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本編
プロローグ「着ぐるみに恋はできない」
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「あれと恋愛は無理…」
渡り廊下を歩いていたところで中庭で繰り広げられているショーを目にしたわたしはそっと呟いた。
歩みを止めるつもりもなかったのだが隣を歩いていた友人も中庭で繰り広げられているショーに気づいたらしく、視線を向けると立ち止まった。
「またなの…?」
眉間に皺をよせ、厳しい表情をする友人は中庭のショーを快く思っていないようだ。ふと周りを見渡せば、同じように立ち止まり、あるいは教室の窓から大勢の生徒達が中庭の彼らを見ていた。
「アレク皇子殿下も何を考えているのかしら」
友人の言葉には彼らに対する非難の響きが含まれていて、何と返事を返していいかわからないわたしは曖昧に微笑んだ。
友人と同じように足を止めている生徒達はほとんどが友人と同意見なのだろう。彼らに向ける視線は冷たい。
「立派な婚約者もいらっしゃるのにあのように一人の令嬢を囲うなんて」
その後に続く言葉はおそらく意図して止めたのだろう。
目の前の中庭では、一人の令嬢を複数の子息達が取り囲み、まるで取り合い競い合うように愛を囁くというどこかで見たことのありそうな光景が演じられていた。令嬢は子爵家の令嬢で、少年達はこの国の高位貴族の子息達だ。先程友人が言ったように中には皇子も含まれており、不敬罪にならないようにあえてそれ以上の非難の言葉は止めたようだ。
「他の方々も殿下をお止めするべきなのに一緒になって騒ぐなんて言語道断ですわ」
「…そうですわね」
一応、同意しておく。
「あ、エイレーン様ですわ」
ショーは悪役の登場で盛り上がりをみせる。
皇子殿下の婚約者の公爵令嬢の加入によって見物者はさらに増えた。
金の髪に青い瞳をした皇子殿下に対して、長く青い髪をまっすぐにおろした涙黒子の少女が婚約者の公爵令嬢。彼らに囲まれていた子爵令嬢は肩までのピンクの髪がふわふわと揺れている。後は、赤い髪を短く刈りあげた体格のいい少年と、銀の髪の毛を結った眼鏡少年、緑の緩いパーマをあてたような少年は他の少年達よりも線が細く小さい。
皆、それなりの高位貴族家の子息達だった。
「ああ…っおいたわしい、エイレーン様」
婚約者の青い髪の少女は何事かを彼らに向かって言うと、一斉に反論されたようでその勢いに一歩後ずさり、涙を耐えているのか怒りなのか肩をふるわせる。会話の内容はこちらまで聞こえてこないが友人の推測によれば少年達の行動を諌めているのに聞き入れてもらえないんだそうだ。その間ピンクの少女は少年達に守られわかりやすく震えている。その目がうるうるしているのは演者魂の成せる技なのだろうか。
やがて青い少女は踵を返して去っていった。
やれやれ、ショーはこれで終わりかな。
思った通り、一通りの流れが終わると見物していた生徒達もばらばらと去り始め、中庭の少年達も少女を慰めながら移動している。
何度見てもやっぱり…
あれと恋愛は無理。
もう一度わたしは心の中だけで呟いた。
わたしは普通の人間である。少なくとも、自分ではそう信じている。そしてわたしの周りのほとんどの人間はわたしと同じ普通の人間だ。
しかしこの学院に入学して、あの少年少女達を初めて見て、わたしはこの国に、いやこの世界?に、2種類の人間と人間らしいものが存在することを知った。いや、驚いたのなんのって。
わたしと彼らの違いを説明する前にわたしのことを語っておこう。
わたしは、一応これでも伯爵家の令嬢である。
伯爵家といえば中流貴族、この国は皇帝陛下を頂点に皇家、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、そして庶民という身分社会だ。学んだところによると他の国でも似たようなものであり人は皆生れながらに平等であるとか神は人の上に人を作らず、といった考えは存在しない。そんな中で我が伯爵家は見事に綺麗にど真ん中、高くもなく低くもないそこそこの身分、爵位。頑張れば皇家に嫁げなくもないがほとんどは同じ伯爵家や資産家の子爵家に嫁ぐこともある立ち位置。精一杯頑張って侯爵家に嫁げたら玉の輿。父である伯爵も可もなく不可もなくそこそこの手腕でもって領地を治め、爵位に見合ったそこそこの裕福な暮らしができている。
