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196話 黴
しおりを挟む「……ん…」
苦しそうに眉間を寄せて両目を閉じていた少女が薄く唇を開き、のたりと目を開いた。
「…ぁ………」
流石異世界ポーション、何でもアリだなと感心してしまったがそうじゃない。感心等している場合ではない。
男性にポーションの残りを飲ませる様にお願いし、エリィはテントの外へ出た。
外へ出れば、他のテントや荷馬車から、不安そうな心配そうな視線が突き刺さる。
ぐるりと見まわすと、少女や男性と同じく色鮮やかな布を身に纏った人々で、同じ一座の者達だろう。
見慣れないエリィがうろついているし、少女もテントに入ったままになっているので余計不安や心配が募っているのは想像に難くない。
安心させるように口元にできるだけ柔らかな笑みを浮かべるよう心掛けるが、如何せん目元が布で覆われた得体のしれない相手に、気を許すのは難しい注文かもしれないが。
だがまぁ、やる事はやらねば。
「あの済みません、洗濯物を持ってきてもらえますか? 後洗濯する時に使う桶なんかもあればお願いします」
異国人達が互いに顔を見合わせ、中には首を捻っている者もいるが、それ以上何も言わずにエリィはエリィの作業をする。
少女と共にテントへ入る前に男性が言い含めておいてでもくれたのだろう。年若い娘さんたちが急いで大きな桶を持ってきてくれた。
それに背負い袋経由で収納から取り出したタリュンの葉と、その抽出液をどんどん入れていく。
その合間に彼らの洗濯物を挟んで入れて行く事も忘れない。
「あ、あの……これは何を…?」
娘の一人がおずおずとエリィに訊ねてきた。
エリィは娘さんを一度見遣ってから、再び作業に戻りつつ返事する。
「あぁ、これ?」
殺菌や滅菌等の考えはなくても、この世界で傷にタリュンの葉を当てるなどは、普通にしている事なので言葉としてなくても消毒はわかるだろう。ただその説明も面倒なので『まぁおまじないみたいなものよ』と言葉を濁す。
そうしている間にも鑑定だ。
目に見えない細菌やウイルスを直接鑑定できるとは思っていないが、手掛かりくらいは得られるかもしれない。
作業をする手を止めないまま鑑定していると見えたモノに、ふむと小さく唸る。
(やっぱり感染性が高いか…それにしても意外と鑑定さんが仕事をしてくれたな。コレラに似た症状他を呈する、か……細菌が原因と考えて良いのかどうか…ん、作れるかわからないけど、足掻いてみるか)
見物している一座の者らしき人々に、桶に近づかないようにテントや荷馬車に戻ってくれと言うと、意外な事に全員がすんなりと指示に従ってくれた。
どうやらあの男性はこの一座の中でそれなりに上位に位置している人物なのだろう、正直助かった。
どのテントや荷馬車からも死角になる木の裏へ移動し、自身の鑑定もさっくりと行って汚染の危険がないか確認してから、そっと異空地に入る。
【主様ぁ、お帰りなさいなのよぉ!】
入って早々にムゥに見つかった。
【ただいま。ムゥも変わりなさそうで安心だわ】
ムゥに返事をしながら、素早くパネルを呼び出し外の時間経過を今は無くしておく。こうすれば外に出た時にほぼ時間は経過しておらず、余計な場面を見られずに済むはずだ。
【ムゥは元気なのよ! 見て見て! これ、ムゥがお世話したのなのよ!】
にゅぅんと身体の一部を触手のように伸ばし、それでエリィの手を取ると、新しい早春の花々が蕾を綻ばせていた。
【上手にお世話出来てて凄いな。もう立派な園芸士さんだね】
【ムゥ、凄いなの!?】
笑顔で頷くとムゥがポンポン弾んで、少し離れた所にいるルゥの所へ駆けて行った。その後を追うように、しかしエリィは走ったりはせずゆっくりと歩いて近づく。
【おや、主君、お帰りなさい。花々が根付いたかどうかの確認ですか?】
ルゥが跳ねて近づくムゥに気付いて、顔を上げた所で、エリィと目が合った。
【そっちはルゥ達を信頼してるよ。ちょっと作れるかわからないけどやってみたい事があってね】
【やってみたい事、ですか?】
