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主人サイドのお話
すれ違う秋(1/4)
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昨日倒れたせいで押してしまった公務を、朝からなんとか片付けて、遅い昼食をようやく済ませた昼下がり。
私は城の中庭に来ていた。
昨日、彼が懐かしそうに撫でていた木の幹に、私も手を伸ばしてみる。
城の景色はあまりにもいつも通りで、昨日の事は全て、私の都合の良い夢だったのではないかとさえ思う。
今日は、まだ彼の姿を見ていない。
彼にも彼で、こちらでこなすべき予定があるらしく、子どもの頃のように、毎日一緒にはいられないようだ。
知らず、ため息が零れる。
それに驚いたのは自身だった。
私は……もしかして、彼に……会いたいのだろうか。
「アンリ!」
中庭に響いた声に、長い耳がピョコンと跳ねる。
私は慌てて辺りを見回した。
城の奥、通路と壁に囲まれた静かな中庭には、今のところ私と従者、それに声の主とその従者以外は誰もいないようだ。
胸を撫で下ろしながら振り返れば、生成り色をしたふわふわのたてがみを揺らして駆けてきた彼が、私の顔を見て破顔した。
「……っ」
その嬉しそうな表情に、思わず息が詰まる。
顔が赤くなってしまうのを隠すように俯くと、彼の声が降ってくる。
「アンリ?」
「そ……その名で呼ばれると、困ります……」
何とか、それだけを告げる。
彼はほんの少し黙ってから、低い声で答えた。
「俺は、お前をアリエッタとは呼びたくない」
そう言われても、こちらは七年も前からアリエッタとして過ごしているのだから、死んだはずの弟の名前では困る。
「……では、愛称をつけてください」
私の提案に、彼はなぜか動揺した。
「俺が……?」
その驚いたような声に、今度は私が驚かされる。
顔を上げれば、ヴィルは白い瞳をくりっと丸くして、どこか幼い表情で私を見つめていた。
「お前に……?」
「……ええ」
何か、変なことを言っただろうか? と内心不安になりつつ頷くと、彼はじわじわと口端を上げ、それはそれは嬉しそうな顔を一瞬見せた後、挑戦的で不敵な表情になった。
「……わかった、最高のを考えてやる」
彼はそう宣言すると「楽しみにしていろ」と言い残して、元来た道をずんずんと大股で戻ってゆく。
そこまで気合を入れるような事でもないと思うのだけれど、彼はこの場で愛称を考えるような仕草を微塵も見せずに、その作業を持ち帰った。
……何か用事があったわけではなかったのだろうか?
小さくなってゆく彼の背中を見送りながら、私が首を傾げると、傍で黒毛の従者が小さく肩を揺らす。
どうやら、彼の前で笑いを堪えていたらしい。
私と視線が合って、従者は「面白い方ですね」と言った。
眼鏡の端から滲んだ涙を拭いつつ。
……そんなに面白かったのだろうか。
私には、どちらの考えも、よく分からなかった。
釈然としない私に、黒毛の従者ノクスはそっと告げた。
「アリエッタ様は、どなたかに愛称を付けたことがおありですか?」
私は、もう一度首を傾げる。
幼い頃に、ぬいぐるみだか人形に名前をつけた事はあったような気がするが、あまり覚えていない。
考え込む私に、ノクスはその眼鏡を両手でキチッと戻して続けた。
「ではもし、シャヴィール様に貴女だけの呼び名を付けても良いと言われたら、いかがでしょうか」
私だけの……呼び名……?
