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ミスフィッツ・イン・アクション5
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「さて、お茶でもいかが?」
「は、はあ……お構いなく」
どうにも間抜けな反応しか返せないアタシを、王妃は少女のように真っ直ぐな笑みで見つめる。
よりによって、彼女の私室。ふたりっきりで、逃げ場もない。会議の後で一目散に退散しようとしたアタシは、馬車の手前で呆気なく捕まってしまった。しかも、王妃陛下ご本人に。そのまま手を引かれて王城に連れ戻され、お暇する口実もサラッと聞き流され、頼みの綱の猫耳娘たちは護衛だというのに美味しいご飯で買収されて、いまに至るというわけだ。
怖ろしいことにこのひと、元は宮廷魔導師で現在も鍛錬を欠かさないバリバリの武闘派だそうな。たぶん――というか、考えるまでもなく、戦闘能力はアタシを遥かに凌ぐ。
「あなたとは一度会ってお話ししたいと思っていたのです。だからこの機会に、便乗してしまいました」
手ずから淹れてくださったお茶は正真正銘の茶葉、しかも極上の香り高い南国産で、久しぶりに飲んだそれは心も身体も温まるような逸品。選ばれた茶器も装飾を排したシンプルなものだったが、形も素材も吟味され丁寧に仕上げられたもの。そこには、現王家の政務を司る王妃という立場とは少し違う、彼女自身の性格が表れていた。
「王都を揺るがす銘菓の作り手に、こんなものをお出しするのも失礼なのですけど」
「いえいえ、そんな……もしかして王妃様も、魔王領の商品を?」
「ええ、もちろん。マーケット・メレイアには、私の手の者も潜入させましたのよ。マーシャルが持ち帰った物にも驚かされましたが、まさかそれを軽々と越えてくるとは……」
王妃が運んできたものは、なんとプレッツェルだった。日本で一般的だった細い棒状のものではなく、アメリカで好まれる組紐型のもの。素朴で単純で塩味が効いて、小麦の風味を前面に出した、ある意味でお菓子の完成形のひとつ。
前世で、アタシはこれが何故か大好きだったのだ。
「ああ、これは美味しいですね。王国産の小麦は香りが良い……」
「冒険者の真似事をしていた頃に、何度も命を繋いだ思い出の味なの。戦場や迷宮の奥深くでは、これが最高の御馳走だったわ」
塩味の効いたプレッツェルは、甘いキャラメルポップコーンと一緒に食べると最高なのだけど。今度メレイアで売り出してみようかしら。確かキャラメルって、生クリームと糖分を煮詰めるのよね。魔王領のコーンはポップしないから、代わりにナッツ入りの膨化穀物かなんかで食感を出して。いけるわ。王国産プレッツェルとのコラボなんて、かなり売れそう。ここは王妃陛下を連想させるティアラか何かをライセンスで……
「魔王陛下、何か企んでるような笑顔になってらっしゃるわよ?」
あらやだ、バレたわ。
新作コラボ菓子のプランを話すと、王妃陛下は大喜びで乗ってきた。名義貸しも前向きに検討するといわれ、後日もう少し詰めてから大まかな契約を話し合うことになった。
「面白いわね。あなたのなかには、全然違ういくつもの人格が入ってるみたい。そして、それぞれの人格が、それぞれに何かをつかもうとしてる」
そうかもしれない。でもたぶん、つかもうとしているのは、みんな同じもの。
アタシは、幸せを手に入れたい。個人としては自分の。私人としては友の。公人としては国の。王としては民の。手が届く範囲、目に見える範囲の、誰もが幸せであって欲しい。
それが絵空事なのは、わかっている。アタシが幸せを求めれば、きっと誰かの幸せを壊す。それでも、アタシは夢見るのを止めない。
笑顔のまま王妃陛下に向き直ると、アタシは覚悟を決めた。
「王妃陛下、本題に入りましょうか。獣人族兵士を解放してもらうために、何が必要です? 正直にいえば、彼らの安全を確保するためならば、どんな条件でも呑むつもりでいます」
王妃陛下は少し考える。おそらくそれは、解放の条件を、ではない。
「その前に、お訊きしても良いかしら。何故そこまで、捕虜奪還に拘るのです」
「最初は、マーシャル王女殿下からの提案でした。いま王都で数百名の魔族を刑死させれば双方に遺恨を残し、王国と魔王領との関係改善は、ほぼ永久に不可能になると」
「私も聞いています。ですが、それは彼女の意見ですね? お訊きしたいのはあなたの考えです。魔王領の事情を詳しくは知りませんが、内戦中だということはわかっています。いまも魔族同士が殺し合っているなかで、躊躇いなく殺す敵対魔族と、どんな条件でも救いたいというあの兵士たちとの違いは何なのです? いざ奪還が果たされたとして、彼らがあなたに敵対しないという保証はあるのですか?」
アタシは、言葉に詰まった。正直に打ち明けるのは簡単だが、それによって王国との関係に亀裂が入る可能性もある。
だが目的を達成するためには、このまま黙っている訳にもいかない。
「いま新魔王軍と敵対しているのは、上級魔族の魔人族、吸精族、龍心族、中級魔族の小匠族、森精族、そして下級魔族の有翼族です」
「獣人族は無条件で味方だと?」
「無条件、というのとは違いますね。彼らが信奉するのは先代魔王が掲げた民主主義、つまり魔族が持っていた選民思想の否定です。それは上級魔族にとっては既得権の侵害ですから、獣人族以外の反発を生み、叛乱から内戦に繋がったのです」
「……そう、ですか」
「他国の階級社会を否定するつもりはありません。個人的な意見ですが、そもそも先代魔王は拙速に過ぎました。必要な段階も経ず準備も説明も根回しも足りないまま、性急に事を行った結果が内戦です」
長く続いた社会は、理想論では動かない。無理に動かそうとすれば、必ずどこかに歪みが出る。その動きが早ければ早いほど、変化が大きければ大きいほど、歪みによる破綻が甚大な被害を生む。その被害の多くは、最も弱い民が被る。
「彼らは、おそらく先代魔王の兵です。我が新魔王軍にとって、二重の意味で貴重な同胞。帝国の尖兵になった経緯が何であれ、また奪還にどんな障害があるとしても、見殺しにすることは出来ません」
「は、はあ……お構いなく」
どうにも間抜けな反応しか返せないアタシを、王妃は少女のように真っ直ぐな笑みで見つめる。
よりによって、彼女の私室。ふたりっきりで、逃げ場もない。会議の後で一目散に退散しようとしたアタシは、馬車の手前で呆気なく捕まってしまった。しかも、王妃陛下ご本人に。そのまま手を引かれて王城に連れ戻され、お暇する口実もサラッと聞き流され、頼みの綱の猫耳娘たちは護衛だというのに美味しいご飯で買収されて、いまに至るというわけだ。
怖ろしいことにこのひと、元は宮廷魔導師で現在も鍛錬を欠かさないバリバリの武闘派だそうな。たぶん――というか、考えるまでもなく、戦闘能力はアタシを遥かに凌ぐ。
「あなたとは一度会ってお話ししたいと思っていたのです。だからこの機会に、便乗してしまいました」
手ずから淹れてくださったお茶は正真正銘の茶葉、しかも極上の香り高い南国産で、久しぶりに飲んだそれは心も身体も温まるような逸品。選ばれた茶器も装飾を排したシンプルなものだったが、形も素材も吟味され丁寧に仕上げられたもの。そこには、現王家の政務を司る王妃という立場とは少し違う、彼女自身の性格が表れていた。
「王都を揺るがす銘菓の作り手に、こんなものをお出しするのも失礼なのですけど」
「いえいえ、そんな……もしかして王妃様も、魔王領の商品を?」
「ええ、もちろん。マーケット・メレイアには、私の手の者も潜入させましたのよ。マーシャルが持ち帰った物にも驚かされましたが、まさかそれを軽々と越えてくるとは……」
王妃が運んできたものは、なんとプレッツェルだった。日本で一般的だった細い棒状のものではなく、アメリカで好まれる組紐型のもの。素朴で単純で塩味が効いて、小麦の風味を前面に出した、ある意味でお菓子の完成形のひとつ。
前世で、アタシはこれが何故か大好きだったのだ。
「ああ、これは美味しいですね。王国産の小麦は香りが良い……」
「冒険者の真似事をしていた頃に、何度も命を繋いだ思い出の味なの。戦場や迷宮の奥深くでは、これが最高の御馳走だったわ」
塩味の効いたプレッツェルは、甘いキャラメルポップコーンと一緒に食べると最高なのだけど。今度メレイアで売り出してみようかしら。確かキャラメルって、生クリームと糖分を煮詰めるのよね。魔王領のコーンはポップしないから、代わりにナッツ入りの膨化穀物かなんかで食感を出して。いけるわ。王国産プレッツェルとのコラボなんて、かなり売れそう。ここは王妃陛下を連想させるティアラか何かをライセンスで……
「魔王陛下、何か企んでるような笑顔になってらっしゃるわよ?」
あらやだ、バレたわ。
新作コラボ菓子のプランを話すと、王妃陛下は大喜びで乗ってきた。名義貸しも前向きに検討するといわれ、後日もう少し詰めてから大まかな契約を話し合うことになった。
「面白いわね。あなたのなかには、全然違ういくつもの人格が入ってるみたい。そして、それぞれの人格が、それぞれに何かをつかもうとしてる」
そうかもしれない。でもたぶん、つかもうとしているのは、みんな同じもの。
アタシは、幸せを手に入れたい。個人としては自分の。私人としては友の。公人としては国の。王としては民の。手が届く範囲、目に見える範囲の、誰もが幸せであって欲しい。
それが絵空事なのは、わかっている。アタシが幸せを求めれば、きっと誰かの幸せを壊す。それでも、アタシは夢見るのを止めない。
笑顔のまま王妃陛下に向き直ると、アタシは覚悟を決めた。
「王妃陛下、本題に入りましょうか。獣人族兵士を解放してもらうために、何が必要です? 正直にいえば、彼らの安全を確保するためならば、どんな条件でも呑むつもりでいます」
王妃陛下は少し考える。おそらくそれは、解放の条件を、ではない。
「その前に、お訊きしても良いかしら。何故そこまで、捕虜奪還に拘るのです」
「最初は、マーシャル王女殿下からの提案でした。いま王都で数百名の魔族を刑死させれば双方に遺恨を残し、王国と魔王領との関係改善は、ほぼ永久に不可能になると」
「私も聞いています。ですが、それは彼女の意見ですね? お訊きしたいのはあなたの考えです。魔王領の事情を詳しくは知りませんが、内戦中だということはわかっています。いまも魔族同士が殺し合っているなかで、躊躇いなく殺す敵対魔族と、どんな条件でも救いたいというあの兵士たちとの違いは何なのです? いざ奪還が果たされたとして、彼らがあなたに敵対しないという保証はあるのですか?」
アタシは、言葉に詰まった。正直に打ち明けるのは簡単だが、それによって王国との関係に亀裂が入る可能性もある。
だが目的を達成するためには、このまま黙っている訳にもいかない。
「いま新魔王軍と敵対しているのは、上級魔族の魔人族、吸精族、龍心族、中級魔族の小匠族、森精族、そして下級魔族の有翼族です」
「獣人族は無条件で味方だと?」
「無条件、というのとは違いますね。彼らが信奉するのは先代魔王が掲げた民主主義、つまり魔族が持っていた選民思想の否定です。それは上級魔族にとっては既得権の侵害ですから、獣人族以外の反発を生み、叛乱から内戦に繋がったのです」
「……そう、ですか」
「他国の階級社会を否定するつもりはありません。個人的な意見ですが、そもそも先代魔王は拙速に過ぎました。必要な段階も経ず準備も説明も根回しも足りないまま、性急に事を行った結果が内戦です」
長く続いた社会は、理想論では動かない。無理に動かそうとすれば、必ずどこかに歪みが出る。その動きが早ければ早いほど、変化が大きければ大きいほど、歪みによる破綻が甚大な被害を生む。その被害の多くは、最も弱い民が被る。
「彼らは、おそらく先代魔王の兵です。我が新魔王軍にとって、二重の意味で貴重な同胞。帝国の尖兵になった経緯が何であれ、また奪還にどんな障害があるとしても、見殺しにすることは出来ません」
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