り分けた肉の一つに突き立てる。皿の上の特製ソースを塗りたくると、ソースにまみれた肉を持ち上げる。

「ですが、私は貴方のその発言を許しましょう。ここで仲違いをしていては、国は発展しません。重要なのは手を取り合って前進する事です」

せっかくソースを付け、後は口に運ぶだけの肉を皿にフォークごと置く。

「今後の事を話し合う前にこの料理を冷めない内に食べましょう。それこそ、第一歩です」

その言葉に安心したのも束の間、それでもなお伯爵は言葉を改めない。

「…我々は貴女を…信じてもいいのでしょうか?」

ゾッとするようなことを何度も聞く。殺されるかもと冷や冷やするが、イミーナは寛大だった。

「もちろん」

―――――――――――――――――――――――

「伯爵…分をわきまえろ」

その言葉を発したのは侯爵だ。
祝賀会が終わり、城を後にする道中、侯爵は伯爵に説教をする。

「貴殿がどうなろうが知った事ではないが、忠告しておく。殺されるところだぞ…」

「巻き込まれたくないだけでしょう?」

伯爵は吐き捨てるように言う。
その言葉にムッとするが、侯爵はさっきの発言を思い出し、そのセリフを流す。

「投げやりになるな。貴殿の気持ちは我らの総意。だが、わざわざ死にに行くことはない。とにかく今後は鏖に備えて動向を窺うとしよう」

「無駄でしょうな…。あれに勝てるヴィジョンが浮かびません。どうしようもないでしょう…。こうなれば、先に鏖を見つけ、味方につけるのも手であると愚考いたします」

伯爵は自分の意見を隠すことなく口にする。こんなにも腹芸の出来ない男だったかと考える。どうにも自暴自棄という言葉が離れない。

「その件は後で考えよう。今は冷静になって事に当たるべきだ。あまり騒ぎ立てるなよ。朱槍様の耳にはいれば、反逆者として排除される」

伯爵は攻めの姿勢だが、侯爵は守りの姿勢だ。

長い間、鏖と朱槍の側で己を出さず流れに身を任せ生きてきた経験から、リスクを取ることを恐れ、今まで通りの形を維持しようと躍起になっている。

イミーナが考える通り、老い先短い日和見主義。

だが正直、侯爵の考え方に傾倒するものの方が多い。まずは落ち着いて大局を見るべきである。焦っても墓穴を掘るだけ。

伯爵は冷静さを欠いているだけで、全て思いつきで物事を喋っている。少しすれば元の彼に戻るはず。

「…お許しください侯爵。気持ちが追い付かず…」

「そういうものだ。また近い内に話し合いの場を設けようではないか。事態の収拾を図るぞ」

伯爵は頷きでそれに答える。
侯爵は伯爵の肩に手を置いて、しばらく伯爵の顔を見た後、手を離して別れた。

侯爵は離れた後、伯爵の案に思案を巡らす。
伯爵の考える鏖を味方につける考え方はあながち間違いではない。

伯爵にはああ言ったが、秘密裏に部下を送るのも考慮すべきだ。侯爵は一考の価値ありと、自分の領土に戻りつつ思った。

伯爵は項垂うなだれた表情から一転、ニヤリと口角を上げ侯爵の飛び去った方角を見つめるのだった。
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