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番外編
「ルドフォン伯爵家の合言葉」
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ユーリアの実家、ルドフォン伯爵家では最近、
「手紙が届いたらその日の食卓には海草を」という合言葉ができた。
学院に通うユーリアからの手紙は不定期に届き、それを届ける配達人が帰ると同時に伯爵家の使用人の動きは慌しくなる。伝令が邸中を駆け巡るのだ。
伯爵家お抱えの料理人は急なメニューの変更と海草類の調達に慌しく奔走し、様々な海藻類を使ったメニューをいかにさりげなく、不自然でないように出すか、調理法や品数などに頭を悩ませる。侍女達は心を静める効果のある茶葉をタイミングを見計らって出し、執事は後ろになでつけて一見すると見えない仕様になっている主人の頭部に視線をおくった後、日頃の疲れを癒してもらうためと言ってマッサージ師を派遣し、その際にこっそり頭皮マッサージも頼んでおく。
そんな使用人達の苦労と気遣いに気がついていないルドフォン伯爵は、
今回も長女から届いた手紙を読んだ後
こめかみをおさえ俯くと、しばらくの間停止し、それから顔をあげ、
最後は天を仰いだ。
娘よ…とうとう妄想癖までついてしまったのか……
手紙が届くたび娘の精神が不安になる伯爵だが、なんとかその心の叫びは声には出さなかった。
しかし伯爵を見守る伯爵家に仕える老執事は、主人の心痛を的確に読み取りそっと目頭をおさえる。
老執事にとってもユーリアは、誕生の時から傍で見守り続けてきた大事なお嬢様である。少々お転婆で、時々おかしな言動は見受けられるが、それでも身分に関係なく邸の使用人全てに等しく優しい、明るく朗らかな、愛らしいお嬢様だ。
執事の名に“ちゃん”をつけなくてもいいのですよ、と。しかも自分は幼子でもなく老齢の男性であり、“ちゃん”付けされるのはいささか気恥ずかしいのだとお願いしても、頑なに自分のことを“セバスちゃん”と呼ぶお嬢様。4年前、「待っててお父様!きっと素敵な結婚相手を捕まえてくるわ!」と意気揚々と旅立っていったお嬢様を見送りながら、「あの子の結婚相手はわたしが見つけてやらねばならないだろうなぁ…」と呟いた主人に同意の相槌をしてしまうくらいには、セバスもまたユーリアを心の底から案じていた。
「ユーリアお嬢様は、今度は何と…?」
だから聞かずにはいられなかった。
伯爵は天を仰いだままの格好で、ユーリアからの手紙の内容を伝えた。
ユーリアの手紙には、学院で結婚相手を見つけたこと、その相手が自分には勿体無いほどの美形であり、婿にきてもらえるかもしれないので跡継ぎは心配しなくていいという旨が、ところどころテンションがあがりすぎておかしな文面になっていたが、書かれてあった。
伯爵は自分の娘がどんな娘であるかを知っている。
正しく、理解している。
その上で、思った。
娘よ、本当にそれは、お前の妄想ではないのかと――。
ユーリアの残念ぶりは学院に通う前から家族にとっては周知の事実。
本人は頑張って隠してはいたようだが家族には隠しきれていない。一応マナーなどの令嬢としての教育は一通り学ばせているし、ユーリアも表面上を取り繕える程度には身につけていたが、油断すると簡単にぼろが出てしまう。未成年の間はそれでもいいだろう。だが学院を卒業し成人した後はそうはいかない。故に、父としてはユーリアは卒業と同時に領地に戻し、それなりの身分の釣り合う相手と見合い結婚でもさせて以後はここで暮らしていけばいいと考えていたのだ。
ここでならば、少々のユーリアの残念さが広まっても、まあ、たいして問題はない。
ユーリアは手紙を寄越す度にその迷走ぶりがパワーアップしてきている。
最初におかしいなと思ったのこの国の殿下を始めとする有名子女達に関する質問であった。
曰く、
“あれは本当に人間であるのか”
同じ人種と呼んでいいのか。
お父様は彼らを見たことがあるのか、見た上であれを美形と思うのかと、
万が一誰かに読まれでもしたら大変なことになるようなとんでもないことが錯乱気味に書き綴られていた。
どうやったら生まれるのか、普通に生まれるのか、おかしくはないのか、などなど。まさかあの年になって赤子がキャベツ畑から生まれるなど思っているはずはないのに、もしかしてコウノトリが運んでくるとでも思っているのではと不安に揺れた伯爵は子供の性教育について問いただすために雇っている家庭教師を呼び出した。
家庭教師の女性を呼び出してから我に返った伯爵は、問いだ出すことをやめ、そういえば世界には神に愛されし美貌というものがあると教えていなかったことに思い至った。娘への返事にその旨を書き、また不敬罪になるようなことは書かないよう釘をさした。もちろん、学院でめったなことを言わぬようにともだ。
それからしばらくは大人しかったのだが。
前回届いた手紙が一番理意味がわからなかった。
『至急、わたしに合う着ぐるみを送ってください。色も顔もお父様にお任せします。何でもいいですけどできれば美少女がいいです。サイズは変わっていませんので売っていなければ仕立てて送ってください。わたし自身も着ぐるみになれば怖くないかもしれないと思うのです。近頃、着ぐるみとの距離がありえないほど近いから!』
「セバス」
「はい、ご主人様」
「“着ぐるみ”が何か、知っているか?」
「…いえ、存じ上げません」
そのような会話が伯爵と老執事の間であり、翌朝、伯爵の枕についた毛髪は思わず侍女が二度見してしまうほどに多かった。即刻、執事に報告があがり、その日から一月ほど伯爵家の食卓には海草が並んだ。思い返せばそれからだ。「手紙が届いたら海草を」の合言葉が生まれたのは。
その後、ユーリアが熱を出し寝込んでいたことを知り、あれは熱のせいでおかしくなって書いた手紙だったのだろうと無理矢理思いこむことで忘れようとしていた伯爵だったが、
今度はうって変わって結婚相手を見つけたという手紙が届いた。
「セバス…」
「はい、ご主人様」
「娘はとうとう…妄想をするようになったのかな……?」
「ご主人様……」
「ここに書いてある名前が、どうしてもわたしには皇帝陛下の弟君、先帝の第二皇子殿下のお名前に見えて仕方がないのだよ………」
「先帝の第二皇子殿下といえば人嫌いで有名な、人前に滅多に姿を見せないと噂の…?!」
ユーリア達の親世代で爵位を持つ貴族であれば、その名前くらい知っているのだ。
「はは……疲れているんだな…きっとそうだ…そうに違いない……」
「ご主人様…!」
例え本当にそれが本人だとして、
まさかユーリアの婿になりたいなどと思われるはずがない。確かご本人も公爵位をお持ちであったはずだ。
親としては可愛い娘でも、父親似のユーリアは一般的にはごく平凡な容姿であることに間違いはなく、非常に残念な性格をした娘であることも間違いないのだから。
そのまさかであるとは微塵も疑わない伯爵が、娘がとうとう妄想までするようになったのかと
ユーリアの将来を案じて貴重な栗色の毛髪をまた少し
減らしてしまうルドフォン伯爵であった。
その後、
ユーリアの通う学院が長期休暇に入る直前になって雲の上のオルガ公爵家から息子を遊びに行かせたいという手紙が届き、
ルドフォン伯爵並びにセバスが、そっくり同じ表情、驚愕に目を見開いたまま固まったのは余談である。
「手紙が届いたらその日の食卓には海草を」という合言葉ができた。
学院に通うユーリアからの手紙は不定期に届き、それを届ける配達人が帰ると同時に伯爵家の使用人の動きは慌しくなる。伝令が邸中を駆け巡るのだ。
伯爵家お抱えの料理人は急なメニューの変更と海草類の調達に慌しく奔走し、様々な海藻類を使ったメニューをいかにさりげなく、不自然でないように出すか、調理法や品数などに頭を悩ませる。侍女達は心を静める効果のある茶葉をタイミングを見計らって出し、執事は後ろになでつけて一見すると見えない仕様になっている主人の頭部に視線をおくった後、日頃の疲れを癒してもらうためと言ってマッサージ師を派遣し、その際にこっそり頭皮マッサージも頼んでおく。
そんな使用人達の苦労と気遣いに気がついていないルドフォン伯爵は、
今回も長女から届いた手紙を読んだ後
こめかみをおさえ俯くと、しばらくの間停止し、それから顔をあげ、
最後は天を仰いだ。
娘よ…とうとう妄想癖までついてしまったのか……
手紙が届くたび娘の精神が不安になる伯爵だが、なんとかその心の叫びは声には出さなかった。
しかし伯爵を見守る伯爵家に仕える老執事は、主人の心痛を的確に読み取りそっと目頭をおさえる。
老執事にとってもユーリアは、誕生の時から傍で見守り続けてきた大事なお嬢様である。少々お転婆で、時々おかしな言動は見受けられるが、それでも身分に関係なく邸の使用人全てに等しく優しい、明るく朗らかな、愛らしいお嬢様だ。
執事の名に“ちゃん”をつけなくてもいいのですよ、と。しかも自分は幼子でもなく老齢の男性であり、“ちゃん”付けされるのはいささか気恥ずかしいのだとお願いしても、頑なに自分のことを“セバスちゃん”と呼ぶお嬢様。4年前、「待っててお父様!きっと素敵な結婚相手を捕まえてくるわ!」と意気揚々と旅立っていったお嬢様を見送りながら、「あの子の結婚相手はわたしが見つけてやらねばならないだろうなぁ…」と呟いた主人に同意の相槌をしてしまうくらいには、セバスもまたユーリアを心の底から案じていた。
「ユーリアお嬢様は、今度は何と…?」
だから聞かずにはいられなかった。
伯爵は天を仰いだままの格好で、ユーリアからの手紙の内容を伝えた。
