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ブラウヴァルトの氏族と私
93.シーグフリート殿下のお茶会
しおりを挟む──有り得ない
今の心情を表すなら、その一言に限る。
待って、嘘でしょ? どうしてこうなったの?
ヒューゲルベルクの本宅から王都のお母さまの元へ戻って来たのが、第二王子殿下の招待状の該当日の2日前。
その日はゆっくり眠り、次の日は、朝から夕方まで、テレーゼ様と一緒に、お風呂やマッサージ、高価な美容基礎化粧品や香料、軽い運動やデトックスにいいと言うハーブティーなど、一日美容に関する事しかしなかった。
そして、殿下のお茶会当日の今日。
なぜか可愛らしいドレスを着て、シュテファン様にエスコートされたテレーゼ様と、ドレスアップした宝石のように輝く綺麗なお母さまをエスコートするお父さまも一緒に、私もお兄さまのエスコートで、登城した。
お兄さまや他の人の前で、秘密の書庫の話は出来ないので、適当に、希少本などを見せてもらう約束と言ったけれど、本当のところは解らない。
ただ、『ドレスコードは、主賓を食わない程度に華やかにすること』としか書かれておらず、もしかしたら本当に、お茶会だけなのかもしれない。
そう思って来たのに。
「おお! アンジュリーネ嬢。本日も母君に似て愛らしいね。だが、ドレスが少々大人しすぎないかね?」
「そうでしょうか。クリストファー様に頂いた、最初のドレスで思い出深いものなのですけれど」
「ほお。ヘル・プリンツ・クリストファー師団長は、そのような清楚な感じがお好みなのか」
白緑の総レースのクライナーエンゲルのドレスで来たのだけど。
繊細で緻密なレースが華やかだし、淡い色合いが主賓を霞ませたりしないと思ったのだけど。
シーグフリート殿下には、地味に感じるらしい。
「お嬢さま。なにかのためにと、一番新しい、花色のドレスもお持ちしております」
私の付添人として、ゲストルームまで同行してくれたイルゼさんが、壁際に控えたまま教えてくれる。
「おお、前期最後の舞踏会に着ていた、あの、淡い紅色の花のドレスか。よし、申し訳ないが、そちらに変えてくれるか?」
今から!?
フランスのドレスのように、コルセットやビスチェ、パニエやペチコートにガーターなど、幾重にも重ねて着付けだけで何時間もかかるものではないけれど、一応、飾りとの色やデザインの合わせる事もあるし、急に言われても⋯⋯
「ご心配なく。化粧道具も宝石箱もお持ちしております。お色直し、お召し替え、間に合わせます」
プロの目をして、道具を広げ出すイルゼさん。
「そうか。頼もしい侍女を持ってよかったな。わたしは会場で待ってるよ」
お父さまを伴って、殿下は私に割り当てられたゲストルームを出て行く。
「わたくしも手伝いますわ」
先代王妹の孫で侯爵夫人である(お祖父さまからお父さまが爵位を継いだら公爵夫人になる)お母さまが?
意外にも手際よく、私の着替えを手伝い、髪を梳かし、結い上げ、飾りをつけていくのに、イルゼさんにも負けない器用さだった。
「細かい作業は好きなの。せっかく娘がいるのですもの、こうして手伝って、着飾らせてみたかったの」
お嬢さまとは、こう言う親子交流はなかったってこと?
──お嬢さまらしく⋯⋯
「貴族家だからと気にすることなく、言ってくだされば、いつでも手伝わせて差し上げますのに」
ちょっと、いくらお嬢さま風でも、やり過ぎたかしら。どれだけ上から目線。
さすがに、母親にはいい子にしていたのかもしれないのに。
「そうね。飾らせてちょうだいと言えばよかったのだわ。これからはそうするわね」
「はい、お母さま」
そう言えば、お母さまは、どこか私(お嬢さま)に対して、遠慮のようなものを感じる時がある。
上位貴族家は、平民家庭のように、身近な親子関係は築かないものだと思ってはいたけれど。
私も含め、同世代の初等教育で一緒だった貴族令嬢達は、家庭教師や乳母、侍女に育てられたようなもので、どの家庭でも彼女たちの母や伯叔母達は、淑女の手本と教養の教師だった。
豪農や大商人の子供達もあまり変わらず、中には仲の良い家庭もあったみたいだけれど、少数派で、父親に至っては、食事の席も別、会話も殆どなく、中等教育が終わり社交デビューする14~16歳になって初めて、食事やお茶の席を共に出来るようになると聞いていた。
亡くなった父は、朝は早く出て行き、職務に忠実、晩餐は母と私と、三人揃って摂る人だった。
その時に、学校の成績はどうかとか、友人はどんな人達かとか、将来はどう進むのか考えを聴いてくださったり、共に考えてくださる方だった。
だから、二人して内緒で、ラテン語文章への翻訳や諸国の文書を作っていた。
父曰く、日々使わねば錆び付くし、数をこなさなければ、覚えることは出来ない。という事らしく、知らなかった言葉を並べての外国語での作文は、遊びと学習が交じっていた。
なにより、言葉を覚え、文章を考えるのが楽しく、父との接点でもあり、私にはちっとも苦じゃなかった。
とてもいい父だったのに。
と、話は逸れたけれど、貴族や上流階級の親とは、子供の面倒を見たり共に遊ぶ事はなく、人生の手本であり教師であり、一段から数段上がった存在であるのが普通。
お母さまのように、こうして髪を梳き結ってくれたり、着付けを手伝ってくれたりするのは勿論、なにかを遠慮したりするようなものではないはず。
お嬢さまとお母さまの間には、何があるのだろうか。
そして、着替え終わって、お兄さまのエスコートで、お茶会会場へ向かったのだけど。
『待っていたぞ、アンジュリーネ嬢。こちらは、オラニエ公の息女パトリツィア殿下。殿下、こちらは我が国の侯爵令嬢アンジュリーネ嬢だ』
シーグフリート第二王子殿下に、華やかで雅やかな女性を紹介される。
ネーデルラント=古低地フランク語で話す殿下に、オラニエ公息女と紹介されたという事は、正式な国際交流の場!?
個人的なお茶会と招待状に書いてませんでしたか? 殿下?
『そなたが、通辞となる令嬢かぇ? よろしく頼むわぇ』
『会話になるのが男のわたしだけでは、何かと不便であろうから、よろしく頼む』
爽やかに微笑むシーグフリート殿下。
ネーデルラント=古低地フランク語にリンブルフ語混じりで話す公女パトリツィア殿下。
フランスとハプスブルク家の占領下のネーデルラントでも、ベルギーに分割されたリンブルフ公国の残ったネーデルラント側は、領邦国として我が帝国の同盟に属している。
我が国に友好外交にいらしても不思議はない。
ないけれど。
私を通辞として使うだなんて、訊いてませんよ、殿下。
こんな事なら来るのでは無かった。
この後、お嬢さまと入れ替わった時に問題が大ありよ!
お嬢さまはフランス=フランク語は子供のカタコト並みなら多少は話せるけれど、発音は怪しいし、古低地フランク語や更に細かくリンブルフ語は理解されないと思う。私だって、多少の日常会話程度だ。
これ、どうすればいいの!?
❈❈❈❈❈❈❈
オラニエ公息女パトリツィア
当作品はフィクションです。
実在の国名、人名とはリンクしておりません。🙇
ベルギーに分割されたリンブルフ公国の残されたネーデルラント側がドイツ連邦に加盟したのは19世紀の話で、中世は神聖ローマ帝国の各領邦侯達に分割統治されていて、この時代はまだカール5世によってネーデルラント17州がハプスブルク家の支配下に統合されていた筈ですが、身内感を出したかったので、ナポレオンにフランス帝国に併合されたのも、1815年のウィーン会議によりネーデルラント連合王国領となったのも、1830年にネーデルラント南部諸州がベルギーとして独立してリンブルフ全域がベルギーの実効支配下になったのもすっとばして、1839年のロンドン条約締結後の、ドイツと親戚にしてしまいました。
オラニエ公に、パトリツィアなんて娘は存在しません、筆者の創作です
各領邦侯⋯⋯リンブルク伯領、ブラバント公国、ゲルデルン公国、ユーリヒ公国、リエージュ司教領、ケルン大司教領
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