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目指す道の途中で
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新崎はテレビドラマ出演がきっかけで、少し注目を浴びるようになった。
仕事の依頼が入ってくるようになったのは、嬉しい。人から求められることも好きだ。
舞台と違って撮影で求められるものは違うが、演技はやっぱり好きだ。今まで経験したことがなかったことを経験して、役者として少し前に進めた気がするし、たくさんの気付きを得ることが出来たのも、良かった。
毎日のように演技に打ち込めるこの生活も気に入っている、そのはずだ。新崎は自分に言い聞かせるように心の中で似たような言葉を繰り返した。
「あー、でも、どんなものかな」
急に力が抜けて、腰かけていたベッドに倒れ込む。手に持っていた脚本を頬り投げると、天井を見つめた。
「なにやってんだろ、自分」
頭のなかでもやもやとカタチをつくりだした人物の肖像――千尋の存在を打ち消そうと必死に頭を左右に振る。
だが、忙しさを理由に会えなくなった年上の男の残像は、新崎の頭から離れようとはしなかった。
「やっべえぞ……明日はロケの……」
急に襲ってきた眠気に抗うことが出来ずに新崎は夢の世界へと飛んだ。
――「どっきりバラエティ!! もしもあの有名人が○○になっていたら!?」
経験を積みたい、だからどんな依頼でもなるべくオーケーする。
そういう方針のもと受けた今回の仕事は、話題沸騰中の人物と街中で遭遇したときの周囲の人物の反応を見る、という趣旨の企画だった。
普段、演技一辺倒の生活を送っているため、新崎にとってこういうタレント性が必要な仕事は初めてだ。それでも、喫茶店の店員に化けて、街の人が気付くかどうかを見るというのは面白そうだと純粋に思う。
そもそも、自分にそこまで知名度があるのかが、不安でもあるのだが、経験したことのない職業人に化けるというのは役者心をくすぐった。
「それじゃ、スタンバイお願いします!」
耳元で撮影の開始を告げる声が新崎の心臓をときめかせた。
黒縁の眼鏡と濃緑のエプロンに着替えた新崎は、あらかじめ指示されていたように、店のバックからホールへと移行する。耳元には隠しイヤホンがセットされ、別室でモニタを見ている番組の出演者から指示が飛ぶ仕組みになっている。
胸が弾けそうに膨らむ。楽しみだ。
俺は店員。この店の珈琲に恋してこの店の店員になった二十代の男性。なにより美味しい商品とくつろぎの時間を提供することに情熱を燃やしている。よし、大丈夫、行ける!!
「まずこれを四番テーブルに」
お盆にのった注文の商品を手に持って、ホールに一歩踏み出した瞬間、店の隅へと新崎の視線は吸い寄せられた。
「……な!!」
大きく見開かれた新崎の眼球の先には、会いたくてしかたがなかった人物の後姿があった。椅子に座り、熱心にノートパソコンを叩いているその背中。全てがそこへ向かって収縮していくような、感覚に新崎の足は硬直した。
「新崎くん、大丈夫?」
イヤホンからの声に、はっと現実に戻る。
「ああ、す、すみません」
四番テーブルは、彼――千尋が座っている店の隅とは真逆の方向にある。すこし残念に思いながらも、背中を向けて仕事へと戻る。
「お待たせしました」
十四番テーブルには、二十歳くらいの若い女性が二人座っていた。新崎の持ってきたホットケーキとキャラメルマキアートに表情をほころばせる。
これは、いいかもしれない。
こんなふうに、お客の笑顔を間近に見られるなんて――。
「それじゃ、かけている眼鏡、ずらしてみましょうか」
イヤホンから指示が入ってくる。すっかり忘れていたが、たった今、新崎はどっきり企画の真っ最中だったのだ。
言われたとおりにさりげなく、眼鏡をずらしてみる。
「それでは、どうぞ、おくつろぎください」
一言添えて、バックへと立ち去る。その際、後ろから声が上がった。
「ね、ねえ、今見た!?」
「うん、すっごいかっこいい」
「この間のさ、『愛の狭間』のノリトくん似」
