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1 諦めた私
1‑4 運がよかった?
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🌌
殿下は照れたり恥ずかしがったりすることなく、自然な感じで私を引き寄せ、その密着度から私が恥ずかしがったり動揺するひまもなく、星空を見上げると、ゆっくりと浮き始めた。
「⋯⋯凄い。わたしを連れて、ふたり分の体重とバランスを支えられるなんて」
「君は、羽根のように軽いから問題ないよ。自分を支えるのと変わらないくらいの調整で済むように、非礼を承知で抱き寄せさせてもらってるのだし。有無を言わさず勝手に、済まないね?」
「いいえ。助けが来るなんて思ってなかったので、感謝してます」
「そう。じゃあこのまま役得させてもらうね」
役得。貧相な私なんかでは役得にはならないだろうに。呆れや笑いで私の緊張を解そうと、気をつかってくださっているのだろう。
あっという間に岸壁の裂け目から地上へ出た。
一晩ここで過ごさなくてはならないと諦めたところへの思わぬ救いの手に、縋りたい気持ちをグッと抑える。
それを見透かしたかのように、手を放されると思ったのに肩を抱いて背をさすり、慰めにかかる殿下。
「怖かっただろう。ひとりで心細かったろう。もう大丈夫だよ」
縋るのは堪えたけれど、殿下の優しい声に、涙がこぼれるのは耐えきれなかった。
せめて、声はあげないように嗚咽していると、後ろから躊躇いがちな声がかかる。
「ほ、本当に、人がいたんですね」
「ああ。報せてくれてありがとう。わたしの知り合いだ。助かったよ。まさか、こんな所に居るなんて誰も思わないからね」
麻地の貫頭衣と脹ら脛までの下衣姿の初老の男性が、殿下の背後でおろおろしている。
「⋯⋯どなた?」
「この辺に住む漁師だよ。夜釣りをする者の事故がないか見廻ったり、密猟者がいないか監視警戒の当番中に、この洞窟から何か音が響くと通報をしてくれてね。偶々、海岸警備隊の詰め所に来ていたので、わたしも様子を見について来たんだ」
「密猟者にしたら、足音や灯りなんかがおかしいし、まさか、一般人の事故だったとは」
青い警備隊の制服を着た男性が、こちらを伺っている。
詳細を訊きたいのだろうが、第二王子殿下が知り合いだと言ったことで、更にその私が泣き出してしまったので、ますます声をかけづらいのだろう。
「申し訳ありませんが、落ち着かれたら、一度、詰め所に来ていただいて調書を⋯⋯」
「わたしが後で提出するから、今日はこのまま帰宅させてやってくれないか? かなり消耗しているようだし。身元は判っているのだから、心配はないだろう?」
「ですが、規定では⋯⋯」
「せめて概要だけでも」
「事件性がないか確認だけでも」
殿下が私を気づかってくださるのは嬉しいけれど、警備隊隊員も困っている。
「あの、本当に、事故、というか、わたくしが不注意だったのです」
「どういうこと?」
涙を拭い、顔を上げてゆっくりと話し始める。
殿下が気遣わしげに覗き込むのが近くて赤面しそうなのを、必死に意識を警備隊の制服に集中することで誤魔化す。
「恥ずかしながら私事と言いますか、家族と行き違いをしまして、心を落ち着けるために、人気のないところを求めてこちらへ参りましたの」
「個人的事情ですな?」
「はい。青暗い海を見ていましたら、なんだか吸い込まれるような深い色だなぁと思っている内に、足を滑らしまして」
そう言うことにしておこう。そのつもりがなくてもふらっと飛び込みたくなるという名所らしいし。その方が面倒がなくていいだろう。
私の話を聞いて、崖の縁を見に行った隊員が声をあげる。
「こちらに、人が落ちたような真新しい靴跡があります! ここですかな?」
「はい。海に落ちた後、岸壁の裂け目に風穴?があって、よく覚えてないのですが、必死にそこへ上がりました。そのまま、しばらく眠ってしまって⋯⋯」
「あります。長年の波や風に浸食されて削られたような洞穴が。あの高さは、確かに引き潮でなければなかなか見えないものですな」
「運が良かったね。海面の高さが程よく風穴の入り口に届いて」
「干潮では届かず、満潮では海の中でしょう」
「え?」
「眠ってしまったというのが、干潮に向かう時間だったから、取り残されたとは言え助かったんだ。満潮に向かう時間なら、せっかく助かったのにまた、海水の中だ。しかも、風穴の中に海水が満たされて、酸素を確保できなかったかもしれない」
「そんな所まで、考えませんでした⋯⋯」
「うん。だから、運が良かった。本当に、よかった」
一度軽く抱き寄せられ、え? 今抱き締め⋯⋯? と目を白黒させる間に、さっと横抱きにされた。
「概要はわかったね? 調書は明日、ちゃんと書き直すから、このまま送っていくぞ?」
「は。夜道は危険です。護衛騎士だけでは心許ないでしょう、隊員を数名同行させます」
横抱きにされたまま、あっという間に街道へ続く道に停めてあった馬車に運ばれ、車中の人となった。
殿下は照れたり恥ずかしがったりすることなく、自然な感じで私を引き寄せ、その密着度から私が恥ずかしがったり動揺するひまもなく、星空を見上げると、ゆっくりと浮き始めた。
「⋯⋯凄い。わたしを連れて、ふたり分の体重とバランスを支えられるなんて」
「君は、羽根のように軽いから問題ないよ。自分を支えるのと変わらないくらいの調整で済むように、非礼を承知で抱き寄せさせてもらってるのだし。有無を言わさず勝手に、済まないね?」
「いいえ。助けが来るなんて思ってなかったので、感謝してます」
「そう。じゃあこのまま役得させてもらうね」
役得。貧相な私なんかでは役得にはならないだろうに。呆れや笑いで私の緊張を解そうと、気をつかってくださっているのだろう。
あっという間に岸壁の裂け目から地上へ出た。
一晩ここで過ごさなくてはならないと諦めたところへの思わぬ救いの手に、縋りたい気持ちをグッと抑える。
それを見透かしたかのように、手を放されると思ったのに肩を抱いて背をさすり、慰めにかかる殿下。
「怖かっただろう。ひとりで心細かったろう。もう大丈夫だよ」
縋るのは堪えたけれど、殿下の優しい声に、涙がこぼれるのは耐えきれなかった。
せめて、声はあげないように嗚咽していると、後ろから躊躇いがちな声がかかる。
「ほ、本当に、人がいたんですね」
「ああ。報せてくれてありがとう。わたしの知り合いだ。助かったよ。まさか、こんな所に居るなんて誰も思わないからね」
麻地の貫頭衣と脹ら脛までの下衣姿の初老の男性が、殿下の背後でおろおろしている。
「⋯⋯どなた?」
「この辺に住む漁師だよ。夜釣りをする者の事故がないか見廻ったり、密猟者がいないか監視警戒の当番中に、この洞窟から何か音が響くと通報をしてくれてね。偶々、海岸警備隊の詰め所に来ていたので、わたしも様子を見について来たんだ」
「密猟者にしたら、足音や灯りなんかがおかしいし、まさか、一般人の事故だったとは」
青い警備隊の制服を着た男性が、こちらを伺っている。
詳細を訊きたいのだろうが、第二王子殿下が知り合いだと言ったことで、更にその私が泣き出してしまったので、ますます声をかけづらいのだろう。
「申し訳ありませんが、落ち着かれたら、一度、詰め所に来ていただいて調書を⋯⋯」
「わたしが後で提出するから、今日はこのまま帰宅させてやってくれないか? かなり消耗しているようだし。身元は判っているのだから、心配はないだろう?」
「ですが、規定では⋯⋯」
「せめて概要だけでも」
「事件性がないか確認だけでも」
殿下が私を気づかってくださるのは嬉しいけれど、警備隊隊員も困っている。
「あの、本当に、事故、というか、わたくしが不注意だったのです」
「どういうこと?」
涙を拭い、顔を上げてゆっくりと話し始める。
殿下が気遣わしげに覗き込むのが近くて赤面しそうなのを、必死に意識を警備隊の制服に集中することで誤魔化す。
「恥ずかしながら私事と言いますか、家族と行き違いをしまして、心を落ち着けるために、人気のないところを求めてこちらへ参りましたの」
「個人的事情ですな?」
「はい。青暗い海を見ていましたら、なんだか吸い込まれるような深い色だなぁと思っている内に、足を滑らしまして」
そう言うことにしておこう。そのつもりがなくてもふらっと飛び込みたくなるという名所らしいし。その方が面倒がなくていいだろう。
私の話を聞いて、崖の縁を見に行った隊員が声をあげる。
「こちらに、人が落ちたような真新しい靴跡があります! ここですかな?」
「はい。海に落ちた後、岸壁の裂け目に風穴?があって、よく覚えてないのですが、必死にそこへ上がりました。そのまま、しばらく眠ってしまって⋯⋯」
「あります。長年の波や風に浸食されて削られたような洞穴が。あの高さは、確かに引き潮でなければなかなか見えないものですな」
「運が良かったね。海面の高さが程よく風穴の入り口に届いて」
「干潮では届かず、満潮では海の中でしょう」
「え?」
「眠ってしまったというのが、干潮に向かう時間だったから、取り残されたとは言え助かったんだ。満潮に向かう時間なら、せっかく助かったのにまた、海水の中だ。しかも、風穴の中に海水が満たされて、酸素を確保できなかったかもしれない」
「そんな所まで、考えませんでした⋯⋯」
「うん。だから、運が良かった。本当に、よかった」
一度軽く抱き寄せられ、え? 今抱き締め⋯⋯? と目を白黒させる間に、さっと横抱きにされた。
「概要はわかったね? 調書は明日、ちゃんと書き直すから、このまま送っていくぞ?」
「は。夜道は危険です。護衛騎士だけでは心許ないでしょう、隊員を数名同行させます」
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