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vs騎士崩れの傭兵部隊
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物置小屋で何やら荷物をまとめてきたネリスが、それを袋に詰めて背中に回す。
「いつでも行けるよ。皆は?」
彼女と俺の前に、スラムの男たちが10人ばかり集まっていた。これがバークスデールのいう自警団なのだろう。だが戦意に溢れているの数人の獣人族だけで、残る大多数は困惑を隠せず、周囲の反応を覗って目が泳いでいる。
「ホロマンの連中をぶっ飛ばすって、この人数でか?」
「スラムに人狩りを入れるときは事前に通告、事後に結果報告があるはずよね? それですらいけ好かないのに、今回のは明らかに向こうの一方的な宣戦布告ってことじゃない。違う?」
「そ、それは、そうだが……」
「そもそもバークスデールの娘を拐かそうとした時点で、俺たちに喧嘩を売ってるのは明白だ。ここで黙ってたんじゃ、勝手な真似を黙認するようなもんだぜ」
「あいつら、子供ばっかり集めてたんだろ? スラムのガキどもだって、いつ狙われるかわからねえってことじゃねえか」
ネリスが捕まった後、連行されたホロマンの倉庫には他にも十数人の少年少女が監禁されていたらしい。彼女は自分が逃げ出すとき彼らも一緒に逃がそうとしたのだが、頑なに拒まれて断念したそうだ。よくわからん。
「拒まれたって、何で?」
「さあ。逃げたら何かされると思ったんじゃないのかな」
「くそッ、ホロマンの野郎、許せんな」
ネリスの言葉に憤っているのは、人狼の兄弟でオファットとマイノット。毛が銀色で右腕に鉤爪を付けているのがオファット。自警団員でも好戦的なふたりだ。毛が金色で左腕に鉤爪を付けているのがマイノット。獣人族の年齢などよくわからないが、口調や身なりからして20歳そこそこといった印象だ。笑みを浮かべるたび、唇の端から尖った長い牙が覗く。正直、ちょっと怖い。
ネリスの父バークスデールも自分でいった通り監視に付いてきてはいるが、なんとなく煮え切らない態度なのが気になる。
「どうかしました?」
「……なんでもない」
「来て、タイト。壁を越えた先がホロマンの敷地だよ」
スラムとの境界線には城壁がある。というよりも、城壁の崩れた一角を街との接点として壁外に広がった貧民居住区がスラムだった。そこの住人達は市民税(年に銀貨一枚、貨幣価値はイマイチわからんが世間話からの概算でおよそ一万円といったところか)が払えないため、城内で暮らす権利がないのだ。
このラックランド交易市は元々王城があった場所で、遷都により遺棄された後、新たに移転・流入した住民たちが暮らしている。中心部の王宮敷地跡を領主たち上級貴族が使用し、周辺の貴族街はそのまま、移転してきた没落貴族が住み着き、平民街は残った者たちと流入してきた者たちが混じり合い、いくぶん品格と生活レベルを落としながらも城塞時代と変わらず――というよりもむしろ活気を増して――巨大な商業区として維持されている。
ホロマン商会は流入してきた平民のなかでも際立って力を付けてきたグループのひとつ。
元軍人という噂の会頭ホロマンの手腕によって良くも悪くも目立った存在になっている。平民街の外延部に位置する巨大な商館は、元々外壁を守る下級兵士の詰め所だった場所だ。
金がなかったのか利便性から通行可能にしたかったのか、壁の崩落部分は修復されず鉄柱で組まれた扉で塞がれている。当然施錠されていて、隙間からは立哨する男たちの影が見えていた。
「どうするつもりだ? 生半可な腕じゃ商館に忍び込むどころか城内に入ることさえ……って、おい」
垂直の石壁をスルスルと登って行ったネリスが、銃眼のような開口部の枠にロープを固定して落とす。身振りで上がってくるように伝えると本人は壁のなかに消えた。
「ちょ、ネリス待ッ……」
「俺が行きますよ。バークスデールさん、あんたはお仲間たちと下で援護を頼みます」
「たった二人でか!?」
「大丈夫です。そんなに柔じゃない」
「お前のことをいってんじゃねえ、俺は娘が……」
「知ってますけどね。心配するならハナから止めてくださいよ」
何やら唸る獅子親父を無視して俺はロープを登る。前世より体重が軽い分、こういう動きは楽だ。この子供の身体は筋肉の量こそそう多くないが、最初の印象よりもよく鍛えられているのがわかった。165センチ50キロってところか。レスラーとしてなら軽量級でも物足りないが、技と速度を重視するなら何とか戦えるだろう。