先程中庭でショーを演じていた彼らはこの国においては高位に属する名家の子息・令嬢達でいずれも眉目秀麗で有名であった。しかしわたしは伯爵家の令嬢で、入学するまで噂を聞くばかりで実際に彼らを目にすることはなかったのだ。成人とそれを意味する社交会へのデビューは学院を卒業してからするのが決まりだし、これまで親に連れられて会ったことのある同年代の少年や少女達は爵位の同じ伯爵家やひとつ下の子爵家ばかりだったからだ。
この国では年頃を向かえた貴族の子女達を一箇所に集め教育を施す学院がある。貴族の子女達は入学が義務つけられており特別な事情がない限り卒業までの数年間を学院で過ごすことになる。これは貴族の子女達に国に都合のいい教育を押し付ける目的や子女達を人質にとり各家へ牽制する意味合いもある…んじゃないかとわたしは勝手に考えているがそこまで深いは意味はないのかもしれない。そこのところはわからない。まあ、授業の内容を見る限り、わたしの考えすぎかもしれない。しかしもう一つ、これはわたしの考えすぎではないと思う。この学院は、人脈作りと見合いを兼ねた交流の場である。中には皇子のように入学前からすでに婚約者がいる場合もあるが多くの子女はここで相手を探す。ここで得た友人も、将来大事な人脈となる。
それで、何故わたしが眉目秀麗と名高かった彼らを「無理」と思うのか。
それはわたしの「過去」にある。
現在のわたしは正真正銘伯爵家の令嬢だが、言葉使いでもわかるように中身は「過去に庶民だった記憶のある」令嬢なのだ。
生活水準をあげるのは簡単だが下げるのは難しいというように伯爵家令嬢としての使用人がいるような贅沢な生活は生まれた時からそうなので慣れているが、「過去」の記憶のせいで心の中では庶民のような言葉使いになる。心の中の呟きまでお嬢様言葉は無理。
さらにその「過去の庶民記憶」はこの国のものではない。どうやら前世のわたしはこの世界ではないどこかの世界で生きていたらしい。多分、わたしの頭がおかしいのでなければ。
前世のほとんどの国では人は皆平等で、唯一いた皇族の皆様は象徴としてのみ君臨しており統治は国民から選ばれた代表者が話し合いによって決めていた。その昔は身分制度もあったようだが前世のわたしが生きた時代には撤廃されて久しかった。故に、前世の世界と今世の世界は異なったものだと考えていいはずだ。この世界の地図のどこを見ても前世で知る国名はなかった。
前世のわたしがどんな姿でどんな名前で、どんな人生を送ったのか、どのようにして死んだのか。あいにく“自分”に関しての記憶がないことは幸いだろう。前世の自分を覚えていたら、今世に多大な影響を及ぼす。今の自分を受け入れることすら難しかったはずだ。
その前世の記憶があるわたしには、あの少年少女達の姿が、“同じ人間の姿”に見えない―――。
「だってあれ、どう見ても着ぐるみじゃない!」
思い出すと涙目になる。わたしの目には彼らの姿が二次元を体現するために作られた着ぐるみ以外の何者にも見えないのだ……!
絹の如き美しさといわれる髪の毛も、髪の毛と同じカラフルな瞳も、決め細やかな白磁のようと謳われる肌も、小鳥の囀りと称えられる声を紡ぐ唇も、
どれもみんな全部布じゃん!!
質感まんま布じゃない!人間の肌感皆無じゃない!!!
わたしの目には、立派な布で大金をかけて作られた渾身の着ぐるみに写る――。
前世の記憶の弊害といえばそうなのだろう。わたしには彼らは前世で見た、女児向けのアニメのキャラクターショーで登場する着ぐるみにしか見えない。二次元の姿をそのまま三次元にもってきたような、無理矢理感。そういえば前世では物語の中に入りこんでしまうという小説を読んでいた気がするが、実際に入り込んだらきっとこうなるはずだ。人間にはありえない髪色、瞳の色、大きすぎる瞳はまず形からして人間と違う。鼻には穴がない。それで息ができてるの?小さすぎない?
