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第2話 蟻と王都と祝い酒(1/3)
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まだそう遅い時間では無かったが、酒場の中は、明るい賑わいに包まれていた。
戦いによる高揚感からか、勝利による万能感からか、ハメを外しかけていた若い連中を、鮮やかな金髪の男がやんわりと窘めている。
気分良く飲んでる連中にも、ハメを外しかけた奴にも『叱られた』と思わせないそのやり方を、上手いもんだなと感心しながら眺めていると、くるりと振り返ったその男と目が合った。
鮮やかな金髪の男は、赤い巻布で一つに括った長い金髪をなびかせて、俺の隣の席へと戻ってきた。
酒場の中は、ほとんどが見知った顔で埋め尽くされている。
自分の隊の隊員達と、この金髪の男、レインズが率いる三番隊の隊員達だ。
今日は、平和を祈る勇者の記念式典のはずが、突然の魔物の乱入で、王都は一時騒然となった。
しかしそれも、周辺警備に当たっていた俺達九番隊と駆け付けてくれた三番隊の迅速な討伐で被害は最小限に抑えられた。
――……そこまでは良い。
が、今の、この状況はいただけない。
俺の貯金は、今、両隊の隊員達への奢りで最大のピンチを迎えていた。
「飲んでるか!?」
俺の肩に腕を回して、体重を遠慮なくかけてきたレインズは、ジョッキを片手に、溢れんばかりの笑顔を見せる。
俺は、眼前にはらりと落ちてきた自分の黒髪を、他の髪と一緒に後ろに撫で付けながら半眼で答えた。
「まあな」
うんざりした調子で答えたものの、こいつのこんな緩んだ顔を見ていては、それもままならない。
出費は痛かったが、今日十二分に働いてくれたこいつや、隊員達が嬉しそうに飲むなら、それでいいような気がしてしまう。
俺のような、妻も子も無くした奴には、他に有効な使い道もないしな。
自嘲も混ざって、俺の口端は自然と上がっていた。
俺の機嫌が悪く無い事に気を良くしたらしいレインズが、鮮やかな青い瞳を細める。
「今日はお前のおごりだからな、ガンガン飲めよ」
そういうのは、奢られてる側が言う台詞じゃないだろう。
俺は、眉間にわざとらしく皺を寄せると、ぐいぐいと肩を寄せてくる酒臭い親友に言い返す。
「少しくらい遠慮しろ」
しかしレインズには怯む様子もない。
「何言ってんだお前、あの時俺が来なかったら、今頃蟻の巣の中だぞ?」
言われて、思わず今日の窮地が脳裏を過ぎる。
いつもの長剣を、式典用の模造剣しか持たなかった勇者に渡したため、あの時俺は、蟻の群れ相手に短剣一本で戦っていた。
新人の頃はいつでも予備の剣を持っていたのに、最近は動きが悪くなるからと、疎かにしていた。
重いからと嫌がらずに、長剣は二本くらい持っておくべきだな。と反省しながら、俺は答える。
「ああ……そうだな。助かった」
「お前、俺を見て泣きそうな顔してたもんな」
何故かやたらと嬉しそうな親友に、俺は眉を顰めて反論する。
「いや、それは流石に言い過ぎだろ」
親友は酒が回っているのか、俺の言葉にも白い歯をのぞかせて明るく笑うだけだった。
そんなレインズが、回していた腕で、俺の肩をぐいと抱き寄せる。
酒臭い息が顔にかかる。が、俺もまあ似たようなものだろう。
何か言いたい事があるらしい親友の顔を覗き込むと、青い瞳がどこか祈るような色でじっとこちらを見つめていた。
「いいか? お前、絶対早死にするなよ? あの新米勇者君には、まだまだお前が必要なんだからな」
レインズの声は、どこかふざけているような、いつもの調子だった。
口元にも、いつもの弛んだ笑みが浮かんでいる。
