15 / 33
私の愛する勇者様
九
しおりを挟む
諦念で立ち上がることも忘れているとまた長い腕に抱き上げられた。
もはや抵抗する気力もなく身を任せているうちに私の部屋へ運ばれ、既に中で待っていたアレクシアさんに引き渡すようにソファへ降ろされる。
「良い夢を」
その一言を残して彼は部屋から出ていった。その姿を目で追う気にもなれない。
「おかえりなさいませ、クロエ様」
「……アレクシアさん」
彼女には悪いことをした。毎朝毎朝選んでくれるドレスを汚して、彼女が解雇されたって仕方がないような理由を作ってしまった。
今この場にいるということはそうはならなかったらしいが、それでも罪悪感は拭えない。彼女には何もされていないどころか、誰よりも私を気遣ってくれていたのに。
「ご無事で何よりでございます。……本当に……」
私の前に屈んだ彼女に手を取られ、真っ直ぐに瞳を見つめられる。慈愛に満ちたその色、ひそめた眉。
伝わってくる体温にどうしようもなく涙が溢れてきた。誰かに縋りたい気持ちでいっぱいだった。
私の胸を見透かしたように腕を広げる彼女に抱きついた。子どものように泣きながら誰かに抱きしめられるなんて何年ぶりだろう。
初めてこの城に来てからずっと心細さと先の見えない不安が重くのしかかっていてもう限界だ。何も知らない男に娶られて、好きに外へ出ることもできなくて、死ぬような思いもして。
伯爵夫人なんて立場、望んだこともない。あの教会の人々に恩を返すこと、愛する人と二人だけでちっぽけな幸せを共有するような人生を送ることだけを夢見ていたのに。こんな城も、豪奢な指輪もドレスも、何もいらなかったのに。
どれほど泣いていただろうか。優しく背中をさすり続けてくれたアレクシアさんから離れて顔を拭われ、ずり落ちたソファに座り直させられたころには頭ががんがんと痛むほどだった。どこかすっきりしたようなしてないような妙な気持ちがある。
「こちらをどうぞ。甘くて美味しいですよ」
温かいカップの中身は深いブラウンの液体に満たされている。一度も見たことのないものだが、躊躇いつつ口に含んでみると優しい甘さが広がって体を温めてくれた。微かにミルクの味も感じる。
夢中になってあっという間に飲み干してしまった私を見て、彼女は安心したように笑みを零した。
「お気に召したようで何よりです。チョコレートというもので、旦那様もお気に入りなのですよ」
「……あの人が……?」
「あのように険しい顔をしていらっしゃいますが、甘味がお好きで。果物もよく所望されますね」
チョコレート。名前は聞いたことがあったが口にするのは初めてだ。そもそも教会では甘味といったら蜂蜜を入れたミルクや果物くらいで、そんなに高価なものに触れる機会などなかった。
確かに伯爵ともなればお気に入りになるほど何度も仕入れることもできるだろうが、あの男がこんなに甘いものを好んでいるという情報はどうしてもあの冷酷な表情と繋がらない。
もはや抵抗する気力もなく身を任せているうちに私の部屋へ運ばれ、既に中で待っていたアレクシアさんに引き渡すようにソファへ降ろされる。
「良い夢を」
その一言を残して彼は部屋から出ていった。その姿を目で追う気にもなれない。
「おかえりなさいませ、クロエ様」
「……アレクシアさん」
彼女には悪いことをした。毎朝毎朝選んでくれるドレスを汚して、彼女が解雇されたって仕方がないような理由を作ってしまった。
今この場にいるということはそうはならなかったらしいが、それでも罪悪感は拭えない。彼女には何もされていないどころか、誰よりも私を気遣ってくれていたのに。
「ご無事で何よりでございます。……本当に……」
私の前に屈んだ彼女に手を取られ、真っ直ぐに瞳を見つめられる。慈愛に満ちたその色、ひそめた眉。
伝わってくる体温にどうしようもなく涙が溢れてきた。誰かに縋りたい気持ちでいっぱいだった。
私の胸を見透かしたように腕を広げる彼女に抱きついた。子どものように泣きながら誰かに抱きしめられるなんて何年ぶりだろう。
初めてこの城に来てからずっと心細さと先の見えない不安が重くのしかかっていてもう限界だ。何も知らない男に娶られて、好きに外へ出ることもできなくて、死ぬような思いもして。
伯爵夫人なんて立場、望んだこともない。あの教会の人々に恩を返すこと、愛する人と二人だけでちっぽけな幸せを共有するような人生を送ることだけを夢見ていたのに。こんな城も、豪奢な指輪もドレスも、何もいらなかったのに。
どれほど泣いていただろうか。優しく背中をさすり続けてくれたアレクシアさんから離れて顔を拭われ、ずり落ちたソファに座り直させられたころには頭ががんがんと痛むほどだった。どこかすっきりしたようなしてないような妙な気持ちがある。
「こちらをどうぞ。甘くて美味しいですよ」
温かいカップの中身は深いブラウンの液体に満たされている。一度も見たことのないものだが、躊躇いつつ口に含んでみると優しい甘さが広がって体を温めてくれた。微かにミルクの味も感じる。
夢中になってあっという間に飲み干してしまった私を見て、彼女は安心したように笑みを零した。
「お気に召したようで何よりです。チョコレートというもので、旦那様もお気に入りなのですよ」
「……あの人が……?」
「あのように険しい顔をしていらっしゃいますが、甘味がお好きで。果物もよく所望されますね」
チョコレート。名前は聞いたことがあったが口にするのは初めてだ。そもそも教会では甘味といったら蜂蜜を入れたミルクや果物くらいで、そんなに高価なものに触れる機会などなかった。
確かに伯爵ともなればお気に入りになるほど何度も仕入れることもできるだろうが、あの男がこんなに甘いものを好んでいるという情報はどうしてもあの冷酷な表情と繋がらない。
10
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
(R18)灰かぶり姫の公爵夫人の華麗なる変身
青空一夏
恋愛
Hotランキング16位までいった作品です。
レイラは灰色の髪と目の痩せぎすな背ばかり高い少女だった。
13歳になった日に、レイモンド公爵から突然、プロポーズされた。
その理由は奇妙なものだった。
幼い頃に飼っていたシャム猫に似ているから‥‥
レイラは社交界でもばかにされ、不釣り合いだと噂された。
せめて、旦那様に人間としてみてほしい!
レイラは隣国にある寄宿舎付きの貴族学校に留学し、洗練された淑女を目指すのだった。
☆マーク性描写あり、苦手な方はとばしてくださいませ。
今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
女性が全く生まれない世界とか嘘ですよね?
青海 兎稀
恋愛
ただの一般人である主人公・ユヅキは、知らぬうちに全く知らない街の中にいた。ここがどこだかも分からず、ただ当てもなく歩いていた時、誰かにぶつかってしまい、そのまま意識を失う。
そして、意識を取り戻し、助けてくれたイケメンにこの世界には全く女性がいないことを知らされる。
そんなユヅキの逆ハーレムのお話。
異世界の美醜と私の認識について
佐藤 ちな
恋愛
ある日気づくと、美玲は異世界に落ちた。
そこまでならラノベなら良くある話だが、更にその世界は女性が少ない上に、美醜感覚が美玲とは激しく異なるという不思議な世界だった。
そんな世界で稀人として特別扱いされる醜女(この世界では超美人)の美玲と、咎人として忌み嫌われる醜男(美玲がいた世界では超美青年)のルークが出会う。
不遇の扱いを受けるルークを、幸せにしてあげたい!そして出来ることなら、私も幸せに!
美醜逆転・一妻多夫の異世界で、美玲の迷走が始まる。
* 話の展開に伴い、あらすじを変更させて頂きました。
転生したらただの女子生徒Aでしたが、何故か攻略対象の王子様から溺愛されています
平山和人
恋愛
平凡なOLの私はある日、事故にあって死んでしまいました。目が覚めるとそこは知らない天井、どうやら私は転生したみたいです。
生前そういう小説を読みまくっていたので、悪役令嬢に転生したと思いましたが、実際はストーリーに関わらないただの女子生徒Aでした。
絶望した私は地味に生きることを決意しましたが、なぜか攻略対象の王子様や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛される羽目に。
しかも、私が聖女であることも判明し、国を揺るがす一大事に。果たして、私はモブらしく地味に生きていけるのでしょうか!?
ブラック企業を退職したら、極上マッサージに蕩ける日々が待ってました。
イセヤ レキ
恋愛
ブラック企業に勤める赤羽(あかばね)陽葵(ひまり)は、ある夜、退職を決意する。
きっかけは、雑居ビルのとあるマッサージ店。
そのマッサージ店の恰幅が良く朗らかな女性オーナーに新たな職場を紹介されるが、そこには無口で無表情な男の店長がいて……?
※ストーリー構成上、導入部だけシリアスです。
※他サイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる