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137話 西の空、心傾けて
しおりを挟む執務室から廊下へ出れば護衛についている部下である騎士2人が敬礼してくる。それに頷きで返事をし、第4騎士の王城内執務室を目指す。
各騎士団の体長と副隊長の執務室は王城内に用意されている。もっともその使われ方はかなり異なっており、名の通り団長副団長が執務を行っている場合もあれば、会議があったときの休憩室としてしか使っていないと言う場合もある。
それというのも各騎士団舎もそれぞれに用意されており、そこに団長副団長の部屋も当然あるからだ。
そんな訳で、とりあえず団舎へ赴く前に王城内執務室の方へ向かおうと決めたのだが、第4騎士団の性質上、王城の入り口近くに設けられておりなかなかに遠い。
それだけでなく、ローグバインにとってはやや気の重いものだった。
それと言うのも―――
「あら、ビレントス侯爵、お久し振りですこと」
噎せ返る……で留まらず、思わずリバースしてしまうんじゃないかと思ってしまう程の香水の芳香を振りまいて回る御夫人、御令嬢方に偶に出くわしてしまうのだ。
こういう典型的な貴族女性が好みの者には嬉しい邂逅なのだろうが、ローグバインにとっては面倒且つ不快なすれ違いでしかないのだが、そんな事を気にするような女性達ではない。しかも爵位の力関係や慣習もあり無視することもできない。
「これはナゴレン侯爵夫人。相変わらずのお美しさで、すれ違う偶然に恵まれた事を感謝しなければなりませんね」
「まぁ、お上手ですこと。お仕事、変わらず忙しくてらっしゃいますのね」
「王族はじめ皆さまの平穏をお守りする職務なれば、手は抜けませんので」
「ふふ、頼もしいこと。それはそうと当家の夜会へは来てくださいませんの?」
「ナゴレン家の……2か月後の夜会ですね。申し訳ございません、その時期は王家のお茶会の警備がございまして……御返事の方は既にさせていただいたと思っていたのですが、届いておりませんでしたか?」
ゆっくりと頭を垂れて、これで去ってくれと内心祈りながらも笑顔は崩さない。
「あぁ、そうでしたわね。いえ、御返事は頂いておりますわ……ですが、実はその夜会で娘の成人の披露を予定しておりますの。ですので無理を承知でお声をかけさせていただいたのですわ。さ、チェミナ、ご挨拶なさい」
「はい、お母様」
ローグバインの前に進み出てきたのは、公爵夫人に負けず劣らず香水の悪臭に埋もれる年若い御令嬢。さっきの話からするともう成人するというのに大きなリボンがドレスと言わず髪にもゴテゴテと飾り立てられ、色々と心配になるレベルだ。
その後ろに控えているのは侍女だろうか、飾り気のない茶色のドレスに身を包んだ更に年若い女性が、侯爵夫人と侯爵令嬢を交互に見て微かに眉根を寄せている。
まぁ侍女がまともであったとしても主人に物申せるはずもない。ローグバインは思わず労いの視線を送ってしまった。
しかししゃしゃり出てきたリボン娘はそんな事に気づく訳もない、本当に成人できるのか?と疑いたくなる程満面の笑みで形ばかりのカーテシーをする。
「初めまして、チェミナ・ナゴレンですわ! キャ! なんて素敵な殿方なんでしょう!」
「キャ」とか猿かよ…という突っ込みは内心に留めて、引き攣った笑みを必死に張り付けていると、侍女らしき女性が遠慮がちにチェミナに声をかけた。
「お姉様……それ以上はお控えくださいませ、失礼に当たります」
キっと目を吊り上げてチェミナが後ろを振り向く。それと同時に侯爵夫人も扇で口元を隠してはいるが、蔑んだ目線が隠せていない。
「コリアータ! おまけで付いてくることを許してあげたのに意見する気!?」
「本当よ、静かにしてらっしゃい」
そう言い放った後、まだ言い足りないのかチェミナは微かに頭を傾がせて茶色のドレスの年若い女性に小声で恫喝している。
「(お前の成人なんて名ばかりで、ワタシが主役なんだから引っ込んでなさいよ!)」
「(……はい、すみません)」
