2 / 2
番外編:出会い
しおりを挟む
店舗へ向けて一歩、足を踏み入れた。
客としてではない。これから働く職場になる場所。
学生時代にアルバイトとして働いたことはある。
「大丈夫、大丈夫。池谷ってさ、案外軽そうでいて中身がちゃんと入っているから」
「池くんなら平気だよ。しっかりしてるもんね」
頭の中を今までにいただいた励ましの言葉がたくさん浮かんでは消え浮かんでは消えていく。思い出すことで自分を鼓舞しようとしているのだがうまくいかない。
だが今現在、彼の力の入った体にこもる緊張は、どんな思い出も経験も言葉も受け付けなかった。
「駄目だ……死ぬ。どうして人間は労働せねば生きられないんだろう」
扉を目の前にして一人つぶやいたその声を聞いている者がいた。
「そりゃ人間が一人では生きていけないからでしょう」
声に池谷は振り返った。
そこには、すらりとした痩躯に長い手足、凛とした佇まいの美しい男だった。
「きみ、新人だね。ぼくは塚越。きみの先輩だ」
声までが涼やかに響くその圧倒的存在感に見惚れ、池谷は言葉を失った。
「さ、じゃ、とりあえず中、案内するからついてきて」
まるでエスコートだ。エスコート。そんな単語が頭の中に浮かんできたことに、池谷は自分でも驚いた。
些細な所作。手を上げる、笑う、そっと息を吐く。小さな一つ一つの行動ですら計算されつくしたような鮮麗な美しさを持って、池谷の網膜に焼きついた。
これが働く人の姿なのだろうか。
「あの……塚越さん」
池谷の先に立って彼を案内する背中に向かって、池谷は声をかけた。
「ん?」
そう言って振り返る様にドキリと心臓が跳ね上がる。
「あ、えと……さ、さっきの一人では生きていけないってやつ……」
「ああ、さっきの。そのまんまの意味だよ」
「え、あ……」
「だから、きみ、その肉体を生かしているのは他ならないきみの命になったたくさんの生き物のおかげだろ。それを育てている人のおかげでもある。でもぼくたちの仕事は服を――人間の尊厳を売る仕事だ。そして笑顔になってもらう仕事だ」
淡々と語る塚越の言葉は、真に迫るような真面目な響きを持って、池谷の心の中に入ってくる。
「誰もがそれぞれの役割を持って、他の人々の生活を支えようとしている。そうやって回していくのがこの世の中だ。それが働く意義。……って、青臭い考えかもしれないけれど」
確かにそうだ。並べてみればきれいごと過ぎて、笑ってしまう。
だが、少し頬を赤く染めつつも、まっすぐに語る塚越の華奢な背中がどこか大きなものに思えてきた。
「もう! 年寄にどうこう熱く語らせないでくれよ!」
「あ、はい!」
ん。年寄?
「塚越さん、一体、いくつなんですか?」
「……二十三歳」
渋いしかめた顔をして答えた先輩の回答に、池谷はぷっと噴き出した。
「何だよ、もう……」
頬を膨らませながら池谷の反応をじろりと睨む二十三歳に、池谷は言った。
「俺と四歳しか違わないじゃないですか」
(了)
----
✿『視線の先はまだ遠く』番外編というか出会い編 2020.08.02
客としてではない。これから働く職場になる場所。
学生時代にアルバイトとして働いたことはある。
「大丈夫、大丈夫。池谷ってさ、案外軽そうでいて中身がちゃんと入っているから」
「池くんなら平気だよ。しっかりしてるもんね」
頭の中を今までにいただいた励ましの言葉がたくさん浮かんでは消え浮かんでは消えていく。思い出すことで自分を鼓舞しようとしているのだがうまくいかない。
だが今現在、彼の力の入った体にこもる緊張は、どんな思い出も経験も言葉も受け付けなかった。
「駄目だ……死ぬ。どうして人間は労働せねば生きられないんだろう」
扉を目の前にして一人つぶやいたその声を聞いている者がいた。
「そりゃ人間が一人では生きていけないからでしょう」
声に池谷は振り返った。
そこには、すらりとした痩躯に長い手足、凛とした佇まいの美しい男だった。
「きみ、新人だね。ぼくは塚越。きみの先輩だ」
声までが涼やかに響くその圧倒的存在感に見惚れ、池谷は言葉を失った。
「さ、じゃ、とりあえず中、案内するからついてきて」
まるでエスコートだ。エスコート。そんな単語が頭の中に浮かんできたことに、池谷は自分でも驚いた。
些細な所作。手を上げる、笑う、そっと息を吐く。小さな一つ一つの行動ですら計算されつくしたような鮮麗な美しさを持って、池谷の網膜に焼きついた。
これが働く人の姿なのだろうか。
「あの……塚越さん」
池谷の先に立って彼を案内する背中に向かって、池谷は声をかけた。
「ん?」
そう言って振り返る様にドキリと心臓が跳ね上がる。
「あ、えと……さ、さっきの一人では生きていけないってやつ……」
「ああ、さっきの。そのまんまの意味だよ」
「え、あ……」
「だから、きみ、その肉体を生かしているのは他ならないきみの命になったたくさんの生き物のおかげだろ。それを育てている人のおかげでもある。でもぼくたちの仕事は服を――人間の尊厳を売る仕事だ。そして笑顔になってもらう仕事だ」
淡々と語る塚越の言葉は、真に迫るような真面目な響きを持って、池谷の心の中に入ってくる。
「誰もがそれぞれの役割を持って、他の人々の生活を支えようとしている。そうやって回していくのがこの世の中だ。それが働く意義。……って、青臭い考えかもしれないけれど」
確かにそうだ。並べてみればきれいごと過ぎて、笑ってしまう。
だが、少し頬を赤く染めつつも、まっすぐに語る塚越の華奢な背中がどこか大きなものに思えてきた。
「もう! 年寄にどうこう熱く語らせないでくれよ!」
「あ、はい!」
ん。年寄?
「塚越さん、一体、いくつなんですか?」
「……二十三歳」
渋いしかめた顔をして答えた先輩の回答に、池谷はぷっと噴き出した。
「何だよ、もう……」
頬を膨らませながら池谷の反応をじろりと睨む二十三歳に、池谷は言った。
「俺と四歳しか違わないじゃないですか」
(了)
----
✿『視線の先はまだ遠く』番外編というか出会い編 2020.08.02
0
お気に入りに追加
2
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説