壁の銃眼から潜り込むと、城壁上の通路に出た。5メートルほどしか離れていない倉庫のような建物の上で、ネリスが手を振っている。城壁と倉庫の間に渡されているのは登ってきたのと同じロープだけ。暗くて確認できないが、手を滑らせたら10メートルほど下にあるはずの地面まで真っ逆さまだ。ライオンの娘なのに、その身軽さは完全に猫だ。
「早く」
身振りと囁き声で催促され、覚悟を決めてロープを渡る。屋根の端まで辿り着いたとき、ネリスの姿はまた消えていた。
「こっち」
軒下にある明り取りの窓から、突き出されたネリスの手がひらひらと動いている。無理目な懸垂姿勢からなんとか窓枠に身体を押し込み、足場を確保すると暗闇に目を慣らす。
そこは外見通り、倉庫のようなだだっ広い空間だった。簡素なベッドが等間隔で二重ほど並べられ、子供と思しき人影が静かに寝息を立てている。色彩も装飾も全くないそれは、まるで軍隊の宿舎のようだ。
梁の上でネリスが俺に合図を送っていた。入口の脇に見張りらしき男たちが二人いる。ひとりは立って煙草を吸い、ひとりは椅子で居眠りをしていた。
「ひゅ」
何かブツブツ呟いていたネリスの手元からおかしな音がしたかと思うと、立っていた男の背にツララのようなものが刺さる。振り返って叫び声を上げようとした彼の顎を、俺が飛び降りざま爪先で蹴り上げた。
「おい、何だいまの」
「しッ、いいから早く!」
眠り込んでいた男が異変に気付く前に、俺が後ろから頸動脈を締め上げて失神させた。そのまま外に出ると、向かいにも同じような倉庫がもうひとつあった。そこにも二人の見張りがいるが、談笑したままこちらに気付く気配もない。
腰を落とした姿勢で物影を縫って接近し、ひとりずつ殴りつけて意識と武器を奪う。
最後にネリスが向かったのは、スラムとの境界にある城壁の扉。こちらの見張りは明らかに他より弱そうな若手3人組だった。気絶させるほどの脅威とは思わなかったのか、倉庫の見張り番から奪った剣を両手に持ったネリスが忍び寄ってホールドアップさせた。俺に縛り上げさせている間、鉄扉を解錠してバークスデールたちを導き入れる。
壁を登ってから5分と掛っていない。
「他の見張りは」
「倉庫に4人。もう縛ってある」
「早いな。それにこのロープ、どんだけ用意が良いんだ」
「事前の準備が戦の結果を決めるって、お父さんの口癖でしょ」
「……むぅ」
縛り上げた男たちを倉庫内に積まれた木箱の陰に隠し、ネリスは外に出て煌々と灯りの点いた建物の方に向かう。フェンスに囲まれた商会の敷地内で、ひとつだけ立派な建物。ネリスによると、そこが彼女の連れ込まれたホロマンの商館らしい。ここに来てまた怖気づいたのか、棍棒を手にしたスラムの男がネリスを呼び止める。獣の要素がない普通の人間で、30を越えてはいないようだが、身体は細く、背も低い。
「なあおい、本当に奴らと事を構えるつもりか? 子供たちを助けるだけで良いんじゃないのか」
「そうはいかないわチューレ。あいつら全員に、あたしがされたのと同じ目に遭わせてやらなきゃ気が済まないもの。端から並べて裸に剥いて水桶に逆さ吊りにして……」
……趣旨が変わっているような気がする。
男の反応を気にも留めず、ネリスは遮蔽物を縫って商館に走り出した。俺の後ろでバークスデールが押し殺したような唸り声を上げる。
「おい、遊びはここまでだ。商館前のは単なる見張りじゃない。あいつらは、傭兵だ。尻尾巻いて逃げ出すなら今のうちだぞ」
「あ?」
「いよいよ娘が危なくなれば、俺が手を貸してやる。だが、その時点でお前を一人前とは認めない」
「認めなくていいから止めろよ、危ないだろうが!」
勝手な物言いにムッとした俺は、思わず口調が素に戻る。
「絶対に止めるなといったのは娘だ。自分たちには、お前のファイアボールがあるからとな」
「ん? ……ある、って何の話だ?」
「自分には魔導師の資質があると、娘に打ち明けたのだろう? あいつも攻撃魔導は使えるが、魔導師だった祖母からわずかに引き継いだ才と、見様見真似の技術だけ。魔圧は弱く、魔力量も低い。牽制にしか使えない玩具程度の氷柱を撃ち出すしか出来ん。それも、せいぜい10本も撃てば種切れだ」
「……もしかして、それ……」
「お前の攻撃魔導がどれほどの物か知らんが、娘はそれに全幅の信頼を置いているようだな。自分が正面から牽制するというが、その後のことなど考えてはいないだろう」
待て。待て待て待て。
あの猫娘は確かに氷柱と名乗ってはいたが、それは二つ名ではなく攻撃魔導とやらのスキルのことか!?
しかもそれ、見張りを怒らせるくらいしか出来なかったじゃねえか!
