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153話 聖英信団 パトリシア信官吏長

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 折角トクス方向へと足を向けていたが、紙片を見てしまった以上仕方ない。
 腰のポーチを探って折りたたまれた紙を取り出す。聖英堂で裏向けに販売されている転移先が聖英堂限定の転移スクロールだ。どこの聖英堂に飛ぶかはスクロールを使用してから声で告げれば良いだけの簡単設計である。
 簡単設計は兎も角、スクロールそのものも非常に高価な物ではあるのだが、転移用の場合大きさがかなり大きくなるため、大抵の場合使われている紙が大きさを製造段階で調整できる植物紙になってしまう。お高い植物紙の値段まで価格に上乗せされてしまい更に高価になると言う塩梅だ。

 念のため周囲の気配を探り、近場には人の気配はない事を確認してからスクロールを使用する。

「王都」

 転移先を指示する一言を虚空に告げれば、一瞬の暗転の後、簡素な燭台の並ぶ一室に飛ばされていた。

「あらぁ、こんなに早く来てくれるなんて、クーターはやっぱり仕事が早いのね、流石だわぁ」

 魔力ナシでも魔法スクロールは使うことが出来るが、どういう原理なのか使った後、人によって症状は異なるがどうしても眩暈や吐き気などに襲われる。
 カデリオの場合眩暈が一瞬するのを避けられない。それ故、鈴を転がす様な声は聞こえているものの、返事がすぐに出来ない。

「……」
「あらあらぁ、大丈夫ぅ? ちょっと待っててくださいな、お水お水ぅ」

 くらしとした拍子に背中に添えられた手が離れる。
 少しして差し出された木製のコップを受け取り、カデリオは中の水を飲み干した。
 コップを返し、まだ痛む頭をブルリと一回振って顔を上げれば、そこには修道女のような衣服に身を包んだ女性が一人心配気にカデリオを覗き込んでいた。

「………はぁ、信官吏長様が直々のお出ましか?」

 ふぅと息を吐いて軽い口調をして見せるカデリオに、信官吏長様と呼ばれた少女はやれやれと肩を竦めた。

「あらぁ、あたしだと何か問題があるのぉ?」

 勧められた椅子にドサリと座り込み、カデリオは背もたれに身を預けながらゆるゆると首を横に振った。

「いや、悪いってんじゃねぇんだが何時もならツィリーネ信官吏がいるはずだろう? それがパトリシア信官吏長様直々のお出迎えとなれば、そこは驚かないといけない場面だろうが」
「あたしだって裏のお仕事することもありますぅ!」
「やめろ、気色の悪い……200歳超えてるくせに小娘みたいに拗ねるんじゃない」

 ぷぅっと頬を膨らませた彼女は、カデリオの言う200歳越えにはとても見えない。
 そんなパトリシアと言う名の彼女は唐突に、カデリオの目の前でくるりと修道女の様なドレスの裾を遠心力に乗せ広げ見事にターンを決めてから、カデリオの眼前に右手人差し指をビシッと立てて突きつけた。

「そうそう、やっと手に入れたんですよぉ、ほら、これ! 見てくださいな!」

 そう言って修道女の被り物、ウィンプルの様なものをやおら引っ掴んで外して見せた。
 ふわりと広がるハニーブロンドの柔らかな癖毛を手で耳に掛ければ、ピンと尖った耳にぶら下がる赤い雫石が目に入った。
 その赤い雫石の耳飾りを指先で弾きながら、耳ごとカデリオに近づけて来る。

「ほらぁ、とーっても綺麗でしょう? こんなに綺麗なのに対になる魔具が蜘蛛型だなんて、酷い冗談ですよねぇ」

 パトリシアの視線を追うように辿れば、その先に居たのは一匹の蜘蛛。
 だがその言葉の通り生き物ではなく魔具だ。その証拠にパトリシアが耳飾りを弄る度に動きを変えている。
 蜘蛛型だなんてと不満気に言いながらもそれは口だけのようで、その双眸は嬉し気に、だけど酷く冷たい三日月のように細められていた。
 その表情は年齢不詳のエルフ女性を更に怪しく見せていた。