それなのにあの瞳は動くし唇も動く。同じ言語を話し同じものが見えるらしい。怖かった。もう、恐怖しか感じない。
いわゆるオタクと呼ばれるアニメのキャラクターを俺の嫁!と豪語する人達には喜ばれるのかもしれない、わたしだって前世で好きなキャラクターくらいいたと思う。でも、作り物とわかっている空気の中での俺の嫁!と、わたし以外の皆があれらを同じ人間だと認識している空気の中で嫁!とでは……違うと思うのだ。いくら好きなキャラクターでも無理なんじゃないかと思う。
入学するまで気づかなかったように、わたしは前世と変わらない人間の姿をしている。目も鼻も口も手も足も身体も違和感なく人間のそれだし、両親や家族も同様だ。幼少の頃からの友人達もそうだし髪の色も黒に茶髪ばかりだ。中には赤みがかった茶髪や明るい茶髪もいるけれど決して金色でも赤色でもない。青も緑色もピンクも銀も人間が自然に持っている色では決してない。それなのに彼らのあれは染めているのではなく生まれ持ったものらしい、代々遺伝している名家の証らしい。
わたしのようにごくごく“普通”の髪の色の人間にとっては、彼らのあの色は憧れと崇拝の象徴らしい。
「それなのにあの子爵令嬢のピンクは問題にならないってどういうことよ…」
そんな彼らに競って愛を囁かれている子爵令嬢はピンク色の髪の毛をしている。それならば子爵令嬢もあちら側の人間であるはずなのにわたし以外の人達は子爵という身分から彼女をあちら側には入れていない。その姿は同じ人間に見えているにしても髪の色はきちんとピンクに見えているはずなのに。
自分の髪を手に取り確かめる。安心できる茶色だ。こちでは“平凡な栗色”と呼ばれる。前世ではわざわざこういう色に染める人が多かった記憶があるから、天然でこれはわたしにとっては喜ばしいことだ。もちろん、黒でもいいのだけど。
おそらく、この世界で特別な人間はああいう姿をしているようだ。そしてその他大勢の、彼らの物語に登場することのないいわゆるモブのわたし達は、わたしと同じ普通の人間の姿。わたしが行動を共にする友人も、彼らを見物していた生徒達も、等しく同じ人間の姿をしていた。だからわたしは安心する。その他大勢でかまわない。群集にまぎれ、埋没し、どこにいるかわからない、例え物語の冒頭で「多くの生徒達が見ていた」と記される一文の中の含まれる存在であったとしても、わたしは嬉しくさえある。自分があの姿だったら…多分発狂してしまう。
この世界において美形と呼ばれるのがあれとはわかっていても、
着ぐるみに恋はできない―――!
下手に高すぎる爵位に生まれなくてよかったわ。あれと結婚する可能性はないものね。
わたしは身分はそこそこでも同じ人間と結婚するんだから…!
おかげでわたしには彼らに対する失望もない。元から憧れなどなかったせいだ。別の生き物として見ている相手がどうしようが失望までの感情は沸かない。
けれどわたし以外の人達はそうではなく、憧れの的であった美形揃いらしい彼らの最近の行動に、ほとんどの生徒が眉をひそめている。
アレク皇子殿下を始めとする美しい有望だった子息達が、一人の平凡な子爵令嬢に侍っては愛を乞い奪い合っているそうだ。特にアレク皇子殿下には皇帝陛下のお決めになられた公爵家の婚約者がいる。だというのに、殿下は婚約者にかまわず子爵令嬢に熱心に愛を囁いているとか。見かねた公爵令嬢が苦言を呈しても先程のように逆に責めたてられる始末。
…はっきり言って、わたしには舞台のキャラクターショーと観客の気分なのだけど。
漏れ聞く内容もどこかで聞いたことのある話だし。
けれど友人を初めわたし以外の人達にはそうではない。
アレク皇子殿下は第二皇子で皇太子ではないにしてもいずれこの国を支える人間には違いなく、その皇子殿下の醜聞に生徒達は眉をひそめているのだ。
でも、わたしには関係ない話。
それよりも、わたしはわたしの婚約者をさっさと掴まえなくては。