「ここから先は、お前次第だ。何があっても娘は守るが、全員を救う程の義理も能力もない。ましてスラムの連中などお前が劣勢となれば一気に引くぞ」
「そんなもんだ。客なんて、飽きさせたらすぐに手ぇ引いちまう」
「なに?」
「当たり前だろ。安くない金払って、忙しい時間を割いてさ、それでもこいつなら楽しませてくれるはずだって思って会場に足運んでくれてるんだ。それに応える気がなきゃ、こんな商売辞めちまえってな」
「おい、何の話をしている!?」
束の間“あの頃の自分”に戻っていた俺は、この世界の現実に戻る。怪訝そうな表情のバークスデールに、曖昧な笑みを浮かべて肩を竦める。
「わかってるって、いっただけさ」
「……」
「きゃああーッ!」
ドカンと鳴り響いた爆発音の後、木箱の残骸とともにネリスが転がるのが見えた。
「いまのは?」
「ホロマンの傭兵は騎士崩れだ。少なくとも半分は攻撃魔導を使える。残りの半分も、身体強化魔導は身に着けてると考えた方がいい」
「冗談じゃねえぞ。そういうことは早くいえ……!」
迷う間もなく、俺は全力で彼女のところに駆け出す。自分でも救いようのない馬鹿だとわかってはいた。それでも見殺しにするという選択肢はない。
前世の俺も、女に弱かったのだ。気の強い女が好きで、何度も痛い目に遭ったのに。ここでもあんな小娘相手に良い様に使われているあたり、生まれ変わっても変えられない性分なのかもしれない。
商館の入口から、6~7人の屈強な男たちがワラワラと湧き出てくるのが見えた。
――あれが、傭兵か。
騎士崩れとはいえ、さすがに甲冑を着込んではいない。ポケット付きの柔道着といった体の動きやすそうな服に、装備は片手剣と揃いのバンダナ。乱戦での識別用か斬撃対策の鉢金か、額に金属の輝きがある。散開して周囲を警戒する動きで、戦い慣れしていることは明らかだ。
ネリスに駆け寄って掬い上げ、包囲される前にお姫様だっこでバークスデールたちの隠れていた物陰まで運ぶ。見たところ怪我は無さそうだが、爆発の反動で目を回している。
「……ふにゃ」
「おい寝るなネリス、返事をしろ」
「……ごめん、らめだった。……フリーズもると、刺さんなくて、すぐ応援呼ばれちゃって……」
「ひとりで突っ込むからだ。連携を取れなきゃチームとして戦えないだろうが!」
「チーム?」
「仲間ってことだよ」
淀んでいたネリスの目に光が戻る。ぱあッと満面の笑みが広がる。
「なに笑ってる」
「……なか、ま」
ここを動くなといい聞かせて、俺は傭兵たちの一団に向き直る。まだ発見されてはいないが、捜索を始めれば見つかるのも時間の問題だ。
「まずい、あれを見ろ」
人狼兄弟の指す先、商館のテラスで魔導師らしき一団が光の球を抱え込んでいるのが見えた。発光弾でも撃ち上げようとしているのだろう。広いといっても50メートル四方の平地だ。暗闇の加護を失えば、スラムの連中はケーキの上のゴキブリのように目立つ。
茂みを突っ切り垣根を飛び越え、俺は商館の外階段を駆け上がる。踊り場で警戒していた傭兵のひとりに飛びついて締め落とす。戦争のプロ集団を相手に、正面から当たるほど馬鹿ではない、が。
外階段から踏み込んだ館内の廊下で、もうひとりの傭兵と真正面から向き合うことになった。応援に出ようとしていたのか、腰の剣に手を掛けている。距離は5メートルもない。逃げるのは無理だ。
「ここに賊が……!」
仲間を呼ぼうとした傭兵に突っ込む。抜こうとした剣の柄をフロントキックで押し戻し、そこを踏み台にして顎をカチ上げた。
「…ぃグゥッ!?」
膝から崩れ落ちた相手は土下座姿勢でうずくまったまま動かなくなる。
会心のジャンピングニーだったが、喜んでいる場合ではない。テラスから漏れる光がどんどん大きくなっている。廊下の奥に開いた窓の外、手すりから身を乗り出すようにして呪文を唱える3人の背中が見えた。
何これ。完全に振りだよな。
「満ちたる天上の光よ、いまこそ闇を照ら……」
「……照らしちゃう?」
「なッ……!?」
振り返った男たちは反射的な動きなのか、大事な物でも守ろうとするかのように身を寄せ合って光の球を懐に抱え込む。団子になった男たちの芯を撃ち抜くように、俺は走り込んでいった勢いのまま宙を舞い、ギュッと溜めていた全身のバネを衝突寸前で一気に……
解放する!
ドロップキック。素人でも子供でも誰でもすぐ簡単に出来ると思われている技のひとつ。確かに半分は事実だが、これほど素養と身体能力が如実に表れる技もない。こいつで客を沸かせる奴は本物だと、古参の鬼コーチからは何度も教えられた。天を舞うか浮かぶだけか。それともみっともなくぶつかるだけの出来損ないか。
歓声が聞こえた。場違いなスポットライトが俺を照らし出す。ヘッドスプリングで飛び起きたテラスの上。目を丸くして口を開いた傭兵と自警団の連中が、浮かぶ光弾を背に両手を突き上げる俺を見つめていた。
「おいッ、何をしている! 早く捕まえろ! 何なんだあのガキは!?」
