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ブラウヴァルトの氏族と私

103.不穏な世界情勢

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 シュテファン様が、私達の街歩きについてこなかった理由がわかった。



「え? まだ、帝国の東の方も、南も、エストゥラィヒ(オーストリア)シュヴィーツ(スイス)も観ておらんぞぇ?」

 パトリツィア殿下は不満げに、手にした食後のお茶をテーブルに戻した。

 パトリツィア殿下の叔母さまや家庭教師、国から連れて来た護衛騎士、そして、なぜか居るシュテファン様とシーグフリート殿下が、難しい顔をして、私達の前に並んでいる。

「遊学ツアーが出来るのも、身の安全があってこそ。フランス軍がオーストリア帝国を包囲し、イタリアをも狙っている状況とあっては、いつ戦火が目の前に迫ってもおかしくありません。ネーデルラントも実質支配されているに近い状況です。ハインスベルクも過去の事例から見て、攻め込まれる可能性は高い」

 そういう理由で、ハイジもパトリツィア殿下も、お国に帰還命令が出ているらしい。

「あの。ネーデルランド本国が押さえられて、帝国の南側も戦の気配が漂うのなら、この国に居た方が身の安全はマシなのでは?」
「いや。兄上達が身の危険を冒して民を護る戦に出るのなら、わたくしだけがここでのうのうと暮らす訳にはいかぬ⋯⋯ じゃが、まだまだ見たいもの識りたいことがいっぱいあるのも本音」

 家庭教師の言葉に、身内が戦に巻き込まれるかもしれない状況で、自分だけ避難するのは違うと、きっぱりと言い切ったパトリツィア殿下だけど、この地やまだ見ぬ地に心残りがあるともこぼす。

「今すぐ帰れとは言いません。帰路の安全性を確認してからになりますから、それまで青の森のブラウヴァルト 観光を続けていただいても構いませんが、オーストリア帝国に近い地域には近づかないように。帰路の確認が済むまでには荷を纏めて、気持ちも整理をつけてください」

 シーグフリート殿下の言葉は、冷たいようにも聴こえるけど、パトリツィア殿下の気持ちを尊重したものだとも思う。

「ステフ従兄にい様はどうなさるの?」

 ハイジは、複雑な心情で俯くパトリツィア殿下の背をさすりながら、シュテファン様に訊ねる。

「もちろん、辺境伯家の武人として、国境警備を担う士官として、国境へ睨みを効かせに戻るさ。ハイジが⋯⋯」
「アーデルハイト」
「⋯⋯アーデルハイトが国に戻るなら、当然、送り届けてから合流するよ。今すぐ開戦って訳でもないだろうから、一日二日くらい戻るのが遅れても大丈夫さ」
「そう⋯⋯」

 本当に、お母さまとクリス以外には、従兄で主家のシュテファン様でも、ハイジと呼ばせないのね。
 シュテファン様は肩を竦めながら、ハイジを送った後、国境警備隊に戻ると答えた。

 この様子だと、パトリツィア殿下がまだ遊学ツアーを続けたくても、身の安全面からも費用面からも、続けられないに違いない。

「テレーゼ様も、領地にお帰りになるのですか?」
「いいえ。まだ、家族を先に帰して王都に残っている目的が済んでないの。それが果たされないと帰らないわ」
「目的?」

 そう言えば、基本的に領地から出ないと仰ってたわね。
 シュテファン様への繋ぎをクリスに頼む事かしら? それは半分果たされたような気もするけれど。

「ええ。1つは貴女と交流を持つこと」
「わたくしと?」
「そう。アンジュと仲良くなれてよかったわ。そして、もうひとつは、捜し物があるの」
「さがしもの」
「ええ。とても大切なもの。それを見つけるまでは、領地には帰らないわ。両親にも許可はいただいているの。兄の暮らす貴族街のタウンハウスか、⋯⋯貴女のそばにいさせてもらえると嬉しいわ」
「ええ。お母さまも、青の森のブラウヴァルト 縁者が居てくださると喜ばれると思いますわ」

 私とテレーゼ様の会話を聴いていたらしいパトリツィア殿下が、顔を上げる。

「アンジュは、青の森のブラウヴァルト 縁者なのかぇ? テレーゼ嬢も?」
「え、ええ、まぁ、少し薄い縁ですけれど」
「曾祖母が姉妹だと申したか?」
「はい。曾祖母は先代陛下の末姫で、国同士の政略結婚ではなく、国内の有力貴族に降嫁されたのですわ」
「王族じゃったのか」
「王族とは言えないのでは。王族としての責務も果たしてませんし、公務や政務にも係わってませんわ。国民も、わたくしや母を王族とは認知していないでしょう」
「じゃが、こうしてわたくしの通辞(通訳)として王宮で勤め、遊学ツアーにも付き合ってくれているではないか」
「公務としてやっている訳ではありませんわ。あくまでも、シーグフリート殿下からの要請で、臣下として⋯⋯」
「まあ、再従妹の、友人の娘として、頼みやすかったからな。臣下に降嫁して王位継承権を失くしたので、一応王族とは認知していない事になるが、親戚ではある。テレーゼ嬢もな」

 シーグフリート殿下の言葉で王家と血縁にあると判ったからといって、ハイジやパトリツィア殿下の私に対する態度が変わることはなかったけど、シュテファン様は、意味ありげにこちらを見ていた。



 ❈❈❈❈❈❈❈

世界史に疎い私ですが、一つだけ年を間違えない事柄があります。

1812年 ナポレオンのロシア遠征 大失敗


クラシック音楽で一番好きな作曲家チャイコフスキーの『大序曲1812年』

なんで年号なんやろと調べたら、ナポレオンがフランス正規軍、同盟国友軍含め64万人で冬のロシアを攻めて、逃げ帰れたのは2万5000人という大敗を喫した戦役。ロシアの勝利を讃えて、作曲したらしい。

いや、なんで冬にロシアを攻めた? せめて暖かい時期にしぃや(笑)
マイナス二桁の冬のロシアなんて冷凍庫やん。

フランス国歌ラ・マルセイユから始まり、ロシア的な旋律と、最後には本物の大砲を使うという超ド派手な曲。大好きです。(フランスに特に思うところはありませんよ? 単に、曲が好きなだけです)

この世界は、それよりは前の話ですが、この大敗より前は、フランスって強かったんですね😅



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