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テレーゼ様と私
76.グランドツアー【加筆修正】
しおりを挟むいつもの凛とした、公爵令嬢を誇ったテレーゼ様ではなく、しおらしく身を縮めてはにかむ姿は、女の私から見ても愛らしかった。
クリスに、どんな条件や代償の提案を突きつけたのかは知り得ないけれど、あの二曲分のダンス中の会話の内容は、恐らくこれだろう。
そして、クリスがその提案に乗ったから、テレーゼ様は「私」の友人を名乗ることにしたのだ。
「従堂妹姫二人して才女なのかい? 頼もしいことだね」
シュテファン様が微笑むと、テレーゼ様は赤面して俯いたまま浅めにカーテシーを返し、下がって私の後ろに立つ。
この変わり様は如何したものか。
「公爵さまもシュテファン様も、立ち話もなんです、お茶でも淹れさせますから、館の中へ入られては?」
お祖父さまが声をかけると、シュテファン様は礼を言って、テレーゼ様の手を取り、玄関口へ向かう。
「息子を迎えに来ただけだったんだが⋯⋯」
「子供じゃないっての。親に迎えに来てもらうってなんだよ」
拗ねるようなクリスが、子供の頃の姿と重なって、少し懐かしくなる。
思案する公爵さまに、ヒューゲルベルク公閣下もああ言ってくださっているのです、無碍に断るのも失礼なのでは? と、ラースさんが取りなし、見送りの場は、一旦、サロンでの茶話会に変わる。
確かにお祖父さまとしては、領邦侯(小国主)と辺境伯(国境地帯防衛軍事長官)子息を迎えて、もてなさずに帰す訳にはいかないだろう。
シュテファン様がテレーゼ様をエスコートしたようにクリスも私の手を取り、公爵さまに続いて屋敷の中へ戻っていく。
ジェイムスさんはある程度予想していたのだろう、実はクリスの馬を用意していなかったのである。王都に滞在中の荷物を載せたはずの馬車も、格納庫に空の状態で、昨日到着後に収めたままだった。
ラースさんの、公爵さまが訪問されるという先触れから予測を立てていたのだろうからさすがである。
クリスのお父さま──ルドルフ様は、一度懐に入れることを許した相手には大らかに対する人らしく、子供の頃の思い出の中の頼もしさと優しさがより強く感じられる。
でも、私は、シュテファン様は苦手だなと思った。
テレーゼ様には邪気のない、爽やかで美しい微笑みを投げかけ優しく話すけれど、時折私に向ける目が、何かを探るようで怖い。
「お前の秘密を知ってるぞ」と言っているようで、落ち着かないのだ。
何を知っていて何を疑い、どう探っているのかはわからないけれど、素直に従弟の婚約者を見ている目には思えない。
私が、身代わりの偽者だと知っている? でも、お嬢さまと面識はなさそうだった。
ご本人も、一度会ってみたいという言い方だったし。
偶々、ハインスベルクに、叔母や従弟に会いに来ていただけで、叔父について来たと言っていたけれど、ここへ来るかどうかはわからないのに、何かを狙って来たとは思いたくない。
あの、意味ありげな視線の意味を知りたいけれど、知るのが怖い。
テオドールお兄さまの、最初の探るような目に近いけれど、あれよりも怖い。
「クリスとアンジュリーネ嬢は、とても仲がいいんだね」
シュテファン様の視線は、私の左手を握るクリスの手に注がれる。
「私よりも美少女だった」がツボに入ったらしいお兄さまに笑われたけれど、昔話を出した事でクリスの肩の力が抜けたのか、王都の街歩きのデートの時よりも態度が軟化している。
「シュテファンがアンジュを口説かないように見張ってるんだ。さっきのあれ、なんだよ」
「気を悪くしたかい? 本気で口説いたとか誘った訳じゃなくて、クリスの嫁になるのにどれくらい覚悟があるのかなとか、そんなに勉強して何になるつもりなのかなとか、色々訊いてみたかったというか、クリスが必死だからちょっと揶揄っただけなんだよ」
「タチ悪いぞ」
「ごめんごめん」
従兄弟同士でも、シュテファン様の方が圧倒的に上位の人なのに、人前でこの気安さは、本当に仲のいい、良い付き合いをしてきたんだろう。
「でも、ちゃんとアンジュリーネ嬢は断りを入れて、クリスを支えると言っただろう? 心配することないよ」
「⋯⋯こんな事を伺うのは失礼だとは思うのですけれど」
「可愛い従弟の婚約者だ、何でも訊いてくれていいよ」
嘘くさいという事はないけれど、どこか背が寒くなる笑顔に怯みそうになる。
「シュテファン様は、ご婚約はされていないのですか?」
貴族の婚姻関係の噂は素速くまわるものだけど、辺境伯の跡取りに婚約者が居るとは訊いたことがない。
「ああ。それがね、いないんだよ。自分で思うよりもモテないのかなぁ? ⋯⋯という軽口はおいといて、実は、騎士の鍛練とグランドツアーに時間を取られて、あまり社交をしてこなかったんだ。だから、今はお嫁さん募集中かな?」
グランドツアー!!
財産の有り余るような、大貴族や王族でなければやり遂げられない、世界の先進国や聖地をまわって、家庭教師を伴っての文化や芸術、政治や経済、歴史や考古学などを学ぶ、数ヶ月から数年に及ぶ大旅行。
中には女性修行を励む方もいらっしゃるとも聞く。件のルーゼンベルガー家のギュンター様などは、そのおかげで、恋の駆け引きや詩作などが上手く、工芸品や絵画などの芸術にも目が利いたという話だった。
シュテファン様がその手合いだとは思いたくないけれど。
という事は、シュテファン様が辺境伯を継がれるのはほぼ確定なのね。
国境を守るのも、外交をするのも、相手の国を知らねば始まらない。
「陸続きの国に行くときは、クリスも一緒に行ったんだよね」
「全部じゃないけどね。大学にも通ってなかったし」
話を聞いている間も、私の手を握るのは離さない。
温かいし、シュテファン様に見られている緊張感が、クリスの温もりでなんとなくほっとする。
「クリス、そんなに離れがたいか。正式に婚姻生活を始めるまでまだ1年近くあるぞ?」
「このまま連れて帰りたい⋯⋯」
公爵さまの苦笑しながらの言葉にクリスが小声でボソッと返し、どっとこの場の皆が笑う。私以外。
冗談じゃない。この国を離れたら、お嬢さまと入れ替われなくなる。
そうなったら、私は、いずれ身代わりがバレて、平民なのに貴族を詐称した罪人になってしまう。
クリスを微笑ましく見守るまわりの人達と私の心中の、その温度差は、とても笑えるものではなかった。
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