「あー、新崎迅人! それそれ」
二人の会話を聞いて、新崎は思わず口元が緩む。役者の名前より演じた登場人物の名前が先に上がったのが嬉しくてしょうがない。
新崎迅人似ではない。自分が新崎迅人なのだ。きっと千尋なら一発でわかるだろう。
バックへ戻る際に千尋の席へと目を配ったが、彼はこちらに気付いた様子はない。それが少しさびしいが、でもまだまだロケはこれからなのだ――。
終わった。
きゃーという叫び声をあげる女性。耳まで真っ赤になって、驚きで声を失う人もいた。
今日のロケは演技に役立ちそうなこともたくさんあって、きちんと記憶しておこうと思える楽しい時間でもあった。
だが、煮え切らない感じもある。
千尋は新崎になんら反応も見せずに店を後にしてしまった。
彼がテーブルで広げていたノートパソコンはきっと彼の仕事の脚本づくりに関係あることなのだろうと思う。だが、仮にも思いあっているような関係のはずだ。
好きなひとが近くにいるのに、無視をするのか。気が付かないものなのだろうか。
「ちょっとくらいは気付けよ」
新崎は予約していたホテルの一室に入室すると、ぽつりと文句を吐いた。誰もいない。自分一人の空間。そういうときにしか、ラフになれない。
気が付いたら周囲には誰かしら役者としての新崎を求めている人ばかりになっていて、肩の力が抜けないでいる。
どっと足が重たくなる。
明日は朝からドラマの撮影だ。だから、こうしてロケ地に近いホテルに泊まる。家には帰れない。千尋のもとへも――。
台本チェックをしてから眠るつもりだったのだが、今日の出来事が脳裏をぐるぐるとまわって、どうしても寝付けない。
新崎は携帯を手に取る。だが、やっぱりあの番号をプッシュすることは出来ず、ベッドの上に携帯を投げつけた。
「だめだ……先生、だめです……」
会いたい。だけど、会えない。
話したい。だけど、自分から電話は出来ない、ような気がする。なんて話せばいいのだろう。今日のことか。でも、なんとなく話をしてはならない話題のような気がする。それ以外に何の話題があるのだろう。仕事のことで頭がいっぱいでろくな世間話すらできない自分を知られたくはない。
彼に追いつくために、必死になって、頑張っているつもりだ。早く一人前になって、彼を迎えに行きたい。それだけだ。それだけのはずが――。
途端に携帯が鳴った。
「え、まじ?」
その着信音は、千尋。たった新崎の頭のなかと心を占領している人物からだった。
「は、はい! 新崎です」
思わず電話に出てしまった。この後、どうしようという不安が胸をよぎったが、憧れの人の呑気な声を聞いて不安も迷いも吹き飛んでしまった。
「きみ、かっこいいね」
「は、はい!?」
「あ、その前にもしもし。千尋です」
「はい、新崎です」
「喫茶リーフで……、実はぼくもそこにいて」
「え、あ、はい」
「女の子たちにきゃーきゃー言われていて、遠い世界の人物みたいだったよ、きみ」
「あ、あの、気付いての、おれに」
「ふふ、気付かないと思った? 怪しまれると思って早めに原稿あげて帰ったけど、すごい人気だね」
気が付いていた――。
たった一言、彼の言葉がある。それが、じんわりと胸に温かいものになってが広がっていく。それが、身体中に巡っていた新崎のマイナス感情を全て浄化してくれているかのように。
「すごいなぁ。きみがいるだけで女の子たちが笑顔になっていくのを見るのは楽しかった」
「はい、おれも。舞台と違って撮影だと、生の反応ってのがなかなかなくて……」
「いいよねぇ、舞台。またきみで書きたいよ」
ああ、もうだめだ。
この人には敵う気がしない。
頭の先からつま先まで圧倒的な幸福感に包まれている自分が、今、この瞬間、世界で一番幸福な人間だと胸を張って言えるだろう。
「先生、あの……」
「ん? なに?」
「おれ、い、一人前になるので、その時は、おれのために話書いてください!」
言えた。
吐き出した言葉の全て。
絶対に叶える。嘘にはしない。
だから、逃げずに待っていてほしい。
それにおれはしつこいんです、先生。演技も先生もあきらめないから、絶対。