前世の記憶によるところのイケメンがこちらでは普通なんだからなんて勿体無い!せっかくあの彼らが令嬢達の目をひいてくれてる隙に将来有望でかつわたし好みの子息を掴まえようとしていたのに最近の彼らの言動で彼らへの評価が下がったことで今まで見向きもされていなかった子息達へ令嬢達の目が向けられつつあるというピンチだ。
けれど望んでもいない展開というものは起こるもので
わたしの学生生活はこの後
思ってもみない方向に進んでいくことになるのだった。
渡り廊下を歩いていたところで中庭で繰り広げられているショーを目にしたわたしはそっと呟いた。
歩みを止めるつもりもなかったのだが隣を歩いていた友人も中庭で繰り広げられているショーに気づいたらしく、視線を向けると立ち止まった。
「またなの…?」
眉間に皺をよせ、厳しい表情をする友人は中庭のショーを快く思っていないようだ。ふと周りを見渡せば、同じように立ち止まり、あるいは教室の窓から大勢の生徒達が中庭の彼らを見ていた。
「アレク皇子殿下も何を考えているのかしら」
友人の言葉には彼らに対する非難の響きが含まれていて、何と返事を返していいかわからないわたしは曖昧に微笑んだ。
友人と同じように足を止めている生徒達はほとんどが友人と同意見なのだろう。彼らに向ける視線は冷たい。
「立派な婚約者もいらっしゃるのにあのように一人の令嬢を囲うなんて」
その後に続く言葉はおそらく意図して止めたのだろう。
目の前の中庭では、一人の令嬢を複数の子息達が取り囲み、まるで取り合い競い合うように愛を囁くというどこかで見たことのありそうな光景が演じられていた。令嬢は子爵家の令嬢で、少年達はこの国の高位貴族の子息達だ。先程友人が言ったように中には皇子も含まれており、不敬罪にならないようにあえてそれ以上の非難の言葉は止めたようだ。
「他の方々も殿下をお止めするべきなのに一緒になって騒ぐなんて言語道断ですわ」
「…そうですわね」
一応、同意しておく。
「あ、エイレーン様ですわ」
ショーは悪役の登場で盛り上がりをみせる。
皇子殿下の婚約者の公爵令嬢の加入によって見物者はさらに増えた。
金の髪に青い瞳をした皇子殿下に対して、長く青い髪をまっすぐにおろした涙黒子の少女が婚約者の公爵令嬢。彼らに囲まれていた子爵令嬢は肩までのピンクの髪がふわふわと揺れている。後は、赤い髪を短く刈りあげた体格のいい少年と、銀の髪の毛を結った眼鏡少年、緑の緩いパーマをあてたような少年は他の少年達よりも線が細く小さい。
皆、それなりの高位貴族家の子息達だった。
「ああ…っおいたわしい、エイレーン様」
婚約者の青い髪の少女は何事かを彼らに向かって言うと、一斉に反論されたようでその勢いに一歩後ずさり、涙を耐えているのか怒りなのか肩をふるわせる。会話の内容はこちらまで聞こえてこないが友人の推測によれば少年達の行動を諌めているのに聞き入れてもらえないんだそうだ。その間ピンクの少女は少年達に守られわかりやすく震えている。その目がうるうるしているのは演者魂の成せる技なのだろうか。
やがて青い少女は踵を返して去っていった。
やれやれ、ショーはこれで終わりかな。
思った通り、一通りの流れが終わると見物していた生徒達もばらばらと去り始め、中庭の少年達も少女を慰めながら移動している。
何度見てもやっぱり…
あれと恋愛は無理。
もう一度わたしは心の中だけで呟いた。
わたしは普通の人間である。少なくとも、自分ではそう信じている。そしてわたしの周りのほとんどの人間はわたしと同じ普通の人間だ。
しかしこの学院に入学して、あの少年少女達を初めて見て、わたしはこの国に、いやこの世界?に、2種類の人間と人間らしいものが存在することを知った。いや、驚いたのなんのって。
わたしと彼らの違いを説明する前にわたしのことを語っておこう。
わたしは、一応これでも伯爵家の令嬢である。