最初に硬直が解けたのは傭兵のリーダーらしき男。そいつだけバンダナに羽飾りが付いている。周囲の部下たちを叱責して、正面玄関から商館内に戻ろうと走り出す。
魔導師の3人組は手すりを突き破って転落し、地べたに転がって呻いている。彼らの意識が途絶えたせいか、俺の周りに浮かんでいた光弾が揺らぎ、フッと瞬いて消えた。
迫るおかしな気配に倒れ込むと、俺が立っていた場所に矢が突き刺さる。傭兵のなかに弓使いがいたようだ。いまさらながらそれに気付いた俺は、転がりながら追撃を逃れる。
館内に入ると玄関のある左手から足音。外階段のある右手からも怒号が響いた。挟み撃ちに遭うならとテラスに戻り、壊れた手すりの残骸を踏み台にして飛び上がり、窓枠を伝って上階に登る。尻を掠めるように矢が飛んでくるが、テラスに出た仲間への誤射を避けるためそれもすぐ止む。
「上だ!」
階下の声に応えるように、スルスルと登った先で窓が開き、ひょいと顔を出した俺目がけて手槍が突き出される。
「タイト危ない!!」
首を振って危うく逃れる。傭兵が突き出した勢いのまま、柄をつかんで引っ張ると相手は甲高い悲鳴を上げ、もんどり打って階下へと落下していった。
館内に戻ってきた傭兵は3人いた。これで残りは、2人。増援がいないことを祈るしかない。眼下で人狼兄弟が傭兵ふたりと打ち合っているのが見える。自警団も少しは戦ってくれているようだが、バークスデールは未だ静観の構え。悠長ですな。
窓から館内に転がり込むと、すぐにドタドタいう足音が響いてきた。目の前を通過しようとする傭兵に足を掛け、倒れたところで下半身を固定したまま圧し掛かって首を締め上げる。ゴボゴボと喉が鳴って逃れようともがくが、頚動脈が極まったせいですぐに意識を失う。
あとひとり、ではあるのだが……
地響きとともに床が揺れた。まっすぐ伸びた廊下の先、猛牛のような巨漢が待ち構えていた。羽飾りの男。傭兵たちのリーダーだ。いままで遠目にしか見ていなかったが、向き合うと驚くほどデカい。レスラーでも数少ない、2メートル越えのスーパーヘビー級だ。獣人ではないようだが、身体強化魔導とやらによるものか身のこなしに鈍重さは微塵もない。
「舐めた真似を、してくれたな」
バークスデールに勝るとも劣らない覇気と殺気。
いや、現役を退いたらしい獅子頭よりも戦闘能力は上だろう。あっという間に距離を詰め、ナイフでも扱うように片手剣が高速で振り回される。素手の俺は下がるしかなく、かわしながらの防戦一方だが、的が小さすぎるのか弄んでいるのか、相手の攻撃は身体の芯を捉えられてはいない。
だがそれも、時間の問題でしかない。
俺は逃げ場を探して視線を彷徨わせる。剣を構えた男の横、窓を突き破って氷の矢が壁に突き刺さる。文字通りの“牽制にしか使えない玩具程度の氷柱”は男に何の反応ももたらさなかった。
「タイト、逃げて!」
外から響く悲鳴のようなネリスの声に、男の目がわずかに動いた。
「あの無能どもが攫ったというバークスデールの小娘か。それがこの襲撃の理由だと?」
「……まあね」
「お前は、あの娘の何だ。身を汚された女のために、命懸けで報復に来るとは……」
「そんなんじゃねえよ。第一、あいつは汚されたりしてねえ。俺が、助けたからな。ここまで来たのも、いってみりゃ単なる義理みてえなもんだ」
男の顔に笑みが広がる。理由はわからないが、何かこの男にとって面白いことでもあったらしい。
「元王国騎士団長、シュパングダーレム」
「……ヒューガ・タイト。格闘家だ」
通じないかと思ったが、シュパングダーレムは笑みを消し、剣を床に突き立てた。
「良かろう。貴様のいう義理とやらを、見せてもらおう」
踏み込みは軽かったが、振り出された前拳は驚くほどの風圧で俺の頭上を掠めて行った。咄嗟に反応していなければ、頭蓋骨を粉々にされていただろう。背中を嫌な汗が流れる。頭の芯がスッと冷えていく。真剣勝負は嫌いじゃないが、殺し合いには慣れていない。小さく軽い身体を持て余す。繰り出せる技の引き出しを開けるが、この巨漢に届くようなものはどこにも……
――ないことも、ないか。
掴みかかってくるシュパングダーレムの突進をかわし、その都度膝裏にローキックを入れて距離を取る。渾身の蹴りだが、いかんせん軽すぎる。大して効いてはいない。このまま逃げ続けて何かが変わるわけではない。そんなことは相手も自分も承知の上だ。
焦れてくるのは相手だけではない。無力感が心を蝕み始める。この感じは、前にもあった。
デビューした頃の体格はまだジュニアヘビーにも足りず、対戦相手のベテラン勢には打撃でも寝技でも全く何にも太刀打ち出来なかった。思考錯誤と迷走のなか、試しては捨てるしかなかった技のなかで、俺はひとつだけどうしても捨てきれなかったものがあった。
自分には合わないことなどわかっていた。コーチからもダメ出しされた。客にも求められていないと思い知らされた。
技は女と一緒だ。相性というものはある。それでも、諦めきれない。誰にどれだけ否定されても、好きなものは好きなのだ。
だから心のなかに、ひっそりとしまっておいた。
いつかこれも良い思い出になるなんて、本当は微塵も、思ってはいなかった。
何度目かの突進の後、膝を上げ俺のローキックをガードしたシュパングダーレムが向き直ろうとして、ガクッと一瞬だけバランスを崩した。効果があったというには浅い。だがプライドの高いこの男はそれでわずかに冷静さを欠いたようだ。無理な姿勢のまま俺を片手でつかもうと身を泳がす。逃げると思っていた俺が飛びついてくるのを見て、勝利を確信したのかニヤリと笑みを浮かべた。
巨大な頭を両脚でガッチリと挟み込み、俺は後ろに全体重を掛けて引き寄せると渾身の力で捻り上げ……
「うぉ、おぉ……ッ!?」
「あああああああああァ……ッ」
ネリスが破った窓の外へと、俺は自ら身を躍らす。バランスを喪ったシュパングダーレムの巨体が、3階から大きく弧を描いて宙空に放り出された。
ウラカン・ラナ。
ずっと燻り続けていた俺の片思いが、いまこの夜ただ一度だけ、実った。
「いつでも行けるよ。皆は?」
彼女と俺の前に、スラムの男たちが10人ばかり集まっていた。これがバークスデールのいう自警団なのだろう。だが戦意に溢れているの数人の獣人族だけで、残る大多数は困惑を隠せず、周囲の反応を覗って目が泳いでいる。
「ホロマンの連中をぶっ飛ばすって、この人数でか?」
「スラムに人狩りを入れるときは事前に通告、事後に結果報告があるはずよね? それですらいけ好かないのに、今回のは明らかに向こうの一方的な宣戦布告ってことじゃない。違う?」
「そ、それは、そうだが……」
「そもそもバークスデールの娘を拐かそうとした時点で、俺たちに喧嘩を売ってるのは明白だ。ここで黙ってたんじゃ、勝手な真似を黙認するようなもんだぜ」
「あいつら、子供ばっかり集めてたんだろ? スラムのガキどもだって、いつ狙われるかわからねえってことじゃねえか」
ネリスが捕まった後、連行されたホロマンの倉庫には他にも十数人の少年少女が監禁されていたらしい。彼女は自分が逃げ出すとき彼らも一緒に逃がそうとしたのだが、頑なに拒まれて断念したそうだ。よくわからん。
「拒まれたって、何で?」
「さあ。逃げたら何かされると思ったんじゃないのかな」
「くそッ、ホロマンの野郎、許せんな」
ネリスの言葉に憤っているのは、人狼の兄弟でオファットとマイノット。毛が銀色で右腕に鉤爪を付けているのがオファット。自警団員でも好戦的なふたりだ。毛が金色で左腕に鉤爪を付けているのがマイノット。獣人族の年齢などよくわからないが、口調や身なりからして20歳そこそこといった印象だ。笑みを浮かべるたび、唇の端から尖った長い牙が覗く。正直、ちょっと怖い。
ネリスの父バークスデールも自分でいった通り監視に付いてきてはいるが、なんとなく煮え切らない態度なのが気になる。
「どうかしました?」
「……なんでもない」
「来て、タイト。壁を越えた先がホロマンの敷地だよ」
スラムとの境界線には城壁がある。というよりも、城壁の崩れた一角を街との接点として壁外に広がった貧民居住区がスラムだった。そこの住人達は市民税(年に銀貨一枚、貨幣価値はイマイチわからんが世間話からの概算でおよそ一万円といったところか)が払えないため、城内で暮らす権利がないのだ。
このラックランド交易市は元々王城があった場所で、遷都により遺棄された後、新たに移転・流入した住民たちが暮らしている。中心部の王宮敷地跡を領主たち上級貴族が使用し、周辺の貴族街はそのまま、移転してきた没落貴族が住み着き、平民街は残った者たちと流入してきた者たちが混じり合い、いくぶん品格と生活レベルを落としながらも城塞時代と変わらず――というよりもむしろ活気を増して――巨大な商業区として維持されている。
ホロマン商会は流入してきた平民のなかでも際立って力を付けてきたグループのひとつ。
元軍人という噂の会頭ホロマンの手腕によって良くも悪くも目立った存在になっている。平民街の外延部に位置する巨大な商館は、元々外壁を守る下級兵士の詰め所だった場所だ。
金がなかったのか利便性から通行可能にしたかったのか、壁の崩落部分は修復されず鉄柱で組まれた扉で塞がれている。当然施錠されていて、隙間からは立哨する男たちの影が見えていた。
「どうするつもりだ? 生半可な腕じゃ商館に忍び込むどころか城内に入ることさえ……って、おい」
垂直の石壁をスルスルと登って行ったネリスが、銃眼のような開口部の枠にロープを固定して落とす。身振りで上がってくるように伝えると本人は壁のなかに消えた。
「ちょ、ネリス待ッ……」
「俺が行きますよ。バークスデールさん、あんたはお仲間たちと下で援護を頼みます」
「たった二人でか!?」
「大丈夫です。そんなに柔じゃない」
「お前のことをいってんじゃねえ、俺は娘が……」
「知ってますけどね。心配するならハナから止めてくださいよ」
何やら唸る獅子親父を無視して俺はロープを登る。前世より体重が軽い分、こういう動きは楽だ。この子供の身体は筋肉の量こそそう多くないが、最初の印象よりもよく鍛えられているのがわかった。165センチ50キロってところか。レスラーとしてなら軽量級でも物足りないが、技と速度を重視するなら何とか戦えるだろう。
壁の銃眼から潜り込むと、城壁上の通路に出た。5メートルほどしか離れていない倉庫のような建物の上で、ネリスが手を振っている。城壁と倉庫の間に渡されているのは登ってきたのと同じロープだけ。暗くて確認できないが、手を滑らせたら10メートルほど下にあるはずの地面まで真っ逆さまだ。ライオンの娘なのに、その身軽さは完全に猫だ。
「早く」
身振りと囁き声で催促され、覚悟を決めてロープを渡る。屋根の端まで辿り着いたとき、ネリスの姿はまた消えていた。
「こっち」
軒下にある明り取りの窓から、突き出されたネリスの手がひらひらと動いている。無理目な懸垂姿勢からなんとか窓枠に身体を押し込み、足場を確保すると暗闇に目を慣らす。
そこは外見通り、倉庫のようなだだっ広い空間だった。簡素なベッドが等間隔で二重ほど並べられ、子供と思しき人影が静かに寝息を立てている。色彩も装飾も全くないそれは、まるで軍隊の宿舎のようだ。
梁の上でネリスが俺に合図を送っていた。入口の脇に見張りらしき男たちが二人いる。ひとりは立って煙草を吸い、ひとりは椅子で居眠りをしていた。
「ひゅ」
何かブツブツ呟いていたネリスの手元からおかしな音がしたかと思うと、立っていた男の背にツララのようなものが刺さる。振り返って叫び声を上げようとした彼の顎を、俺が飛び降りざま爪先で蹴り上げた。
「おい、何だいまの」
「しッ、いいから早く!」
眠り込んでいた男が異変に気付く前に、俺が後ろから頸動脈を締め上げて失神させた。そのまま外に出ると、向かいにも同じような倉庫がもうひとつあった。そこにも二人の見張りがいるが、談笑したままこちらに気付く気配もない。
腰を落とした姿勢で物影を縫って接近し、ひとりずつ殴りつけて意識と武器を奪う。
最後にネリスが向かったのは、スラムとの境界にある城壁の扉。こちらの見張りは明らかに他より弱そうな若手3人組だった。気絶させるほどの脅威とは思わなかったのか、倉庫の見張り番から奪った剣を両手に持ったネリスが忍び寄ってホールドアップさせた。俺に縛り上げさせている間、鉄扉を解錠してバークスデールたちを導き入れる。
壁を登ってから5分と掛っていない。
「他の見張りは」
「倉庫に4人。もう縛ってある」
「早いな。それにこのロープ、どんだけ用意が良いんだ」
「事前の準備が戦の結果を決めるって、お父さんの口癖でしょ」
「……むぅ」
縛り上げた男たちを倉庫内に積まれた木箱の陰に隠し、ネリスは外に出て煌々と灯りの点いた建物の方に向かう。フェンスに囲まれた商会の敷地内で、ひとつだけ立派な建物。ネリスによると、そこが彼女の連れ込まれたホロマンの商館らしい。ここに来てまた怖気づいたのか、棍棒を手にしたスラムの男がネリスを呼び止める。獣の要素がない普通の人間で、30を越えてはいないようだが、身体は細く、背も低い。
「なあおい、本当に奴らと事を構えるつもりか? 子供たちを助けるだけで良いんじゃないのか」
「そうはいかないわチューレ。あいつら全員に、あたしがされたのと同じ目に遭わせてやらなきゃ気が済まないもの。端から並べて裸に剥いて水桶に逆さ吊りにして……」
……趣旨が変わっているような気がする。
男の反応を気にも留めず、ネリスは遮蔽物を縫って商館に走り出した。俺の後ろでバークスデールが押し殺したような唸り声を上げる。
「おい、遊びはここまでだ。商館前のは単なる見張りじゃない。あいつらは、傭兵だ。尻尾巻いて逃げ出すなら今のうちだぞ」
「あ?」
「いよいよ娘が危なくなれば、俺が手を貸してやる。だが、その時点でお前を一人前とは認めない」
「認めなくていいから止めろよ、危ないだろうが!」
勝手な物言いにムッとした俺は、思わず口調が素に戻る。
「絶対に止めるなといったのは娘だ。自分たちには、お前のファイアボールがあるからとな」
「ん? ……ある、って何の話だ?」
「自分には魔導師の資質があると、娘に打ち明けたのだろう? あいつも攻撃魔導は使えるが、魔導師だった祖母からわずかに引き継いだ才と、見様見真似の技術だけ。魔圧は弱く、魔力量も低い。牽制にしか使えない玩具程度の氷柱を撃ち出すしか出来ん。それも、せいぜい10本も撃てば種切れだ」
「……もしかして、それ……」
「お前の攻撃魔導がどれほどの物か知らんが、娘はそれに全幅の信頼を置いているようだな。自分が正面から牽制するというが、その後のことなど考えてはいないだろう」
待て。待て待て待て。
あの猫娘は確かに氷柱と名乗ってはいたが、それは二つ名ではなく攻撃魔導とやらのスキルのことか!?
しかもそれ、見張りを怒らせるくらいしか出来なかったじゃねえか!
「ここから先は、お前次第だ。何があっても娘は守るが、全員を救う程の義理も能力もない。ましてスラムの連中などお前が劣勢となれば一気に引くぞ」
「そんなもんだ。客なんて、飽きさせたらすぐに手ぇ引いちまう」
「なに?」
「当たり前だろ。安くない金払って、忙しい時間を割いてさ、それでもこいつなら楽しませてくれるはずだって思って会場に足運んでくれてるんだ。それに応える気がなきゃ、こんな商売辞めちまえってな」
「おい、何の話をしている!?」
束の間“あの頃の自分”に戻っていた俺は、この世界の現実に戻る。怪訝そうな表情のバークスデールに、曖昧な笑みを浮かべて肩を竦める。
「わかってるって、いっただけさ」
「……」
「きゃああーッ!」
ドカンと鳴り響いた爆発音の後、木箱の残骸とともにネリスが転がるのが見えた。
「いまのは?」
「ホロマンの傭兵は騎士崩れだ。少なくとも半分は攻撃魔導を使える。残りの半分も、身体強化魔導は身に着けてると考えた方がいい」
「冗談じゃねえぞ。そういうことは早くいえ……!」
迷う間もなく、俺は全力で彼女のところに駆け出す。自分でも救いようのない馬鹿だとわかってはいた。それでも見殺しにするという選択肢はない。
前世の俺も、女に弱かったのだ。気の強い女が好きで、何度も痛い目に遭ったのに。ここでもあんな小娘相手に良い様に使われているあたり、生まれ変わっても変えられない性分なのかもしれない。
商館の入口から、6~7人の屈強な男たちがワラワラと湧き出てくるのが見えた。
――あれが、傭兵か。
騎士崩れとはいえ、さすがに甲冑を着込んではいない。ポケット付きの柔道着といった体の動きやすそうな服に、装備は片手剣と揃いのバンダナ。乱戦での識別用か斬撃対策の鉢金か、額に金属の輝きがある。散開して周囲を警戒する動きで、戦い慣れしていることは明らかだ。
ネリスに駆け寄って掬い上げ、包囲される前にお姫様だっこでバークスデールたちの隠れていた物陰まで運ぶ。見たところ怪我は無さそうだが、爆発の反動で目を回している。
「……ふにゃ」
「おい寝るなネリス、返事をしろ」
「……ごめん、らめだった。……フリーズもると、刺さんなくて、すぐ応援呼ばれちゃって……」
「ひとりで突っ込むからだ。連携を取れなきゃチームとして戦えないだろうが!」
「チーム?」
「仲間ってことだよ」
淀んでいたネリスの目に光が戻る。ぱあッと満面の笑みが広がる。
「なに笑ってる」
「……なか、ま」
ここを動くなといい聞かせて、俺は傭兵たちの一団に向き直る。まだ発見されてはいないが、捜索を始めれば見つかるのも時間の問題だ。
「まずい、あれを見ろ」
人狼兄弟の指す先、商館のテラスで魔導師らしき一団が光の球を抱え込んでいるのが見えた。発光弾でも撃ち上げようとしているのだろう。広いといっても50メートル四方の平地だ。暗闇の加護を失えば、スラムの連中はケーキの上のゴキブリのように目立つ。
茂みを突っ切り垣根を飛び越え、俺は商館の外階段を駆け上がる。踊り場で警戒していた傭兵のひとりに飛びついて締め落とす。戦争のプロ集団を相手に、正面から当たるほど馬鹿ではない、が。
外階段から踏み込んだ館内の廊下で、もうひとりの傭兵と真正面から向き合うことになった。応援に出ようとしていたのか、腰の剣に手を掛けている。距離は5メートルもない。逃げるのは無理だ。
「ここに賊が……!」
仲間を呼ぼうとした傭兵に突っ込む。抜こうとした剣の柄をフロントキックで押し戻し、そこを踏み台にして顎をカチ上げた。
「…ぃグゥッ!?」
膝から崩れ落ちた相手は土下座姿勢でうずくまったまま動かなくなる。
会心のジャンピングニーだったが、喜んでいる場合ではない。テラスから漏れる光がどんどん大きくなっている。廊下の奥に開いた窓の外、手すりから身を乗り出すようにして呪文を唱える3人の背中が見えた。
何これ。完全に振りだよな。
「満ちたる天上の光よ、いまこそ闇を照ら……」
「……照らしちゃう?」
「なッ……!?」
振り返った男たちは反射的な動きなのか、大事な物でも守ろうとするかのように身を寄せ合って光の球を懐に抱え込む。団子になった男たちの芯を撃ち抜くように、俺は走り込んでいった勢いのまま宙を舞い、ギュッと溜めていた全身のバネを衝突寸前で一気に……
解放する!
ドロップキック。素人でも子供でも誰でもすぐ簡単に出来ると思われている技のひとつ。確かに半分は事実だが、これほど素養と身体能力が如実に表れる技もない。こいつで客を沸かせる奴は本物だと、古参の鬼コーチからは何度も教えられた。天を舞うか浮かぶだけか。それともみっともなくぶつかるだけの出来損ないか。
歓声が聞こえた。場違いなスポットライトが俺を照らし出す。ヘッドスプリングで飛び起きたテラスの上。目を丸くして口を開いた傭兵と自警団の連中が、浮かぶ光弾を背に両手を突き上げる俺を見つめていた。
「おいッ、何をしている! 早く捕まえろ! 何なんだあのガキは!?」
最初に硬直が解けたのは傭兵のリーダーらしき男。そいつだけバンダナに羽飾りが付いている。周囲の部下たちを叱責して、正面玄関から商館内に戻ろうと走り出す。
魔導師の3人組は手すりを突き破って転落し、地べたに転がって呻いている。彼らの意識が途絶えたせいか、俺の周りに浮かんでいた光弾が揺らぎ、フッと瞬いて消えた。
迫るおかしな気配に倒れ込むと、俺が立っていた場所に矢が突き刺さる。傭兵のなかに弓使いがいたようだ。いまさらながらそれに気付いた俺は、転がりながら追撃を逃れる。
