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第6話 こぼれた水(8/13)
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「ふむ。どうやらお前は、俺に罪悪感を抱いているようだな……。だが、俺は今、お前のことを何も覚えていない。だから、お前が自分を悪く思うような事は、何一つない」
「……いや。その理屈はちょっと、無茶だろ」
涙目で苦笑すれば、ルスもまた小さく笑う。
「そうか、流石に難しいか……」
「けど、ありがとな、励ましてくれて」
俺はなるべく丁寧に微笑んで、ルスを見る。
「励ましになったのなら、何よりだ」
相変わらず男前に微笑むルスに、俺も、少しでも、力にならなきゃな。
「ルスも、俺を頼ってくれよな。何か不安な事とか……あるだろ?」
俺の言葉に、ルスは考えるような素振りをしてから、答える。
「そうだな……。記憶を無くして、この先どうやって食べていこうかという不安はあるな」
「そんなの、俺がルスが死ぬまで面倒見てやるよ」
「……そうなのか?」
「こう見えて、貯金はけっこーしてんだぜ?」
えへん。と胸を張って答える。
まあ、給料は中隊長なら普通の額だが、ルスはしょっちゅう部下に何かの祝いだとか奢りだとか言って集られてたからな。その分も俺が貯めておいた。ルスが金に困ったらと思って。
「ふむ……それならもう、不安はないな」
あっさり告げるルス。
「おいおいおい、こんな口約束で安心していーのかよっ」
「なんだ? 冗談だったのか?」
「じ、冗談なもんかっっ。騎士として誓いを立ててもいいぜ!」
「それなら、安心して良いじゃないか」
う。うう……。そんな、にっこり笑って。
そんな簡単に、俺のこと信じてくれんのかよ……。
「あっ、だからって、別に俺の事好きになれとか言わねーからなっ」
慌てて口走った俺の言葉に、キョトン、とルスが俺をみる。
あー。うん。そんな不埒なこと考えんのは、俺だけだって話だよな、これ……。
恥ずかしさに赤面する俺に、ルスは「ははは」と爽やかに笑って言った。
「お前が、好意を抱くに値する人物なら、自然に好きになるだろうよ」
うぁああああ。何だそれ、ハードルたけぇぇぇぇぇぇ。
こうして、俺とルスの、ちょっとだけギクシャクした生活が始まった。
最初の三日間は、俺が団長から規則違反やら何やらで謹慎を喰らってたので、反省文の山に埋もれつつも、二人一緒に過ごした。
……もしかしたら、団長なりに気遣ってくれてんのかも知れないな……とは思ったが、反省文の要求量には、確かな怒りも感じ取れた。
何にも知らねぇルスが、学生の頃の話を面白がって聞いてくれるので、俺はついつい盛って話してしまったりもした。
一週間、一ヶ月と経つうち、ケイトの言った通り、ルスは色々な事を思い出していった。
昔のことから順番に思い出すルスは、学生の頃の話は盛り過ぎだと文句を言ったり、彼女の事や蟻の件を思い出しては俺に謝ったりしていた。
そんなルスは、足を怪我をした辺りまでを思い出すと、それ以上思い出さなくなってしまった。
川辺を歩いたり、買い物をしたりと、のんびり一日を共に過ごした休日の夕方、ルスは申し訳なさそうに俺に言った。
「……どうしても、お前とのことだけが思い出せんな。医者も、怪我に近い記憶ほど思い出せん可能性が高いと言っていたが……」
「まあなー……、俺達が付き合い始めたのって、怪我の一週間くらい前だったからなぁ……」
「は……?」
ルスがそれきり黙ってしまったので、俺は調理の手を止めて、ルスを振り返る。
「そんなに付き合いたてだったのか!? なぜもっと早くに言わなかった!!」
怒鳴られて、驚く。
え? 何? ルス何に怒ってんの??
