上 下
8 / 30
主人サイドのお話

すれ違う秋(4/4)

しおりを挟む
真っ直ぐに続く廊下を、私は足早に歩いていた。
本当は駆け出してしまいたかったけれど、長いドレスを着ている以上、それに相応しい振る舞いをしなくてはならない。

結局、日が暮れるまで公務に追われてしまった。
本当はもう少し早く終わらせるつもりだったのに、あの古狸が余計な件を持ち込まなければ……。
思わず皺を寄せた眉間を、隣を歩くノクスに見咎められ、仕草で窘められる。

ああ、本当に。
こんな顔は、彼には見せたくない……。

私は、歩みを止めないままに、深く息を吸って、吐く。
彼が私との結婚を受け入れてくれるというのなら、せめて私も、彼の隣に立つ女性として相応しいように、見た目だけでも女性らしく、美しくありたい。
そう願ってから、ふと疑問が過ぎる。
果たして、それでいいのだろうか。と。
国の者達が私に求めているのは、間違いなくそういった姿なのだが、彼は私に、一体何を求めているのだろうか。

彼は、私が欲しいと言ってくれた。

けれど私には『私』がどういうものなのか、いまだに分からないままだった。


ノクスの開けた扉をくぐる。
「お待たせして、申し訳ありません」
上がる息を堪えて、淑女らしく礼をする。
色とりどりの花で飾られた食卓には、ヴィルと、その後ろに彼の従者。それになぜか、父が居た。

「お父様……!?」
私の声に、父が苦笑を浮かべる。
「いや、勝手にすまないね。お前が手間取っているという話を聞いて、少し話をさせてもらっていたんだ」
父は雪のような真っ白な毛並みを揺らして、赤い瞳を細めるとそう言った。
父が席を立とうとする仕草に、ヴィルの従者が椅子を下げる。
父は何故か、一人も供を付けずに来ていたらしい。
そういえば、扉の外に二人ではなく三人立っていたような気もする。
急いでいたので、よく見ていなかったけれど。

父は呆然としている私に近付くと、そっと囁いた。
「お前の伴侶となる人が、良い人で安心したよ」
「!?」
一体、父はヴィルとどんな話をしたというのだろうか。
思わず振り返る私に父は赤い瞳をゆっくり細める。
その瞳には、深い深い懺悔の色が、チラリと見えた。
「……私は、お前の幸せを願っているよ」
小さな囁きは、おそらく兎の耳にしか届かない、そんなささやかなものだった。

……どういう、事なのだろうか。
悩む私の横を父は通り過ぎると、部屋の出口で振り返り「邪魔をしたね」と爽やかに微笑んで部屋を出た。

父の背が扉で見えなくなって、私は視線をヴィルに戻す。

ヴィルはふわふわとしたたてがみを揺らすと、私に着席を促した。
「まあ座れ。疲れただろう」
「あ、ありがとうございます。遅くなってしまい、大変申し訳ありません……」
謝罪の言葉を口にしながら私が席に着くと、ノクスがそっと椅子を押す。

「二人だけの時は、敬語じゃなくていいだろ?」
どこか寂しげにそう言われて、それもそうかも知れない。と思って口を開きかけて、閉じる。
「……っ」
私の素の口調は、あまりその……、女性らしくはない。
それでも、本当に……良いのだろうか。

「……昨日は、普通に話してくれたじゃないか」
その声が酷く寂しそうに聞こえて、私は慌てて顔を上げる。
「あの……そ、の……」
「ん?」
ヴィルは、白い瞳をゆるりと細めて私の次の言葉を待っている。
その眼差しに、私は思ったままのことを伝える。
「あまり……私の、言葉は、女らしくない、から……」
ヴィルは一瞬キョトンとした顔をして、それから答えた。
「当たり前だろ。お前は男なんだから」
彼の言葉に、胸が痛んだ。
彼は、私の事を男だと思っているのだ。

