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主人サイドのお話
すれ違う秋(2/4)
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「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーっっっ!!
やっぱアンリが一番しっくりくるだろ!? なあ!!」
その部屋では、神の使いとも言われる白い獅子が、そのたてがみをバリバリと掻きむしってもう三度目になる叫びを上げていた。
「王子、あまり大きな声を出さないでください」
来賓用の部屋には、シャヴィールとその従者だけだった。
シャヴィールの従者は、服装こそアンリの従者とそう変わらない燕尾服を着ていたが、アンリの従者のノクスが黒毛の兎であるのに対して、こちらは獅子らしい飴色の毛並みをしていた。
ともすれば淡い金色にも見える毛は、たてがみこそないものの、丁寧にブラッシングをされているのか、ふんわりと毛流れに沿って整っている。
従者は、随分と煮詰まっている様子の主人に、僅かに苦笑を浮かべて告げた。
「本日のお茶は、何にいたしましょう?」
言外に休憩を取れと言われて、ヴィルは抱えていた頭をそのまま上げると、横目で従者を見て言う。
「……頭がスッキリするのを頼む」
「かしこまりました。アイスティーにいたしましょう」
従者は運んできたワゴンでテキパキとお茶の支度に取りかかる。
その様を眺めながら、ヴィルは来賓用の立派なソファに深く座り直した。
ソファは獅子の体重にじわりと沈むも、底付き感はない。
自国の物と比較しても、やはり良い家具だと、ヴィルは頭の隅で思った。
国の年寄り達が俺をここに寄越したのは、一種の賭けだったのだろう。
いや、俺がしくじれば、その時に婚約破棄を呑めばいいと思っていたやつも多かったのかも知れない。
この国は大きく広く、豊かで、何より国民の心がアンリの元に一つに纏まっている。
良い国だと、誰もが思うだろう。
その陰で、アンリがどれだけ無理をしているのか、知っているやつは一体どれほどいるのだろうか。
大きな掃き出し窓に視線を投げれば、中庭が見える。
白い獅子はそっと目を閉じると、遠いあの日の会話を思い出していた。
うだるような夏の日射しに、俺は辟易していた。
噴水の側の日陰が中庭の中では一番涼しい場所だったが、それでも俺はぐったりと両足を投げ出して、座り込んでいた。
隣に座るアンリは、まだあの頃少年らしい格好をしていて、その細い腕も、細い首も露わにしていた。
「夏なんか来なけりゃいいのにな」
俺が何の気無しにこぼした愚痴に、アンリはちょっと困ったように笑いながら答えた。
「そう言うわけにはいかないよ」
俺は思わずアンリの顔を見上げる。
どうして否定されたのか、全く意味がわからなかった。
国では、白い獅子は神の使いだと言われていた。
周りのものは皆、俺が晴れだと言えば、雨だって晴れだと言ったのに。
「なんでだよ」
俺の言葉に、俺よりずっと小さな薄桃色の兎は、薄桃色にほんの少しの空色を混ぜたような淡い紫の瞳で、不思議そうに答えた。
「え? だって、夏が来なければ、夏野菜は育たないし、秋に実る筈の穀物だって育たなくなってしまうよ?」
「俺は別に、草なんか食べなくたっていいし」
拗ねたように答えた俺に、アンリはクスクスと小さく笑って続けた。
「穀物が育たなければ、ヴィルの食べる家畜も育たないよ」
言われてみればそうだ。と思った。
けれど、そんなことを教えてくれるようなやつは今まで誰もいなかった。
きっと、兄達なら知っていたんだろう。
上の兄三人には小さい頃から家庭教師がついていて、毎日やれ剣術の稽古だなんだと忙しそうにしていた。
俺は、遅くに産まれた末っ子だった事もあってか、ここまでただ甘やかされて育っていた。
両親も兄達も、俺を可愛がってくれていたが、俺に何かを期待する者はいなかった。
『お前は自由でいいな』と、兄達にはよく言われていたが、俺は自由というものが何なのかすら、まだ知らないままだった。
そんな俺に、態度こそ柔らかかったが、アンリは初めて、正面から反対意見を言った。
「……じゃあお前は、夏は必要だって言うんだな? この俺が、暑さに溶けても良いってんだな?」
自分よりも歳下の、自分よりも小さな兎に、今思えば酷い言い方だったと思うが、初めての否定の言葉に、俺はたまらずそう返した。
幼い兎は苦笑するように、薄紫の透き通った瞳をほんの少し細めて「そうじゃないけど」と答える。
