伯爵令嬢と想いを紡ぐ子

ちさめす

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「ルーナ。私は、君とは結婚できない」


 ある夜、私は婚約者である殿下にそう告げられた。


「やはり……愛しては下さらなかったのですね」


「すまない」


「いえ、構いませんわ……。殿下の御心はこの国の方針。ですから私は、殿下のご判断に従いたく存じます」


「本当にすまない」


 殿下はそういい残してこの場を後にした。


 ――私は知っている。殿下は私を想ってはいないということを。



◇◇◇



 私の名前はルーナ・ディエス。ディエス家の伯爵令嬢だ。


 決して裕福とはいえないまでも、お父様のおかげである程度の生活は保障されていた。


 理由は、現殿下のオージ様が今の地位に就く頃、この国は他国との戦争状態にあったのだが、父は対立関係にあった諸勢力に対して和平条約を提言、その手腕にて、血を流さずしてその締結に至った。


 その功績によりお父様は高く評価され、終戦した今も尚、殿下の推薦によって公職に就いているのだ。


 またお父様は、殿下が定期的に主催なされるお茶会に私が出席できる状況を作り出してくれた。


 そして、初めて私がお茶会に出席した際、お父様の協力を得ながらも私は殿下のお眼鏡にかなうことができ、数か月の時を経て見事婚約へと漕ぎつけたのだ。


 ところがだ。


 いざ婚約には至ったものの、蓋を開けてみれば、そこに私への愛はなかった。


 この婚約は、もともと殿下が私のお父様に向ける敬意や羨望が、私と殿下を結ぶきっかけとして上手くはまったにすぎない。殿下の会合などに私が列席する場合、表面上は常にその仲良しぶりを周りに見せてきたが、結局のところ殿下の本心は、一度だって私を想うことはなかったのだ。


 二人になればすぐにわかる。殿下がどれほど大切に私と接しようとも、殿下の表情はいつも暗く遠くを見ていたのだから。


 そして先程、とうとう殿下は私にその想いを打ち明けてしまった――。



 ◇◇◇



 月に一度、城下町にはとある大道芸の一行がやってくる。


 侍女に気分転換にといわれた私は侍女を連れて町へとやってきたのだ。


 大道芸の公演は毎月の楽しみの一つでもあるのだが、殿下に婚約を破棄されたばかりということもあり気分は乗らなかった。


 ――殿下は私のことなど想ってはいなかった。そのことはわかってはいたのだけれど……いざ目の前にして婚約の破棄を告げられるというのは、とても気持ちのいいものではないわね。


 そして問題はもう一つあった。殿下との婚約破棄は今日にもお父様の耳に入るだろう。


 お父様が作ってくれたディエス家の好機を私は潰してしまったのだ。父はなんていうのだろうか。夕食時に怒られることを私は覚悟した。


 大道芸の会場に着いた。


 会場とはいっても広場を雑にロープで囲っただけのものだった。公演までまだ時間はあるが、ロープの外側は庶民で人が溢れかえっている。内側の有料席には、名のある家系の子息令嬢がちらほらと見える。


 侍女が支払いを済ませると私たちは中へと入る。侍女は角度よりも距離感を優先したいとのことだったので、私たちは空いている最前列の一番端に座った。


 私はため息をついた。今この場にいる中で、間違いなく私が一番この雰囲気を楽しんではいなかった。


 あの子が現れたのは、そんな時だった――。


「ねえ、隣いい?」


「え?」


 まさか声を掛けられるとは思ってもいなかった。


 振り向くと、そこには一人の女の子がいた。歳は十前後だろうか。綺麗な緑色のドレスを着ている。


「ねえってば! 隣いいの!?」


「え、ええ。構いませんわ」


「あは! ありがと!」


 女の子は私の隣に座った。


「ねえ、お姉ちゃん。名前は何ていうの?」


「名前、ですって?」


 ――この子、身なりはとても素敵ではあるのだけれど、教養はあまり足りてはいないのかしら? 


 品位のある令嬢は、社交の場や目上の人に名前を聞かれない限り、基本的には名前を明かしてはいけない。もちろんそれは、このような嗜みの場であっても同じである。そのことを弁えている令嬢は、決して相手に名前を聞くようなことはいわないのだが、この子は違った。


 侍女はこの子を追い払うためか席を立とうとするが、私はそれを遮る。


「申し訳ございませんが、私は名乗る程の身分ではございません」と、頭を下げて優しくこたえる。これが大人の対応なのだと教えるように。


「え~そうなの!? てっきり偉い人なのかと思ってた! だってね、失敗はしてるけどオージさんと結婚の約束までしてたんだもん! でも違うのかあ」


 ――ちょっと待って!? 婚約の破棄はまだ公にはなっていない。……それなのに、どうしてこの子は知っているの!?


「あなたはいったい――」


 誰なの? といいそうになる自分をかろうじて抑え込む。


 ――動揺のあまり自分を取り乱すところだったわ……。


 今しがた私はこの子に名前は聞かないという礼儀を説こうとしたのだ。それなのにもしも聞いてしまっては目も当てられない。


「婚約破棄の件はどうして知っているのですか? まだ未公表のはずですけども」


「私は見てたからね~。だから知ってるの」


 ――見ていた……?


「もしや、昨晩は殿下の屋敷にいらしていたのですか?」


「違う違う! そうじゃなくてね、お姉ちゃんの『糸』を今見たの!」


「『糸』……?」



 ◇◇◇




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