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◆寒いからあたためて
寒いからあたためて・下
しおりを挟む唇と唇が重なるこの行為を何と呼ぶのだろう。
二週間たった今、僕は、考え過ぎて、思いを馳せすぎて、クラクラする脳みそで、美容院に向かう。
「あ、村岡さまですね」
出てきたのは、麻生さんではなかった。
がっくりと肩を落とさないように、僕は笑顔を作る。
「麻生さんはいますか?
予約はしていないのですが、彼に見てもらいたくて」
僕の言葉を聞くなり、目の前の男はきゅうにしょんぼりした口調になって、答えた。
「彼は、先日、やめたんです」
……え?
「なんというか……まあ、いろいろあったみたいで、
もうここはお辞めになってしまって」
もう、脳みその中は、真っ白で、何一つ言葉が、出てこない。
重たい扉を開けて、僕は美容院を後にする。
(彼が、やめたって……)
(彼がやめたんだ)
(彼はやめた。もう、会えない)
(もう、彼に会うことは無いのだ。さよなら。その一言もない)
もしかして、僕が彼に変な目を使っていたのが、ばれてしまったのでは?
だから、彼は辞めたのか。
それならあの幻想のキスは、僕をからかっただけ?
それとも試したのか。
僕が本気かどうかを確かめようとしたのか。
もし僕が本気でなかったならきっと馬鹿みたいに笑い出すか、怒るかのどちらかだったろう。
でも、僕のとった反応から、彼に本気だとばれてしまった。
きっとあの時、僕はアホ顔をさらしていただろう。
恋に溺れる哀れな表情から、全てを悟ってしまったのだろう!
何を考えているんだ、僕は。
僕はただのお客で、彼にとっては、毎日髪を見る対象の一つに過ぎない。
(会いたい)
(ただ、会うだけでいい)
(姿をもう一度、見せて)
(お願い、これで、本当に最後にするから)
ふと、僕は足を止めた。
石畳の上。
周囲には、人々の楽しそうな往来。
そんな世界に僕がひとり。
(会いたい)
(もう一度だけ)
強く強く、胸の中で、願いを反芻していると、あの声が聞こえた。
「村岡さん?」
振り向くと王子様が、そこにいた。
「よかった。ここにいたんですね。
いつもなら、この時間に美容室に来ていたから、
この時間、美容室の近くにいれば、貴方に会えると思っていました」
ふと、僕は違和感を覚える。
彼がこの寒さの中、手袋をしていなかったからだ。
大切な、彼の宝物。あの魔法みたいな手。
もしかして、今、目の前にいる彼は、僕の願望が見せた夢?
「あっ」
僕は気が付いた。
彼の指に結婚指輪が、はめられていないこと。
「はは、先日、妻と別れまして」
彼は自虐気味に顔をくしゃくしゃにして笑った。
「私は、どうやら、器用貧乏みたいなんです。
何をやってもそれなりに出来たから、あれも、これもと手を出して、
結局何もできずにあわてて専門に行って、美容師になった。でも……」
僕は彼の言葉にそっと耳を傾ける。
「でも、それだけじゃなくて。
その、人間関係でも、貧乏になってしまった。
二兎追うものは、なんて、よく言いますよね」
「……麻生さん」
「私、妻に捨てられてしまって。
あの店は、妻が経営しているものだから、とても、居れなくなってしまった。
これから、別の店で働くことになります」
それなら、僕は、そのお店にまで通います。
どんなに遠くても。
……でも、そんなこと、言えるわけがない。
「実は、好きな人が出来たんです、心から。
妻にはばれてしまった。だから、私は」
そういうと麻生さんは、僕との距離を詰める。
「好きな、人?」
「いつも、お店に通ってきてくれる、可愛いお客の一人に」
……!
ざわめく、街中で、僕たち二人に目を配る者など、誰もいなかった。
僕は、彼のあの、美しい手に、自分の手をからませた。
寒さが、僕の手に伝わってくる。
もし、もし、これが夢じゃないのなら、僕は、この手をずっと、ずっと握りしめていてもいいのだろうか。
寒いから、あたためて。
(了)
2018.12.15 第238回 一時間
お題:美容院/寒いからあたためて/器用貧乏
お題は、一次創作BL版深夜の真剣一本勝負(@sousakubl_ippon)様よりいただきました。
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