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番外編:出会い
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店舗へ向けて一歩、足を踏み入れた。
客としてではない。これから働く職場になる場所。
学生時代にアルバイトとして働いたことはある。
「大丈夫、大丈夫。池谷ってさ、案外軽そうでいて中身がちゃんと入っているから」
「池くんなら平気だよ。しっかりしてるもんね」
頭の中を今までにいただいた励ましの言葉がたくさん浮かんでは消え浮かんでは消えていく。思い出すことで自分を鼓舞しようとしているのだがうまくいかない。
だが今現在、彼の力の入った体にこもる緊張は、どんな思い出も経験も言葉も受け付けなかった。
「駄目だ……死ぬ。どうして人間は労働せねば生きられないんだろう」
扉を目の前にして一人つぶやいたその声を聞いている者がいた。
「そりゃ人間が一人では生きていけないからでしょう」
声に池谷は振り返った。
そこには、すらりとした痩躯に長い手足、凛とした佇まいの美しい男だった。
「きみ、新人だね。ぼくは塚越。きみの先輩だ」
声までが涼やかに響くその圧倒的存在感に見惚れ、池谷は言葉を失った。
「さ、じゃ、とりあえず中、案内するからついてきて」
まるでエスコートだ。エスコート。そんな単語が頭の中に浮かんできたことに、池谷は自分でも驚いた。
些細な所作。手を上げる、笑う、そっと息を吐く。小さな一つ一つの行動ですら計算されつくしたような鮮麗な美しさを持って、池谷の網膜に焼きついた。
これが働く人の姿なのだろうか。
「あの……塚越さん」
池谷の先に立って彼を案内する背中に向かって、池谷は声をかけた。
「ん?」
そう言って振り返る様にドキリと心臓が跳ね上がる。
「あ、えと……さ、さっきの一人では生きていけないってやつ……」
「ああ、さっきの。そのまんまの意味だよ」
「え、あ……」
「だから、きみ、その肉体を生かしているのは他ならないきみの命になったたくさんの生き物のおかげだろ。それを育てている人のおかげでもある。でもぼくたちの仕事は服を――人間の尊厳を売る仕事だ。そして笑顔になってもらう仕事だ」
淡々と語る塚越の言葉は、真に迫るような真面目な響きを持って、池谷の心の中に入ってくる。
「誰もがそれぞれの役割を持って、他の人々の生活を支えようとしている。そうやって回していくのがこの世の中だ。それが働く意義。……って、青臭い考えかもしれないけれど」
確かにそうだ。並べてみればきれいごと過ぎて、笑ってしまう。
だが、少し頬を赤く染めつつも、まっすぐに語る塚越の華奢な背中がどこか大きなものに思えてきた。
「もう! 年寄にどうこう熱く語らせないでくれよ!」
「あ、はい!」
ん。年寄?
「塚越さん、一体、いくつなんですか?」
「……二十三歳」
渋いしかめた顔をして答えた先輩の回答に、池谷はぷっと噴き出した。
「何だよ、もう……」
頬を膨らませながら池谷の反応をじろりと睨む二十三歳に、池谷は言った。
「俺と四歳しか違わないじゃないですか」
(了)
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✿『視線の先はまだ遠く』番外編というか出会い編 2020.08.02
客としてではない。これから働く職場になる場所。
学生時代にアルバイトとして働いたことはある。
「大丈夫、大丈夫。池谷ってさ、案外軽そうでいて中身がちゃんと入っているから」
「池くんなら平気だよ。しっかりしてるもんね」
頭の中を今までにいただいた励ましの言葉がたくさん浮かんでは消え浮かんでは消えていく。思い出すことで自分を鼓舞しようとしているのだがうまくいかない。
だが今現在、彼の力の入った体にこもる緊張は、どんな思い出も経験も言葉も受け付けなかった。
「駄目だ……死ぬ。どうして人間は労働せねば生きられないんだろう」
扉を目の前にして一人つぶやいたその声を聞いている者がいた。
「そりゃ人間が一人では生きていけないからでしょう」
声に池谷は振り返った。
そこには、すらりとした痩躯に長い手足、凛とした佇まいの美しい男だった。
「きみ、新人だね。ぼくは塚越。きみの先輩だ」
声までが涼やかに響くその圧倒的存在感に見惚れ、池谷は言葉を失った。
「さ、じゃ、とりあえず中、案内するからついてきて」
まるでエスコートだ。エスコート。そんな単語が頭の中に浮かんできたことに、池谷は自分でも驚いた。
些細な所作。手を上げる、笑う、そっと息を吐く。小さな一つ一つの行動ですら計算されつくしたような鮮麗な美しさを持って、池谷の網膜に焼きついた。
これが働く人の姿なのだろうか。
「あの……塚越さん」
池谷の先に立って彼を案内する背中に向かって、池谷は声をかけた。
「ん?」
そう言って振り返る様にドキリと心臓が跳ね上がる。
「あ、えと……さ、さっきの一人では生きていけないってやつ……」
「ああ、さっきの。そのまんまの意味だよ」
「え、あ……」
「だから、きみ、その肉体を生かしているのは他ならないきみの命になったたくさんの生き物のおかげだろ。それを育てている人のおかげでもある。でもぼくたちの仕事は服を――人間の尊厳を売る仕事だ。そして笑顔になってもらう仕事だ」
淡々と語る塚越の言葉は、真に迫るような真面目な響きを持って、池谷の心の中に入ってくる。
「誰もがそれぞれの役割を持って、他の人々の生活を支えようとしている。そうやって回していくのがこの世の中だ。それが働く意義。……って、青臭い考えかもしれないけれど」
確かにそうだ。並べてみればきれいごと過ぎて、笑ってしまう。
だが、少し頬を赤く染めつつも、まっすぐに語る塚越の華奢な背中がどこか大きなものに思えてきた。
「もう! 年寄にどうこう熱く語らせないでくれよ!」
「あ、はい!」
ん。年寄?
「塚越さん、一体、いくつなんですか?」
「……二十三歳」
渋いしかめた顔をして答えた先輩の回答に、池谷はぷっと噴き出した。
「何だよ、もう……」
頬を膨らませながら池谷の反応をじろりと睨む二十三歳に、池谷は言った。
「俺と四歳しか違わないじゃないですか」
(了)
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✿『視線の先はまだ遠く』番外編というか出会い編 2020.08.02
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