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10章 過去編

129、業

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 メフィストはキョロキョロと周りを見渡しながら壁際をペタペタと触る。
 鳥のレリーフの側にある少し窪んだところを人差し指で触れ、魔力を少量流すと石の壁がズズズッとゆっくり持ち上がった。
 石の壁の向こうに隠し通路が存在し、その先は暗闇が支配している。今一度周りを見渡したあとにサッと中に入り石の壁を下ろした。
 自分の城で周りの目を気にする様は異常にも感じられるが、こうするのは理由がある。暗くなった通路に魔法で光球を飛ばして明かりを作り、ゆっくりと歩き出した。
 しばらく歩いていたが、急に通路の途中で立ち止まりメフィストが虚空に話しかけた

「……私にこんなことをさせるとはな……何のつもりだ? アレクサンドロス」

 その言葉に返答するかの如くアレクサンドロスは闇に紛れるように出現した。

「私のわがままを聞いてくださりありがとうございます。そしてこのような形で申し訳ございません。内密にご相談したいことがありましてね。……しかし未だこの通路を埋め立ててなくて助かりましたよフィニアス様」
「ふっ……お前に裏切られた時から埋め立てを考えてはいたが、あいにく忙しくてな……そういうことだから手短に頼むぞ」
「畏まりました。では単刀直入に……私はデザイアとグリードを殺そうと思っております」
「!?」

 メフィストは目を見開き、アレクサンドロスを見つめた。灯りに照らされた目は正気とは思えぬほど暗く冷たい雰囲気を醸し出している。今まで見たこともない目にメフィストは固唾を飲んだ。

「……それに至る理由は?」
「最近のことになりますが、グリード関連でちょっと……1件どうしても許せないことが起こりまして……単純な理由だとお思いでしょうがそれで十分でしょう?」
「そうか……ここに来て私にそれを話したということは、この私に力を貸せと言うつもりだろう?」
「その通りでございます。私1人ではどうしようもない相手ですから。囲んで一気に叩き潰す。そのための戦力が欲しいのです」
「ふんっ……まったくふざけているなお前は……完全にお前の都合だけで我々を動かそうとしているではないか。デザイアを裏切るために私にすり寄り、気に入らなくなったら私も殺すつもりか? 私とデザイアの間を飛び回るお前の真意はどこにある?」

 鼻で笑いながらメフィストはアレクサンドロスを蔑む。

「……ですね。警戒されるのは当然のこと。ですがフィニアス様もあのグリードには手を焼いていると推察します。あれを殺さねば未来はないとも……」
「いや……うむ。確かにその通りだが……」

 アレクサンドロスのまったく揺らぐことのない視線にメフィストは内心恐怖していた。
 まるで肉食獣が獲物を前に前傾姿勢を取っているかのような緊張感。今にも飛び掛かってきそうな圧にメフィストの体が無意識に臨戦態勢を取り始めた。
 そのことに気づいたのか、アレクサンドロスは憎悪の炎を瞳の奥底に仕舞い、悲哀に満ちた目をメフィストに向けた。

「……私の夢はついえました。デザイアとグリードの手によって……奴らが私のすべてを奪ったように、私が奴らのすべてを奪ってやりたいと心から願ってここに立っています。私の願いは復讐です。この願いを聞き届けてくださるというのなら、私は二度と裏切らぬとこの命にかけて誓います。信じられないと申されますならデザイアとグリードの両名を殺害した後、私の命を差し出しましょう。この身をフィニアス様に……いや、メフィスト様に捧げます」
「……お前の命は軽いなアレクサンドロス。その言葉、女神討伐の際にも口走っていたぞ」
「死なばもろともでございます。それともメフィスト様には私が居なくともあの二人に勝ち得る何かをお持ちなのでしょうか? であるならば私の想像もつかないことで確実に仕留められるのでしょうなぁ」
「そ、それは……お前にはあるというのか? その方法が?」
「あります。しかしメフィスト様がお力を貸していただくことが前提となりますが……」

 メフィストは悩む。アレクサンドロスの言葉を信じるべきだろうかと。
 これが演技であるということを考えた場合、理知的で腹芸を得意とするアレクサンドロスの真価が発揮されたと見るべきだ。女神ミルレース討伐の折、メフィスト陣営の説得において多大な活躍を見せたことは記憶に新しい。
 しかし瞳の奥に見えた復讐に燃えるドス黒い炎。あれを視認した瞬間デザイアとグリードに対する殺意が本物であると確信出来た。

「……お前の話を聞かせてくれ」
「畏まりました。話はそれほど長引くことはありません。ただ、情報の共有ついでに今から行く場所についてきていただけますか? 絶対に後悔はさせません」
「……今日の予定を全て中止する」



