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ランドスケイプ侯爵家の人々と私

26.図書室と結婚したひと

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「お茶の時間も忘れて、集中して読んでいたのよ?」
「お母さま、その話はもう⋯⋯」
「そんなに面白かったのかね?」

 今夜はお父さまもご一緒に晩餐をいただく。

 お母さまは、昼食から先ほどまでお帰りになられたお父さまのお迎えにも出ずにひたすら図書室にこもっていた私の事を、お父さまに報告した。

「はい。「ニーベルンゲンの歌」を、近年出版されたものではなく、奥の書庫にあった写本で読ませていただきましたの。それにあわせて、古エッダやサガの本も。こちらには、古ノルド語の辞書もあって、本当に素晴らしい書庫ですわ」
「この子ったら、図書室に住みたいなんて言うのよ?」

 そこまで話さなくても⋯⋯

「辞書を何に使うのかね?」
「原書の翻訳です。書庫にあった古典文学の本には、原文のままの物もあったので、なんとか訳して、一ページ分溜まったら読み返す、をしておりましたので、時間があっという間に過ぎてしまって⋯⋯ お帰りのお迎えに出なくて申し訳ありませんでした」
「それは構わないが⋯⋯ その訳文は残してあるのか?」
「? はい、夜、もう一度読み返そうと思いまして、自室の文机の上にありますけれど」
「見せてみなさい」
「え?」

 なんのために?

「わたくしの見解が入っている訳でもなくただ訳しているだけで、見ても面白いものでは」
「いいから」

 私の後ろに控えていたエルマさんが、ドア近くの壁のメイドに目配せをする。
 メイドは一度ドアの外に出て、すぐに戻って来た。
 その後、数分して、私の部屋の掃除やベッドメイクをするメイドが、文机に置いておいた私の訳文を持って来た。

 お父さまはざっと目を通し、お母さまに手渡す。

「明日明後日は忙しいからすぐには無理だが、そうだな、週末がいいか。あまり雅やかでないドレスを着て、王城へ行く準備をしなさい」
「お父さま?」
「もっといい、叙事詩と歴史の写本と羊皮紙の備忘録などが納められている書庫がある」
「王立図書館ですか?」
「いや。王城の王族が暮らす奥宮に、王族しか入れない、貴重本や焚書、絶版された古典文学の初版などが納められている部屋があってね。一般人には知られてもいない場所なんだが、わたしは若い頃から出入りしていてね。管理官と顔見知りになって、わたしは王族でもないのに出入り自由なんだよ」
「いいのですか? そんなたいそうな秘密をお話になって」
「お前が言いふらしてまわるなら困った問題だな? だが。その部屋に入ってみたいと思わないかね?」
「思います!!」
「だったら、内緒で入るためには、秘密は守れるだろう?」
「はい。わたくしは、あまり人とはお目にかかりませんから、どなたにも漏らしたりしませんわ」

 歴史や叙事詩の写本や絶版された初版、焚書まで遺されている秘密の書庫!

「そこで読んだ本で得た知識のおかげで、わたしは王宮で地位を得てここまでになれたと言えるのだ。その知識は、お前の識りたい事にも活かせるだろう」

「あなた? そのお部屋、わたくしも連れて行ってもらえるのかしら?」

 子供のようなきらきらとした眼で、お母さまが訊ねる。
 お父さまは、喉を詰まらせるような顔をしたけれど、一呼吸置いて頷いた。

 

「わたくし、社交デビューしたばかりの頃に、お父さまに見初められてね? まったく知らない方からお誘いを受けても戸惑うばかりで、しばらくはお断りさせていただいてたのですけれど、こちらで夜会が催された時に伺って、あの図書室を見せていただいたの。それで、わたくし、つい、こちらで暮らしたいと言ってしまったの」

 お母さま? それ、お父さまとではなく図書室と結婚したって事?

「勿論、お父さまのお人柄に、今はちゃあんと愛し合ってましてよ?」
「ふふふ。お父さまが一目惚れだとお窺いしましたわ」

 家族のことを教えて貰うときお嬢さまは、女性に縁のなかったお父さまがお母さまに一目惚れして、猛アタックの末お母さまが根負けしたと言っていた。
 お父さまについては、殆ど教えてもらえなかったけれど。
 唯一話してくれたのが、公爵家の跡取りでずっと仕事に真面目に来て、偶々行った夜会でデビュタントだった十二歳も年下のお母さまに一目惚れして口説き落としたこと、仕事に真面目過ぎて、家族としての会話をしたことが殆どないのだということが一回だけ。

 でも、お嬢さまに謝る事も出来る、いいお父さまだと思うけど。
 お母さまのことも大切にされているみたいだし。

 今から、週末が楽しみだと、お母さまと微笑みあった。




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