【うん、果実や何かを黴らせたくて】
【か、び? 黴ですって!? どうしてそんな事を? それじゃ美味しく食べられません!】
【ぁ~、うん、そうなんだけどね……ちょっと必要で。出来るだけ早く欲しいから…どうしようかな】
暫く悩んでいたが、エリィはパネルを呼び出し、建築で小さな小屋を建てた。
中に入り一角を透明な仕切りで区画を作る。その区画の一番手前に棚を設置する。
こうしておけば区画の中に入らずとも、トングの様な物を置いておけば出し入れが問題なくできるだろう。
エリィのすぐ後ろについてきていたムゥとルゥが、エリィを見上げて首を捻っている。
【主様ぁ、ここ、なぁにぃ?】
エリィはパネルに目線を向けたまま何やらポチポチしている。
【ん~? ここかぁ、ここはね、ちょっと時間を早めるように設定してるところ】
【さっき言ってた黴がどうの、というモノですか?】
ルゥが足元からエリィによじ登り、肩口に収まるとエリィの手元を覗き込んだ。
【その仕切りの奥側だけ時間が早く進むんですね。あぁ、棚も一段ずつ違う?】
【うん、一々設定しないと行けなくて面倒だけど、これで色々と言う訳にはいかなくても、いくつかのパターンは押さえられるでしょ? はぁ、こんなパネル使わなくても良くならないかしら…まぁ今はそんな無理言っても始まらないわね】
エリィはすいっとパネルを消し去ると、肩口のルゥを見てからムゥの方へと顔を向ける。
【果樹とか色々取ってきたいんだけど、手伝ってくれる?】
エリィからのお願いにムゥもルゥも、ブンブンを大きな音がしそうな程首を縦に振った。
小屋から出ようとしたところで、近づいてくる声に気が付いた。
どうやらエリィ達の念話に気づいたものの、状況がわからず邪魔にならないようにと黙っててくれたのだろう。しかしどうにも気になったという所か。
「「エリィ様ぁ!!」」
「エリィ様、お帰りなさいませ」
「主殿、お帰り」
「あれ、アレクは?」
アンセとフロルが何やら抱えて駆けて来る。その後ろからフィルとセラ、そしてレーヴも、それぞれ手に何やら持ってやってきていた。
全員しっかりと念話の会話内容を聞いていたのだろう。
エリィの前に置かれる果実や野菜を前に、エリィが目を丸くしてから笑う。
「これ……ありがとう。皆手間かけたみたいでごめんね」
「何をおっしゃいますか。我らエリィ様の手助けができる謎、望外の喜びに他なりません」
「何よ、水臭いねぇ。エリィ様がやる事を手伝えるのは、アタシらに取っちゃぁ誉だよ、誉」
「収穫程度、造作もない。主殿、他に何かないか?」
「「エリィ様見て! こんなに大きくできたの!」」
フィルの無駄に大げさな言葉に続き、レーヴやセラ。そしてアンセとフロルも話しかけてくる。
ちなみにセレスは感染症の事もあり、外の少し離れた場所で遊んでもらっている。
「アレクは外よ。一応何か起これば声をかけてくれる予定になってるわね」
「外に?……その…何かあったのか」
エリィの言葉に少し表情を曇らせたセラが、遠慮がちに聞いてきた。
「まぁそうね。ちょっと感染症が、ね」
「「かんせんしょう?」」
アンセとフロルが異口同音で首をコテリと傾けた。
エリィには翻訳されて聞こえるが、他はそうではないから仕方がない。
「こっちだとなんて言うのかしら」
エリィは丁度男性達が言い合っている場面を思い返す。
「ぇっと……悪気?」
「悪気だと!?」
大きく反応したのはセラだった。
セラ以外の反応が薄いのは、人間種の病に感染することがないからかもしれない。しかしセラは一時期人間種と暮らしていたらしいから、その恐ろしさを何となくでも知っているのだろう。
「その悪気と言う言葉が、何をどこまで示すのかよくわからないけど、今回の場合は感染症と考えて良さそうだから、その対策にね」
エリィは目の前に積まれた果実や野菜を手に取る。
「こっちで通用するかわからないけど、前世で言うところの抗菌薬みたいなものが、どうにか出来ないかなと思ったのよ」
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