短く言葉を交わして切った携帯をベッドに放り込んだ。そしてその上に覆いかぶさるように倒れ込むと新崎は深く息を吸った。
「絶対、迎えに行く」
明日を待つ心が出来た。(了)
仕事の依頼が入ってくるようになったのは、嬉しい。人から求められることも好きだ。
舞台と違って撮影で求められるものは違うが、演技はやっぱり好きだ。今まで経験したことがなかったことを経験して、役者として少し前に進めた気がするし、たくさんの気付きを得ることが出来たのも、良かった。
毎日のように演技に打ち込めるこの生活も気に入っている、そのはずだ。新崎は自分に言い聞かせるように心の中で似たような言葉を繰り返した。
「あー、でも、どんなものかな」
急に力が抜けて、腰かけていたベッドに倒れ込む。手に持っていた脚本を頬り投げると、天井を見つめた。
「なにやってんだろ、自分」
頭のなかでもやもやとカタチをつくりだした人物の肖像――千尋の存在を打ち消そうと必死に頭を左右に振る。
だが、忙しさを理由に会えなくなった年上の男の残像は、新崎の頭から離れようとはしなかった。
「やっべえぞ……明日はロケの……」
急に襲ってきた眠気に抗うことが出来ずに新崎は夢の世界へと飛んだ。
――「どっきりバラエティ!! もしもあの有名人が○○になっていたら!?」
経験を積みたい、だからどんな依頼でもなるべくオーケーする。
そういう方針のもと受けた今回の仕事は、話題沸騰中の人物と街中で遭遇したときの周囲の人物の反応を見る、という趣旨の企画だった。
普段、演技一辺倒の生活を送っているため、新崎にとってこういうタレント性が必要な仕事は初めてだ。それでも、喫茶店の店員に化けて、街の人が気付くかどうかを見るというのは面白そうだと純粋に思う。
そもそも、自分にそこまで知名度があるのかが、不安でもあるのだが、経験したことのない職業人に化けるというのは役者心をくすぐった。
「それじゃ、スタンバイお願いします!」
耳元で撮影の開始を告げる声が新崎の心臓をときめかせた。
黒縁の眼鏡と濃緑のエプロンに着替えた新崎は、あらかじめ指示されていたように、店のバックからホールへと移行する。耳元には隠しイヤホンがセットされ、別室でモニタを見ている番組の出演者から指示が飛ぶ仕組みになっている。
胸が弾けそうに膨らむ。楽しみだ。
俺は店員。この店の珈琲に恋してこの店の店員になった二十代の男性。なにより美味しい商品とくつろぎの時間を提供することに情熱を燃やしている。よし、大丈夫、行ける!!
「まずこれを四番テーブルに」
お盆にのった注文の商品を手に持って、ホールに一歩踏み出した瞬間、店の隅へと新崎の視線は吸い寄せられた。
「……な!!」
大きく見開かれた新崎の眼球の先には、会いたくてしかたがなかった人物の後姿があった。椅子に座り、熱心にノートパソコンを叩いているその背中。全てがそこへ向かって収縮していくような、感覚に新崎の足は硬直した。
「新崎くん、大丈夫?」
イヤホンからの声に、はっと現実に戻る。
「ああ、す、すみません」
四番テーブルは、彼――千尋が座っている店の隅とは真逆の方向にある。すこし残念に思いながらも、背中を向けて仕事へと戻る。
「お待たせしました」
十四番テーブルには、二十歳くらいの若い女性が二人座っていた。新崎の持ってきたホットケーキとキャラメルマキアートに表情をほころばせる。
これは、いいかもしれない。
こんなふうに、お客の笑顔を間近に見られるなんて――。
「それじゃ、かけている眼鏡、ずらしてみましょうか」
イヤホンから指示が入ってくる。すっかり忘れていたが、たった今、新崎はどっきり企画の真っ最中だったのだ。
言われたとおりにさりげなく、眼鏡をずらしてみる。
「それでは、どうぞ、おくつろぎください」
一言添えて、バックへと立ち去る。その際、後ろから声が上がった。
「ね、ねえ、今見た!?」
「うん、すっごいかっこいい」
「この間のさ、『愛の狭間』のノリトくん似」
「あー、新崎迅人! それそれ」
二人の会話を聞いて、新崎は思わず口元が緩む。役者の名前より演じた登場人物の名前が先に上がったのが嬉しくてしょうがない。