そして、青い空を見上げて言った。
「この世にあるものに、必要じゃないものなんてないよ」
まるで当然の事のように。なんでもない事のように。
薄桃色の兎は、夏の明るい青空に浮かぶ、もくもくと大きな夏雲を眩しそうに見上げていた。
俺の心臓は、まるで鷲掴みにされたかのようにぎゅうっと苦しくなって、ドクドクといつもよりもずっと早く動き始める。
「じゃあ……」
俺の声は、震えていた。
「……俺の、心も、あっていいと……、思うか?」
俺の言葉に、薄桃色の兎がこちらを見る。
「?」
不思議そうに首を傾げて、その小さな唇が開かれる。
「もちろん」
にこりと添えられた微笑みは、まるで花のようだった。
あの瞬間を、俺は多分この先も、一生忘れないだろう。
あれから七年経った今でも、あの微笑みは記憶の中で、俺をずっと支えていた。
あの時、俺は初めて、救われたような気がした。
それまでは、自分が苦しんでいた事にすら、きっと気付いていなかった。
アンリの薄桃色の髪は変異種のようだが、この白い毛は遺伝だ。
両親もそうなら、兄達もそうだ。俺だけが特別と言うことではない。
それでも、数は非常に少なく、美しい白い毛並みを欲しがる者は多かった。
だからこそ、この国との婚約の話が出た。
大国からの申し出に、年寄り達は浮き足立った。
兎の連中も、神の使い同士を並べて、国民に見せびらかしたいんだろうなと、俺はぼんやり思った。
皆にとって必要なのは、俺のこの体。この見た目だけだ。
俺の中身には、誰一人、興味がなかった。
でも、アンリは違った。
俺の話を聞いて、俺の目を見て、俺の中身を知ろうとしてくれた。
初めての友達だと、嬉しそうに、少し恥ずかしそうに言ってくれた。
俺にとっても、アンリは初めての友達だった。
だけど、アンリには、年上なのにカッコ悪い気がして言えなかった。
結婚すれば、俺が兎の国に婿入りする事になる。
両親や兄達と別れるのは嫌だったが、嫌だと言ったところで何も変わらないだろう事くらいは分かっていた。
幼い俺は、兎の国に着くまで、憂鬱で仕方なかった。
初めての国外旅行だと言うのに、浮かない顔をしていたんだろう。
船の中では、周りの者が随分と気を遣っていたのをぼんやりと覚えている。
けれど、帰りは違った。
アンリとの別れは寂しかったが、俺は、結婚の日が来るのが、アンリにまた会える事が楽しみだったし、それまでに、もっと自分を磨こうと心に決めていた。
やっぱアンリが一番しっくりくるだろ!? なあ!!」
その部屋では、神の使いとも言われる白い獅子が、そのたてがみをバリバリと掻きむしってもう三度目になる叫びを上げていた。
「王子、あまり大きな声を出さないでください」
来賓用の部屋には、シャヴィールとその従者だけだった。
シャヴィールの従者は、服装こそアンリの従者とそう変わらない燕尾服を着ていたが、アンリの従者のノクスが黒毛の兎であるのに対して、こちらは獅子らしい飴色の毛並みをしていた。
ともすれば淡い金色にも見える毛は、たてがみこそないものの、丁寧にブラッシングをされているのか、ふんわりと毛流れに沿って整っている。
従者は、随分と煮詰まっている様子の主人に、僅かに苦笑を浮かべて告げた。
「本日のお茶は、何にいたしましょう?」
言外に休憩を取れと言われて、ヴィルは抱えていた頭をそのまま上げると、横目で従者を見て言う。
「……頭がスッキリするのを頼む」
「かしこまりました。アイスティーにいたしましょう」
従者は運んできたワゴンでテキパキとお茶の支度に取りかかる。
その様を眺めながら、ヴィルは来賓用の立派なソファに深く座り直した。
ソファは獅子の体重にじわりと沈むも、底付き感はない。
自国の物と比較しても、やはり良い家具だと、ヴィルは頭の隅で思った。
国の年寄り達が俺をここに寄越したのは、一種の賭けだったのだろう。
いや、俺がしくじれば、その時に婚約破棄を呑めばいいと思っていたやつも多かったのかも知れない。
この国は大きく広く、豊かで、何より国民の心がアンリの元に一つに纏まっている。
良い国だと、誰もが思うだろう。
その陰で、アンリがどれだけ無理をしているのか、知っているやつは一体どれほどいるのだろうか。
大きな掃き出し窓に視線を投げれば、中庭が見える。
白い獅子はそっと目を閉じると、遠いあの日の会話を思い出していた。
うだるような夏の日射しに、俺は辟易していた。
噴水の側の日陰が中庭の中では一番涼しい場所だったが、それでも俺はぐったりと両足を投げ出して、座り込んでいた。