途端、頬が熱を持つ。
もしかして……、彼もこんな気持ちだったのだろうか……。
「さあ、そろそろ戻りましょう」
両手で頬を覆ってしまった私に、ノクスが少しだけ寂しげな声で告げた。
「晩餐には間に合うよう、片付けてしまわねば……でしょう?」
ノクスの言葉に、私は頷いて中庭を後にする。
確かに、今夜の食事はヴィルと共にする予定になっていた。
彼ならきっと、その時には私に名を与えてくれるのだろう。
思わず弛みそうになる口元を引き締めて、私は午後の公務をいかに段取りよく終わらせるかを考えた。
私は城の中庭に来ていた。
昨日、彼が懐かしそうに撫でていた木の幹に、私も手を伸ばしてみる。
城の景色はあまりにもいつも通りで、昨日の事は全て、私の都合の良い夢だったのではないかとさえ思う。
今日は、まだ彼の姿を見ていない。
彼にも彼で、こちらでこなすべき予定があるらしく、子どもの頃のように、毎日一緒にはいられないようだ。
知らず、ため息が零れる。
それに驚いたのは自身だった。
私は……もしかして、彼に……会いたいのだろうか。
「アンリ!」
中庭に響いた声に、長い耳がピョコンと跳ねる。
私は慌てて辺りを見回した。
城の奥、通路と壁に囲まれた静かな中庭には、今のところ私と従者、それに声の主とその従者以外は誰もいないようだ。
胸を撫で下ろしながら振り返れば、生成り色をしたふわふわのたてがみを揺らして駆けてきた彼が、私の顔を見て破顔した。
「……っ」
その嬉しそうな表情に、思わず息が詰まる。
顔が赤くなってしまうのを隠すように俯くと、彼の声が降ってくる。
「アンリ?」
「そ……その名で呼ばれると、困ります……」
何とか、それだけを告げる。
彼はほんの少し黙ってから、低い声で答えた。
「俺は、お前をアリエッタとは呼びたくない」
そう言われても、こちらは七年も前からアリエッタとして過ごしているのだから、死んだはずの弟の名前では困る。
「……では、愛称をつけてください」
私の提案に、彼はなぜか動揺した。
「俺が……?」
その驚いたような声に、今度は私が驚かされる。
顔を上げれば、ヴィルは白い瞳をくりっと丸くして、どこか幼い表情で私を見つめていた。
「お前に……?」
「……ええ」
何か、変なことを言っただろうか? と内心不安になりつつ頷くと、彼はじわじわと口端を上げ、それはそれは嬉しそうな顔を一瞬見せた後、挑戦的で不敵な表情になった。
「……わかった、最高のを考えてやる」
彼はそう宣言すると「楽しみにしていろ」と言い残して、元来た道をずんずんと大股で戻ってゆく。
そこまで気合を入れるような事でもないと思うのだけれど、彼はこの場で愛称を考えるような仕草を微塵も見せずに、その作業を持ち帰った。
……何か用事があったわけではなかったのだろうか?
小さくなってゆく彼の背中を見送りながら、私が首を傾げると、傍で黒毛の従者が小さく肩を揺らす。
どうやら、彼の前で笑いを堪えていたらしい。
私と視線が合って、従者は「面白い方ですね」と言った。
眼鏡の端から滲んだ涙を拭いつつ。
……そんなに面白かったのだろうか。
私には、どちらの考えも、よく分からなかった。
釈然としない私に、黒毛の従者ノクスはそっと告げた。
「アリエッタ様は、どなたかに愛称を付けたことがおありですか?」
私は、もう一度首を傾げる。
幼い頃に、ぬいぐるみだか人形に名前をつけた事はあったような気がするが、あまり覚えていない。
考え込む私に、ノクスはその眼鏡を両手でキチッと戻して続けた。
「ではもし、シャヴィール様に貴女だけの呼び名を付けても良いと言われたら、いかがでしょうか」
私だけの……呼び名……?
途端、頬が熱を持つ。
もしかして……、彼もこんな気持ちだったのだろうか……。
「さあ、そろそろ戻りましょう」
両手で頬を覆ってしまった私に、ノクスが少しだけ寂しげな声で告げた。
「晩餐には間に合うよう、片付けてしまわねば……でしょう?」
ノクスの言葉に、私は頷いて中庭を後にする。
確かに、今夜の食事はヴィルと共にする予定になっていた。
彼ならきっと、その時には私に名を与えてくれるのだろう。
思わず弛みそうになる口元を引き締めて、私は午後の公務をいかに段取りよく終わらせるかを考えた。
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