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結愛花の御所日誌①
拾肆
しおりを挟む私が木に登ったことで、益々、女房達が大騒ぎしてどこかに去っていった。お父さまや助けになる人を探しに行ったのだろう。
その時に、渡殿の向こうから、ひょこっと、私とそう変わらない小さな子が顔を出した。
柱の陰から恐る恐る覗くような感じで。
紅葉のような可愛らしい手に、今にも落としそうなほど弱々しく、鞠が持たれていた。
来客の連れの子供だろうか。それとも、(当時はまだ会ったことのなかった)東の清子様の産んだと言う一のお兄さまだろうか。
「何してるの?」
か細い、可愛らしい声で訊ねてくる。
「お母さまの領巾が飛んで、木に引っ掛かってしまったの」
でも、誰もとれないから、私がとるの。
でも、幹は太く腰を曲げた柿の木は、最初こそ登れたものの、上に行くに従って、枝と枝との間が遠くてお手々が届かず、上手く登れない。
しかも、登るのに夢中で気づかなかったけど、どうやって降りたらいいのかしら……
「登れたのに、降りれないの?」
「……降りるときの事なんて、考えてなかった」
「ふふっ 結愛花はお転婆さんなんだね」
私の名前を知ってる。しかも、三の姫って言わずに、直接名前を呼んだ。やはりお兄さまかしら。
「いいよ、僕が取ってあげる」
上にも下にも行けなくなった私は、じっとしてるように言われ、暫定お兄さまは、鞠を木の根のそばに置いて、沓を脱ぎ、ゆっくり登ってくる。
私の横に一度立ち、柿の木の幹にしっかりと腕をまわさせて、
「少しこのままで待ってて。しっかりと捕まってるんだよ?」
言い聞かせてから、足を確かめながら登っていく。
私は、急に怖くなった。
私が勝手に木に登った事で、お兄さまを危ない目に合わせてるんではないかしら。
お兄さまが現れた事で御簾の内に下がられたお母さまも、扇でお顔を隠す事も忘れ、心配そうに見てる。
葛の葉と近江も、お小言も言えずに、固唾を呑んで見守っている。
少し小枝を揺らして、領巾が傷まないように丁寧にとって懐に入れ、お兄さまはするすると、私が待つふたまたの大枝まで降りてきた。
「結愛花。しっかり捕まってて」
手を伸ばした葛の葉にお母さまの領巾を渡し、左手を柿の木の幹に、右手を私の腰にまわして、優しく微笑みながら、確認する。
今から降りるのだ。
もし、私が重くて、お兄さまを下敷きに落ちたり、柿の木の枝が折れたら……
そう思うと、また怖くなって、ぎゅっと目を閉じた。
ふふ
お兄さまが笑ったような気がした。
ぐらっと傾くような感じに更に怖くなって、お兄さまにしがみついてしまったけど、怒ったりなさらなかった。
が、庇の高さまで降りたのだろう、横から近江と葛の葉にさらわれるようにお兄さまから引き剥がされる。
綺麗な草色の半尻姿。
確かに動きやすいだろうけど、一のお兄さまなら清子さまの父御は大納言様、童直衣をお召しではないのかしら……
もしかしたら、お兄さまではなかったのかしら?
近江と葛の葉が礼を言って、私をいそいそと御簾の内側に引きいれる。
御簾の外から、暫定お兄さまから声がかかる。
「結愛花、怪我はなかった?」
「はい。ありがとうございます、お兄さま」
「姫さま、兄君ではありませぬ。今あったことは、大殿様には内密にせねばなりませんよ」
でないと、あの公子様が、どうなるか……
この後、近江と葛の葉が怖い顔で迫り、木に登った事は姫にあるまじき行為である事をこんこんと諭された。
「若君も、姫さまをお助けくださり感謝の言葉もございません。
ですが、このことは、どうかご内密に……」
「宮の大殿は怒ると怖いからね。わかったよ。
僕はここへは来ていない。鞠も転がって来なかったし、来ていないのだから、結愛花が母君のために柿の木に登ったのなんて見てないし、僕が困った結愛花を助けたなんて事実もない」
爽やかにそう微笑んで、鞠を抱え、渡殿の陰から主屋の方へ去っていった。
この時の近江のお小言は、夕餉まで続いた。
🍀🍀🍀🍀🍀
結局あの人が誰だったのか、わからないままで、近江に訊いても答えてくれなかった。
「あの方もなかった事だと仰せでしたでしょう? なかった事を誰だったのかと言われても、誰でもありませぬ」
屁理屈だと思ったけれど、訊ねて答えてくれない事は何度訊いても同じなので諦めた。
あの出来事をほぼ忘れた頃、北の対屋にてお姉さまと三人で貝合わせをしていたら、東の清子さまの父御、大納言様が、ご機嫌うかがいにいらして、主屋と東の対屋、お庭の方が賑やかになってきた。
葛の葉が迎えに来て、仕方なく解散、房子お姉様は喜久乃と一緒に東の対へ、私は、お母さまの元へ帰る事に。
北の対屋から渡殿を通っている最中に、前方が騒がしくなり、近江の表着で包むように隠される。
真っ暗な中、耳を澄ましていると、房子お姉様の従兄弟に当たる方々が来てて、主屋やお庭を駆け回っているらしい事がわかる。
「おー! ここに姫がいるぞ? 二の姫か?」
「二ののなら、従兄妹だ、顔見せぇや」
「二のの、どないな顔や? まだ見たことないし見しぃ。ちぃとは似とるんか?」
男の子が複数いるらしい。
近江と葛の葉が、なんとか追い払おうとするけれど、これだけ元気で初対面でも不躾に近寄る子供がそうそう、いう事を聞くはずもなく。
「こ、これ、若君。こちらは二の姫さまではありませぬ。二の姫さまは東へお戻りになられました。どうぞ、そちらへ……」
「ほな、だれや? 顔見し。減るもんやあらへん。ええやろ。ちぃとは可愛いんか?」
困り果てた葛の葉と、小刻みに震えて怒り出しそうな近江の気配に、どうしようか困っていると、
「三条高倉の一と三の君!」
涼やかな声で、子供ふたりが呼ばれる。
三条通りの高倉小路にお屋敷を持つ大納言様の一の姫・澄子様のお産みになった一番目と三番目の公子様と言う意味だ。
清子さまは二の姫で、大納言様には公子様がおらず、澄子様が婿をとって、その御子に屋敷財産を継がせるのだと聞いている。
彼らは、その大納言様の孫達ということだろう。
「なんだ、お前は、誰だ?」
「この近江に逆らうと、後から、堀川の兵部卿宮からお仕置きがあるよ。素直に行ったほうがいい」
後から現れた涼やかな声の、警告にも似た忠告に怯えたのか、公子様達は去っていったようだった。
お祖父さま、お優しいのに……
「結愛花、もう大丈夫だよ」
「お兄さま?」
近江の表着から顔を出すと、見たことあるようなないような、優しい笑顔があった。
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