12 / 13
.香り立つ
しおりを挟む
今日から新崎の仕事は大変になるらしい。暇さえあれば家に寄ってくれた彼が、これからしばらくの間は寄れないと言っていた。
それじゃあねといって玄関で手を振ったのは二時間前。なかなか原稿に集中できない休日に、千尋はブルーライトカットの眼鏡をはずすと、すぐに空っぽになってしまったマグカップ片手に台所へと向かった。
意識があっちこっちへと向かっていくのを感じる。調子がいい時は目の前のPC画面のエディタにすべての意識が一点集中していく感覚なのだが、今日はなんだかおかしい。自分の意識が分散して、四散してしまっているかのような、自分という存在がどんどん希薄になっていくような、妙な感覚だ。
このまま原稿に向かい続けても、進まないだけだし、摩耗するだけだ。気分転換を兼ねて珈琲フィルターを取り出した。底を二つ折りにしたあと焙煎してもらった豆の粉を入れる。水の入ったケトルがコトンと音を立てた。すぐにお湯になる優れもの。注ぎ口に注意して注げばフィルターが水を吸ってクラフト紙の色が濃くなった。ふわっと香る豆の匂いを感じながら、千尋は一杯のコーヒーを淹れおえた。
カフェインの過剰摂取は健康にも悪い。ひいては作業効率も落としてしまう。だから、最近はなるべくお茶やコーヒーを撮らないようにしていたのだが、こればかりはどうしようもない。不調な時ほど、心が温まるものが欲しくなるものだ。
「そういえば、新崎くん」
彼が何かを買い足していたな、と思い出して戸棚を開けた。中からノンカフェインのインスタントコーヒーが出て来た。
「……いたせりつくせりだな」
苦笑しながら、千尋は作業机にまで戻って行く。香りただよわせるマグカップひとつで何かが変わるわけじゃない。また、調子が悪ければ別の方法で気持ちのスイッチを入れようとしてみるだけだ。
書きかけのエディタ画面に向かう。ふと、言葉がもれた。
「悪い子、だな」
これも新崎がいなくなった余韻のせいか。まあ、いい。彼の淹れてくれる豆の匂いに包まれながら少しは仕事をしよう。それでだめなら、彼の買って来たノンカフェインでも試してみるか。
(了)
それじゃあねといって玄関で手を振ったのは二時間前。なかなか原稿に集中できない休日に、千尋はブルーライトカットの眼鏡をはずすと、すぐに空っぽになってしまったマグカップ片手に台所へと向かった。
意識があっちこっちへと向かっていくのを感じる。調子がいい時は目の前のPC画面のエディタにすべての意識が一点集中していく感覚なのだが、今日はなんだかおかしい。自分の意識が分散して、四散してしまっているかのような、自分という存在がどんどん希薄になっていくような、妙な感覚だ。
このまま原稿に向かい続けても、進まないだけだし、摩耗するだけだ。気分転換を兼ねて珈琲フィルターを取り出した。底を二つ折りにしたあと焙煎してもらった豆の粉を入れる。水の入ったケトルがコトンと音を立てた。すぐにお湯になる優れもの。注ぎ口に注意して注げばフィルターが水を吸ってクラフト紙の色が濃くなった。ふわっと香る豆の匂いを感じながら、千尋は一杯のコーヒーを淹れおえた。
カフェインの過剰摂取は健康にも悪い。ひいては作業効率も落としてしまう。だから、最近はなるべくお茶やコーヒーを撮らないようにしていたのだが、こればかりはどうしようもない。不調な時ほど、心が温まるものが欲しくなるものだ。
「そういえば、新崎くん」
彼が何かを買い足していたな、と思い出して戸棚を開けた。中からノンカフェインのインスタントコーヒーが出て来た。
「……いたせりつくせりだな」
苦笑しながら、千尋は作業机にまで戻って行く。香りただよわせるマグカップひとつで何かが変わるわけじゃない。また、調子が悪ければ別の方法で気持ちのスイッチを入れようとしてみるだけだ。
書きかけのエディタ画面に向かう。ふと、言葉がもれた。
「悪い子、だな」
これも新崎がいなくなった余韻のせいか。まあ、いい。彼の淹れてくれる豆の匂いに包まれながら少しは仕事をしよう。それでだめなら、彼の買って来たノンカフェインでも試してみるか。
(了)
0
✿俳優×脚本家シリーズ(と勝手に名付けている)
攻め:新崎迅人 若手俳優でぽんこつ × 受け:千尋崇彦 日曜脚本家さん
✿シリーズ一覧>>>1.delete=number/2.目指す道の途中で/3.追いつく先においついて4.ご飯でもお風呂でもなくて/5.可愛いに負けてる/6.チョコレートのお返し、ください。/6.膝小僧を擦りむいて
✿掌編>>>白髪ができても / むっとしちゃうの
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
初夢はサンタクロース
阿沙🌷
BL
大きなオーディションに失敗した新人俳優・新崎迅人を恋人に持つ日曜脚本家の千尋崇彦は、クリスマス当日に新崎が倒れたと連絡を受ける。原因はただの過労であったが、それから彼に対してぎくしゃくしてしまって――。
「千尋さん、俺、あなたを目指しているんです。あなたの隣がいい。あなたの隣で胸を張っていられるように、ただ、そうなりたいだけだった……なのに」
顔はいいけれど頭がぽんこつ、ひたむきだけど周りが見えない年下攻め×おっとりしているけれど仕事はバリバリな多分天然(?)入りの年上受け
俳優×脚本家シリーズ(と勝手に名付けている)の、クリスマスから大晦日に至るまでの話、多分、そうなる予定!!
※年末までに終わらせられるか書いている本人が心配です。見切り発車で勢いとノリとクリスマスソングに乗せられて書き始めていますが、その、えっと……えへへ。まあその、私、やっぱり、年上受けのハートに年下攻めの青臭い暴走的情熱がガツーンとくる瞬間が最高に萌えるのでそういうこと(なんのこっちゃ)。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
貢がせて、ハニー!
わこ
BL
隣の部屋のサラリーマンがしょっちゅう貢ぎにやって来る。
隣人のストレートな求愛活動に困惑する男子学生の話。
社会人×大学生の日常系年の差ラブコメ。
※現時点で小説の公開対象範囲は全年齢となっております。しばらくはこのまま指定なしで更新を続ける予定ですが、アルファポリスさんのガイドラインに合わせて今後変更する場合があります。(2020.11.8)
■2024.03.09 2月2日にわざわざサイトの方へ誤変換のお知らせをくださった方、どうもありがとうございました。瀬名さんの名前が僧侶みたいになっていたのに全く気付いていなかったので助かりました!
■2024.03.09 195話/196話のタイトルを変更しました。
■2020.10.25 25話目「帰り道」追加(差し込み)しました。話の流れに変更はありません。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる