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158話 事態は動き出す その2
しおりを挟むヴェルザンがこれ幸いと声を掛けようとしたのだが、ズカズカとラドグースを引き摺ったまま近づいてきたナイハルトに手で制される。
よく見ればラドグースの方は引きずられた姿勢のまま、器用にマトゥーレの袋を抱えてもっしゃもっしゃと機嫌良さそうに頬張っていて、相変わらずの光景に苦笑が浮かんだ。
目配せと顎をしゃくる動きで、ヴェルザンは黙したまましれっと先導する形で、いつもの奥の部屋へ向かう。
部屋に入るや否や扉を閉めてナイハルトが、ヴェルザンに近づきガバリと頭を下げた。
突然の事にヴェルザンは思わずギョっと身を引くが、その様子に気づく間もなくナイハルトが声を出す。
「ごめんなさい!」
何について謝罪されているのか、さっぱりわからないヴェルザンは固まったまま、だけど声には出さないまま必死に考えていた。
食器を片付けないまま出かけて行った事だろうか、部屋に乱入してきた事か、それとも依頼完了の報告を数週間忘れていた事だろうか、それとも……目まぐるしく過去の記憶をひっくり返すがあれこれとありすぎて、やはり何の謝罪かどうにもわからず、これでは埒が明かないと素直に訊ねた。
「ナイハルト様、いったい何の謝罪なんです? その思い当たる節が…」
『ありすぎて』と続く言葉を誤魔化すように飲み込んだヴェルザンに、聞かれたナイハルトがゆっくりと姿勢を戻し顔をあげれば、その表情は妙に固く沈んでいた。
「……もっと早く伝えなきゃいけなかった事はわかってるのよ…だけどどうしても信じられなかったのよ」
何がと問いかけたい衝動がわくが、ここは黙って続く言葉を待つ。
「彼がこの件に絡んでるかもしれないなんて思いもしなかったし……だってずっとこの西方戦線を支えてきた人で…私の、ううん、辺境の者皆にとって頼れる憧れで、その背中を目指した時もあるくらいなのよ……今だってギルド員としてではあるけど、助けになれたら嬉しいって気持ちはどこかにあって……」
「……コッタム西方前線拠点総指揮官殿……ですか?」
ヒュッと音が聞こえそうな程、ナイハルトが息を呑んだのがわかる。
「私もついさっき、その名を別ルートから聞くことになったのですよ」
ヴェルザンの言葉に、ナイハルトの緊張が肩から抜けていくのが見て取れる。ラドグースはと言うと、いつの間にかナイハルトの拘束からは逃れていたものの、緊張など欠片もあるはずがなく、未だもしゃもしゃと本当に美味しそうに素朴な菓子を口に放り込んでいた。
「とりあえず座って下さい。その件でこちらも貴方方大地の剣を探そうとしていたところなのです」
ナイハルトが一瞬目を丸くするが、まずは向かいの席を勧める。その勧めに従うようにナイハルトが腰を下ろした。
ラドグースも個別には勧められていないがナイハルトの隣にドッカリと座り、手に抱えた菓子に延びる手を止める事はない。
喉を詰められても困ると茶を出せば、湯気の立つ茶を勢いよく喉に流し込んで『アチィッ』と呻いている。
とりあえずラドグースは静かにしててくれるようなので放っておく。
座ってからすぐに話になるのかと思いきや、どちらも無言のまま室内の空気だけが妙に重苦しくなっていくのに、先に音を上げたのはヴェルザンの方だった。
「それで? どうやら同じお話だとは思いますが……」
「……そうね、順を追って話すわ……その、上手く話せないかもしれないけど勘弁して頂戴」
もう一度自分を落ち着けるかのようにナイハルトが小さく深呼吸をする。
「ここから出た後、ドッガさんを探したのよ、まぁ途中警備隊には思う所もあったけど、無事に見つけて話を聞いたのよね。
……そうしたら物資を取りに訪れた兵士達とは別に、コッタム子爵が子供と馬に乗って移動してたって言うの」
「兵士たちと一緒に?」
「いえ、そうじゃなかったみたい。ドッガさんも不思議に思って兵士の一人に聞いたんだって『今回は総指揮官殿も来たのか?』って。だけど聞いた兵士もその仲間も首を横に振ったって言うのよ。
だけどヴェルザンも聞いたことあるでしょう? ドッガさんの目の良さと記憶力の話」
「えぇ、それはまぁ。となるとコッタム子爵は兵士達に知られないように行動してたという事ですか」
「多分……そうなるわね」
「それで、その子供はどうなったとか、何処へ向かったとかの話は?」
「ドッガさんにもわからないって……目を離したすきにもう居なくなってたらしくて、だからその後の事もね…」
「そうですか、ふむ」
その子供についても、あちらから『憶測でしかないが』という但し書きを付けた上で書かれていたが、ホスグエナ伯爵の既に死亡したとされる長男の可能性は、やはり捨てきれない。
思い込み、刷り込みだと言われれば反論の余地がないのは痛い所だが―――そこには一旦目を瞑り、これまでに得た情報を組み合わせてみる。
白明月25日 ホスグエナ伯爵次男誕生届
同日ホスグエナ伯爵嫡男死亡届、但し死亡日は22日
白暗月29日 トクスに商会の荷が到着
これに合わせて前線砦からも御者と護衛兵士数名が来訪。
荷の受け渡しと関係なく、騎乗したコッタム子爵と子供が目撃。
同日夜 パウル夜に姿を見かけず(ザイード及びナイド談)
そしてゲナイド達が得た情報は一か月前と曖昧だが、その日以外にパウルの姿が見えなかったと言う話はない。これはメイドにも確認したが、確かに白暗月29日夜から姿を見かけず、翌日になって執務室の椅子で爆睡しているのを見かけたと言っていた。それ以外の日に行方が分からない日はなかったと彼女も断言していた。
それ以外には、なくなっている衣服があったという。更にナイフも一振り消え失せていたらしい。ナイフの方は柄の方ではなく刀身の方に小さいとはいえ魔石に填まった、少々凝ったデザインの一品だったようで、パウルが気に入って身に着けていたと言うのだが、これも数週間前に何気なく衣服の整理をしていて見かけなくなったことに気づいたらしい。
衣服にしろナイフなどの小物にしろ、いつもなら処分しておけと尊大に言い放って放り投げて来るのにと、少し不思議に思いはしたが、そんな事もあるのかと特に気に留めていなかったのだと言っていた。
この話は前述したとおり、メイドの中では大した話だと思えない事だったらしく、なかなか口に上らなかったようだったが、いなかった日の事と言う切っ掛けを得た事で色々と思い出してくれた。
そのメイドはと言うと、きちんと保護されていて、警備隊新隊舎から連れてきた当初よりも顔色も良くなっている。
ザナド樹幹隊が保護してきた家族とも、もう少しして聴取を終えたら会わせてやれるだろう。
しかし送られてきた情報には、子供は貴族街東端の邸から、コッタム子爵自身が連れだして行ったと使用人が話したと書かれていた。
もし彼がそこから子供と馬なり何なりで移動してきたとして、西方中央砦をそんなに長く留守にできるだろうか……答えは否だ。
となれば転移スクロールでも使うくらいしか……そこまで考えてヴェルザンの顔から表情が抜け落ちた。
「すみません、ちょっと行かねばならない場所ができました」
立ち上がり、それだけを言うが早いかヴェルザンが部屋を飛び出して行った。
西方前線砦に向かいたいと言う、最初の目的を話す暇もなくヴェルザンを見送る事になって呆然とするナイハルトに、すっかりマトゥーレを食い尽くしたラドグースが、その目を眇めて言い放つ。
「追うぞ」
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