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しおりを挟む「愛とは何なのだろうか」
第五王子のロンナム様は頭を抱えながらそう呟いた。
「これはまた急に……。いかがなさいましたか、ロンナム様」
私は紅茶をおいてロンナム様の様子を注意深く観察した。
気品に溢れるロンナム様はこれまでに一度だって頭を抱える素振りは見せなかった。だけど、私は今日初めてロンナム様のそのお姿を目にしたのだ。
「既に婚約をしている他の王子は自らの意思でお相手を選ばれた。だが私はそうではない」
「ロンナム様は私のことがお嫌いですか?」
「そういう意味ではない。もちろん嫌ってなどもいない。ただ、私は女王様がお決めなさったこの婚約を受け入れねばならぬ立場だ。女王様のために身を捧げた者として、これはとても名誉あることなのだが、私は愛とは何を意味するのかわからないのだ」
「ロンナム様……」
私とロンナム様の婚姻は女王様が決めた政略結婚だ。もちろん私もロンナム様も女王様に不満はない。形こそ強制なる縁談ではあるものの婚約に伴う細微な申し出は全て対応してもらえた。結婚式を迎える前に既に王家に身を置いているのもその所以だ。
そして、この政略結婚はこの国で初となる施策でもあった。そもそも、これまでにこの国が政略結婚をしなかったことには理由がある。それは前国王様が政治に無頓着だったのだ。政略結婚に関わらずあらゆる方面で統治の杜撰さが垣間見れ、国が荒れていた時期があった。
その後、現女王様が即位なされてからはこの国の在り方が見違える程に変わった。
それは伯爵家として王家を傍から見てきた私にもわかった。いや、もしかしたら政治に関わりのない一人の民の立場から見てもそれは容易に知れたのかもしれない。前国王様が隣国との敗戦の責任で退位した直後より、現女王様はその手腕を生かして奔走された。そしてたった数年で国力を取り戻すに至ったことはまさに神の御業といえるだろう。
そんな女王様をロンナム様は慕っておられる。女王様にこたえたいという気持ちから、ロンナム様も婚約の成立を喜ばしく思っているとのことだった。
だけど、それは十四歳のロンナム様には荷が重かった――。
ロンナム様は自分を表に出さない。それは前国王様の時から行われた異常なまでの英才教育の所以だ。元々から物静かなロンナム様は、現女王様に代わってからも続いた王家の教育方針によって、常に女王様のため、この国のために生きるという思想となった。
そのことを、私は王家に身を寄せたその日にロンナム様の執事から聞いた。その時はロンナム様を憂い、同時に婚約者として私がロンナム様の心を開いていこうと決めたのだった。
「私に何かお力になれることはございますでしょうか?」
私がそう尋ねると、ロンナム様は紅茶を啜った後に口を開いた。
「……昨日、私は女王様の命により数年間の赴任のために発つルシアン王子を見送った」
そして物静かに話しはじめた。
その内容はこうだ――。
出発の時、ロンナム様は第四王子のルシアン様と話した際、「私は少しも怖くはない。女王様やこの国に仕えるその責務を果たさなくてはならないという気持ちもあるが、何より同行する妻のためにも私は臆してなどいられないのだ。たとえ行先が過去に何度も反乱が起こった場所であろうとも、私は身をもって妻を守らなくてはけないのだから」といわれたそうだ。
自分の命が危うくなってもルシアン様は妻を守る。自分よりも妻を優先するのだと。
自分が生きて戻ればまた女王様に仕えることができる。新しく婚姻を結ぶこともできる。なのに、ルシアン様は確固たる想いで妻を選ぶと。
理由を尋ねるとルシアン様はこうこたえた。
「愛があるからだ――」
その時にロンナム様は思われた。『私は女王様のためなら喜んでこの命を捧げるが、果たしてそれと同じことを私はミランダにできるのだろうか』と。
「ロンナム様……」
「すまないミランダ。ここのところ激務で疲れているようだ。今の話は聞かなかったことにしてくれ」
そういってロンナム様は残った紅茶を一気に飲み干した。
――何か言葉をかけなくては……。
と思った矢先、ドアがノックされた。
「ロンナム様、シエラ家の者がお見えです」
ロンナム様は執事の言葉に、「ああ、今いく」とこたえた。
――とうとう来たわね、お姉様方……。
◇◇◇
広い応接間には三人のお姉様がいた。
――アリエルお姉様にチタニアお姉様にオベロンお姉様だわ。
お姉様方の狙いはわかっている。
――そうはさせない……。ロンナム様を絶対に奪わせはしないわ!