 メフィストはアレクサンドロスに連れられ、世界で最も高い山『ヘカトンケイル』に到着した。
 その山で最も美しいとされるカムペーの滝へと案内され、滝をくぐった先にある穴倉の行き止まりにたどり着く。
 壁には魔法陣が刻まれ、アレクサンドロスの魔力によって岩盤の門が開いた。
 中は魔法によって快適な温度に保たれ、日が差し、既に実がついた畑と一人で住むには少し大きめの家がぽつんと一軒建っていた。

「……居るのか? あそこに」
「はい」

 建物の前に着くとアレクサンドロスが先に中に入る。それについていくようにメフィストが入ると、3人掛けのソファに寝転ぶ人影が一つ。
 メフィストはチラリとアレクサンドロスを見る。その視線を感じたアレクサンドロスはコクリと一つ頷いた。

「紹介いたします。スロウ=オルベリウス。デザイアの娘です」
「……んあ?」

 アレクサンドロスの声で目を覚ましたスロウは寝ぼけ眼でぼんやりと二人を眺める。それと同時に蛇のような頭が背凭れの奥からひょこっと顔を出した。

「娘……これが?」
「これとはなんだ!これとは!!」
「姫様に対して無礼な奴だ。こいつは誰だアレクサンドロス」
「失礼。こちらは……」

 アレクサンドロスが紹介しようとしたのに合わせてメフィストは手を上げてそれを制した。

「私の名はメフィスト=大公グランデューク=フィニアス。話はついていると思うが、私たちに力を貸してくれ」

 スロウの首に巻かれた魔道具『極戒双縄』はお互いに顔を見合わせ困り顔でメフィストに視線を向ける。

「……そのことだけどさ、本当にデザイア様と事を構えるつもりかい? 無謀極まりないと思うなぁ」
「そうだよ!お前らなんかがどうやって勝つつもりなんだよ!」

 ブツクサと文句を言い始める極戒双縄。メフィストはまたチラリとアレクサンドロスを見た。
 これほど懐疑的な様子の連中をよくもここまで引っ張って来れたものだと感心しつつも呆れていた。
 ある程度勝てる算段を話してないと裏切り行為をデザイアに告げ口しそうなものだが、この口ぶりだと告げ口の心配はなさそうだ。
 そして説明不足であることも分かった。

「すまないが一つ聞かせてくれ。君たちは戦う気はあるのかね?」
「ないよ」
「ないぜ!」

 スロウの代わりに極戒双縄が元気よく答えた。こんな面倒な場所につれてこられた時から何となく思い至ってはいたが、スロウが戦わないとなると勝ち目はゼロと言って過言ではない。

「……これはいったいどういうことだアレクサンドロス。話はついたのではなかったか?」
「ええ。彼女らは戦わないということで話がついております」
「バカな。スロウ=オルべリウスの能力が必要だというのにそれを使えないのならば意味がない」
「話はここからですよメフィスト様。彼女は我々に能力を貸し与えてくださるのです。既にどのような能力なのか、どう使用しているのかを口頭ではありますが確認しております」
「貸す? そのようなことが……まさか魔封じの……」
「はっ。書庫に保管されておりました古文書を拝借し、魔封じの法を私なりに改良した代物となります。それにメフィスト様の紋章を書き加えていただければ、メフィスト様おひとりがご自由にお使いいただけるようになります」
「……私だけ……お前は使わないのか?」
「私が使用出来てしまってはメフィスト様が困りましょう。土壇場で裏切るのではと勘繰られて思うように御力を発揮出来ないなどということになれば、確実に負けてしまいます。信用していただくためにも、この力はメフィスト様がご使用ください」

 メフィストにとってもそこは気がかりだった。アレクサンドロスも使用することになっていれば、メフィストを嵌めるための大掛かりな罠だと勘繰ったことは明白である。
 これだけお膳立てされた戦いを蹴れば、デザイアを何とか出来る機会は二度と訪れないと断言出来る。
 メフィストが秘かに納得しているとスロウがのろのろと手を挙げた。

「私からも良いですか?」
「ん? なんだ?」
「あ~……えっと、アレクサンドロスさんから聞きました。お父様とグリードの悪いとこ……グリードはいっぱい生き物を殺しちゃうし、お父様は今後もグリードのような私の弟か妹を作るって。それは正直魅力的だけど、そんなことをしたら私たちが生きる世界がなくなっちゃうって……だから私もこうするしかないんだって思ってる。でも……」
「……でも、どうした?」
「……でも、グリードは殺さないで上げてほしいの」