伯爵家といえば中流貴族、この国は皇帝陛下を頂点に皇家、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、そして庶民という身分社会だ。学んだところによると他の国でも似たようなものであり人は皆生れながらに平等であるとか神は人の上に人を作らず、といった考えは存在しない。そんな中で我が伯爵家は見事に綺麗にど真ん中、高くもなく低くもないそこそこの身分、爵位。頑張れば皇家に嫁げなくもないがほとんどは同じ伯爵家や資産家の子爵家に嫁ぐこともある立ち位置。精一杯頑張って侯爵家に嫁げたら玉の輿。父である伯爵も可もなく不可もなくそこそこの手腕でもって領地を治め、爵位に見合ったそこそこの裕福な暮らしができている。
先程中庭でショーを演じていた彼らはこの国においては高位に属する名家の子息・令嬢達でいずれも眉目秀麗で有名であった。しかしわたしは伯爵家の令嬢で、入学するまで噂を聞くばかりで実際に彼らを目にすることはなかったのだ。成人とそれを意味する社交会へのデビューは学院を卒業してからするのが決まりだし、これまで親に連れられて会ったことのある同年代の少年や少女達は爵位の同じ伯爵家やひとつ下の子爵家ばかりだったからだ。
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それで、何故わたしが眉目秀麗と名高かった彼らを「無理」と思うのか。
それはわたしの「過去」にある。
現在のわたしは正真正銘伯爵家の令嬢だが、言葉使いでもわかるように中身は「過去に庶民だった記憶のある」令嬢なのだ。
生活水準をあげるのは簡単だが下げるのは難しいというように伯爵家令嬢としての使用人がいるような贅沢な生活は生まれた時からそうなので慣れているが、「過去」の記憶のせいで心の中では庶民のような言葉使いになる。心の中の呟きまでお嬢様言葉は無理。
さらにその「過去の庶民記憶」はこの国のものではない。どうやら前世のわたしはこの世界ではないどこかの世界で生きていたらしい。多分、わたしの頭がおかしいのでなければ。
前世のほとんどの国では人は皆平等で、唯一いた皇族の皆様は象徴としてのみ君臨しており統治は国民から選ばれた代表者が話し合いによって決めていた。その昔は身分制度もあったようだが前世のわたしが生きた時代には撤廃されて久しかった。故に、前世の世界と今世の世界は異なったものだと考えていいはずだ。この世界の地図のどこを見ても前世で知る国名はなかった。
前世のわたしがどんな姿でどんな名前で、どんな人生を送ったのか、どのようにして死んだのか。あいにく“自分”に関しての記憶がないことは幸いだろう。前世の自分を覚えていたら、今世に多大な影響を及ぼす。今の自分を受け入れることすら難しかったはずだ。
その前世の記憶があるわたしには、あの少年少女達の姿が、“同じ人間の姿”に見えない―――。
「だってあれ、どう見ても着ぐるみじゃない!」
思い出すと涙目になる。わたしの目には彼らの姿が二次元を体現するために作られた着ぐるみ以外の何者にも見えないのだ……!
絹の如き美しさといわれる髪の毛も、髪の毛と同じカラフルな瞳も、決め細やかな白磁のようと謳われる肌も、小鳥の囀りと称えられる声を紡ぐ唇も、
どれもみんな全部布じゃん!!
質感まんま布じゃない!人間の肌感皆無じゃない!!!
わたしの目には、立派な布で大金をかけて作られた渾身の着ぐるみに写る――。
前世の記憶の弊害といえばそうなのだろう。わたしには彼らは前世で見た、女児向けのアニメのキャラクターショーで登場する着ぐるみにしか見えない。二次元の姿をそのまま三次元にもってきたような、無理矢理感。そういえば前世では物語の中に入りこんでしまうという小説を読んでいた気がするが、実際に入り込んだらきっとこうなるはずだ。人間にはありえない髪色、瞳の色、大きすぎる瞳はまず形からして人間と違う。鼻には穴がない。それで息ができてるの?小さすぎない?