そんな中で、青いその眼差しだけがあまりに切実で、まるで心からの願いであるかのように錯覚してしまいそうになる。
「何かと思えばそんな事か」
と俺が口にすれば、レインズは一瞬でその瞳に浮かんだ真剣さを霧散させる。
「分かってるさ。俺だってまだまだ現役を退くつもりはない」
応えて笑顔を返せば、青い瞳はじわりと緩んだ。
表面上はほとんど変わらないこの男が、ようやくホッとした様子を見せた事に、俺は昼間の蟻の姿を思う。
……王都で蟻を見たのは、五年ぶりだった。
もう五年も前の事なのかと思う気持ちと、まだ五年しか経っていないのかという思いが、胸に入り混じる。
あの日俺は、この世で一番大切だった妻と、何よりも守りたかった息子の命を失った。
王都に蟻が出たと聞いて、出現地点の穴から近い自宅へ全力で走った俺が目にしたのは、蟻の大きな顎に咥えられた彼女の頭と、そこにぶら下がる体が抱き締めたままの、息子だった物の姿だった。
目の前で、彼女の頭が蟻に噛み潰された。
その後のことは、正直、意識が混濁していてあまりよく覚えていない。
身体中の血が煮え繰り返って、それでいて、何処かが凍えそうなほどに冷え切っていて、俺は怒りと憎しみのままに、後から後からわいてくる蟻をひたすら倒した。
気付いた時には、ベッドの上だった。
俺の隣には、レインズが寝かされていた。
顔面を包帯でぐるぐると覆われたその姿は、俺よりもずっと無惨な姿に思えた。
隊員から聞いた話によれば、レインズは自分の隊だけでなく、俺の置いてきた隊員までも残さず拾って、前線で指揮を取っていたらしい。
自棄になっていた俺は、後先考えずに暴れ狂っていたせいで、戦闘の途中で力尽き動けなくなっていたようだ。
蟻に足を咥えられ、半分巣に引きずり込まれていたところを、レインズが救い出してくれたらしい。
確かに、朧げな記憶の中に、血塗れの金髪碧眼が俺へ必死で手を伸ばしていた映像が残っている。
あの、いつもやる気の無さそうなレインズが、まるで別人のようだったと、隊員達は口を揃えて報告してきた。
鬼神のように強く、恐ろしいほどに鬼気迫っていたと語る隊員達には、僅かな畏怖が残っていた。
本気のレインズなんて、俺だってほとんど見た事がない。
俺は、隣でまだ眠ったままの、鼻以外を包帯で覆われたレインズの顔を見る。
あの整った顔立ちが俺のせいで失われてしまったのだとしたら。
俺は、なんて取り返しのつかない事をしてしまったのか……。
幼い頃に、家族も生まれ育った村も丸ごと魔物に潰されていた俺にとって、妻と子は、やっと、もう一度手に入れた安らぎだった。
それを目の前で潰されて、もう自分には何も無くなったと思っていた。
けれど、まだここに……。
俺を案じて、命を賭して助けようとしてくれる存在がいたのに。
自分が、中隊長という立場も忘れて暴走したせいで、レインズが割りを食った。
俺は、妻も子も失った上、危うく親友までもを自ら失うところだった。
彼女と息子を思えば、一瞬で暗い感情が蘇る。
けれどそれは、今に始まった事じゃない。
俺の内側は、いつだって憎悪でいっぱいだ。
両親、兄弟、友人、恩師、故郷……そんな全てを奪った魔物を俺はまだ一度だって許せない。
今回だって結局そうだ。
泣いても暴れても、彼女も息子も戻っては来ない。
ただ胸にあった幸せが、消えそうにない憎しみに変わった。
俺の中の憎悪が、また増えただけだ。
そんな俺の個人的な事情に、レインズも隊員達も、巻き込む訳にはいかない。
自身の内側を努めて冷静に分析しながら、俺は力の限り自戒する。
どれほどの事が起きようと、この先俺は、騎士として、もう二度と自分を見失うようなことはしない。
決して、しないと心に誓う。
包帯に包まれた親友の横顔から目を逸らさずに、俺は二度とそれを忘れないよう、強く強く心に刻みつける。
レインズは結局その日、目を覚まさなかった。
戦いによる高揚感からか、勝利による万能感からか、ハメを外しかけていた若い連中を、鮮やかな金髪の男がやんわりと窘めている。
気分良く飲んでる連中にも、ハメを外しかけた奴にも『叱られた』と思わせないそのやり方を、上手いもんだなと感心しながら眺めていると、くるりと振り返ったその男と目が合った。
鮮やかな金髪の男は、赤い巻布で一つに括った長い金髪をなびかせて、俺の隣の席へと戻ってきた。
酒場の中は、ほとんどが見知った顔で埋め尽くされている。
自分の隊の隊員達と、この金髪の男、レインズが率いる三番隊の隊員達だ。
今日は、平和を祈る勇者の記念式典のはずが、突然の魔物の乱入で、王都は一時騒然となった。
しかしそれも、周辺警備に当たっていた俺達九番隊と駆け付けてくれた三番隊の迅速な討伐で被害は最小限に抑えられた。
――……そこまでは良い。
が、今の、この状況はいただけない。
俺の貯金は、今、両隊の隊員達への奢りで最大のピンチを迎えていた。
「飲んでるか!?」
俺の肩に腕を回して、体重を遠慮なくかけてきたレインズは、ジョッキを片手に、溢れんばかりの笑顔を見せる。
俺は、眼前にはらりと落ちてきた自分の黒髪を、他の髪と一緒に後ろに撫で付けながら半眼で答えた。
「まあな」
うんざりした調子で答えたものの、こいつのこんな緩んだ顔を見ていては、それもままならない。
出費は痛かったが、今日十二分に働いてくれたこいつや、隊員達が嬉しそうに飲むなら、それでいいような気がしてしまう。
俺のような、妻も子も無くした奴には、他に有効な使い道もないしな。
自嘲も混ざって、俺の口端は自然と上がっていた。
俺の機嫌が悪く無い事に気を良くしたらしいレインズが、鮮やかな青い瞳を細める。
「今日はお前のおごりだからな、ガンガン飲めよ」
そういうのは、奢られてる側が言う台詞じゃないだろう。
俺は、眉間にわざとらしく皺を寄せると、ぐいぐいと肩を寄せてくる酒臭い親友に言い返す。
「少しくらい遠慮しろ」
しかしレインズには怯む様子もない。
「何言ってんだお前、あの時俺が来なかったら、今頃蟻の巣の中だぞ?」
言われて、思わず今日の窮地が脳裏を過ぎる。
いつもの長剣を、式典用の模造剣しか持たなかった勇者に渡したため、あの時俺は、蟻の群れ相手に短剣一本で戦っていた。
新人の頃はいつでも予備の剣を持っていたのに、最近は動きが悪くなるからと、疎かにしていた。
重いからと嫌がらずに、長剣は二本くらい持っておくべきだな。と反省しながら、俺は答える。
「ああ……そうだな。助かった」
「お前、俺を見て泣きそうな顔してたもんな」
何故かやたらと嬉しそうな親友に、俺は眉を顰めて反論する。
「いや、それは流石に言い過ぎだろ」
親友は酒が回っているのか、俺の言葉にも白い歯をのぞかせて明るく笑うだけだった。
そんなレインズが、回していた腕で、俺の肩をぐいと抱き寄せる。
酒臭い息が顔にかかる。が、俺もまあ似たようなものだろう。
何か言いたい事があるらしい親友の顔を覗き込むと、青い瞳がどこか祈るような色でじっとこちらを見つめていた。
「いいか? お前、絶対早死にするなよ? あの新米勇者君には、まだまだお前が必要なんだからな」
レインズの声は、どこかふざけているような、いつもの調子だった。
口元にも、いつもの弛んだ笑みが浮かんでいる。
そんな中で、青いその眼差しだけがあまりに切実で、まるで心からの願いであるかのように錯覚してしまいそうになる。
「何かと思えばそんな事か」
と俺が口にすれば、レインズは一瞬でその瞳に浮かんだ真剣さを霧散させる。
