98 / 143
ブラウヴァルトの氏族と私
98.女誑しの公爵令嬢
しおりを挟むいつもはお忙しいと聞いている第二王子殿下も、パトリツィア殿下が滞在していらっしゃるからか、ちょくちょく顔を出される。
差し入れと称して、パトリツィア殿下やハイジ、テレーゼ様にも、高価なショコラーデのトルテを、私に古ノルド語で書かれた羊皮紙の本を持って来てくださった。
羊皮紙を捲ると、中味は北欧神話世界について書かれているみたい。昼間はパトリツィア殿下の通辞のお役目があるけれど、晩餐の後、寝る前に少しづつ読ませていただこう。
「ほう、やはり内容が解るのか」
「はい。発音はすでに失われてわかりませんが、単語ごとの意味は幾つかは。侯爵家の図書室の、お父さまの辞書を使えば、意訳ですけれど、ある程度は読めると思います」
「そうか。なら、それはアンジュ嬢に差し上げよう」
「えっ!? で、殿下? これはとても稀少で、文化遺産レベルのものなのでは」
「それは、青の森の先祖が記した写本だよ。本物じゃない。それに、もしかしたら、敢えて、個人的な解釈で書き換えたり写し間違いもあるかもしれない。その程度のものだ」
「それでも、やはり価値の高いものだと思います」
手に触れるのも緊張する。
「今回の報酬の一部だと思って受け取ってくれ。城にあがるのを望んでいなかったのに、お茶会と半ば騙すように呼びつけて、賓客の相手をさせているのだ、詫びも兼ねている。第一、それに、そのくらいの働きを見せてくれるだろう?」
にやりと口の端で笑みを浮かべるシーグフリート殿下。
「わたくしに力の及ぶ限り、出来るだけの事は致します。むしろ、このような機会を与えてくださり、感謝しています。言葉は生き物。使わねば死んでしまいます。邸の中で本を読んでいただけでは解らない、貴重な体験をさせていただいて、とても光栄に思っています。パトリツィア殿下と知り合えたのも、ハイジと再会してこれまでの不義理を謝罪する機会を持てたのも、本当に⋯⋯」
「ああ、解った解った。皆まで言うな。騙したこちらが居心地悪くなるわ。だが、そう言ってもらえて、こちらとしても気持ちが楽になった。感謝する。無理矢理断れないやり方をして悪かったな」
「勿体ないお言葉です。殿下」
椅子から立ち上がっていた姿勢から頭を下げると、顔を上げて座るように指示される。
殿下は公務に戻られたけれど、王女殿下が残る。
「わたくしの語学指南は断ったのに、リンブルフの公女の通辞は受けるのね」
「先ほど、お父上第二王子殿下が、騙すようなやり方で、断れなくしたと仰っていたはずですわ、アルビナ殿下」
テレーゼ様が庇ってくださる。王女にたてついて大丈夫なのかしら。
「それに、パトリツィア殿下がこの国に滞在なさる期間限定の事。語学を学びたいからアンジュ嬢と話がしたいなら、殿下も、この場に交ざればよろしいのですわ」
ケーキを前に、肘をついて両手を組み、にっこり笑って言い放つテレーゼ様。
たちまち、アルビナ殿下の顔と耳まで赤く染まる。
『なんじゃ、そなたも仲間に加わりたかったのかぇ。よい、好きな席に座るがよい』
リンブルフ語の訛りが強くても、基本的なネーデルラント=古低地フランク語は多少は習っているはずだし、リンブルフ語自体は私達の扱うゲルマン語の地方言語のひとつでリンブルフ=ベルク語と呼ばれるくらいなので、だいたいの意味は理解されているはず。
迷っていらっしゃったけれど、自尊心と好奇心と向学心とが闘って、素直に仲間に加わる事にしたらしい。そっと、従僕が引いた椅子に座った。
可愛らしい方だ。
『語学を学ばれたいのかぇ?』
『お、王女たるもの、異国の客人と会話も出来なくては、それこそお話にもなりませんから』
パトリツィア殿下と話すのも、辿々しいフランク語ながら、どこかニュアンスが居丈高な感じがある。
まるで、厭味のないお嬢さまのよう。王女だから、ああいう態度を取らなくてはならないと思い込んでらっしゃるのかしら?