噛痕に思う
阿沙🌷
BL
αのイオに執着されているβのキバは最近、思うことがある。じゃれ合っているとイオが噛み付いてくるのだ。痛む傷跡にどことなく関係もギクシャクしてくる。そんななか、彼の悪癖の理由を知って――。
✿オメガバースもの掌編二本作。
(『ride』は2021年3月28日に追加します)

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。

フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

お客様と商品
あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)

素直じゃない人
うりぼう
BL
平社員×会長の孫
社会人同士
年下攻め
ある日突然異動を命じられた昭仁。
異動先は社内でも特に厳しいと言われている会長の孫である千草の補佐。
厳しいだけならまだしも、千草には『男が好き』という噂があり、次の犠牲者の昭仁も好奇の目で見られるようになる。
しかし一緒に働いてみると噂とは違う千草に昭仁は戸惑うばかり。
そんなある日、うっかりあられもない姿を千草に見られてしまった事から二人の関係が始まり……
というMLものです。
えろは少なめ。

みつきとけいた
よこすかなみ
BL
みつきの通う高校には進学クラスと特進クラスで学力によるクラス分けがなされており、クラス同士仲が悪かった。ある日、特進クラスのみつきが家の鍵を失くして困っているところを助けてくれたのは、進学クラスのけいただった。二人は次第に仲良くなっていくが、それを周りは快く思わず、ついにいじめが始まった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる