1 / 1
郷土伝承伝奇会
しおりを挟む
それは、俺がまだ、子どものころの話だ。季節はたしか、夏だったっけな。そう、あの祭があった日だった。
俺は、普段は都会――といっても、地方都市の中心部に暮らしているのだが、夏休みには、家族そろって母方の実家のあるF市にくることになっている。
一応F市ということになっているが、平成の大合併の波を受けて、近くの市と町と合併したため、そういう名称になっているだけで、うちの祖母の暮らしている地区は、「市」というとり完全に「村」とか「町」というイメージが強い。
あるのは青い空。山間部なことがあって、道や斜めだし、木々が生い茂る間にそっと畑やら田んぼやらがあって――といった感じ。
ああ、それから、祖母の家の近くに牛舎があって、酪農っぽいことをぼちぼちやっていたっぽいのだが、成人後、あらためてF市を訪れたときには、もうそこは廃業していた。
まあ、そんな田舎にやってきた小学生の俺としては、もの足りない。毎年来ているので、だいたいやることも同じだし、クーラーと扇風機のきいた室内で、ゲームばかりしているという様。
けれど、その年は、ちょうど帰省のタイミングが、地区の夏祭りと重なった。
山間にある神社を中心にして行われる小さな祭りだが、地元の業者が花火をうちあげたり、地区じゅうが提灯にかざられたりしていて、割と観光にくるひともおおいらしい。
せっかくだから見に行ってみましょうか、という母のひとことで、俺たち一家は足の弱い祖母を家に置いて、祭りに繰り出した。
――のは、よかったんだ。そこまでは、ね。
まあ、意外なことに、ひとごみでごった替えしていて、俺は、迷子になってしまったんだ。
どこを探しても、母も父も見つからない。そのうちに、人の流れに押し流されて、ここはどこ状態さ。
子どもだったからね。すごい心ぼそかったよ。
それなのに、急ににょっと腕が伸びてきて、俺の手首をつかんだんだよ。ぞっとした。驚いて悲鳴をあげた。
「大丈夫、大丈夫」
俺の手首をつかんだやつが、そう言い出した。顔をあげれば、そこには狐の顔。おっかねえと、腰がぬけそうになった。
「大丈夫、大丈夫」
そいつは何度も繰り返してそういう。
狐の顔っていったって、本当の狐の顔じゃないよ。よく売店とかで売っているお面をその人はかぶっていたのさ。
そんなわけで、俺は知らない狐面の人間に腕を掴まれたわけ。そのまま、狐面のやつがさ、「こっち」って言って、俺を引っ張る。どこに連れていかれるやら。
ふりはらおうと思っても、そいつはぎゅーっと強く俺の手首を握っていて、とてもかなわなかった。恐ろしいねぇ。
ビビりながら、俺はそいつに連れられるままに――なんと、境内を出て行ってしまった。
急にひと気がなくなって、真っ暗闇の山のなかさ。こりゃ、ひとさらいだって思った。
「あの、俺、もう戻らないと」
俺は、そう言った。震えていたね。もしかしたら、こいつは殺人鬼で、今に俺は殺されてしまうんじゃいかとさえ、思っていた。
で、何が起きたか。
急に、ぱあっと光が飛んだ。
小さな光がぱっと無数、宙を舞っていたんだ。
螢だ!
光る虫が無数に飛び交うその光景は、とても幻想的だった。
雲に隠されていた月が出て来て、俺は、息を飲んだよ。
俺がいたのは、橋の上でね、足元には、水面がしずかに風をうけてゆらめいていた。
「ああ、これは――」
夜の沼地。それも水はどれも透明で、空気は清々しかった。勝手に心が洗われていくようで、俺は、その場に飲み込まれるように、その場と一体化するように、ただ佇んでいた。
狐面が言った。
「どう? 元気になった?」
そうか、と俺はこの得体のしれない彼を見た。
この人は、ひとり残されて不安に思っていた俺を慰めようとしていたのではないか、と。
ふわり、と手離れた。
ぴょん、ぴょん、と飛び跳ねるように狐面の彼は、橋の先へと急いだ。
「こっち、もっと、こっちに!」
彼は言った。
ついていこうとして、ふと後ろ髪が引かれるような気がしたんだ。
俺は立ち止まって、言った。
「帰らなくちゃ」
狐面に向かって、そう言った。
「母さんも父さんも俺を待っているから」
そこで、ぷつんと何が起きたのか、それとも何も起こらなかったのか、わからない。覚えていないんだ。そこで、記憶は途切れていて、気が付いたら、目の前に母と父がいた。
場所も、神社の境内のなか。
「どこ行ってたの?」「探したぞ」って父と母が俺をぎゅっと抱きしめて、そのまま、三人で、祖母の家まで帰ったんだ。
はい、これで俺の話はおしまい。
え? あの狐面の人は誰だったのか、だって?