私の婚約は決まっている。それは女王様がシエラ家の持つ広大な土地を掌握するために、女王様が出された婚約の打診を当家が引き受けたからだ。
その時、お父様は私を指名した。四人の娘の中で、私が一番王家へ嫁ぐに相応しいとご判断されたからだ。
だがお姉様方は納得しなかった。
そこでお姉様方はまずお父様の説得にかかった。そして度重なるやり取りの末、お父様は王家に問題がなければ嫁ぐ娘を変更すると約束してしまう。
次にお姉様方は、王家に勤める士官をその有り余る個人の財にて懐柔し、当家との政略結婚の内情を知った。どうやら、女王様の命によってこの政略結婚は行われるのだが、女王様は婚姻関係というその繋がりだけを見ているとのことだった。要は当家の娘であれば誰でもよかったのだ。
そこに光を見出したお姉様方は、金に物をいわせてあれよこれよと奔走し、政略結婚における王家側の権限を持つ執事長を突き止めた。そして執事長から、「シエラ家と契りを交わすロンナム様のご意向があれば、結婚式が行われるまではいつでも変更を受け付ける」という言質をとってしまう。
それからというもの、お姉様方は毎日のように王家にやってくるのだ。妹の私に代わってロンナム様と結ばれるために。
応接間の端で私がロンナム様を見守る中、お姉様方は、「ロンナム様~」と、どこから出しているのかわからない奇妙な声を発しながらロンナム様を囲った。
オベロンお姉様は、スタイルの良さを自慢するように他の二人とは違った露出の多いドレスを着ており、わざと胸を強調した立ち振る舞いを見せている。
――正直、そのような行いに意味なんてあるのかしら……。私でさえロンナム様と夜を明かしても、気を許しては下さらなかったのに。
チタニアお姉様は、とりあえずボディタッチといった感じに、ことあるごとに二人の死角からロンナム様のお身体に触れていた。
――あのようにべたべたと触って……なんて非常識なのかしら!
アリエルお姉様は、一番上でしっかり者としてのアピールなのか、他の二人よりも学があることを生かし、拙くロンナム様に指摘されながらも政治について話しておられる。
――政治の話は私にはわからない。あのようにロンナム様が生き生きとしてお話なさるお姿は、見ていて心が苦しい……。
そうやってお姉様方が色仕掛けをする一方で、遠くから眺める私の内心はハラハラとしていた。そして一時間程過ぎた頃、応接間のドアがノックされた。
執事が顔を出し、「ロンナム様、そろそろお時間でございます」と一言だけいった。
――ふう……。やっと今日の分も終えたわね……。
頷いたロンナム様はお姉様方に、「本日もお越し下さり本当にありがとうございました。とても有意義なお時間でした」と別れの挨拶して、背中を向けた。
「どうして……」
三女のオベロンお姉様だった。
「どうしてロンナム様は私たちのことを見ては下さらないの!」
それはあまりにも突然のことだった。予定にはなかったことなのだろう。二人は立ち震えているオベロンお姉様をなだめている。
結婚式まではもう十日もないため気が気ではなかったのかもしれない、と考えているうちに、ロンナム様がお姉様方に近寄っていた。
「そのようなことはない。私のために何度もここまでお越し下さるそのお気持ちには感謝している」
――ロンナム様はさすがだわ。本心は少しも出さず、ただしっかりとお姉様方を立てている。
「ではなぜ、私めのことを選んでは下さらぬのですか!?」
オベロンお姉様は二人を押し切りながらロンナム様に尋ねた。
「既に私はミランダと婚約している。他の者にうつつを抜かすほど私は――」
というロンナム様の言葉をかき消すように、更に感情的となったオベロンお姉様は言葉を被せる。
「いいえロンナム様! ロンナム様は気づいていますか!? 私たちはこんなにも! こんなにもロンナム様のことを愛していますのに!」
ロンナム様はしばらく固まった。そしてどこか落ち着いた声で、「愛しているとは……いったいどういう意味なのだ!?」といった。
遠くにいる私でもロンナム様の声の震えが伝わる。
このままではいけない、と思ったその時、ロンナム様は頭を抱えた。
――いけませんわ!