彼が私に求めているのが、もし『男の私』なのだとしたら……。

私が既に、男で無くなってしまった事を、彼が知った時、彼はどう思うのだろうか。

息が苦しくて、俯く。
涙が零れそうで、ぎゅっと両手を握り締めた。

「アンリ……?」
彼の気遣うような声。
と、同時に誰かの咳払い。方向的に、彼の従者だろうか。
ヴィルは慌てて口元を押さえた。
「や、違うなええと……。お前を『アリィ』と、呼ばせてもらってもいいか?」
初めて聞く名に、私は顔を上げた。
「アリィ……?」
口に出してみる。男性とも女性とも取れそうな、けれどもどちらでもなさそうな、その呼び名は、私によく似ているように思えた。
私を見つめるヴィルが、真剣な、どこか不安そうな瞳をしていることに気付く。
私が気に入るかどうか。それだけの事が、この人にとって、そんなに大事な事なのだろうか。
「ありがとう……。嬉しい……」
心配そうな彼に、私は微笑んだつもりだった。
けれど、細めた瞳からはなぜか涙が零れた。

彼が、慌てて席を立つ。
何でもないと、心配しないでと言いたかったけれど、言葉は喉に詰まってしまった。
次の瞬間には、私の頭はすっぽり、彼のふかふかの胸元に埋められていた。
「呼び方が変わっても、俺の中の、アンリは死なないからな!」
ぎゅっと頭を抱え込まれて、彼の声が酷く近い。
「俺はいつまでも、アンリを忘れない!」
彼が、私を思ってくれているのが伝わってくる。
けれど、彼が思っているのは、アンリだった。

過去の……。
今はもう居ない。アンリだった私だ。

あの日、アンリは確かに死んだ。
アリエッタと共に。
あの日、二人はもう死んでしまった。

今ここにいるのは、どちらでもない『私』だけだった。

「……アリィと、呼んでください……」
私は、震える声でそれだけを伝える。

せめて、今の私にも名前くらいはあってもいいだろう。
心のどこかで、私はそう思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

【完結】この手なんの手、気になる手!

鏑木 うりこ
BL
ごく普通に暮らしていた史郎はある夜トラックに引かれて死んでしまう。目を覚ました先には自分は女神だという美少女が立っていた。 「君の残された家族たちをちょっとだけ幸せにするから、私の世界を救う手伝いをしてほしいの!」  頷いたはいいが、この女神はどうも仕事熱心ではなさそうで……。  動物に異様に好かれる人間っているじゃん?それ、俺な?  え?仲が悪い国を何とかしてくれ?俺が何とか出来るもんなのー?  怒涛の不幸からの溺愛ルート。途中から分岐が入る予定です。 溺愛が正規ルートで、IFルートに救いはないです。

本日のディナーは勇者さんです。

木樫
BL
〈12/8 完結〉 純情ツンデレ溺愛魔王✕素直な鈍感天然勇者で、魔王に負けたら飼われた話。  【あらすじ】  異世界に強制召喚され酷使される日々に辟易していた社畜勇者の勝流は、魔王を殺ってこいと城を追い出され、単身、魔王城へ乗り込んだ……が、あっさり敗北。  死を覚悟した勝流が目を覚ますと、鉄の檻に閉じ込められ、やたら豪奢なベッドに檻ごとのせられていた。 「なにも怪我人檻に入れるこたねぇだろ!? うっかり最終形態になっちまった俺が悪いんだ……ッ!」 「いけません魔王様! 勇者というのは魔物をサーチアンドデストロイするデンジャラスバーサーカーなんです! 噛みつかれたらどうするのですか!」 「か、噛むのか!?」 ※ただいまレイアウト修正中!  途中からレイアウトが変わっていて読みにくいかもしれません。申し訳ねぇ。

貧乏大学生がエリート商社マンに叶わぬ恋をしていたら、玉砕どころか溺愛された話

タタミ
BL
貧乏苦学生の巡は、同じシェアハウスに住むエリート商社マンの千明に片想いをしている。 叶わぬ恋だと思っていたが、千明にデートに誘われたことで、関係性が一変して……? エリート商社マンに溺愛される初心な大学生の物語。

処理中です...