隣に座るアンリは、まだあの頃少年らしい格好をしていて、その細い腕も、細い首も露わにしていた。
「夏なんか来なけりゃいいのにな」
俺が何の気無しにこぼした愚痴に、アンリはちょっと困ったように笑いながら答えた。
「そう言うわけにはいかないよ」
俺は思わずアンリの顔を見上げる。
どうして否定されたのか、全く意味がわからなかった。
国では、白い獅子は神の使いだと言われていた。
周りのものは皆、俺が晴れだと言えば、雨だって晴れだと言ったのに。
「なんでだよ」
俺の言葉に、俺よりずっと小さな薄桃色の兎は、薄桃色にほんの少しの空色を混ぜたような淡い紫の瞳で、不思議そうに答えた。
「え? だって、夏が来なければ、夏野菜は育たないし、秋に実る筈の穀物だって育たなくなってしまうよ?」
「俺は別に、草なんか食べなくたっていいし」
拗ねたように答えた俺に、アンリはクスクスと小さく笑って続けた。
「穀物が育たなければ、ヴィルの食べる家畜も育たないよ」
言われてみればそうだ。と思った。
けれど、そんなことを教えてくれるようなやつは今まで誰もいなかった。
きっと、兄達なら知っていたんだろう。
上の兄三人には小さい頃から家庭教師がついていて、毎日やれ剣術の稽古だなんだと忙しそうにしていた。
俺は、遅くに産まれた末っ子だった事もあってか、ここまでただ甘やかされて育っていた。
両親も兄達も、俺を可愛がってくれていたが、俺に何かを期待する者はいなかった。
『お前は自由でいいな』と、兄達にはよく言われていたが、俺は自由というものが何なのかすら、まだ知らないままだった。
そんな俺に、態度こそ柔らかかったが、アンリは初めて、正面から反対意見を言った。
「……じゃあお前は、夏は必要だって言うんだな? この俺が、暑さに溶けても良いってんだな?」
自分よりも歳下の、自分よりも小さな兎に、今思えば酷い言い方だったと思うが、初めての否定の言葉に、俺はたまらずそう返した。
幼い兎は苦笑するように、薄紫の透き通った瞳をほんの少し細めて「そうじゃないけど」と答える。
そして、青い空を見上げて言った。
「この世にあるものに、必要じゃないものなんてないよ」
まるで当然の事のように。なんでもない事のように。
薄桃色の兎は、夏の明るい青空に浮かぶ、もくもくと大きな夏雲を眩しそうに見上げていた。
俺の心臓は、まるで鷲掴みにされたかのようにぎゅうっと苦しくなって、ドクドクといつもよりもずっと早く動き始める。
「じゃあ……」
俺の声は、震えていた。
「……俺の、心も、あっていいと……、思うか?」
俺の言葉に、薄桃色の兎がこちらを見る。
「?」
不思議そうに首を傾げて、その小さな唇が開かれる。
「もちろん」
にこりと添えられた微笑みは、まるで花のようだった。
あの瞬間を、俺は多分この先も、一生忘れないだろう。
あれから七年経った今でも、あの微笑みは記憶の中で、俺をずっと支えていた。
あの時、俺は初めて、救われたような気がした。
それまでは、自分が苦しんでいた事にすら、きっと気付いていなかった。
アンリの薄桃色の髪は変異種のようだが、この白い毛は遺伝だ。
両親もそうなら、兄達もそうだ。俺だけが特別と言うことではない。
それでも、数は非常に少なく、美しい白い毛並みを欲しがる者は多かった。
だからこそ、この国との婚約の話が出た。
大国からの申し出に、年寄り達は浮き足立った。
兎の連中も、神の使い同士を並べて、国民に見せびらかしたいんだろうなと、俺はぼんやり思った。
皆にとって必要なのは、俺のこの体。この見た目だけだ。
俺の中身には、誰一人、興味がなかった。
でも、アンリは違った。
俺の話を聞いて、俺の目を見て、俺の中身を知ろうとしてくれた。
初めての友達だと、嬉しそうに、少し恥ずかしそうに言ってくれた。
俺にとっても、アンリは初めての友達だった。
だけど、アンリには、年上なのにカッコ悪い気がして言えなかった。
結婚すれば、俺が兎の国に婿入りする事になる。
両親や兄達と別れるのは嫌だったが、嫌だと言ったところで何も変わらないだろう事くらいは分かっていた。
幼い俺は、兎の国に着くまで、憂鬱で仕方なかった。
初めての国外旅行だと言うのに、浮かない顔をしていたんだろう。
船の中では、周りの者が随分と気を遣っていたのをぼんやりと覚えている。
けれど、帰りは違った。
アンリとの別れは寂しかったが、俺は、結婚の日が来るのが、アンリにまた会える事が楽しみだったし、それまでに、もっと自分を磨こうと心に決めていた。
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