私は駆け寄っていた。
「あ、あの……ど、どうかされましたかロンナム様――」と、心配そうにするお姉様方の言葉を私は遮った。
「申し訳ございませんお姉様方! ロンナム様はこの後に女王様とのお約束がございます。ですので、私たちはこれで失礼します!」
そういって私は半ば強引にロンナム様を連れていく。お姉様方は何かとぼやいてはいたが、私はそれを無視し、ロンナム様と一緒に応接間を後にした。
◇◇◇
私たちは部屋に戻った。
ロンナム様はひどく取り乱していた。
「愛とはいったい何なのだ? 私にはわからない……わからないのだ!」
ロンナム様は英才教育と王子という立場から教養も経験も人並外れている。そのことが自信につながる一方で、愛というこれまでに一度も知る機会がなかったものの存在を前に、自信があっても愛を知りえないのなら、私は今まで何をやってきたのだと自己嫌悪に陥る。女王様にこたえるために自分は完璧なる王子を目指していたが、完璧ではなかったのだと打ちのめされる。そういったケースを私は彷彿とした。
ロンナム様はソファでうなだれる。
――こういう時こそ、私がロンナム様の御傍についていなくてはいけない……。
私はロンナム様の隣にそっと座り、手をとった。
ロンナム様は愛を知らない。これまでの環境がロンナム様を愛知らぬ存在へとさせてしまった。
だけど。
――これからはずっと私がいる。私が御傍で見守ることができる。
「ロンナム様……私にも愛が何なのかは上手く言葉にできませんが、私には亡きお母様よりお教えされた大切な想いがございます。それが今のロンナム様の求めている愛なのではないかと思うのです」
ロンナム様は顔をあげた。
「お母様は私がまだ小さかった頃に亡くなりました。生前にお母様と過ごした記憶は少ないのですが、それでも今も鮮明に覚えていることがございます」
そういって私は握っているロンナム様の手にぎゅっと力を込めた。
「私がまだ三歳の頃、ブリエという私より年が三つ上のお姉様がいました。ブリエお姉様は他のお姉様と違い、とても大人しくて思いやりのある御方でした。ところがある日のこと、ブリエお姉様は当家の家訓を破り破門されてしまいます。何があったのかは今もわからないままなのですが、お父様は、『ブリエは初めからいなかったように振る舞う』という旨を家訓に追加されました」
ブリエお姉様は私に対しても優しく接してくれていた。数少ない記憶をいくら掘り起こしても、ブリエお姉様が家訓を破るような悪いことをするとは思えなかった。
「私はお母様にいいました。何かの間違いではないのかと。するとお母様は私を誰もいない部屋に連れていきました。そしてこうおっしゃったのです。『ブリエの破門は変えられない。だけど私はブリエを信じている。だからミランダも私のように信じなさい』と」
お母様もブリエの破門は快く思ってはいなかった。だけど庶民の身として伯爵家に嫁いできたお母様が、お父様に意見をすることなどできるわけもなく、お父様が決められたその決定にただただ従うばかりであった。
「そしてあの日が訪れた……。お母様は破門にあったブリエお姉様と密かに文通をしており、それがお父様に見つかってしまったのです。そして怒りのあまりにお母様を家から追い出してしまいました。それから数日後のことです。お母様の訃報が届いたのは……」
ロンナム様は黙って私の話を聞いてくれている。だから目頭が熱くなってくるけど、今は泣くわけにはいけない。お母様から学んだこの想いを、私は淀みなくロンナム様に伝えたかったから。
「お母様は追い出されるその間際にこうおっしゃいました。『大事な我が子を想わない親に親と名乗る資格はありません。私は一人の母親として我が子を愛しています。名誉や家訓に縛られず自由に人を想いやることができるあの子を、私は生涯をかけて想い続けます』」
「そしてお母様は隅で怯える私たちに向けて、『たとえ私がここにいなくても、私はあなたたちのことも生涯ずっと想い続けます。もう会えなくなったとしても、想い続ける限り、自分の中でその人は生き続けるのだから。そして忘れないで。あなたたちが私を想い続ける限り、私はずっとあなたたちの心の中にいますから……』とおっしゃいました」
年を重ね、物心がつくようになってからは、どうしてあの時の私は声をあげることをしなかったのかと何度も後悔した。過ぎたことは変えられない。だけど、それと同じように私はあの時からずっとこの想いを抱いている。
「私がお母様から最後に教わったこと。それは、人を愛するということは、その人のことをただ純粋に想い続けるということを」
お母様は、その命に代えても我が子を想うことをやめなかった。そんなお母様を私は今も尊敬している。
「そして、私にもかつてのお母様のようにその想いを向ける御方と出会うことができました。これから先、どんなに分厚い壁があろうとも、私のこの想いだけは決して途切らせません。たとえロンナム様が愛を知らないままでいらしても……私はずっとロンナム様のことを想い続けると決めたのですから」
ロンナム様は一言も発しない。でも、言葉にしなくても伝わっているような気がした。たとえ涙を流してはいなくても、握ったその手は震えていたから。
今のようにロンナム様が頭を抱えてお悩みになられたとしても。
――これからはずっと私がいる。私が御傍で見守ることができる。
「私は……ロンナム様を失いたくはないから、これからは私が御傍でロンナム様のお世話を致します」
私はロンナム様の目を見る。
私の想いを届けるために。
かつてのお母様が私にしてくれたように。
お母様やブリエお姉様が私の中で生き続けているように。
「だから……一人でお悩みにならないでください。ロンナム様のこれからを私は御傍で見守りたいから……」
その想いが愛となることを信じて――。
おわり。
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