ユーリアの手紙には、学院で結婚相手を見つけたこと、その相手が自分には勿体無いほどの美形であり、婿にきてもらえるかもしれないので跡継ぎは心配しなくていいという旨が、ところどころテンションがあがりすぎておかしな文面になっていたが、書かれてあった。
伯爵は自分の娘がどんな娘であるかを知っている。
正しく、理解している。
その上で、思った。
娘よ、本当にそれは、お前の妄想ではないのかと――。
ユーリアの残念ぶりは学院に通う前から家族にとっては周知の事実。
本人は頑張って隠してはいたようだが家族には隠しきれていない。一応マナーなどの令嬢としての教育は一通り学ばせているし、ユーリアも表面上を取り繕える程度には身につけていたが、油断すると簡単にぼろが出てしまう。未成年の間はそれでもいいだろう。だが学院を卒業し成人した後はそうはいかない。故に、父としてはユーリアは卒業と同時に領地に戻し、それなりの身分の釣り合う相手と見合い結婚でもさせて以後はここで暮らしていけばいいと考えていたのだ。
ここでならば、少々のユーリアの残念さが広まっても、まあ、たいして問題はない。
ユーリアは手紙を寄越す度にその迷走ぶりがパワーアップしてきている。
最初におかしいなと思ったのこの国の殿下を始めとする有名子女達に関する質問であった。
曰く、
“あれは本当に人間であるのか”
同じ人種と呼んでいいのか。
お父様は彼らを見たことがあるのか、見た上であれを美形と思うのかと、
万が一誰かに読まれでもしたら大変なことになるようなとんでもないことが錯乱気味に書き綴られていた。
どうやったら生まれるのか、普通に生まれるのか、おかしくはないのか、などなど。まさかあの年になって赤子がキャベツ畑から生まれるなど思っているはずはないのに、もしかしてコウノトリが運んでくるとでも思っているのではと不安に揺れた伯爵は子供の性教育について問いただすために雇っている家庭教師を呼び出した。
家庭教師の女性を呼び出してから我に返った伯爵は、問いだ出すことをやめ、そういえば世界には神に愛されし美貌というものがあると教えていなかったことに思い至った。娘への返事にその旨を書き、また不敬罪になるようなことは書かないよう釘をさした。もちろん、学院でめったなことを言わぬようにともだ。
それからしばらくは大人しかったのだが。
前回届いた手紙が一番理意味がわからなかった。
『至急、わたしに合う着ぐるみを送ってください。色も顔もお父様にお任せします。何でもいいですけどできれば美少女がいいです。サイズは変わっていませんので売っていなければ仕立てて送ってください。わたし自身も着ぐるみになれば怖くないかもしれないと思うのです。近頃、着ぐるみとの距離がありえないほど近いから!』
「セバス」
「はい、ご主人様」
「“着ぐるみ”が何か、知っているか?」
「…いえ、存じ上げません」
そのような会話が伯爵と老執事の間であり、翌朝、伯爵の枕についた毛髪は思わず侍女が二度見してしまうほどに多かった。即刻、執事に報告があがり、その日から一月ほど伯爵家の食卓には海草が並んだ。思い返せばそれからだ。「手紙が届いたら海草を」の合言葉が生まれたのは。
その後、ユーリアが熱を出し寝込んでいたことを知り、あれは熱のせいでおかしくなって書いた手紙だったのだろうと無理矢理思いこむことで忘れようとしていた伯爵だったが、
今度はうって変わって結婚相手を見つけたという手紙が届いた。
「セバス…」
「はい、ご主人様」
「娘はとうとう…妄想をするようになったのかな……?」
「ご主人様……」
「ここに書いてある名前が、どうしてもわたしには皇帝陛下の弟君、先帝の第二皇子殿下のお名前に見えて仕方がないのだよ………」
「先帝の第二皇子殿下といえば人嫌いで有名な、人前に滅多に姿を見せないと噂の…?!」
ユーリア達の親世代で爵位を持つ貴族であれば、その名前くらい知っているのだ。
「はは……疲れているんだな…きっとそうだ…そうに違いない……」
「ご主人様…!」
例え本当にそれが本人だとして、
まさかユーリアの婿になりたいなどと思われるはずがない。確かご本人も公爵位をお持ちであったはずだ。
親としては可愛い娘でも、父親似のユーリアは一般的にはごく平凡な容姿であることに間違いはなく、非常に残念な性格をした娘であることも間違いないのだから。
そのまさかであるとは微塵も疑わない伯爵が、娘がとうとう妄想までするようになったのかと
ユーリアの将来を案じて貴重な栗色の毛髪をまた少し
減らしてしまうルドフォン伯爵であった。
その後、
ユーリアの通う学院が長期休暇に入る直前になって雲の上のオルガ公爵家から息子を遊びに行かせたいという手紙が届き、
ルドフォン伯爵並びにセバスが、そっくり同じ表情、驚愕に目を見開いたまま固まったのは余談である。
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