「俺は、お前が手を出してこないのは、俺の体に興味がないからかと思っていたんだ!」
「え……えええ!? いや、そんなこと、全っっっ然ねーよ!!」
「まさか……まだだっただけなのか??」
「い、いや、それはちげーんだけど、さ……」
「ん? じゃあどういう事だ」
「だから……その……、ルスに、い、嫌がられたらと……思うと……」
俺は、記憶を失ったルスに手を出して、拒否されてしまうのが怖くて、まだ触れるだけの口付けしかしていなかった。
「お前の知る俺は、お前との行為を嫌がったのか?」
「……っっ」
俺は、真っ赤になって首を振った。
そんな事ない。
ルスは、俺に触れたいと言ってくれた。
俺を求めてくれて、俺の身体で感じてくれた。
俺に、跡を残してくれた……。
俺は思わずルスに印を残された首元を押さえる。
でもこのルスは、それを知らない。
もうすっかり消えてしまった印は、あの日消えてしまったルスそのものだった。
じっと俺を見つめるルスの黒い瞳が、じわりと欲を滲ませている。
俺はごくりと喉を鳴らすと、火を止めて、ルスに向き直った。
ソファに座るルスの視線に誘われるように近付けば、ルスはぐいと俺の腕を引く。
ルスとの距離が、触れそうな程に近付く。
「……俺は、お前が抱きたい。……いいか?」
その言葉に、俺の中にも熱が宿る。
つーか、やっぱり、ルス的には俺が抱かれる側なんだな……。
俺は、懐かしい気持ちと、嬉しい気持ちと、その思い出が俺の中にしかない胸の痛みの混ざったままの心で、頷いた。
準備をすると言ったら、やはり首を傾げていたルスに「……色々あんだよ」とだけ告げて、俺は風呂場に向かった。
今日は俺の家だったから、道具もあるし、良かった。
俺達はまだ、ルスの家と俺の家を代わる代わる行き来しながら生活していた。
『一緒に暮らそう』と言ってくれたルスは戻らないが、一緒に暮らしてくれるルスは、ここに居る。
『嫁にもらおう』と言ってくれたルスは消えてしまったが、ルスは、俺を求めてくれた。
俺はそんな、僅かな差異に、日々心を擦り減らしていた。
「ルス……」
じわりと視界が歪む。
……胸が痛い。
痛くて痛くて、もう潰れてしまいそうだった。
「……いや。その理屈はちょっと、無茶だろ」
涙目で苦笑すれば、ルスもまた小さく笑う。
「そうか、流石に難しいか……」
「けど、ありがとな、励ましてくれて」
俺はなるべく丁寧に微笑んで、ルスを見る。
「励ましになったのなら、何よりだ」
相変わらず男前に微笑むルスに、俺も、少しでも、力にならなきゃな。
「ルスも、俺を頼ってくれよな。何か不安な事とか……あるだろ?」
俺の言葉に、ルスは考えるような素振りをしてから、答える。
「そうだな……。記憶を無くして、この先どうやって食べていこうかという不安はあるな」
「そんなの、俺がルスが死ぬまで面倒見てやるよ」
「……そうなのか?」
「こう見えて、貯金はけっこーしてんだぜ?」
えへん。と胸を張って答える。
まあ、給料は中隊長なら普通の額だが、ルスはしょっちゅう部下に何かの祝いだとか奢りだとか言って集られてたからな。その分も俺が貯めておいた。ルスが金に困ったらと思って。
「ふむ……それならもう、不安はないな」
あっさり告げるルス。
「おいおいおい、こんな口約束で安心していーのかよっ」
「なんだ? 冗談だったのか?」
「じ、冗談なもんかっっ。騎士として誓いを立ててもいいぜ!」
「それなら、安心して良いじゃないか」
う。うう……。そんな、にっこり笑って。
そんな簡単に、俺のこと信じてくれんのかよ……。
「あっ、だからって、別に俺の事好きになれとか言わねーからなっ」
慌てて口走った俺の言葉に、キョトン、とルスが俺をみる。
あー。うん。そんな不埒なこと考えんのは、俺だけだって話だよな、これ……。
恥ずかしさに赤面する俺に、ルスは「ははは」と爽やかに笑って言った。