「分かってるさ。俺だってまだまだ現役を退くつもりはない」
応えて笑顔を返せば、青い瞳はじわりと緩んだ。
表面上はほとんど変わらないこの男が、ようやくホッとした様子を見せた事に、俺は昼間の蟻の姿を思う。
……王都で蟻を見たのは、五年ぶりだった。
もう五年も前の事なのかと思う気持ちと、まだ五年しか経っていないのかという思いが、胸に入り混じる。
あの日俺は、この世で一番大切だった妻と、何よりも守りたかった息子の命を失った。
王都に蟻が出たと聞いて、出現地点の穴から近い自宅へ全力で走った俺が目にしたのは、蟻の大きな顎に咥えられた彼女の頭と、そこにぶら下がる体が抱き締めたままの、息子だった物の姿だった。
目の前で、彼女の頭が蟻に噛み潰された。
その後のことは、正直、意識が混濁していてあまりよく覚えていない。
身体中の血が煮え繰り返って、それでいて、何処かが凍えそうなほどに冷え切っていて、俺は怒りと憎しみのままに、後から後からわいてくる蟻をひたすら倒した。
気付いた時には、ベッドの上だった。
俺の隣には、レインズが寝かされていた。
顔面を包帯でぐるぐると覆われたその姿は、俺よりもずっと無惨な姿に思えた。
隊員から聞いた話によれば、レインズは自分の隊だけでなく、俺の置いてきた隊員までも残さず拾って、前線で指揮を取っていたらしい。
自棄になっていた俺は、後先考えずに暴れ狂っていたせいで、戦闘の途中で力尽き動けなくなっていたようだ。
蟻に足を咥えられ、半分巣に引きずり込まれていたところを、レインズが救い出してくれたらしい。
確かに、朧げな記憶の中に、血塗れの金髪碧眼が俺へ必死で手を伸ばしていた映像が残っている。
あの、いつもやる気の無さそうなレインズが、まるで別人のようだったと、隊員達は口を揃えて報告してきた。
鬼神のように強く、恐ろしいほどに鬼気迫っていたと語る隊員達には、僅かな畏怖が残っていた。
本気のレインズなんて、俺だってほとんど見た事がない。
俺は、隣でまだ眠ったままの、鼻以外を包帯で覆われたレインズの顔を見る。
あの整った顔立ちが俺のせいで失われてしまったのだとしたら。
俺は、なんて取り返しのつかない事をしてしまったのか……。
幼い頃に、家族も生まれ育った村も丸ごと魔物に潰されていた俺にとって、妻と子は、やっと、もう一度手に入れた安らぎだった。
それを目の前で潰されて、もう自分には何も無くなったと思っていた。
けれど、まだここに……。
俺を案じて、命を賭して助けようとしてくれる存在がいたのに。
自分が、中隊長という立場も忘れて暴走したせいで、レインズが割りを食った。
俺は、妻も子も失った上、危うく親友までもを自ら失うところだった。
彼女と息子を思えば、一瞬で暗い感情が蘇る。
けれどそれは、今に始まった事じゃない。
俺の内側は、いつだって憎悪でいっぱいだ。
両親、兄弟、友人、恩師、故郷……そんな全てを奪った魔物を俺はまだ一度だって許せない。
今回だって結局そうだ。
泣いても暴れても、彼女も息子も戻っては来ない。
ただ胸にあった幸せが、消えそうにない憎しみに変わった。
俺の中の憎悪が、また増えただけだ。
そんな俺の個人的な事情に、レインズも隊員達も、巻き込む訳にはいかない。
自身の内側を努めて冷静に分析しながら、俺は力の限り自戒する。
どれほどの事が起きようと、この先俺は、騎士として、もう二度と自分を見失うようなことはしない。
決して、しないと心に誓う。
包帯に包まれた親友の横顔から目を逸らさずに、俺は二度とそれを忘れないよう、強く強く心に刻みつける。
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