上 下
106 / 143
ブラウヴァルトの氏族と私

105.可愛いおきゃくさま  

しおりを挟む

 テレーゼ様と一緒に、お母さまに刺繍やキルティングを見てもらったり、書庫で本を読んだり、数日はゆっくり過ごしたのだけど、突然のお客さまに、そうしたゆっくりと時間の流れる日々は終わった。




「奥さま。お客さまがお見えです」

 ジェイムスさんが、恭しく頭を下げて告げる。

「あら? 今日は、お客さまの予定なんてあったかしら?」
「いいえ。先触れも前もってのお約束もなく、遠渡遙々お越しくださいました可愛らしいお客さまにございます」

 約束もなく、遠くから来た、可愛らしいお客さま?

 私達は、針を固定して、刺しかけの刺繍をテーブルに置いた。

 エントランスホールで、キョロキョロとまわりを見て、階段の上のステンドグラスとその下の絵画に目を留め、愛らしい口をぽかんと開けて眺める『可愛らしいお客さま』と、目が合った。

こんにちはGuten Tagグーテンターク
「こ、ここ、こんにちは。ランドスケイプ公爵夫人におケましては、ごキゲン麗しゅう⋯⋯」
「ふふふ。わたくしは • 爵夫人でしてよ?」
「え? あれ? ヒューゲルベルクの公爵さまのお屋敷タウンハウスですよね?」
「ええ。でも、わたくしの夫は、まだ公爵位ヘルツォークを継いでおりませんので、青の森のブラウヴァルト 宮中侯フュルストですわ」
「そ、そそ、それは失礼しました!!」

 小花模様のドレスを着た、紅茶色の髪の少年ヽヽは、真っ赤に赤面して直角以上に頭を下げ、少し陽に焼けて赤くなっている首を晒す。

 そう。ジェイムスさんが言った『可愛らしいお客さま』は、クリーム色の生地に赤い小花模様のドレスを着た、10歳ほどの男の子だった。




 とりあえず、場所を変えようと、庭の花が楽しめるサンルームに移動した。

 少年は、ジェイムスさんが差し出した蜂蜜入りホットミルクをちびちび舐めながら、私達を順に見ていく。
 かなり緊張しているようではあるけれど、しっかりと観察している。

 ジェイムスさんが通した、お母さまに来客を告げたと言うことは、身元は確認済みと言うこと。

 少年はピッと立ち上がり、深めのカーテシーで挨拶をする。

アウレリアAurelia金・ゴールドの意ベネディクトBenedikt祝福の意・ファン・オラニエ=ナッサウと申しま(オラニエ家とナッサウ家の血筋の意で繋げて一つの家名) す。本日は、約束もなくの突然の訪問にも拘わらず、快く迎え入れてくださりありがとうございます」
「よく出来ました。ここまでひとりでよく来ましたね」

 ひとり!? こんな小さな子が? と思ったけれど、ジェイムスさんが目配せをくれたので窓の外を見ると、武装解除した騎士がふたり立っていた。
 騎士は、邸の中に入れなかったのね。

「先日は、一の姉がこちらのご嫡男様に大変お世話になったと伺っています。その節は誠にありがとうございました」
「あら、そうなの? ふふふ。あの子からは詳しくは聞いてないのよ。喜んでいただけたのならよかったわ」

 アウレリア(主に女性の名前)ちゃん──ベネディクト (こちらは男性名) 君と呼ぶべきかしら?──の顔が、パッと明るく晴れて、頰に朱がさす。

「それで、あの、大変厚かましいお願いなのですが⋯⋯」
「もちろん、いいわよ。好きなだけ、こちらにいらして? わたくしの子供はテオドールとアンジュしかいないの。テオドールは普段は領地にいてアンジュは来年嫁ぐことが決まっているので、少し寂しいの。可愛らしい子がいてくれたら、家の中が明るくなって嬉しいわ。仲よくしてくださるわね?」 
「はい」

 応接室に通してミルクを飲んでいただいている間に、お母さまがお父さまの名代として親書を確認して済んでいる。
 国の情勢がよくなく、いつ戦火に見舞われるかわからないので、疎開させたいとの事だった。
 本人には、姉が世話になった家に礼を述べる事と、帝国貴族の文化やマナーを勉強させてもらい役に立ってこいと言い聞かせているらしい。
 王家や高位貴族の男子が行う遊学だとアウレリアちゃんは思っている事を、私達は、忘れないようにと言われている。

「それで、アウレリアちゃんと呼んでいいのかしら? ベネディクト君と呼んだ方がいいのかしら?」
「どちらも僕の──わたしの名前なのですが、フランスや他国の手前、ベネディクト・ファン・オラニエ=ナッサウの名はあまり表に出さないようにと言われてます」
「それで、女の子のフリをしているのね?」
「はい。道中、変な人に付け狙われたりしないように、護衛も父や兄を装って、家族旅行のふりをして来ました。僕だと気づかれなかったと思います」
「そう。偉いのね。女の子の格好をするのはいやだったでしょう?」
「いえ。僕はオラニエ=ナッサウ家の正嫡として、誘拐されたり殺害されたりする訳にはいきませんから。道中、姉のお下がりを着るくらい、大した問題ではありません」

 キリッと母に言い放つ姿は、ドレスを着ていても男の子だった。


 お母さまが受け入れ、ジェイムスさんが否と言わなかった以上、お二人ともお父さまも反対はなさらないと判断なさったのでしょうから、戦局がよくなるか、フランス軍が退却するまで、侯爵家で預かることになるのかもしれない。




    
しおりを挟む
感想 234

あなたにおすすめの小説

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

婚約「解消」ではなく「破棄」ですか? いいでしょう、お受けしますよ?

ピコっぴ
恋愛
7歳の時から婚姻契約にある我が婚約者は、どんな努力をしても私に全く関心を見せなかった。 13歳の時、寄り添った夫婦になる事を諦めた。夜会のエスコートすらしてくれなくなったから。 16歳の現在、シャンパンゴールドの人形のような可愛らしい令嬢を伴って夜会に現れ、婚約破棄すると宣う婚約者。 そちらが歩み寄ろうともせず、無視を決め込んだ挙句に、王命での婚姻契約を一方的に「破棄」ですか? ただ素直に「解消」すればいいものを⋯⋯ 婚約者との関係を諦めていた私はともかく、まわりが怒り心頭、許してはくれないようです。 恋愛らしい恋愛小説が上手く書けず、試行錯誤中なのですが、一話あたり短めにしてあるので、サクッと読めるはず? デス🙇

【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない

曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが── 「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」 戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。 そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……? ──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。 ★小説家になろうさまでも公開中

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

立派な王太子妃~妃の幸せは誰が考えるのか~

矢野りと
恋愛
ある日王太子妃は夫である王太子の不貞の現場を目撃してしまう。愛している夫の裏切りに傷つきながらも、やり直したいと周りに助言を求めるが‥‥。 隠れて不貞を続ける夫を見続けていくうちに壊れていく妻。 周りが気づいた時は何もかも手遅れだった…。 ※設定はゆるいです。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

処理中です...