 アレクサンドロスの撫でつけたたてがみがブワッと逆立つ。今にも手が出そうな勢いのアレクサンドロスをメフィストが止める。

「待て待てっ!まずは理由を聞くのだ!」

 メフィストはスロウを見て話すように手を振って促す。

「その……グリードはまだ生まれたばかりの赤ん坊みたいなもの……です。それにお父様と違ってあの能力さえ封じてしまえば何も出来ないから。封印だけで許してほしいの……です」
「封印ではいずれ解き放たれる危険性を秘めている。出来れば完全に息の根を止めてしまいたいところなのだが……」
「そこを曲げて欲しいって姫様の言葉が分からないのか? 不慣れな敬語まで使っているんだぞ」
「そうだ!姫様は優しいんだ!」
「いや、しかし……」

 困り果てたメフィストの前にアレクサンドロスが前に出た。

「良いだろう。そうでなければ力を貸さないというのならここで誓おうではないか。グリード=オルベリウスを殺さずに封印する」
「ほんと~? ありがとう~」

 スロウの顔に笑顔が戻ったが、アレクサンドロスの冷ややかな目にギラリと鋭い光が灯る。

「なに。感謝をされるほどではない。もう質問は良いな?」
「あ、は~い。大丈夫で~す」
「ならば私が……お前いつから裏切りを考えていた? これほど準備が良いとなるとかなり前から算段を付けていたのではないか?」
「いやいや、誤解しないでくださいメフィスト様。私は何かの役に立つかもしれないと様々な手を考えているだけです。では最後に今一度この場所についてのすり合わせを……」

 アレクサンドロスはズイッと一歩前に出て後ろに手を組んだ。

「最初に説明したが、ほぼ要望通りだ。この空間をそこまで広く作れなかったことと可愛い魔獣などは時間の関係上用意出来なかったが、地下にも空間を作り、植物の種と食料をたっぷりと入れてある。一応保存の魔法で数年間は放置しても問題ないが、お前の能力なら食物を腐らないように魔法の上に重ねがけも出来よう。新鮮な肉が欲しければここに魔獣召喚の魔法陣もある。適当な魔獣を召喚して調理するがよい。水はカムペーの滝からろ過され、飲料水や畑や風呂としても使用可能だ。ゴミや汚れたものは焼却してくれ。常にきれいな空気を取り込み、中で煙やにおいが充満することはないからな。……生涯快適に過ごせるはずだ」
「つかぬことを聞くけど、もし出たくなったら? その時はどうしたらいい?」
「出たくなったらぶっ壊せば良いだけだろ!」
「そう言うわけにもいかないだろ? こういうのは示し合わせておくのが手っ取り早いというか……」
「……好きにするがよい。お前たちはグリードのように暴れたりしないからいつ出てこようが私は構わない。破壊は難しいだろうが、頑張れば封印のほつれを見つけ出して脱出も出来るだろう。……しかしお前たちはこれから始末するデザイアの子孫。出てくればお前たちを我々以外の皇魔貴族が敵視し、必ず攻撃を仕掛けてくることだろう。安全には生きられないことを肝に銘じておけ」
「なんだよ!じゃ出られないじゃないか!」
「おすすめはしないな」

 極戒双縄がぷりぷり怒るのを冷ややかに眺めるアレクサンドロスにスロウが苦笑いを浮かべた。

「出るつもりはないから安心して。私はグリードの……弟の業を背負って生きていくつもりだから」
「姫様……」

 スロウは極戒双縄の頭を両方撫でながら微笑んだ。
 これから二度と外に出ることが出来なかったとしてもグリードも生きていると思えば世界に自分一人ではないと実感出来るし、極戒双縄という話し相手もいる。
 もともと極度の面倒くさがりであるスロウだ。日がな一日誰の目もなくゴロゴロ出来るのだから本望かもしれない。などと、スロウの覚悟に蓋をするようにアレクサンドロスとメフィストは封印のための門を閉じた。

「……出産方法を聞いた時にはゾッとしたが、デザイアと女神の間にあんな子供が出来るなど考えられん。どんな奇跡だ?」
「未だスロウの本性が見えておりませんのでなんとも……さぁ、こちらにメフィスト様の紋章を」
「うむ……しかしなんだ。お前も存外優しいところがあるのだな。封印から無理やり出て来れば敵視されるかもしれないとは……」
「あの場で下手に暴れられても困りますから刺激しないようにしました。……さて。これでスロウの能力はメフィスト様だけがお使いいただけます。……それからもう一つ。これはまだ確定していませんが、スロウは能力を使わなくてもグリードの能力を阻害出来ます。つまりスロウを疑似的に体に投影させることでグリードを完封出来るのではないでしょうか?」
「なるほど……それで魔封じの法を改良したと?」
「はい。私の推測が正しければ部下はグリードに簡単には殺されなくなるでしょう。……まずはグリードです」

 アレクサンドロスとメフィストはヘカトンケイルを後にし、メフィストの領土へと戻る。
 すぐに呼び出せる部下を引き連れ、グリードの元へと闇夜を駆け出した。
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