「で、ここまで呼び出したんだ。大した情報を貰えるんだろうな?」
「それは勿論よぉ! だけど情報料が跳ね上がっちゃうんですよねぇ、どうしようかなぁ」

 200歳越えエルフがくねくねと手を祈るように組み合わせながら、その身をくねらせる。

「だから気色悪いって言ってるだろうが」

 カデリオの言葉にパッと動きを止め、さっきよりも更に両頬をぷくぅっと膨らませていたが、彼が懐から取り出した小さな紙包みを見て目を輝かせた。

「これで足りるか?」

 後ろの机に移動し、受け取った紙包みを開きその紙面に目を走らせると、にんまりと微笑んだ。

「えぇ、この情報でお代は十分よ。ちゃんと覚えててくれたんですねぇ、嬉しいわぁ」
「聖英堂のお代は金や宝石なんかより情報が一番、誰でも知ってることだろうが」
「そうだけどぉ、こっちが欲しい情報をお代に持ってきてくれるのって、意外と少ないんですよねぇ。だけどまたこれで儲けられそうよぉ、くふふふっ」
「お代が足りて何よりだよ。で?」

 さっさとこっちの欲しいものを出せと言わんばかりに真顔を向けて来るカデリオに、パトリシアは小さく舌打ちするが、ふんと息を吐いて机の抽斗から結構分厚い書類を取り出し、それを差し出してくる。

「ギルドの方はそっちの雇い主……何だっけ、そう、御館様? そことはどっちかって言うと敵対してますねぇ、ヴェルザン氏についても同じく。ただ一応忠告しときますけど、彼ってばシセドレ公爵家の公子様だから変につつかない方が良いですよぉ」
「あぁ、今の雇い主はホスグエナ伯爵じゃない。それと公爵家に手を出すつもりはないから安心してくれ」
「あらぁ、いつの間にぃ? だけど良かったわぁ、あんたに限らずあたしのお気に入りがあの豚貴族に使い潰されるのってイラついてたんですよねぇ、まぁあんたやあたしを必要とする奴らなんてどいつも似たり寄ったりなんですけどぉ、どんな奴なのぉ?」
「詮索するのはご法度だろうが」

 そう言い躱しながら、カデリオは自分にズースの形見を報酬にしてきたフードの子供を思い返していた。
 フードを目深に被っていたが、仮面で顔を隠しているのは見えていた。それだけでもかなり訳アリだと思われるし、パウルの無残な死体を見ても平然としていたので一瞬自分と同じ裏の奴かとも思ったのだが、裏のやり取りに慣れている風ではなく、どちらかと言えば表側の存在な気がした。
 声から幼い女の子かもしれないと気付いたが、目の前のパトリシアのような例もあるし、依頼主を詮索するのは更にご法度だ。
 しかし向けられた言葉から信用しても良いと思ってしまったのだ。



『では改めて、私と取引しませんか?』

 ――そう言って声をかけてきた。

『悪用する気はないから、そちらも安心してくれて大丈夫よ』

 ――誓文を渡したのは自分なのに、こちらを気遣うような言葉。

『捕まって楽になりたいなら自首すれば良いわ。私はあなたの行動の被害者ではないから、貴方を裁く気も、告発する気もないわ。それ以前にそんな権利は持ち合わせていないのよ。
 私は私の為に貴方と取引したいだけ』

 ――突き放したいのかそうでないのかよくわからない言葉。

『でもまぁ、まずはこれの隠滅と洒落込みましょうか』

 ――それなのにあの子供……いや、主は自らの手を汚す事を厭わなかった。そんな必要などなかったはずなのに……。

『何より貴方自身が『これまでの継続』を望んでいないようにみえるのだけど』

 ――その言葉が止めだった。



「いやぁねぇ、にやにやしちゃってさぁ、何を思い出してるんですかぁ?」

 どこか揶揄いを含んだパトリシアの言葉に意識が現実に戻る。
 自嘲交じりに口角片方だけ上げた笑みを浮かべながら彼女を見据えた。

「さぁ、対価は既に渡してあるんだ。それだけじゃないんだろう? さっさと話せ」



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