館内に入ると玄関のある左手から足音。外階段のある右手からも怒号が響いた。挟み撃ちに遭うならとテラスに戻り、壊れた手すりの残骸を踏み台にして飛び上がり、窓枠を伝って上階に登る。尻を掠めるように矢が飛んでくるが、テラスに出た仲間への誤射を避けるためそれもすぐ止む。
「上だ!」
階下の声に応えるように、スルスルと登った先で窓が開き、ひょいと顔を出した俺目がけて手槍が突き出される。
「タイト危ない!!」
首を振って危うく逃れる。傭兵が突き出した勢いのまま、柄をつかんで引っ張ると相手は甲高い悲鳴を上げ、もんどり打って階下へと落下していった。
館内に戻ってきた傭兵は3人いた。これで残りは、2人。増援がいないことを祈るしかない。眼下で人狼兄弟が傭兵ふたりと打ち合っているのが見える。自警団も少しは戦ってくれているようだが、バークスデールは未だ静観の構え。悠長ですな。
窓から館内に転がり込むと、すぐにドタドタいう足音が響いてきた。目の前を通過しようとする傭兵に足を掛け、倒れたところで下半身を固定したまま圧し掛かって首を締め上げる。ゴボゴボと喉が鳴って逃れようともがくが、頚動脈が極まったせいですぐに意識を失う。
あとひとり、ではあるのだが……
地響きとともに床が揺れた。まっすぐ伸びた廊下の先、猛牛のような巨漢が待ち構えていた。羽飾りの男。傭兵たちのリーダーだ。いままで遠目にしか見ていなかったが、向き合うと驚くほどデカい。レスラーでも数少ない、2メートル越えのスーパーヘビー級だ。獣人ではないようだが、身体強化魔導とやらによるものか身のこなしに鈍重さは微塵もない。
「舐めた真似を、してくれたな」
バークスデールに勝るとも劣らない覇気と殺気。
いや、現役を退いたらしい獅子頭よりも戦闘能力は上だろう。あっという間に距離を詰め、ナイフでも扱うように片手剣が高速で振り回される。素手の俺は下がるしかなく、かわしながらの防戦一方だが、的が小さすぎるのか弄んでいるのか、相手の攻撃は身体の芯を捉えられてはいない。
だがそれも、時間の問題でしかない。
俺は逃げ場を探して視線を彷徨わせる。剣を構えた男の横、窓を突き破って氷の矢が壁に突き刺さる。文字通りの“牽制にしか使えない玩具程度の氷柱”は男に何の反応ももたらさなかった。
「タイト、逃げて!」
外から響く悲鳴のようなネリスの声に、男の目がわずかに動いた。
「あの無能どもが攫ったというバークスデールの小娘か。それがこの襲撃の理由だと?」
「……まあね」
「お前は、あの娘の何だ。身を汚された女のために、命懸けで報復に来るとは……」
「そんなんじゃねえよ。第一、あいつは汚されたりしてねえ。俺が、助けたからな。ここまで来たのも、いってみりゃ単なる義理みてえなもんだ」
男の顔に笑みが広がる。理由はわからないが、何かこの男にとって面白いことでもあったらしい。
「元王国騎士団長、シュパングダーレム」
「……ヒューガ・タイト。格闘家だ」
通じないかと思ったが、シュパングダーレムは笑みを消し、剣を床に突き立てた。
「良かろう。貴様のいう義理とやらを、見せてもらおう」
踏み込みは軽かったが、振り出された前拳は驚くほどの風圧で俺の頭上を掠めて行った。咄嗟に反応していなければ、頭蓋骨を粉々にされていただろう。背中を嫌な汗が流れる。頭の芯がスッと冷えていく。真剣勝負は嫌いじゃないが、殺し合いには慣れていない。小さく軽い身体を持て余す。繰り出せる技の引き出しを開けるが、この巨漢に届くようなものはどこにも……
――ないことも、ないか。
掴みかかってくるシュパングダーレムの突進をかわし、その都度膝裏にローキックを入れて距離を取る。渾身の蹴りだが、いかんせん軽すぎる。大して効いてはいない。このまま逃げ続けて何かが変わるわけではない。そんなことは相手も自分も承知の上だ。
焦れてくるのは相手だけではない。無力感が心を蝕み始める。この感じは、前にもあった。
デビューした頃の体格はまだジュニアヘビーにも足りず、対戦相手のベテラン勢には打撃でも寝技でも全く何にも太刀打ち出来なかった。思考錯誤と迷走のなか、試しては捨てるしかなかった技のなかで、俺はひとつだけどうしても捨てきれなかったものがあった。
自分には合わないことなどわかっていた。コーチからもダメ出しされた。客にも求められていないと思い知らされた。
技は女と一緒だ。相性というものはある。それでも、諦めきれない。誰にどれだけ否定されても、好きなものは好きなのだ。
だから心のなかに、ひっそりとしまっておいた。
いつかこれも良い思い出になるなんて、本当は微塵も、思ってはいなかった。
何度目かの突進の後、膝を上げ俺のローキックをガードしたシュパングダーレムが向き直ろうとして、ガクッと一瞬だけバランスを崩した。効果があったというには浅い。だがプライドの高いこの男はそれでわずかに冷静さを欠いたようだ。無理な姿勢のまま俺を片手でつかもうと身を泳がす。逃げると思っていた俺が飛びついてくるのを見て、勝利を確信したのかニヤリと笑みを浮かべた。
巨大な頭を両脚でガッチリと挟み込み、俺は後ろに全体重を掛けて引き寄せると渾身の力で捻り上げ……
「うぉ、おぉ……ッ!?」
「あああああああああァ……ッ」
ネリスが破った窓の外へと、俺は自ら身を躍らす。バランスを喪ったシュパングダーレムの巨体が、3階から大きく弧を描いて宙空に放り出された。
ウラカン・ラナ。
ずっと燻り続けていた俺の片思いが、いまこの夜ただ一度だけ、実った。
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