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結愛花の御所日誌①
禄
しおりを挟む女房達や女官達が行き来するのもお姉さまの気が休まらないだろうと、几帳を多めに広く室礼て、人の出入りを少なく最小限にするよう頼んだ。
勿論、私が直接ではなく、近江が手早く手配した。
「結愛花、そばに来てくれてありがとう。本当に、嬉しいわ」
それぞれの母親同士の交流は微妙で、特に北の方絢子様は、父御のご身分が高い清子様に遠慮されているし、清子様は絢子様を北の方としての扱いにどこか見下した感じがある。
更にお祖父さまが宮様なので、我が母夢子にも遠慮がちで、清子様は近寄らない。
でも、私たち姉妹は、母達の確執など関係なく仲よくしてきた。
絢子様は、おっとりされててお優しい方なので、北の対にも時折遊びに行っていたけれど、東の対に行くと、清子様が困惑されるので、会うときは、お姉さま方が私たちの西の対にいらっしゃるか、北の対に、集まるのだ。
が、その頻度には気を遣わないと、困惑したり見下したりするくせに、清子様が東の対には来ないのねと嫌味を言いに来る。
お父さまも奥方をお一人になされば、こんな面倒はないのにと思った事も何度かある。
夕餉にも、お祖父さまの土産の一部が振る舞われ、私はお祖父さまにいただいた銀の匙で食し、お姉さまはいつもの木の匙をお使いになった。
秋の陽の沈む速さは昔から秋の風物として詠われているほどで、酉の刻には外は真っ暗だった。
でも、さすがは御所、お庭には水辺の篝火が、渡殿や庇には鉄灯籠が下がり、お部屋にも、燈台があり、燈盞の菜種油に点燈心を浸して燃やすもので、蝋燭も油も庶民には手が届かないと言うが、ここでは普通に使われている。
お姉さまの御髪を梳いてさし上げる。久しぶりだ。少々艶が落ちているようなので、柘植の櫛に少し椿油をさしてから梳くと、良くなった。
「姫様、そのようなことは私たちが……」
お姉さま付きの女房達が、私の扱いを持て余しておろおろする。
内緒ではあるが帝の御子を懐妊している、いずれはお産みになる可能性が高い、ご寵愛の深い更衣様と、その別腹の妹ではあるが、どちらをより立てるかが迷うのだろうか。本来なら、己の主人を立てるべきなのでは?
また、父親はまだ位も高くないのだが祖父が宮家の者という、私の出自がより困惑させるのだろう。
──私自身にはなんの力も権力もないのに……
心の中に、くすぶった物を抱えたまま、特にすることもなくただ時間を持て余すだけの広い空間。
火鉢やお祖父さまの毛皮の敷物や領巾があるのに、しんしんと冷えてくるようだった。
御所って煌びやかで雅びで素敵なところって巻物にはあったけれど、お祖父さまの孫を娶りたい公達のおもろしくもないお話にもいい所だと謳われていたのに、ちっともいい所じゃないわ。
🌰🌰🌰🌰🌰
少し顔色の良くなってきたお姉さまと貝合わせをしたり、お祖父さまの持ち込んだ私の新しい袿や唐衣を見て色合わせをしてみたり、殿方がいらっしゃらないのを確認した上で、庇に出て、色づく木々や旬を過ぎて実が落ちてしまった梨の木を見て、和歌を詠んだり……
御所って本当に、退屈。
お姉さまがお休みになったので、葛の葉を残し、近江と、房子お姉さまの元へ行く事にした。
お祖父さまのきついお達しとは言え、周りの女房を刺激するような、几帳の壁に囲まれての移動は、とても居心地が悪い。
「まだ入内した訳でもないのに、あの態度」
「宮家の姫だか知らないけど……」
そんな声が聴こえる。気がする。
これは、姿子お姉さまにはかなり厳しい環境なのではないだろうか。
「結愛花、ご苦労だったわね。どうだった?」
「ええ、少し顔色は良くなってきたようだけど、お祖父さまの秋の味覚と私に会えたから肩の力が抜けたからだと思うの。
あれでは、私が下がってしまうと元に戻ってしまうかも……」
そうよね…… 房子お姉さまもため息をつかれる。
「そう言えば、お祖父さまが色々と手配したみたいなのだけれど……」
厨、台盤所、昭陽舎から麗景殿や清涼殿まで多くの女官も、幅広く宮家の者を遣わしていた。
「まあ、さすがね」
お姉さまはしきりに感心している。
「大殿様のなさることに無駄や不備はありませぬ」
近江が鼻高々で言う。私や母につけられている多くの女房や女官はお父さまが雇った者だけれど、近江は、実はお祖父さまから俸禄を貰っている。それもかなり。……らしい。
房子お姉さまと今後のことを少し話して、梨壺に戻るが、姿子お姉さまはまだ眠っていた。
「この所、気鬱に伏せってらっしゃる割に、夜も眠れていなかったようで、姫様がいらしてくださって、久しぶりによくお休みになれたようですわ。本当に良かったこと」
姿子お姉さまの乳母を務め、入内する際にも、心細がったお姉さまのために女房として着いてきた濱塚が、ほっとした顔で零した。
濱塚なら、お姉さまの懐妊のことも、知っているに違いない。そう思ったけれど、私は知らない事になっているから口には出さない。
慣れない人の多い後宮で、渡殿を歩くだけで人々の好奇の目にさらされ、私もつかれていたのだろう、知らぬ間に夕餉まで転た寝をしていた。
夕餉の後寝直しても、熟睡は出来なくて、お姉さまや近江達を起こすのも悪いし、しばらくは衾の中でじっとしていたけど、耐えられなくなって、そっと抜け出し、庇との境の御簾まで這う。
虫の音が聴こえる。お母さまに会いたくなったけれど、お姉さまが元気になられるまで、お側に居なくては。
鼻先がつんと痛んで、視界が歪むけれど、童じゃないとぐっと堪える。
「……泣いているの?」
び、びっくりした! 人が居たのね?
宿直の若者かしら? 若々しいまろい声の男性だと思われた。
「泣いてなんかないわ」
「でも、声が少し震えてるよ? 大殿様をお呼びしようか?」
私だと判っていて、お祖父さまをお呼びしようかと、聞いてくる……
「夜中にお呼びできるの? 誰?
……もしかして、こないだ、お祖父さまと一緒に来た方?」
なんとなく聞き覚えのある声。つまらない公達の声は1人1人覚えてないから、聞き覚えのあると言えば、あの方くらいだ。
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