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✿初稿
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騒がしい昼はいつもどおりだった。ただひとつ、おずおずと花荻が話しかけてきた。
「千尋さん、今日、何かあったんですか?」
「いえ、いつもどおりですが?」
「そう、ならいいんですが」
「花荻さんこそ、尾張先生、どうですか?」
「ああ、本当に助かりました! ネーム、よくなったので、そのまま先生に描いていただくことにしました。まんがのことは何でも千尋さんに聞けば間違いないですね」
にこにこと微笑む花荻が、一瞬かぼちゃに見えた。千尋はぎょっとして、もう一度彼を凝視した。大丈夫、一応、まだ人間だ。
「そういうわけでもないでしょう。ぼくなんてまだまだです」
「そうですか? でも、松葉先生イケイケじゃないですか」
「そう見えますか?」
「化け物ですよ。彼がいなかったら、この編集部も出版社も終わりでしょう。小さいから、とにかく出版点数稼いで自転車操業していくしかない。返って来たぶんを次の本でごまかしてしのぎしのぎやってるような」
「……そうですね」
と口にして、本心ではそうではないのだ。博打だ。もう何が売れるのかわからなくなっていて、ただ無造作につくりつづけているだけ。エロがあれば売れるだろうという薄っぺらさが透けて見えるような、美男子と美女が絡み合うだけ、トーンをべたっと張ったような画一的な、世界。
頭角を現している松葉ゆうの漫画と他の漫画のどこが違うのか。きっと花荻にはわかっていないに違いない。
それに、松葉は本当はエロに頼らなくても読者を引き込める作家だ。いや、むしろ最近はエロが邪魔になってきている。一話のなかに必ず濡れ場シーンを、というルールを守るために、彼は大きく遠回りをしなくてはならなくなってきている。枠が狭いのだ。
それはただたんに会社に金がないからに違いない。だから、博打を打たず安定的に、いままで売れてきたからといって先細りしていくだけの二番煎じを何度も繰り返しているだけだ。
いつかつぶれる。それがわかっていて、根本を無視して延命装置だけを必死にフル稼働しているだけの、狭い、狭い、狭い場所。
ぶるり、と千尋は小さく震えた。それは、誰のことだ? 会社のこと――? 違う、それだけじゃない。なにより、狭いのは自分自身じゃないか。
「千尋さん? 大丈夫ですか、やっぱり今日はどこか――」
聞こえない、聞こえないから、もう外の音は聞こえない。聞きたくもないけれど、聞こえない。音だけが聞こえる。意味の奥はわからない。どうして、どこから響いてくるのか。
「平気です。これから、席を外します。下のロビー借ります」
真顔でなるべく冷静に千尋は答えた。
「ああ、持ち込みの子ですか?」
「ええ、電話受けたとき、驚きました。男性の声だったので」
「ああ、なかなかいないですよね。男性でTL描くひとって。松葉さんみたいな化け物もいますけれど」
「あのひとは規格外ですから」
わかっている。自分から、わざと遠くなろうとしているのに。狭い枠のなかの自分を必死で守ろうとしているように。
騒がしい昼はいつもどおりだった。ただひとつ、おずおずと花荻が話しかけてきた。
「千尋さん、今日、何かあったんですか?」
「いえ、いつもどおりですが?」
「そう、ならいいんですが」
「花荻さんこそ、尾張先生、どうですか?」
「ああ、本当に助かりました! ネーム、よくなったので、そのまま先生に描いていただくことにしました。まんがのことは何でも千尋さんに聞けば間違いないですね」
にこにこと微笑む花荻が、一瞬かぼちゃに見えた。千尋はぎょっとして、もう一度彼を凝視した。大丈夫、一応、まだ人間だ。
「そういうわけでもないでしょう。ぼくなんてまだまだです」
「そうですか? でも、松葉先生イケイケじゃないですか」
「そう見えますか?」
「化け物ですよ。彼がいなかったら、この編集部も出版社も終わりでしょう。小さいから、とにかく出版点数稼いで自転車操業していくしかない。返って来たぶんを次の本でごまかしてしのぎしのぎやってるような」
「……そうですね」
と口にして、本心ではそうではないのだ。博打だ。もう何が売れるのかわからなくなっていて、ただ無造作につくりつづけているだけ。エロがあれば売れるだろうという薄っぺらさが透けて見えるような、美男子と美女が絡み合うだけ、トーンをべたっと張ったような画一的な、世界。
頭角を現している松葉ゆうの漫画と他の漫画のどこが違うのか。きっと花荻にはわかっていないに違いない。
それに、松葉は本当はエロに頼らなくても読者を引き込める作家だ。いや、むしろ最近はエロが邪魔になってきている。一話のなかに必ず濡れ場シーンを、というルールを守るために、彼は大きく遠回りをしなくてはならなくなってきている。枠が狭いのだ。
それはただたんに会社に金がないからに違いない。だから、博打を打たず安定的に、いままで売れてきたからといって先細りしていくだけの二番煎じを何度も繰り返しているだけだ。
いつかつぶれる。それがわかっていて、根本を無視して延命装置だけを必死にフル稼働しているだけの、狭い、狭い、狭い場所。
ぶるり、と千尋は小さく震えた。それは、誰のことだ? 会社のこと――? 違う、それだけじゃない。なにより、狭いのは自分自身じゃないか。
「千尋さん? 大丈夫ですか、やっぱり今日はどこか――」
聞こえない、聞こえないから、もう外の音は聞こえない。聞きたくもないけれど、聞こえない。音だけが聞こえる。意味の奥はわからない。どうして、どこから響いてくるのか。
「平気です。これから、席を外します。下のロビー借ります」
真顔でなるべく冷静に千尋は答えた。
「ああ、持ち込みの子ですか?」
「ええ、電話受けたとき、驚きました。男性の声だったので」
「ああ、なかなかいないですよね。男性でTL描くひとって。松葉さんみたいな化け物もいますけれど」
「あのひとは規格外ですから」
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