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107話 月夜のトクスの片隅で その2

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 首を捻っているゲナイドと違って、オリアーナの方は視線を落として難しい表情を浮かべていた。

「裏か?」
「あ?」
「ティゼルト隊長はご存じでしたか」

 こくりと頷くオリアーナに、カムランがクッと唇を一度引き締めた。

「表向きはただの破落戸どものたまり場なんだが、密輸に人攫い、殺しに至るまで客が望めば、希望に相応しい裏稼業の奴に繋ぎを取ってくれると噂がある店…というか、店主だな。
 当然だが、なかなか尻尾を掴ませてくれはしない。まぁ客の方も揃って口が固いもんだから、雑談さえ応じてくれなくて直接的な話じゃねぇんだが、その店の近くに居たって奴の話を運よく聞けたんだよ」
「そんな店の近くとなれば、真っ当な住民って訳じゃねぇよな?」
「まぁな。酔った挙句、まだ冷え込みがきついって言うのに、地面をベッドにしてたようなんだが、今は藁にも縋るだろ?」

 ネタ元が酔っ払いと聞いて、その信憑性に眉を顰めたゲナイドだったが、カムランの指摘に苦虫を嚙み潰したような顔になる。

「それでなんだが、店の前で二人の男がちょいと争ってたらしいんだ」
「そんなモン珍しくも何ともないだろうが」
「確かにそうなんだがな、2人のうち一人は地味なコートを着ているくせに、派手な布を首に巻いてらしい。覗いた衣服にも刺繍とかされてたと聞けば話は変わらないか? しかも丸々とデブった人物だと聞かされりゃなぁ」
「首に布……クラヴァットか、それに刺繍となると、この辺りじゃパウルしか着用していないな」

 カムランの語る情報に、ゲナイドはピンと来ないらしく首を捻るばかりだが、オリアーナは納得できたようで呟きを漏らして頷いた。
 『デブ』の部分に触れないのは彼女なりの優しさなんだろうか、それとも口にするのも汚らわしいという事なんだろうか…。

「まぁ、ヴェルザンが実家に戻るとかしたら別かもしれんが、この村でそんな派手で場違いな格好してるデブなんて、ティゼルト隊長の言う通り一人しかいない」
「二人と言うからには相手がいたんだろう? そっちの情報はないのか?」

 オリアーナからの質問に、カムランが眉尻を少し下げて困ったように呟く。

「フードを目深に被っていて、顔は見えなかったらしいんだが、雰囲気は堅気じゃないって力説してたかな」
「力説ってお前なぁ……夢でも見てたってオチじゃないのかよ」

 ムっと口をへの字に曲げて、ゲナイドがやけくそ気味に言い捨てる。

「その可能性もない訳じゃないけどな。
 最初気になったのは、真っ青な顔でブルブル震えながら隅っこに蹲っていたからなんだよ。冷え込むと言っても歯の根が合わなくなるほどの寒さじゃないから、病人かと思ってな。
 ところが声をかけた途端、大声で喚きながらへっぴり腰で逃げ出そうとするんで、何とか落ち着かせて話を聞いてみれば、さっきの話に行きついたって訳」
「……真っ青な顔して………おい、ちょっと待て…その2つ何とかって店の近くに居たわけじゃないのか?」

 カムランの口角が微かに上がる。

「あぁ『2つ首犬の口』の前から随分離れた場所だった。だからこれでも大急ぎで報告に来たんだぜ?
 もう一人の方、黒づくめ男の方が怒鳴られてた声で目を覚ましたらしいんだが、パウルらしき人物に黒づくめの方は殴り飛ばされたのに、何故か反撃もせずに暫く話し込んでたようでな」
「いや、待てって……お前が話を聞いた奴は、それをずっと隠れてみてたって言うのか? そっちはそっちで頭おかしいだろ」
「そうだな。ま、そいつも派手なデブはパウルだと思って、何かいいネタが拾えないモノかと隠れて聞いていたんだとさ」
「いいネタねぇ、ネタ次第じゃ脅しなんかもしそうなやつって事か…下衆な小物だな」
「その通りなんだが、そいつおかげでパウルの足取りが、ちょいとだけでもわかったってのは収穫だろう?」
「ありがたくって涙がでらぁな。それで? 身柄は抑えられそうなのか?」

 ゲナイドの問いに答えたのは、眉を顰めたオリアーナだった。

「足取りを少しと言うなら、これから追うって話になるんじゃないか?」
「あ~」

 オリアーナの言葉に、ゲナイドが気まずげに後頭部を掻きむしるが、カムランは神妙な面持ちで頷く。

「内容は聞こえなかったらしいが話し込んだ後、黒づくめの方が突然気が狂ったようになって、パウルの足を刺したらしい」

 ゲナイドがガタリと大きな音を立てて立ち上がると、すぐにテーブルに両手をついて、カムランに目を吊り上げた顔を近づけた。

「それを先に言え! 刺された後はどうなったんだ」
「わからん、見つかったら殺されると思ったらしく、這う這うの体で逃げ出したらしい」
「くそっ、役に立たねぇ野郎だ」

 忌々しげに吐き捨てるゲナイドに、落ち着けと言うオリアーナだったが、その目をカムランの方へ向ける。

「パウルを消されたり逃がされたりするのはまずいだろう。探すしかないが遅きに失した感はあるな……それで、私らはどこを探せば良い?」
「こっちに来る前にギルドに寄って、ラドグースとナイハルトには店の方に走ってもらってる。ナイハルトからこれを借りてきてるから連絡待ちだ」

 そう言ってカムランが自分の襟元を探る。
 そして抜き出して見せた指先には、茶色い骨細工のようなペンダントトップが揺れていた。

 それから然程待つことなくナイハルトから連絡が入った。
 破損が本当に怖かったのだろう……カムランが持っていたペンダントトップの片割れは、ラドグースからナイハルトへ渡されていたようだ。

 空はもう濃紺の夜色の片隅が薄っすらと白み始めていて、人の気配がそこここに溢れる頃に、待望の連絡が入ってきた。

 店は既に人気が無く、店主も寝床へ帰ったのか何処にもいないらしいが、店の前の地面は箒か何かでぐしゃぐしゃと掻き乱された跡があると言う。
 だが、それでも血の跡は消し切れていなかったようで、店から離れる様に点々と血痕が残っているようなのだが、それもすぐ途切れてしまったらしい。
 確認できる血の量からは、恐らく死んでいないと思われるが、何処に行ったのか皆目見当もつかない。
 ナイハルトからの要請もあったが、こうなっては少しでも人手を割く必要があるだろう。

「……わかった、ここでエリィを護ってるよ。とにかく今パウルに何かあっては困るから急いで探し出すとして、これだけ教えてってくれるか? ヴェルザンは何か言っていたか?」

 連絡が入ってすぐさま飛び出そうとしたオリアーナだったが、宿の警護も重要だと宥めすかされ、今はむすっとした表情を隠すことなく腕組みをして椅子に座っている。
 装備を解いていなかったカムランはもちろん、ゲナイドも手早く装備を整えると、馬鹿ウル捜索に向かうために立ち上がり、椅子の位置を戻したところでオリアーナの言葉に顔を上げた。その問いに答えられるのはカムランだろうと、そっちに顔を向け直して視線で訊ねる。

「ヴォルザンかぁ、もちろんあいつにも報告したが、とにかくビレントス卿に至急連絡を取るとは言っていたが、俺もこっちに報告に急いだから、それからどうなってるのかは……」
「そうか、引き留めて悪かった。行ってくれ」
「そんじゃ行ってくらぁ」

 ゲナイドとカムランが宿から出ていくと、フロアにしんとした静けさが訪れた。
 もう明け方だし、女将も休んだのだろう。
 ここでオリアーナ達が話し込んでいても、エリィは起きてこなかったから、余程疲れていたんだなと、何気なくエリィが眠っている部屋の方向を眺めた。
 ふぅと小さく息を吐いて、椅子の背もたれに体重を預け天井を仰ぐと、ゆっくり瞼を閉じる。

「エリィと出会ってまだ数日と言うのに、酷く濃厚だな」

 右手をゆっくりと上げ、そのまま両目を覆ってみるが、当然ながら眠気も来ない事に苦笑が浮かんだ。

「そして、全てが後手後手でどうにも落ち着かない。それにヴェルザンも何をどう考えているのやら……そして…」

 右腕で覆われているので表情はわからないが、漏れ出た声からは疲れに似た何かを感じる。

「ビレントス……か…もう全部捨てて過去になったはずだったのにな」

 ぼそりと苦く呟いたオリアーナの表情は、やはり見えないままだった。




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