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テレーゼ様と私

82.早朝の川霧の中で

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 高原地だからか、この時期でも朝は少し肌寒い。

「風邪ひかないようにね?」
「ありがとうございます」

 サマードレスの上からウールの大判ストールを巻いているけれど、もう少し厚手の衣装にしたらよかった。

 約束通り、朝早く、毎朝クリスは散歩に連れ出してくれる。

 結婚したら、の約束だったような気もするけれど、せっかく誘ってくださっているのだし、婚姻契約を結んでいるからすでに夫婦扱いなのも、受け入れられないものではない。

 ただし、私が本当のアンジュリーネお嬢さまなら、だけど。


「そこ、足元の石に苔が生えてて滑るから気をつけて」

 優しい笑顔で手を差し出すクリス。

 お屋敷の裏手の庭から小川沿いに小径を歩き、飛び石を渡って林の方へ進む途中、石が滑りやすいのを気づかってくれる。

「クリス、トファー様は、この辺りはよく来られるのですか?」

 勝手知ったる、って感じでサクサク進まれるけれど。
 早朝だからか、少し川霧が出て、幻想的な雰囲気がとても素敵だ。

「クリス。 いや? 他人ひとの庭の奥だよ? 初めてだよ。
 でも、心配しないで。騎士団の遠征中でも、狩りをしに初めての林に分け入るのとかは慣れてるから、迷ったりしないよ。ちゃんと帰れるからね」

 ドレスの裾が濡れないように少したくし上げて持って渡るので、思うほど歩幅が出ない。
 岸に足が僅かに爪先しか届かない!と思ったら、クリスが添えてくれていた手を強く引いて、一気に渡りきる。

 引き寄せられた勢いで、そのままクリスの胸に飛び込むような形になる。
 微笑んだまま表情を変えることなく受けとめてくれるクリス。彼にぶつかった反動で川に落ちないよう、抱き締める形になった。

「ふふふ。先月より少し抱き心地よくなった」
「えっ クリストファー様は」
「クリス」
「クリスは、太めがお好きなのですか?」
「別に。ただ、アンジュはもう少し肉つけないと、まだ瘠せてると思うぞ」
「そうですか?」

 きゅっと締めるように抱き直される。

「今でも柔らかくて、なんとなくいい匂いするけど、腕がまわりきって余る。もう少しだけ、女性らしいふわふわ感出してもいいぞ。ハイジもテレーゼ様も、もっとむっちりしてるぞ」
「えっ テレーゼ様のスタイルをご存知なの?」

 何か、不思議な沈黙が数秒続く。

「そう言う訳じゃなくて、見た目? 俺が贈った、クライナーエンゲルのドレス、少しサイズ余るだろ? あれがピッタリまでは肉つけても⋯⋯」

 それは、デザイナーやパタンナーが、お嬢さまのサイズを侍女から訊いて型紙やトルソーを作ってるからだと思う。
 私の方が少しだけ背が高いのに、体重はお嬢さまの方が、少しだけある。お嬢さまの方がグラマラスなのだ。

「エルマさんが余った部分は詰めてくれたり、身を寄せたりしてくれるから、あのままでもちゃんと着られるわ」
「来年からは、ちゃんとアンジュのサイズに合うように、デザイナー達を呼んで作らせるからね」

 帝都から? 最新の駅馬車でも四~五日かかるし、その分、振動や揺れが酷いって聞くわ。
 生地や糸、ボタンやレース、リボン、飾り宝石などを載せて移動するのには無理がないかしら? それこそ、辻強盗とかが心配よ。

「ウチの騎士を護衛につけてもいいし、帝都の舞踏会や議会に出る時に一緒に行って、一度型を取れば、後は注文しやすいだろ」
「え、ええ。そうね⋯⋯」

 その時は、お嬢さまの型紙でいけると思うけれど。
 それにしても、子供用のドレス専門店に無理矢理、女性用を作らせるなんてごり押しを、通しちゃったのね、クリス。それも、5着も。

「まあ、来年ウチに来て、一緒に毎朝散歩して、うまいもん食わせてやるから、自然に健康的な身体になるよな」

 左腕で腰をしっかり抱き寄せられていて、お臍より下はピッタリくっついているような格好になっているのに、上半身も傾け寄せてくる。
 右手を私の頰に沿わせて、親指で軽く擦るように撫でる。

「俺、ずっと後悔してたんだ」
「なにをですか?」
「次の約束をせずに、国に帰ったこと」

 ワタシモヨ

「手紙を出すから家名を教えろとか、生まれた弟をお前も見に来いとか、何か約束をしてから帰ればよかった。ハイジもずっと後悔してた。アイツにとっても初めてのオトモダチってやつだったからな」

 ワタシダッテ、「オテガミヲカイテモイイ?」トカ、「オトウトサンニアイニイッテモイイ」ッテ、キケバヨカッタッテ、ズットオモッテタ

 ハイジも、私を初めてのお友達だと思ってくれてたというのが、嬉しかった。

「何だよ。俺が覚えてたことより、ハイジが友達だと思ってることの方が嬉しそうだな?」
「え、だって、私もハイジが初めてのお友達だもの。ちょっとした両思いかなって」
「⋯⋯ま、いいけどな」

 頰を撫でていた指が止まり、手のひらを頰に添わせると、額をコツンと当ててきた。

「今は、ハイジに負けても、その内、勝ってやるから」

 あれ? 前にもこんなこと⋯⋯ キノセイ?

「覚悟しとけ」

 だんだん、顔がより近づいて、ピントが合わせづらくなってくる。ナンダッケ?

「アンジュ⋯⋯ 俺は、ずっと、探してた。なぜかとか、何も考えずに、ただ、探してた。でも、最近、解った気がする」

 何が、かな? ドーシタノ? ナンダカ、オカシイ

「どうして、闇雲に探していたのか」

 鼻先が擦り合って、ちょっと息がかかるし、こんな近くなくても話せるよね? チカスギナイ?

「アンジュは⋯⋯」



 ゥオホン!!

 小川の向こう側──お屋敷のお庭の植え込みから、咳払いが聴こえる。

「──!! だーかーらー、どうして後3秒が待てないんだ、テオ!!」
「前にも言ったけど、後3秒待ったらキス出来ちまうだろ」
「それくらい待てよ」
「前にも言ったけど、来年俺が送り届けて、神の前で誓って初めてしろ」
「硬いな、お前」
「あら、婚約者同士、婚姻契約で結ばれているのですから、キスくらいは許して差し上げたら?」
「テレーゼ様!! まで、いらしたのですか?」

 茂みの向こうから、お兄さまとテレーゼ様が出て来る。
 その後に続いて、シュテファン様も。

「クリス、奥手だな。キスくらい、テオドール殿の横槍が入らないうちにサッサとやってしまえば、悔やむこともないだろうに」

 笑って「やってしまえば」などと言うシュテファン様。

「そこに辿り着くまでの会話も大事だろ?」
「それはそうだが、聞いていればどうも初めてではないことのようだし、な」

 なんだかうやむやになって、5人で少し散策をしてから、少し遅めの朝食になった。




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