それがわかったら、こんな奇妙な会をたちあげたりしないよ。それにこんな田舎に引っ越してくるだなんて、ことも。
別にここが嫌いってわけじゃないよ。ただ、俺、今でも思うんだ。あのとき、彼についていってたら、どうなっていたのかなあって。
でさ――、ちょっと、きみ、今日の集会が、こんなよくわからないおじさんの昔話で終わってしまうだんて、がっかりしないで。
はい、これ、プリント、配ります。俺が今まで調べて来たことのあれやこれやが書いてあります。今朝一番にプリントアウトしたやつだからね。
ざっと目を通してみて。
えーっと、ひとことでいえば、郷土の忘れ去られた伝承の話と、環境の話。
一昔前、っていってもこうど経済成長の時代より前のことだから、きみたちにしたら、ずいぶんと昔のことになるかもしれないけれどね、その時分には、まだ、この町も綺麗で――おっと、今も綺麗かもしれないけど、そんなもの較べようにないくらい澄んでいたっていう話が一つ。
おじさんが山歩きして、あれこれ石碑なんて集めてただろう。あれの集大成。石碑にきざまれていた「おいでさん」ってやつの話ね。
泣いている子どもがいたら、声をかけて、どこかへ連れ去っていってしまうっていう――妖怪伝承っていったらいいのかな。この山にいたらしいんだわ。
で、さ、その「おいでさん」に連れ去られた子どもがどうなるっていうのが――。
(了)
俺は、普段は都会――といっても、地方都市の中心部に暮らしているのだが、夏休みには、家族そろって母方の実家のあるF市にくることになっている。
一応F市ということになっているが、平成の大合併の波を受けて、近くの市と町と合併したため、そういう名称になっているだけで、うちの祖母の暮らしている地区は、「市」というとり完全に「村」とか「町」というイメージが強い。
あるのは青い空。山間部なことがあって、道や斜めだし、木々が生い茂る間にそっと畑やら田んぼやらがあって――といった感じ。
ああ、それから、祖母の家の近くに牛舎があって、酪農っぽいことをぼちぼちやっていたっぽいのだが、成人後、あらためてF市を訪れたときには、もうそこは廃業していた。
まあ、そんな田舎にやってきた小学生の俺としては、もの足りない。毎年来ているので、だいたいやることも同じだし、クーラーと扇風機のきいた室内で、ゲームばかりしているという様。
けれど、その年は、ちょうど帰省のタイミングが、地区の夏祭りと重なった。
山間にある神社を中心にして行われる小さな祭りだが、地元の業者が花火をうちあげたり、地区じゅうが提灯にかざられたりしていて、割と観光にくるひともおおいらしい。
せっかくだから見に行ってみましょうか、という母のひとことで、俺たち一家は足の弱い祖母を家に置いて、祭りに繰り出した。
――のは、よかったんだ。そこまでは、ね。
まあ、意外なことに、ひとごみでごった替えしていて、俺は、迷子になってしまったんだ。
どこを探しても、母も父も見つからない。そのうちに、人の流れに押し流されて、ここはどこ状態さ。
子どもだったからね。すごい心ぼそかったよ。
それなのに、急ににょっと腕が伸びてきて、俺の手首をつかんだんだよ。ぞっとした。驚いて悲鳴をあげた。
「大丈夫、大丈夫」
俺の手首をつかんだやつが、そう言い出した。顔をあげれば、そこには狐の顔。おっかねえと、腰がぬけそうになった。
「大丈夫、大丈夫」
そいつは何度も繰り返してそういう。
狐の顔っていったって、本当の狐の顔じゃないよ。よく売店とかで売っているお面をその人はかぶっていたのさ。
そんなわけで、俺は知らない狐面の人間に腕を掴まれたわけ。そのまま、狐面のやつがさ、「こっち」って言って、俺を引っ張る。どこに連れていかれるやら。
ふりはらおうと思っても、そいつはぎゅーっと強く俺の手首を握っていて、とてもかなわなかった。恐ろしいねぇ。
ビビりながら、俺はそいつに連れられるままに――なんと、境内を出て行ってしまった。
急にひと気がなくなって、真っ暗闇の山のなかさ。こりゃ、ひとさらいだって思った。
「あの、俺、もう戻らないと」
俺は、そう言った。震えていたね。もしかしたら、こいつは殺人鬼で、今に俺は殺されてしまうんじゃいかとさえ、思っていた。
で、何が起きたか。
急に、ぱあっと光が飛んだ。
小さな光がぱっと無数、宙を舞っていたんだ。
螢だ!
光る虫が無数に飛び交うその光景は、とても幻想的だった。
雲に隠されていた月が出て来て、俺は、息を飲んだよ。
俺がいたのは、橋の上でね、足元には、水面がしずかに風をうけてゆらめいていた。
「ああ、これは――」
夜の沼地。それも水はどれも透明で、空気は清々しかった。勝手に心が洗われていくようで、俺は、その場に飲み込まれるように、その場と一体化するように、ただ佇んでいた。
狐面が言った。
「どう? 元気になった?」
そうか、と俺はこの得体のしれない彼を見た。
この人は、ひとり残されて不安に思っていた俺を慰めようとしていたのではないか、と。
ふわり、と手離れた。
ぴょん、ぴょん、と飛び跳ねるように狐面の彼は、橋の先へと急いだ。
「こっち、もっと、こっちに!」
彼は言った。
ついていこうとして、ふと後ろ髪が引かれるような気がしたんだ。
俺は立ち止まって、言った。
「帰らなくちゃ」
狐面に向かって、そう言った。
「母さんも父さんも俺を待っているから」
そこで、ぷつんと何が起きたのか、それとも何も起こらなかったのか、わからない。覚えていないんだ。そこで、記憶は途切れていて、気が付いたら、目の前に母と父がいた。
場所も、神社の境内のなか。
「どこ行ってたの?」「探したぞ」って父と母が俺をぎゅっと抱きしめて、そのまま、三人で、祖母の家まで帰ったんだ。
はい、これで俺の話はおしまい。
え? あの狐面の人は誰だったのか、だって?
それがわかったら、こんな奇妙な会をたちあげたりしないよ。それにこんな田舎に引っ越してくるだなんて、ことも。
別にここが嫌いってわけじゃないよ。ただ、俺、今でも思うんだ。あのとき、彼についていってたら、どうなっていたのかなあって。
でさ――、ちょっと、きみ、今日の集会が、こんなよくわからないおじさんの昔話で終わってしまうだんて、がっかりしないで。
はい、これ、プリント、配ります。俺が今まで調べて来たことのあれやこれやが書いてあります。今朝一番にプリントアウトしたやつだからね。
ざっと目を通してみて。
えーっと、ひとことでいえば、郷土の忘れ去られた伝承の話と、環境の話。
一昔前、っていってもこうど経済成長の時代より前のことだから、きみたちにしたら、ずいぶんと昔のことになるかもしれないけれどね、その時分には、まだ、この町も綺麗で――おっと、今も綺麗かもしれないけど、そんなもの較べようにないくらい澄んでいたっていう話が一つ。
おじさんが山歩きして、あれこれ石碑なんて集めてただろう。あれの集大成。石碑にきざまれていた「おいでさん」ってやつの話ね。
泣いている子どもがいたら、声をかけて、どこかへ連れ去っていってしまうっていう――妖怪伝承っていったらいいのかな。この山にいたらしいんだわ。
で、さ、その「おいでさん」に連れ去られた子どもがどうなるっていうのが――。
(了)
0
お気に入りに追加
2
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる