1 / 6
執事の務め
❀Chapter1.1
しおりを挟む
-------
✿二ノ宮 次郎(にのみや じろう)
✿室路 束絵(しつじ つかえ)
------
扉をノックする音が聞こえた。きっと彼だろう。二ノ宮次郎は瞬時に察知した。
「はい、どうぞ」
次郎が返事をすると、音もなく扉は開かれる。
「坊っちゃん、支度が整いました」
うやうやしい礼。どこをとっても礼儀正しい彼の立ち振る舞いは一流の風格。執事である室路束絵だった。
彼との年齢差は八つ。ニノ宮家に縁を持つらしい母親に連れられて二ノ宮家に来た五歳のころから彼はまるで傅子のように幼少のころから次郎の遊び相手をしていた。高校進学を機に二ノ宮家を離れれるも、卒業後に通信制大学に籍をおきながらニノ宮家の使用人として働き始めた。気心の知れた次郎に対しても礼儀正しい距離を取り始めたので、次郎は息がつまるような閉塞する気分と物足りなさを感じた。
昔みたいにもっと近づいてきてくれ。次郎は胸に秘めていた室路への想いに気が付いてしまった。
主と従の間へ滑り込んできた恋心は、次郎の猛アタックによりおそらく成就。おそらくという形容がついてしまうのは、夜は気心を許してくれても、昼間になると誰が見ても恋人には思えないただの使用人と主人の関係に戻ってしまうからだ。
今までどれほど次郎が懸命にその関係を崩そうとしたか。それでも尚、室路のほうが格上でいつもの使用人鉄仮面を微動だにせずに完璧にやりきってしまう。人生に一度だけでいい。次郎は執事モードの室路が自分に対して取り乱したところが見たいのだ。
「そうか、ごくろう」
二ノ宮はふっと、唇を歪ませながら、彼に尋ねる。
「して、お前、今どんな気分だ」
「はい?」
「これから主人を許嫁の元へやる気分はどうかと聞いている」
にやりと口元を歪ませて尋ねる次郎に、室路はたじろぎもせずに答える。
「今日は日も良いですから、坊ちゃんもいい気晴らしになるはずです」
次郎はつと視線を自身がさきほどまで向かっていた机上に向ける。山のように積まれた参考書。次男たれども自由には出来ない次郎の背中には再来年に控えている大学受験という大きな壁が立ちはだかっている。
休日であるのにこもって勉強にふけっているのは次郎の成績があまり良くないからだ。家庭教師を付けると父母は言っているが、次郎はやんわりとその申し出を断っていた。室路がいるから充分だ。しかし、その室路とは現在一方的に冷戦中なのである。
原因は時代遅れにも次郎には許嫁という存在があり、それに対しての室路の反応があまりにも気にくわないから。のらりくらりと次郎の怒りをかわす室路になど、頼っていられるものか。お前なんかいなくても成績維持をしてやるぞ、と意気込んだものの結果は目に見えての大暴落。
「へぇ。そう」
ただの主従関係ではないのだぞ。と彼の耳元でささやく。彼はええと短く頷いただけだった。動じないこの男が妙に腹立たしい。
「まあいいや。早く車、出してよ」
「承知いたしました」
完璧な斜め四十五度のお辞儀をする彼の姿を次郎は冷たいまなざしで眺めていた。どんなに腹が立っても彼は美しいし、結局自分はこの男が好きなのだ。次郎は彼に触れようと思わず伸ばしてしまった手を慌てて引っ込めた。
✿
「いかがなさいましたか?」
帰りの車の中でしれっと執事が尋ねてくる。次郎は柔らかな後部座席に沈み、つまらなそうに左右の足を組んでぼんやりと外を眺めていた。
「何がだ」
「いえ。坊ちゃんのご機嫌があまりよろしくないご様子なので」
「今更気が付いたのか。行く前からこっちは不機嫌だ」
「それは失礼しました」
彼はすぐに謝る。今日のことだって本当は最初から気が付いていたはずだ。それでもこの男は平気でいられるのだから、なかなか非情だ。次郎は室路の背中を睨みつけた。
「お前、最近、触れてないだろ」
「何にですか?」
「ばか、俺にだよ。お前それでもやっていけんのか? 溜まってないのかよ」
「坊ちゃん、暴れないでください。ああ、もう」
敷地の中に入った車は、屋敷の車庫へと流れ込む。停車したその車内の中で、次郎は腕を組んだ。
「さ、どうぞ」
後部座席のドアを開け、次郎を促す室路の腕を次郎は掴んだ。
「どうしたのですか、坊ちゃん」
「出たくない」
「え……あっ」
強引に室路を車内に引きずり込むと、次郎は彼のシャツの襟首に手をかける。
「な、何をっ!」
次郎が室路のシャツのボタンを上から外し始めた。慌てて次郎を制止させようとする室路。けれど、次郎も必死に食らいつく。
「何をなさるんですか!」
強い力で両手首を抑えられ、次郎は静止した。細身に見えて有事の際に備えて鍛えている室路には腕力ですら敵わない。
「このまま襲ってやろうと思って」
「え」
「あんたをここで襲おうとしてんだよ」
✿二ノ宮 次郎(にのみや じろう)
✿室路 束絵(しつじ つかえ)
------
扉をノックする音が聞こえた。きっと彼だろう。二ノ宮次郎は瞬時に察知した。
「はい、どうぞ」
次郎が返事をすると、音もなく扉は開かれる。
「坊っちゃん、支度が整いました」
うやうやしい礼。どこをとっても礼儀正しい彼の立ち振る舞いは一流の風格。執事である室路束絵だった。
彼との年齢差は八つ。ニノ宮家に縁を持つらしい母親に連れられて二ノ宮家に来た五歳のころから彼はまるで傅子のように幼少のころから次郎の遊び相手をしていた。高校進学を機に二ノ宮家を離れれるも、卒業後に通信制大学に籍をおきながらニノ宮家の使用人として働き始めた。気心の知れた次郎に対しても礼儀正しい距離を取り始めたので、次郎は息がつまるような閉塞する気分と物足りなさを感じた。
昔みたいにもっと近づいてきてくれ。次郎は胸に秘めていた室路への想いに気が付いてしまった。
主と従の間へ滑り込んできた恋心は、次郎の猛アタックによりおそらく成就。おそらくという形容がついてしまうのは、夜は気心を許してくれても、昼間になると誰が見ても恋人には思えないただの使用人と主人の関係に戻ってしまうからだ。
今までどれほど次郎が懸命にその関係を崩そうとしたか。それでも尚、室路のほうが格上でいつもの使用人鉄仮面を微動だにせずに完璧にやりきってしまう。人生に一度だけでいい。次郎は執事モードの室路が自分に対して取り乱したところが見たいのだ。
「そうか、ごくろう」
二ノ宮はふっと、唇を歪ませながら、彼に尋ねる。
「して、お前、今どんな気分だ」
「はい?」
「これから主人を許嫁の元へやる気分はどうかと聞いている」
にやりと口元を歪ませて尋ねる次郎に、室路はたじろぎもせずに答える。
「今日は日も良いですから、坊ちゃんもいい気晴らしになるはずです」
次郎はつと視線を自身がさきほどまで向かっていた机上に向ける。山のように積まれた参考書。次男たれども自由には出来ない次郎の背中には再来年に控えている大学受験という大きな壁が立ちはだかっている。
休日であるのにこもって勉強にふけっているのは次郎の成績があまり良くないからだ。家庭教師を付けると父母は言っているが、次郎はやんわりとその申し出を断っていた。室路がいるから充分だ。しかし、その室路とは現在一方的に冷戦中なのである。
原因は時代遅れにも次郎には許嫁という存在があり、それに対しての室路の反応があまりにも気にくわないから。のらりくらりと次郎の怒りをかわす室路になど、頼っていられるものか。お前なんかいなくても成績維持をしてやるぞ、と意気込んだものの結果は目に見えての大暴落。
「へぇ。そう」
ただの主従関係ではないのだぞ。と彼の耳元でささやく。彼はええと短く頷いただけだった。動じないこの男が妙に腹立たしい。
「まあいいや。早く車、出してよ」
「承知いたしました」
完璧な斜め四十五度のお辞儀をする彼の姿を次郎は冷たいまなざしで眺めていた。どんなに腹が立っても彼は美しいし、結局自分はこの男が好きなのだ。次郎は彼に触れようと思わず伸ばしてしまった手を慌てて引っ込めた。
✿
「いかがなさいましたか?」
帰りの車の中でしれっと執事が尋ねてくる。次郎は柔らかな後部座席に沈み、つまらなそうに左右の足を組んでぼんやりと外を眺めていた。
「何がだ」
「いえ。坊ちゃんのご機嫌があまりよろしくないご様子なので」
「今更気が付いたのか。行く前からこっちは不機嫌だ」
「それは失礼しました」
彼はすぐに謝る。今日のことだって本当は最初から気が付いていたはずだ。それでもこの男は平気でいられるのだから、なかなか非情だ。次郎は室路の背中を睨みつけた。
「お前、最近、触れてないだろ」
「何にですか?」
「ばか、俺にだよ。お前それでもやっていけんのか? 溜まってないのかよ」
「坊ちゃん、暴れないでください。ああ、もう」
敷地の中に入った車は、屋敷の車庫へと流れ込む。停車したその車内の中で、次郎は腕を組んだ。
「さ、どうぞ」
後部座席のドアを開け、次郎を促す室路の腕を次郎は掴んだ。
「どうしたのですか、坊ちゃん」
「出たくない」
「え……あっ」
強引に室路を車内に引きずり込むと、次郎は彼のシャツの襟首に手をかける。
「な、何をっ!」
次郎が室路のシャツのボタンを上から外し始めた。慌てて次郎を制止させようとする室路。けれど、次郎も必死に食らいつく。
「何をなさるんですか!」
強い力で両手首を抑えられ、次郎は静止した。細身に見えて有事の際に備えて鍛えている室路には腕力ですら敵わない。
「このまま襲ってやろうと思って」
「え」
「あんたをここで襲おうとしてんだよ」
0
お気に入りに追加
79
あなたにおすすめの小説








ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる