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夏だ。
ロケ先の宿泊施設の近所の子どもだろうか。小学生の笑い声が響き渡っている。子どもはいいなあ。新崎迅人は、窓辺に頬杖をついて、ため息をついた。
とっくに夏休みに突入した七月の終わり。今年は災害級の猛暑の年で三十度どころか四十度にまで到達する気温に身体がついていかない。
もう自分は若くないのかもしれない、という思いが一瞬頭の片隅に浮かんでいって消えた。新崎がいま若くなくなっては困るのだ。一応は、若手のイケメン新人俳優という御身分で通しているのだから。
「子どもに戻りたい~」
小学校時代にろくな思い出もないくせにそうつぶやく。
今、小学生に戻ったら、なにがしたいか。
今なら百個くらいたくさん上げられる。
虫取りに行きたい。カブト虫を飼育してみたい。プールに行って泳ぎたい。いや、せっかくだから海にでもいって。それから山でキャンプもいいかも。あの人と二人でテントを張って、カレーを作って。それから、それから。
次々にわいてくる「やりたいこと」であるが、その陰には必ず「あの人」の影が浮かんでくる。
新崎はため息をついた。
千尋崇彦。
新崎より年上のこの男は、長年の出版社勤めの合間に、新崎が所属していた劇団に脚本を書き下ろしていた座付きの脚本家なのである。
が。
彼はいま、とてもつもなく忙しい。
何故なら、彼の仕事である漫画雑誌の編集者という立場でも、担当している漫画家が夏に体調を崩して、予定がずれ込んでいるだとか、それでも、メディアミックスの話が進行――彼にとっては侵攻かもしれないが――しているだとか。さらに、彼のライフワークである脚本業でも、締め切りに追われて、ひっくはっくしている状態だという。
実際に、なんども、メールやラインで連絡をとっても返事や既読が付かない。それほど、追い詰められているらしい。
新崎にとって千尋は、憧れの存在であり、愛おしい人である。
彼が打ち込むべきこと、彼の仕事に対して懸命に頑張るのは、応援したいのだが、無理をしていないかだけはものすごく気になってしまう。
けれど、今、新崎がいるのは、彼のいる東京から遠く離れてH県。
撮影のために地方までロケに出て来たのはいいのだが、炎天下のなか、なかなか撮影は進まずにいる。
すぐに飛んで帰って、彼を抱きしめたいのだが、どうもそんなことは出来そうにない。
「新崎、どうしたの、黄昏ちゃって」
背後から声を掛けられて、新崎は振り向いた。
「えっ!? 酒田さん!」
そこに立っていたのは、酒田耕一。彼の先輩俳優だ。
「どーも、今日現場入りして、あちーので全然撮れなかった酒田耕一ですわ」
「あー」
「おいおい、俺がチョイ役で出演するの、知らなかったのか!?」
「あ、いえ、聞いていました」
「反応! リアクションって大事だぜ! もっと、ほら、元気出して、胸張って!」
「は、はあ」
「……あの人がらみか?」
「へっ!?」
新崎の声が裏返った。図星を突いたとばかりに酒田がにやにやと奇妙な笑みを浮かべる。
「やっぱりなあ。暑いと頭いっちゃうもんなぁ。いや、元からか」
「なんなんですか、もう!」
「あの人と離れてこんな場所にまで来て、俺ってば……って感じか?」
「気色悪いですよ。酒田さん」
「じゃあ、しっかりしたまえ」
「しっかりって……してますー」
「監督言ってた。なんか、新崎、お前、なんかさ、元気なさそうだったって」
「へ!?」
「つーことで、情欲に負けるな、新崎!」
「いや、負けてませんけどね!?」
ロケ先の宿泊施設の近所の子どもだろうか。小学生の笑い声が響き渡っている。子どもはいいなあ。新崎迅人は、窓辺に頬杖をついて、ため息をついた。
とっくに夏休みに突入した七月の終わり。今年は災害級の猛暑の年で三十度どころか四十度にまで到達する気温に身体がついていかない。
もう自分は若くないのかもしれない、という思いが一瞬頭の片隅に浮かんでいって消えた。新崎がいま若くなくなっては困るのだ。一応は、若手のイケメン新人俳優という御身分で通しているのだから。
「子どもに戻りたい~」
小学校時代にろくな思い出もないくせにそうつぶやく。
今、小学生に戻ったら、なにがしたいか。
今なら百個くらいたくさん上げられる。
虫取りに行きたい。カブト虫を飼育してみたい。プールに行って泳ぎたい。いや、せっかくだから海にでもいって。それから山でキャンプもいいかも。あの人と二人でテントを張って、カレーを作って。それから、それから。
次々にわいてくる「やりたいこと」であるが、その陰には必ず「あの人」の影が浮かんでくる。
新崎はため息をついた。
千尋崇彦。
新崎より年上のこの男は、長年の出版社勤めの合間に、新崎が所属していた劇団に脚本を書き下ろしていた座付きの脚本家なのである。
が。
彼はいま、とてもつもなく忙しい。
何故なら、彼の仕事である漫画雑誌の編集者という立場でも、担当している漫画家が夏に体調を崩して、予定がずれ込んでいるだとか、それでも、メディアミックスの話が進行――彼にとっては侵攻かもしれないが――しているだとか。さらに、彼のライフワークである脚本業でも、締め切りに追われて、ひっくはっくしている状態だという。
実際に、なんども、メールやラインで連絡をとっても返事や既読が付かない。それほど、追い詰められているらしい。
新崎にとって千尋は、憧れの存在であり、愛おしい人である。
彼が打ち込むべきこと、彼の仕事に対して懸命に頑張るのは、応援したいのだが、無理をしていないかだけはものすごく気になってしまう。
けれど、今、新崎がいるのは、彼のいる東京から遠く離れてH県。
撮影のために地方までロケに出て来たのはいいのだが、炎天下のなか、なかなか撮影は進まずにいる。
すぐに飛んで帰って、彼を抱きしめたいのだが、どうもそんなことは出来そうにない。
「新崎、どうしたの、黄昏ちゃって」
背後から声を掛けられて、新崎は振り向いた。
「えっ!? 酒田さん!」
そこに立っていたのは、酒田耕一。彼の先輩俳優だ。
「どーも、今日現場入りして、あちーので全然撮れなかった酒田耕一ですわ」
「あー」
「おいおい、俺がチョイ役で出演するの、知らなかったのか!?」
「あ、いえ、聞いていました」
「反応! リアクションって大事だぜ! もっと、ほら、元気出して、胸張って!」
「は、はあ」
「……あの人がらみか?」
「へっ!?」
新崎の声が裏返った。図星を突いたとばかりに酒田がにやにやと奇妙な笑みを浮かべる。
「やっぱりなあ。暑いと頭いっちゃうもんなぁ。いや、元からか」
「なんなんですか、もう!」
「あの人と離れてこんな場所にまで来て、俺ってば……って感じか?」
「気色悪いですよ。酒田さん」
「じゃあ、しっかりしたまえ」
「しっかりって……してますー」
「監督言ってた。なんか、新崎、お前、なんかさ、元気なさそうだったって」
「へ!?」
「つーことで、情欲に負けるな、新崎!」
「いや、負けてませんけどね!?」
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