新崎迅人似ではない。自分が新崎迅人なのだ。きっと千尋なら一発でわかるだろう。
バックへ戻る際に千尋の席へと目を配ったが、彼はこちらに気付いた様子はない。それが少しさびしいが、でもまだまだロケはこれからなのだ――。
終わった。
きゃーという叫び声をあげる女性。耳まで真っ赤になって、驚きで声を失う人もいた。
今日のロケは演技に役立ちそうなこともたくさんあって、きちんと記憶しておこうと思える楽しい時間でもあった。
だが、煮え切らない感じもある。
千尋は新崎になんら反応も見せずに店を後にしてしまった。
彼がテーブルで広げていたノートパソコンはきっと彼の仕事の脚本づくりに関係あることなのだろうと思う。だが、仮にも思いあっているような関係のはずだ。
好きなひとが近くにいるのに、無視をするのか。気が付かないものなのだろうか。
「ちょっとくらいは気付けよ」
新崎は予約していたホテルの一室に入室すると、ぽつりと文句を吐いた。誰もいない。自分一人の空間。そういうときにしか、ラフになれない。
気が付いたら周囲には誰かしら役者としての新崎を求めている人ばかりになっていて、肩の力が抜けないでいる。
どっと足が重たくなる。
明日は朝からドラマの撮影だ。だから、こうしてロケ地に近いホテルに泊まる。家には帰れない。千尋のもとへも――。
台本チェックをしてから眠るつもりだったのだが、今日の出来事が脳裏をぐるぐるとまわって、どうしても寝付けない。
新崎は携帯を手に取る。だが、やっぱりあの番号をプッシュすることは出来ず、ベッドの上に携帯を投げつけた。
「だめだ……先生、だめです……」
会いたい。だけど、会えない。
話したい。だけど、自分から電話は出来ない、ような気がする。なんて話せばいいのだろう。今日のことか。でも、なんとなく話をしてはならない話題のような気がする。それ以外に何の話題があるのだろう。仕事のことで頭がいっぱいでろくな世間話すらできない自分を知られたくはない。
彼に追いつくために、必死になって、頑張っているつもりだ。早く一人前になって、彼を迎えに行きたい。それだけだ。それだけのはずが――。
途端に携帯が鳴った。
「え、まじ?」
その着信音は、千尋。たった新崎の頭のなかと心を占領している人物からだった。
「は、はい! 新崎です」
思わず電話に出てしまった。この後、どうしようという不安が胸をよぎったが、憧れの人の呑気な声を聞いて不安も迷いも吹き飛んでしまった。
「きみ、かっこいいね」
「は、はい!?」
「あ、その前にもしもし。千尋です」
「はい、新崎です」
「喫茶リーフで……、実はぼくもそこにいて」
「え、あ、はい」
「女の子たちにきゃーきゃー言われていて、遠い世界の人物みたいだったよ、きみ」
「あ、あの、気付いての、おれに」
「ふふ、気付かないと思った? 怪しまれると思って早めに原稿あげて帰ったけど、すごい人気だね」
気が付いていた――。
たった一言、彼の言葉がある。それが、じんわりと胸に温かいものになってが広がっていく。それが、身体中に巡っていた新崎のマイナス感情を全て浄化してくれているかのように。
「すごいなぁ。きみがいるだけで女の子たちが笑顔になっていくのを見るのは楽しかった」
「はい、おれも。舞台と違って撮影だと、生の反応ってのがなかなかなくて……」
「いいよねぇ、舞台。またきみで書きたいよ」
ああ、もうだめだ。
この人には敵う気がしない。
頭の先からつま先まで圧倒的な幸福感に包まれている自分が、今、この瞬間、世界で一番幸福な人間だと胸を張って言えるだろう。
「先生、あの……」
「ん? なに?」
「おれ、い、一人前になるので、その時は、おれのために話書いてください!」
言えた。
吐き出した言葉の全て。
絶対に叶える。嘘にはしない。
だから、逃げずに待っていてほしい。
それにおれはしつこいんです、先生。演技も先生もあきらめないから、絶対。
短く言葉を交わして切った携帯をベッドに放り込んだ。そしてその上に覆いかぶさるように倒れ込むと新崎は深く息を吸った。
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