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テレーゼ様と私

83.覚え書き

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 領内をまわるのに、少し遠出になる、もしかしたら出先の荘園管理官の館に泊まるかもしれないとのことで、私とテレーゼ様は、お留守番になった。

「興味がおありなら、テレーゼ様は乗馬できるのですから、お付き合いなされては?」
「男性ばかりの集団には混ざれませんわ。今夜は先に泊まるかもしれないと伺いましたもの。わたくしたちは、元々の目的『アンジュ様と語学留学といきましょう?』」

 ギムナジウムでも家庭教師でも、自国語の勉強と同じくらいラテン語となぜかギリシャ語を習う。
 それはテレーゼ様も、私がお教えすることもないほどにご理解なさっているので、フリジア語やフランク語をもっと身に馴染ませることにした。
 私のこれまでの復習にもなる。

 せっかく図書館と呼べるほどの規模の書庫と学習室があるのだから、そちらで過ごすことにした。

 近くの大学の研究生も出入りしているので、何かあれば訊ねることも出来る。

 テレーゼ様はフランク語を学ぶのによい本を探しにいかれたので、ひとりで、ここ数日の事とこれからの事を考えていた。

 まず、お嬢さまと入れ替わる時に、話しておかなければならないことが幾つか出来てしまった。

 クリスとは、ハイジと公爵さまと共に、幼少時に子供の社交訓練用の茶話会で、五度遭っていること

 その時、私は白緑びゃくりょくのクライナーエンゲルのドレスを着ていたこと
 クリスが外せない舞踏会の時に婚約者が贈るドレスを、強引にクライナーエンゲルに注文したのはその時の事を思い出して欲しかったからだろうこと

 本名は明かさず、ドレスからの揶揄からかい半分で『アンジュ』と呼んだのが定着してそう呼ばれていただけで、名も身分も領地も互いに知らなかったこと
 クリスとハイジは、お母さまからラテン語や古語を習っている途中だったので、敢えて、エンゲルではなく古語でアンジュと呼んでみたかったらしいこと

 クリスが声をかけて来たのは、お母さまの瞳の色が恋しくて、緑色を求めた、こ、と⋯⋯

「これは話さなくてもいいかしら」

『何のお話かしら?』

 本を探しにいかれたテレーゼ様が、いつの間にか後ろに立っていて、私の落書きのように書き付けたメモを、背後から私の肩越しに覗く。

『テレーゼ様は、カスティーリャやバスクの言葉は、まだ未学習なのでしたわね?』
『ええ。アンジュ様は、日常会話程度ならご理解なさると、シーグフリート殿下から伺ってますわ』
『大袈裟ですわ。ラテン語の遠い親戚みたいな物ですから、単語を幾つか知っているのと、文法も言葉を覚え始めた子供のカタコト程度のことですわ』
『それですわ。ラテン語の親戚。
 今書いてらしたのは、クリストファー様への愛の詩ですの?』

 やはり、私のメモを覗いて、ラテン語に近い部分を読み取ろうとされているのだわ。

 ゲルマン語やラテン語で書かなくてよかった。

 皆、個人的な文書はゲルマン語を使うけれど、宮廷で使われる公文書などは、その多くはラテン語である。
 学習中の癖でラテン語で書いていたら、テレーゼ様に読まれているところだったわ。気をつけなきゃ。

 テレーゼ様は、クリストファーの綴りは変わらないし、愛しい、天使、子供、翠、ドレス、公爵だけは言葉もラテン語に近いので読めたらしく、それらの単語から想像できるのは、恋文や抒情詩かと思ったとのことだった。

『わたくしは、叙情詩は苦手なんです。自分の気持ちを素直に書いても、素直すぎて、ただの感想文か日記のようになってしまって、韻も上手く踏めないし、綺麗な表現も書けないんですわ』
『あら、古典文学に造詣が深いと伺ったのですけれど?』
『丸暗記してそらで朗読できたり、作者の書きたかった裏面も読み取ることは出来るのですが、自分では書けませんの。詩作の授業は、一番苦手科目でしたわ』
『ふふふ、面白い方ね、アンジュ様は』

 ころころと鈴が転がるように愛らしくお笑いになるテレーゼ様。

 確かに、クリスの見立て通り、太っている訳でもないのに、むしろウェストは折れそうなほど細いのに、お胸やお腰の辺りは女性らしい丸みを帯びている。

 男性は、こういう出るところは出て引っ込むところは引っ込む、メリハリのある体つきの女性が好みなのかしら。

 エルマさんと同じように、イルゼさんも背中や脇に散った肉を寄せ集めてくれるので、最近は胸の隆起もそれなりにあるようになって来た。ドレスの胸の下に布を詰めて無理矢理持ち上げなくてもいい。
 クリスのクライナーエンゲルのドレスの胸も、そんなに余らなくなって来た。
 不思議である。他は太った訳でもないのに、胸だけが出来てきたのだから。

『詩ではなくて、覚え書きのようなメモですわ』
『クリストファー様の事、お好きですのね』
「え?」

 今、テレーゼ様は、私が、クリスを好きだと仰った?

『どこからそんな話に? 婚約者ですもの、嫌ってはいませんわ』
『そう? ドレスも髪飾りも、クリストファー様のお色の萌葱色で揃えて、毎朝ご一緒に仲よく散歩して、おふたりの空気がとても甘いもののように思えますけれど』
『それは、努力ですわ。あの方に添える妻になるということを、自分に言い聞かせるための。
 わたくしたちの空気が甘いようだというのも、子供の頃の話をしたことで、クリストファー様が、前より距離を近くしたようなの。わたくしがクリストファー様の色を纏い、妻になる覚悟を決めるのと同じように、あの方も、親に決められた家同士の婚約者から、寄り添える夫婦になろうと、努力さなってくださっているのですわ。
 ただ、お兄さまの仰る通り、身を寄せて会話したり、口づけたりは、まだ早いと思いますけれど。
 清廉潔白・品行方正・謹厳実直であるべき騎士さまとしては、及第とは言えませんわね。でも、あのくらいのお歳の男性は皆さま、ああいう事にとても興味がおありなのかしら』
『あら、まあ、ふふふ。何世紀前の騎士の話かしらね。では、クリストファー様に口づけられたら、お嫌?』

 クリスに、口づけられたら?

 どうだろう。まだ、殿方とお付き合いしたことはないから、よくわからないけれど、アンジュリーネお嬢さまは、ああいった行為がお好きだったのでしょうけど、表立って大好きだと言う訳にもいかないわよね。

 それに、単純に嫌かどうか、と訊かれれば⋯⋯

『嫌ではありませんわ。その、恥ずかしいし、どうしていいか解らなくて居心地悪いですけれど、どうしても拒絶したい訳では。でも、まだ夫婦じゃないのに、あまり堂々と、あれこれ情を交わすのは、違うんじゃないかと。そこは、お兄さまに賛成ですわ』

 顔に熱が集まるから、この話はここまでにして欲しい。

『生真面目というか、正直というか。確かに、噂とは違って、お堅いようね。アンジュ様?』

 噂!! どんな噂なのか、訊いてないけれど、でも、アンジュリーネお嬢さまは、婚約者であるクリス以外の男性と情を交わして、人前に出られない病を得たのだから、それが事実だから、きっと、それに近いか、もしかしたらより強烈な噂なのだろうとは思う。

 私も、父が亡くならず子爵令嬢として、伯爵家の孫として後見されて、社交デビューしていたら、その噂は耳にしていたのかもしれない。

 今更だけど、クリスや公爵さま、侯爵家のみんなは、その噂を知らないのだろうか⋯⋯




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