小声だから聞こえていないとでも思っているのか……仮にも騎士である以上、音も重要な情報なのだ、少々の事では聞き逃さない。
どうやら成人するのは後ろの茶色いドレスの女性の方で、このチェミナとか言う淑女とは到底言えない女性は、茶色いドレスの女性の姉でしかないようだ。しかし夫人の物言いからも察せるが、主役である後ろの女性は名ばかりで、夜会のメインはチェミナ嬢の方らしい……ナゴレン侯爵家はヤバいのではないだろうか。
とはいえ、そんな事を表情に出すわけにもいかない。
「それでは私はまだ仕事がありますので、この辺で失礼します」
にこやかにその場を辞そうと礼を取り歩き出したのだが、その腕にチェミナの手が伸ばされる。
「そんな、もう少しお話しさせてくださいませ!」
リボンお化けがローグバインの腕を取ろうとしたところで、それを交わすくらい訳もない。するりと伸ばされた手から腕を交わして振り返る。
「申し訳ございません、急ぎますので」
流石に夫人の方はこれ以上はまずいと判断したのだろう、リボンお化けの方の肩に手を置き押しとどめている。が、ダメ押しとばかりに扇をひらりと一振りしながらローグバインに声をかけた。
「お仕事の邪魔をしてしまったようで、ごめんなさいね。ただもし良かったら夜会への参加は考え直してみてくださいましたら嬉しいですわ」
これはきっぱりと言わないとダメなパターンだろう。
ナゴレン侯爵家は貴族派閥で、一応王派閥なローグバインとは普段あまり関わりがない。その上、今はホスグエナ伯爵を追い込んでいる最中で他家の事まで頭が回っていなかったが、流石にこれはまずいと言わざるを得ない。
派閥の違う家にまでこうして絡んでくるという事は、リボン令嬢は恐らくやばい。地雷の可能性がある。地雷どころか厄災かもしれない。
早々に自身の身の安全の為にも、他家の令嬢関係は調べておかなければならないとローグバインは固く決意した。
「ナゴレン侯爵夫人、申し訳ございませんが夜会への参加は不可能です。仕事柄時間が全く取れませんので、これ以降も数年は厳しいかと思われます。お気持ちだけありがたく、それでは」
「そ、そう……本当にお忙しいのね。でも招待状を送るくらいはさせて頂戴」
「いえ、招待状一枚書くにも手間が増えますでしょう、ですのでお気遣いなく」
目元まで引き攣らせている夫人に、これ以上話を続けられてはたまらないと返事も待たずに歩き出した。
ちなみにリボン令嬢は肩を押さえ込まれながらも目はキラキラとローグバインを追いかけ、後ろの…恐らく次女である御令嬢は居たたまれなさそうに、身を小さくして俯いていた。
かなり速足で抜けたが、ナゴレン侯爵夫人一行以降も数回御婦人方に話しかけられた。
そのせいでローグバインの疲労感が半端ない事になっている。
自分が未婚で年齢的にも爵位的にも優良物件とされているのだろうと思われるが、迷惑なことこの上ない。
そして外に出て人気が無くなった所で、自分に風魔法を使った。
気づけば香水の残り香だろう悪臭が自分に纏わりついていたのだ。
適切な距離を保っていたはずなのに、どちらかと言えばそれより離れ気味にしていたというのに、いつの間にか自分の衣服が香水臭くなるなど、どれだけ振りかけてるんだと問い詰めたい。実際に問い詰めるとか、そんな危ない橋はわたる気はないが。
ふと遠く西の空を見上げた。
この先にいる、恋い焦がれてやまない人に思いを馳せる。
―――もし自分に魔力がなかったら
―――もし自分が爵位を継ぐ羽目になっていなかったら
今も変わらず彼女の傍に居られたのかもしれないと、ついそんな事を考えてしまった自分に首を振り、がくりと肩を落とした。
それらのせいで苦しみ悩んでいる人がいると言うのに、何という事を考えてしまうのか。
悩むどころか奪われた命があったかもしれないのに……。
ローグバインはパンと両手で頬を叩くと、第4騎士団執務室を再び目指して歩き出した。
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