それなのにあの瞳は動くし唇も動く。同じ言語を話し同じものが見えるらしい。怖かった。もう、恐怖しか感じない。
いわゆるオタクと呼ばれるアニメのキャラクターを俺の嫁!と豪語する人達には喜ばれるのかもしれない、わたしだって前世で好きなキャラクターくらいいたと思う。でも、作り物とわかっている空気の中での俺の嫁!と、わたし以外の皆があれらを同じ人間だと認識している空気の中で嫁!とでは……違うと思うのだ。いくら好きなキャラクターでも無理なんじゃないかと思う。
入学するまで気づかなかったように、わたしは前世と変わらない人間の姿をしている。目も鼻も口も手も足も身体も違和感なく人間のそれだし、両親や家族も同様だ。幼少の頃からの友人達もそうだし髪の色も黒に茶髪ばかりだ。中には赤みがかった茶髪や明るい茶髪もいるけれど決して金色でも赤色でもない。青も緑色もピンクも銀も人間が自然に持っている色では決してない。それなのに彼らのあれは染めているのではなく生まれ持ったものらしい、代々遺伝している名家の証らしい。
わたしのようにごくごく“普通”の髪の色の人間にとっては、彼らのあの色は憧れと崇拝の象徴らしい。
「それなのにあの子爵令嬢のピンクは問題にならないってどういうことよ…」
そんな彼らに競って愛を囁かれている子爵令嬢はピンク色の髪の毛をしている。それならば子爵令嬢もあちら側の人間であるはずなのにわたし以外の人達は子爵という身分から彼女をあちら側には入れていない。その姿は同じ人間に見えているにしても髪の色はきちんとピンクに見えているはずなのに。
自分の髪を手に取り確かめる。安心できる茶色だ。こちでは“平凡な栗色”と呼ばれる。前世ではわざわざこういう色に染める人が多かった記憶があるから、天然でこれはわたしにとっては喜ばしいことだ。もちろん、黒でもいいのだけど。
おそらく、この世界で特別な人間はああいう姿をしているようだ。そしてその他大勢の、彼らの物語に登場することのないいわゆるモブのわたし達は、わたしと同じ普通の人間の姿。わたしが行動を共にする友人も、彼らを見物していた生徒達も、等しく同じ人間の姿をしていた。だからわたしは安心する。その他大勢でかまわない。群集にまぎれ、埋没し、どこにいるかわからない、例え物語の冒頭で「多くの生徒達が見ていた」と記される一文の中の含まれる存在であったとしても、わたしは嬉しくさえある。自分があの姿だったら…多分発狂してしまう。
この世界において美形と呼ばれるのがあれとはわかっていても、
着ぐるみに恋はできない―――!
下手に高すぎる爵位に生まれなくてよかったわ。あれと結婚する可能性はないものね。
わたしは身分はそこそこでも同じ人間と結婚するんだから…!
おかげでわたしには彼らに対する失望もない。元から憧れなどなかったせいだ。別の生き物として見ている相手がどうしようが失望までの感情は沸かない。
けれどわたし以外の人達はそうではなく、憧れの的であった美形揃いらしい彼らの最近の行動に、ほとんどの生徒が眉をひそめている。
アレク皇子殿下を始めとする美しい有望だった子息達が、一人の平凡な子爵令嬢に侍っては愛を乞い奪い合っているそうだ。特にアレク皇子殿下には皇帝陛下のお決めになられた公爵家の婚約者がいる。だというのに、殿下は婚約者にかまわず子爵令嬢に熱心に愛を囁いているとか。見かねた公爵令嬢が苦言を呈しても先程のように逆に責めたてられる始末。
…はっきり言って、わたしには舞台のキャラクターショーと観客の気分なのだけど。
漏れ聞く内容もどこかで聞いたことのある話だし。
けれど友人を初めわたし以外の人達にはそうではない。
アレク皇子殿下は第二皇子で皇太子ではないにしてもいずれこの国を支える人間には違いなく、その皇子殿下の醜聞に生徒達は眉をひそめているのだ。
でも、わたしには関係ない話。
それよりも、わたしはわたしの婚約者をさっさと掴まえなくては。
前世の記憶によるところのイケメンがこちらでは普通なんだからなんて勿体無い!せっかくあの彼らが令嬢達の目をひいてくれてる隙に将来有望でかつわたし好みの子息を掴まえようとしていたのに最近の彼らの言動で彼らへの評価が下がったことで今まで見向きもされていなかった子息達へ令嬢達の目が向けられつつあるというピンチだ。
けれど望んでもいない展開というものは起こるもので
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