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vs幻影

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 オレは、波の音を聞いていた。
 生まれ育った帝国南部ピエンテクの浜辺で、激しく逆巻き荒れ狂う怒涛を。親父を殺し、兄貴を奪った海が。ずっと憎くて堪らなかった。漁師になるのも止めて、帝都に出た。母親と妹を食わせるため、というのは言い訳だ。オレは、海のない場所まで逃げたかっただけだ。
 手に職もない田舎出の馬鹿が上手くいくわけもなく。食い詰めて戦奴に落ちたが、不思議なことに、それが天職とわかった。

 勝負に勝っても負けても。相手は潰す。対戦者やその後援者パトロンたちからは“野獣”と恐れられ、忌み嫌われた。恐怖と嫌悪で身を守り、勝っては自分の後援者を稼がせる。そうして地下闘技場で、のし上がると決めた。どれだけ罵られようと。蔑まれようと。カネのためならなんだってやる。
 生き残ればオレの勝ちだ。

「……ーサーン! ……サーン!」

 ぼんやりした白い光が、オレの目の前に広がってゆく。波の音が、さらに大きくなった。

 なんだ、これは。どうなってる。オレは、いったい……。

「「オーサーン! オーサーン‼」」

 いきなり視界が開ける。自分が、闘技場の真ん中に倒れていることに気付く。周囲から降り注ぐのは、嵐の海に似た大歓声。
 ? 誰にだ。まさか、このオレにか? 潰し屋の。野獣の。血も涙もないケダモノの守銭奴にか?

「「「オーサーン‼ オーサーン‼」」

 そうだ。試合だ。オレは、戦っていたはず。中央闘技場の、薄気味悪いチビと。
 あれを潰せば、デカい報奨金が入る。当然、負ける気などない。裏から手を回して賭け札も買った。もし負ければ、ひと財産が吹っ飛ぶ。

 どこだ。あのチビは。目で追うと、なぜか手を叩き観客を扇動しているのが見えた。なにをしているんだ、あいつは。
 チビが“もっと”と手を振り上げるたび、観客席の歓声は大きくなる。

「「「オーサーン‼ オーサーン‼」」

 うねりが高まり、暴れる。波が、寄せては返すように。ひとの思惑や命など一顧だにせず、無慈悲に押し流していくかのように。
 オレは必死に、立ち上がろうともがく。なんとか膝立ちになった瞬間、観客席がビリビリと震えた。

「「「おおおおおおおおおおぉ……ッ‼」」」

 そうだ。オレは勝つ。あんなチビごときに、舐められるわけにはいかない。
 まとわりついてきた審判員を払い除けて、オレは立ち上がる。

「「「オーサーン‼ オーサーン‼」」

 チビが俺に向き直る。真剣な表情だが、落ち着いた眼をしている。まだほんのガキだと、軽く見ていたのを考え直す。

 こいつは敵だ。野獣を狩る、猟師だ。

 もう手も気も抜かない。全力で当たる。すぐに仕留めてみせる。
 頭を打ったようだが、手足は動く。直前の記憶は朧げだが、いまは意識もはっきりしている。決着がついてないなら。過去など、どうでもいい。
 オレは呼吸を整え、腰を落として構える。

「ここからだ」

◇ ◇

 こちらが踏み込んだ瞬間、チビは大きく両手を広げた。馬鹿が。体格の差を考えていない。
 正面から渾身の力でぶつかる。がっちりと土に打ち込まれた杭にでもあたったような感触。わずかに押し込んだところで止められる。なぜか、これが初めてではないような感覚があった。

「はッ!」
「しゃあぁッ!」

 組み打ちに優位な体勢を狙って、オレとチビはつかみ合いに入る。身体をひねり、回しながら位置と姿勢がくるくると入れ替わる。よほど慣れているのか、目で追うだけで精いっぱいだ。膂力でなら負けんが、不思議と力が流される。押す力も、引く力も、潰そうとする体重もだ。
 チビは背後に回るのが上手い。首を絞め、手首や腕を逆に取ろうとしてくる。
 鬱陶しくなって蹴り飛ばそうとした足が捉えられ、巻き込むように放り投げられる。なんだ、これは。見たことのない技だ。
 転がって立ち上がった俺を見据えて、チビは距離を取ったまま動かない。警戒しているというよりも、監視しているような目だ。なぜか、こちらを心配しているようにも見える。
 気味が悪い。オレの考えを。行動を。繰り出す技や意図を読み取られているような。底知れない不気味さがある。

「しゃッ!」

 左手で横殴りの拳を叩き込む。逃げられるのはわかっている。その方向も読めている。背中側に回転しながら、右拳の外側をチビの頭に叩き付ける。見えない角度から飛んでくる高速の追撃を、逃れた者はいない。初見の相手には、外れることのない必殺の一撃。
 それが、呆気なく空を切る。

「……っげーなオイ! バックハンドブローかよ!」

 頭を振って逃れたチビは、ワケのわからない言葉を使って笑う。バカにしているんじゃない。感心している。本気で喜んでいる。
 なんだ。なんなんだ。こいつは。

「いいぞ。すごく良い。こんな逸材が、まだ見ぬ原石が眠っていたとはな!」

 嬉しそうに言うと、チビは大振りの拳をぶつけてきた。オレの真似だろうが避けるまでもない。ガッチリと構えれば防ぐのも容易い。鋭く回転した身体はオレの腕に二度三度と拳を打ち当てた後で、消えた。

「!?」

 視界の外に影が差して、咄嗟に飛び退すさる。ブンッと風を切る音がして、鞭のような足蹴りが髪を掠めた。

「ッし、いいぞ!」

 笑い声とともに振り抜かれる蹴りの連打。反撃の機会を待つが、止まらない。避けても、躱しても、腕で受け止めても。極小の嵐のようなチビの攻撃は、息つく暇もなく襲い掛かってくる。

「ちッ!」

 両手で突き飛ばして、無理やりに距離を取る。懐に入り込まれては手が出せず、チビのやりたい放題だ。反撃に入ろうとして、わずかな違和感に気付く。
 おかしい。

「はッ!」

 唸りを上げる拳と、突き抜ける衝撃。相打ちを察して追撃を喰らわすが、避ける動作と同時に足払いで姿勢を崩される。そのまま腕を捻り肘を固めに来るが、あえて抵抗せず身体を回転させて床に叩き付ける。
 相手は直前に手を放し、逃げられてしまった。同時に立ち上がると観客席から大喝采が沸き起こる。

「やるな」
「貴様こそッ!」

 力と力がせめぎ合い、ギリギリの駆け引きに神経が研ぎ澄まされてゆく。
 どんな技を繰り出しても、どんな力で押し込んでいっても。受け止めて、受け流し、引き込んで、返してくる。痛みも苦しみも、いつもよりずっとキツい、はずなのに。
 不思議なことに、それが嫌ではない。もっともっとと、胸の奥で気持ちが逸る。

 高鳴る鼓動と、息遣い。こちらの動きを読んで、即座に返ってくる反応。それは強すぎず弱すぎず、最適な角度で叩き込まれ、観客から最高の盛り上がりを呼ぶ。

 わからない。なんだこれは。オレは、こんな戦いを知らない。

 対戦者が、オレの力に応える。観客が、オレたちの戦いに歓喜の声を上げる。力の限りに戦っているのに。これは潰し合いでも、殺し合いでもない。もっと別の、何かだ。互いの力で何かを積み上げ、価値ある何かを作り上げているような。誰も見たことのない偉業を成し遂げているような。

 拳が叩き込まれ、骨が軋む。振り抜いた蹴りが肉を震わせる。汗が飛沫となって飛び散る。興奮した観客の怒号と足踏みが、巨大な闘技場に響き渡る。

 どうかしてる。なぜなら、オレは。この戦いで、いま。

「おおおおおおぉ……ッ‼」

 身も心も、喜びに震わせているのだから。
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