「お前が、好意を抱くに値する人物なら、自然に好きになるだろうよ」
うぁああああ。何だそれ、ハードルたけぇぇぇぇぇぇ。
こうして、俺とルスの、ちょっとだけギクシャクした生活が始まった。
最初の三日間は、俺が団長から規則違反やら何やらで謹慎を喰らってたので、反省文の山に埋もれつつも、二人一緒に過ごした。
……もしかしたら、団長なりに気遣ってくれてんのかも知れないな……とは思ったが、反省文の要求量には、確かな怒りも感じ取れた。
何にも知らねぇルスが、学生の頃の話を面白がって聞いてくれるので、俺はついつい盛って話してしまったりもした。
一週間、一ヶ月と経つうち、ケイトの言った通り、ルスは色々な事を思い出していった。
昔のことから順番に思い出すルスは、学生の頃の話は盛り過ぎだと文句を言ったり、彼女の事や蟻の件を思い出しては俺に謝ったりしていた。
そんなルスは、足を怪我をした辺りまでを思い出すと、それ以上思い出さなくなってしまった。
川辺を歩いたり、買い物をしたりと、のんびり一日を共に過ごした休日の夕方、ルスは申し訳なさそうに俺に言った。
「……どうしても、お前とのことだけが思い出せんな。医者も、怪我に近い記憶ほど思い出せん可能性が高いと言っていたが……」
「まあなー……、俺達が付き合い始めたのって、怪我の一週間くらい前だったからなぁ……」
「は……?」
ルスがそれきり黙ってしまったので、俺は調理の手を止めて、ルスを振り返る。
「そんなに付き合いたてだったのか!? なぜもっと早くに言わなかった!!」
怒鳴られて、驚く。
え? 何? ルス何に怒ってんの??
「俺は、お前が手を出してこないのは、俺の体に興味がないからかと思っていたんだ!」
「え……えええ!? いや、そんなこと、全っっっ然ねーよ!!」
「まさか……まだだっただけなのか??」
「い、いや、それはちげーんだけど、さ……」
「ん? じゃあどういう事だ」
「だから……その……、ルスに、い、嫌がられたらと……思うと……」
俺は、記憶を失ったルスに手を出して、拒否されてしまうのが怖くて、まだ触れるだけの口付けしかしていなかった。
「お前の知る俺は、お前との行為を嫌がったのか?」
「……っっ」
俺は、真っ赤になって首を振った。
そんな事ない。
ルスは、俺に触れたいと言ってくれた。
俺を求めてくれて、俺の身体で感じてくれた。
俺に、跡を残してくれた……。
俺は思わずルスに印を残された首元を押さえる。
でもこのルスは、それを知らない。
もうすっかり消えてしまった印は、あの日消えてしまったルスそのものだった。
じっと俺を見つめるルスの黒い瞳が、じわりと欲を滲ませている。
俺はごくりと喉を鳴らすと、火を止めて、ルスに向き直った。
ソファに座るルスの視線に誘われるように近付けば、ルスはぐいと俺の腕を引く。
ルスとの距離が、触れそうな程に近付く。
「……俺は、お前が抱きたい。……いいか?」
その言葉に、俺の中にも熱が宿る。
つーか、やっぱり、ルス的には俺が抱かれる側なんだな……。
俺は、懐かしい気持ちと、嬉しい気持ちと、その思い出が俺の中にしかない胸の痛みの混ざったままの心で、頷いた。
準備をすると言ったら、やはり首を傾げていたルスに「……色々あんだよ」とだけ告げて、俺は風呂場に向かった。
今日は俺の家だったから、道具もあるし、良かった。
俺達はまだ、ルスの家と俺の家を代わる代わる行き来しながら生活していた。
『一緒に暮らそう』と言ってくれたルスは戻らないが、一緒に暮らしてくれるルスは、ここに居る。
『嫁にもらおう』と言ってくれたルスは消えてしまったが、ルスは、俺を求めてくれた。
俺はそんな、僅かな差異に、日々心を擦り減らしていた。
「ルス……」
じわりと視界が歪む。
……胸が痛い。
痛くて痛くて、もう潰れてしまいそうだった。
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