『そうか。勉強家なのだな。わたくしはリンブルフ=ベルク語訛りがあるので、お役に立てるか解らぬが、この国に滞在させていただく間は、仲ようしてくださるとありがたい』
『はい!』
顔を真っ赤に染めて、俯くアルビナ殿下。パトリツィア殿下の笑顔が真っ直ぐで眩しかったのだろう。
アルビナ殿下も、シーグフリート第二王子殿下に似てお美しいのだから、素直になれば、もっと愛らしくなるだろうに。
ミント水のような綺麗なブルーグレイの瞳と、黄金のような金茶の髪。白磁の肌に、紅をひいたような鮮やかな頰と唇。私と違って、化粧を施さなくても華やかな美少女なのだから。
「そう言えば、アルビナ王女殿下は、遠めだけど、アンジュと親戚なのよね?」
ハイジが思いだしたように言う。
「曾祖母が先代の王妹ですから、近くはないですけれど」
「それなら、わたくしもですわね?」
テレーゼ様がにっこり笑うと、益々赤くなって、アルビナ殿下が膝の上でハンカチを握り締める。
『テレーゼ様は、わたくしの憧れです。わたくしよりも王家らしい堂々とした令嬢ぶりで、こうなりたいというわたくしの理想なのです』
『あら。ありがとう。そう言っていただけるのは嬉しいわ』
ハッと顔を上げるアルビナ殿下。
『でも、わたくしは公爵令嬢で、殿下は王女。わたくしを理想として同じようにしたのでは、いけませんよ』
出た。テレーゼ様の頼れるお姉さんなセリフ。
アルビナ殿下は恥じたのか納得できなかったのか、唇を少し噛んで俯く。
『ですが、同じ氏族の同年代の娘同士、今後も仲よくしてくださると嬉しく存じます』
そして、同性も頰を染める美貌で、好意を上塗りしていく。
テレーゼ様、凄すぎます。
アルビナ殿下、テレーゼ様に益々傾倒しているように見えますけど。
「アンジュ。あなたは、特別。普段傍にいないアーデルハイト殿下に負けなくてよ?」
コソッと耳打ちするテレーゼ様。私まで頰が熱くなる。
『凄いの、テレーゼ殿。天然ではない本物の誑し込みじゃの』
どうやら、私の隣に座っていたパトリツィア殿下には聴こえていたようだ。
「どういう事? テレーゼ様、アンジュに何を言ったの?」
この日、眠るまで、ハイジはしつこくテレーゼ様の言葉を聴きたがった。
10
お気に入りに追加
4,316
あなたにおすすめの小説
三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します
冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」
結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。
私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。
そうして毎回同じように言われてきた。
逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。
だから今回は。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
婚約「解消」ではなく「破棄」ですか? いいでしょう、お受けしますよ?
ピコっぴ
恋愛
7歳の時から婚姻契約にある我が婚約者は、どんな努力をしても私に全く関心を見せなかった。
13歳の時、寄り添った夫婦になる事を諦めた。夜会のエスコートすらしてくれなくなったから。
16歳の現在、シャンパンゴールドの人形のような可愛らしい令嬢を伴って夜会に現れ、婚約破棄すると宣う婚約者。
そちらが歩み寄ろうともせず、無視を決め込んだ挙句に、王命での婚姻契約を一方的に「破棄」ですか?
ただ素直に「解消」すればいいものを⋯⋯
婚約者との関係を諦めていた私はともかく、まわりが怒り心頭、許してはくれないようです。
恋愛らしい恋愛小説が上手く書けず、試行錯誤中なのですが、一話あたり短めにしてあるので、サクッと読めるはず? デス🙇
拝啓 お顔もお名前も存じ上げない婚約者様
オケラ
恋愛
15歳のユアは上流貴族のお嬢様。自然とたわむれるのが大好きな女の子で、毎日山で植物を愛でている。しかし、こうして自由に過ごせるのもあと半年だけ。16歳になると正式に結婚することが決まっている。彼女には生まれた時から婚約者がいるが、まだ一度も会ったことがない。名前も知らないのは幼き日の彼女のわがままが原因で……。半年後に結婚を控える中、彼女は山の中でとある殿方と出会い……。
[完結]婚約破棄してください。そして私にもう関わらないで
みちこ
恋愛
妹ばかり溺愛する両親、妹は思い通りにならないと泣いて私の事を責める
婚約者も妹の味方、そんな私の味方になってくれる人はお兄様と伯父さんと伯母さんとお祖父様とお祖母様
私を愛してくれる人の為にももう自由になります
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
【完結】アッシュフォード男爵夫人-愛されなかった令嬢は妹の代わりに辺境へ嫁ぐ-
七瀬菜々
恋愛
ブランチェット伯爵家はずっと昔から、体の弱い末の娘ベアトリーチェを中心に回っている。
両親も使用人も、ベアトリーチェを何よりも優先する。そしてその次は跡取りの兄。中間子のアイシャは両親に気遣われることなく生きてきた。
もちろん、冷遇されていたわけではない。衣食住に困ることはなかったし、必要な教育も受けさせてもらえた。
ただずっと、両親の1番にはなれなかったというだけ。
---愛されていないわけじゃない。
アイシャはずっと、自分にそう言い聞かせながら真面目に生きてきた。
しかし、その願いが届くことはなかった。
アイシャはある日突然、病弱なベアトリーチェの代わりに、『戦場の悪魔』の異名を持つ男爵の元へ嫁ぐことを命じられたのだ。
かの男は血も涙もない冷酷な男と噂の人物。
アイシャだってそんな男の元に嫁ぎたくないのに、両親は『ベアトリーチェがかわいそうだから』という理由だけでこの縁談をアイシャに押し付けてきた。
ーーーああ。やはり私は一番にはなれないのね。
アイシャはとうとう絶望した。どれだけ願っても、両親の一番は手に入ることなどないのだと、思い知ったから。
結局、アイシャは傷心のまま辺境へと向かった。
望まれないし、望まない結婚。アイシャはこのまま、誰かの一番になることもなく一生を終えるのだと思っていたのだが………?
※全部で3部です。話の進みはゆっくりとしていますが、最後までお付き合いくださると嬉しいです。
※色々と、設定はふわっとしてますのでお気をつけください。
※作者はザマァを描くのが苦手なので、ザマァ要素は薄いです。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる