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危機と反攻

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「……まずいわね」

 接客のための笑顔を維持しながらも、カウンターに立つテインの声は暗い。
 店の売り上げが銀貨2枚に届こうとした正午前、ピタリと客足が止まったのだ。

 意外な敵は、気温だった。

 秋だというのに晴天に恵まれ、昼前からどんどん暑くなってきている。わたしたちの商品は焼き菓子と揚げ菓子が中心のため、汗ばむ陽気ではさほど食指が動かなくなる。
 喉が渇くのか紅茶など飲み物が売れているが、目標額を考えると微々たるものだ。

「秋だから、温かい物が良いと思ったのに」
「夕方から盛り返せるかも」
「それじゃ間に合わない。それに、明日以降もこうだったら」

 5日で銀貨10……全員合わせても金貨1枚だ。
 どんよりしているわたしたちの上で、空は憎いほど晴れ渡って雲ひとつない。農家でもないわたしたちには、荒天を望むなど初めての体験だった。

「迷ってる暇はないわ。その間に少しでも飲み物を売るわよ。レモンを入れた方の紅茶、別に濃いめのを出して。甘くして氷を入れるの」

「紅茶に氷?」

「カナンちゃんたちのところで聞いたわ。果汁に砕いた氷をたっぷり入れると子供に受けが良いって。うちでも試してみましょう」

「わかった。よし、みんな動くぞ!」

 手をもこまねいているだけだった仲間たちは、目先の仕事を得てホッとしたように動き始める。問題の解決にはならないが、何もしていないと不安で押し潰すされそうなのだ。
 情けないが、わたしたちは新兵と同じだ。何か命令がないと、まだ誰も満足に動けない。

「ウェリスちゃん、いる!?」

 そのとき息せき切って駆け込んで来たのは、魔王領パティシエ・ガールズのカナン先輩。いつもは冷静沈着な彼女が珍しく焦っている。
 火を落とした揚げ鍋の前で呆けていたウェリスに近付くと、肩に手を置いて息を整える。

「あなた水魔法が出来たわよね。手を貸して欲しいの」

「わたしに出来ることなら」

「お願い。心配しないで、売り上げはちゃんと分配する……から……」

 カナン先輩の動きが、カウンターを見て止まる。
 目の前にある売れ残りの商品を、厳しい眼で見詰めている。
 懇切丁寧に教えてくれて、いわれた通りに作った筈のドーナッツもワッフルも、客に見向きもされず積み重ねられたまま冷えてゆくだけ。
 わたしたちの誰もが、羞恥心と罪悪感で泣きそうになっていた。

「すみません、カナン先輩。先輩たちは悪くないんです。これは、わたしたちの責任で」

「……黙って」

「だって! 頑張っても、ダメだったんだもの。ちゃんと作って、みんなで売ろうとしたけど、昼前から全然、見向きもしてくれなくて、それで……」

「ちょ、ちょっと静かにして、お願いだから!」

 わたしやロレインの言い訳を撥ねつけ、カナン先輩の顔がますます険しくなる。

 パフェルの新作、“みるふぃーゆ”に目を留めると、ひょいとつまみ上げてひと口で食べる。指を拭って首を傾げ、“これは違う”と呟く。
 緊張していたパフェルが、その声にがっくりと肩を落とすのがわかった。

「あ、ごめんね。そういう意味じゃないの。これは物凄く美味しいから売れるとは思うんだけど、いま考えているのは……ええと……」

 カナン先輩は周囲を見渡し、何かを探している。
 彼女の背後で、魔王領の露店からヨック先輩が駆けてくるのが見えた。

「カナンちゃん何やってるの、早くウェリスちゃんを連れて来てくれないとオレインちゃん潰れちゃう!」

「あはははははは!」

 いきなり大笑いし始めた彼女を見て、わたしたちのみならずヨック先輩までビクッと硬直する。

 カナン先輩が壊れた!?
 暑さで!? それともわたしたちの無能っぷりが逆鱗に触れたか?!

「良いじゃない! すっごく良いわ! なんだ、そういうことなのね魔王陛下、ずっと、最初から、そういうことだったのよね!?」

 わからん。サッパリ理解出来ない上に、普段温和なひとが激高する姿はムチャクチャ怖い!!

「冷却魔法を掛け続けてオレインちゃんが限界なの。ウェリスちゃんは魔王領の店に……いや、違う。みんな来て。商品持って、いますぐ!」

 何も理解出来ないまま、わたしたちは魔王領の店に連れて来られた。そこでは新しく加わったウェリスさんという人魚族メアスの方が、ズラリと並んだおかしな金属の筒を抱えて青褪めながら唸っていた。

「来たわよ、ウェリスちゃんそこの筒を冷やして。出来るだけで良いから」

「なんです、これ」

「アイスクリ―マー。ミルクを冷やして固めるの。売れ行きが急過ぎて、冷却が間に合わないのよ。そんなことより、これを……」

「????」

 いいながらワッフルを炙ってちぎり、皿に分けると金属の筒から白い塊を取り出す。

「みんな、ちょっと来て」

 白い塊を載せたワッフルを全員に配る。同じくドーナッツを切り分けて分配し、グラスに注いだ半固形の・・・・ミルクを添える。

「食べて」

 カナン先輩の気迫に押されて全員が従う。特に先輩たちは瞬時に反応し、口に含んだかと思うとそれぞれに頷き始めた。
 わからん。なにがどうなっている!?

「「「「「……!」」」」」

 食べたら、すぐに理解出来た。仲間も先輩たちが何を感じたかわかった。
 そして不思議なことに、全員が同じことを、ちゃんと理解したことまでハッキリと伝わってきた。
 新兵の部隊が、戦場で急に自律した行動を取れるようになる瞬間があると、退役軍人の父親から聞いたことがある。
 自分たちにとってはそれが、いまだったのかもしれない。

「これ、合う」

「恐ろしいほどにマッチしている。足りないものを補うだけじゃない。引き立て合って、混ざり合って、別の何かになろうとしてる」

「何か足りなかったのは、これか」

 タイネ先輩が笑う。
 歴戦の勇士らしい不敵な表情。勝機を得て目がギラギラと光っている。

「暑いから冷たいもの、ってだけじゃダメだったんだ。お客さんは目新しさに買ってくれるけど、一度食べたら戻ってこない。これだよ。新しいものを受け止めてくれる、ホッとする物が必要だったんだ」

「ワッフルとアイスクリーム。ドーナッツとミルクセーキ。苦味と甘み、冷たさと温かさ。色も味も、最初から“ふたつでひとつ”って感じ。それと、パフェルちゃん、この、ミルフィーユ? 悪いんだけどこれ……」

「ごめんなさい」

「……? いや、そうじゃなくて、このなかに入っているサクサクした薄いの。これもっといっぱい作れる?」

「は、はい」

「もう少し小さく、細長くして。厚さは半分以下でいい。アイスクリームに添えたいの。チョコクリームは別にして……コルシュちゃん、これも絞り器に入れて」

「わかりました。生クリームと2種類のデコレートですね。素晴らしいです、これはフルーツにもぴったり。きっとパフェにすると、すごく映えるわ」

「……“ぱふぇ”?」

 カナン先輩がパンパンと手を叩く。その音に全員が背筋をサッと伸ばし、皿を置いて彼女に向き直った。

「お互いに、足りないものは見つけた。補い合うのはわかったけど、お客さんを行ったり来たりさせるのは時間と利益の無駄、これは重大な“機会損失”よね?」

 先輩たちは頷くが、わたしたちは困惑して不安そうな視線を絡ませるだけ。
 理解の及ばないわたしたちを代表して、テインがおずおずと手を挙げる。

「あの、カナンちゃん。それで、いったい何をするつもり……?」
「2軒を、ひとつの店・・・・・にするの」

「「「「え!?」」」」

「不満?」

「……いえ、わたしたちは、ありがたいくらいだけど。それだと、そちらが手に入れるはずの利益を、失うことになるんじゃ……」

「魔王陛下ならこういうわ。“ちっさいこと、いってんじゃないわよ”って」

 大袈裟に眉を寄せ、フンと鼻を鳴らすカナン先輩。その仕草は驚くほど魔王陛下に似てた。
 コルシュ先輩が、わたしたちを見る。いつも通りの穏やかな笑顔だけど、視線は真剣で、思わず圧倒されてしまう。

「わたしたちは、こんなところでグズグズしてるわけにはいかないの。もっと上に、もっと先に、全力で進まなきゃいけない。そしてあなたたちも、同じ気持ちだと思っているわ」

 コルシュ先輩の後ろで、白いワンピースを身に纏った人虎族ティグラの女性がクスクスと笑う。
 どこぞのお嬢さまかとおもいきや、よく見ると魔王領軍重装歩兵部隊の猛者、ミルトンさんだ。最初に紹介を受けたときには信じられなかったけど、不敵に笑うその迫力は噂通りの豪傑を思わせるものだった。

「商売として考えれば型破りかもしれないけど、兵隊から見ると理に適ってるよ。戦力の逐次投入は、愚策中の愚策。敵には常に、持ち得る最大の兵力を、最大の力でぶつけるべきだもの」

「……兵力それには、わたしたちも含まれると?」

「当然。新生魔王領軍は、戦いで手段を択ばない。それが厳しい戦いであれば、なおのこと」

「みんな、もう休憩はないと思って。これからわたしたちは、全員で戦う・・・・・。王国とか魔王領とか、もう関係ない。わたしたちは、全員で、パティシエ・ガールズよ!」

「「「「「「「「はい!」」」」」」」」

◇ ◇

「コーリンちゃんとロレインちゃんは、一緒に来て。いま売り上げはどのくらいある?」

「まだ銀貨2枚弱です」

「それ、ちょっと借りるかも。大丈夫よ、絶対取り返すから」

 カナン先輩がわたしたちを引き連れて訪れたのは、隣の店。先輩たちとわたしたちの店の間にある、奇妙な茶を出す怪しげな店だ。

「お忙しいところすみません店主さん、ちょっとお話聞いてください」

「これが忙しいように見えるかい? あんたたちがいうと厭味どころか冗談にしか聞こえないんだけどね」

 ひと気のない店先で不機嫌そうな顔を上げたのは、薄布を巻いたような見慣れない服を着た若い女性だった。美人ではあるが、目に少しだけ荒んだ雰囲気を持っている。
 怯みそうな気持ちを奮い立たせ、わたしはカナン先輩の横に並んだ。

「お店の場所を入れ替えていただけないかと思って、お願いに上がりました」

「店の入れ替え? いまからか」

「はい。御迷惑をお掛けするのは承知してますので、移動にはこちらから人手を出します。補償として銀貨1枚をお出しすることも……」

「いや、それはいいよ」

 店主は少し宙に視線を彷徨わせ、ニヤリとふてぶてしい笑みを浮かべる。

「入れ替えに応じる代わりに、教えてくれないか?」

「教える? わたしが?」

「ああ。あんたたちの店は、どっちも朝からずっと、すごい売れ行きで感心してたんだ。そんなあんたたちから見て、うちの商品は、どうしたら売れるのかと思ってさ」

 わたしたちは、傍らに置かれた商品を見る。
 ポットに載せられた濾し器に、黒い粉。横には豆を炒める火口と、小さな籠状の金網。麻袋に入った生豆には見たことのない文字。
 わたしには売る方法以前に、これが何なのかもわからない。
 焦げたような甘い香りが気になっていたが、その正体はわからなかったし、自分たちの店を維持するのに必死で深く考える暇はなかったのだ。

「これは?」

「カフィルって、南国の豆を炒ったお茶だ。シャキッと目が覚めて元気が出るって南大陸じゃ人気らしいんだが、王国じゃ口に合わないのか誰も買ってくれない」

 店主は新しく淹れ直して、こちらに差し出してくる。

 大きなカップに注がれたそれは2種類。
 ひとつは焦げたような香りが魅力的だが、口に含むと濃いコクと強い苦みがある。
 もうひとつのはそれほど苦くはなく甘い香りで飲みやすいが、やけに渋い。

 両方を試して、すぐにカナン先輩は頷くとカップを置いた。判断が早い。

「まず、どちらも量が多過ぎます。値段も量も半分……1/3でいいくらいです」

「わかるけど、それじゃ解決にならない。そもそも買ってくれないんだから」

「この苦い方は、うちから甘くした濃縮ミルクを出します。カウンターに置いて、お客さんに好みの量を入れてもらいましょう。もうひとつの、苦みの少ない方は氷で満たした大きめのカップに注いでください」

「冷やしたら渋みが増すよ?」

「問題ありません。溶けた氷で薄まると、このすっきりした渋みは悪くないと思います。甘いのが好きな人には濃縮ミルクを勧めて……いや、違う。そうじゃない」

 カナン先輩の動きが止まる。息を吐いて首を振る。
 顔を上げたときには、魔王陛下そっくりの悪い笑み・・・・が浮かんでいた。

「どちらも、飲み物は・・・・甘くしないという手もありますね。……もしかしたら、これも同じ・・・・・……?」

「なに? それ、どういう意味?」

「わたしたちは最初から、陛下の手の上で・・・・・・・踊っていた・・・・・って意味です。わたしは、魔王領の菓子職人カナン。お姉さん、お名前は?」

「マーロ。南部領で流れの商いをしているが、生まれは帝国の貧民窟だ」

「ねえ、マーロさん。わたしたちと、高いとこ・・・・を見てみませんか?」
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