釣った魚、逃した魚

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#39 思い出

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目が覚めたのはまだ空が白み始めた頃だった。

俺も魔法が使えないわけでは無い。
ただ、その能力の殆どは戦闘の技として訓練してきたから、生活魔法の類いはさほど得意というわけでもない。魔力自体はかなり潤沢なのだが。

それでも自分の周囲、半径1~2メートル程度の浄化ならば、まあ、何とか。
だから、事後、体液の汚れなどは一応浄化をしてみた。神子様のように完璧という訳ではないとは思うが。

それでも、ベトベトだった部分が一応サラリとしたのを確認してホッと息を吐く。

薄闇の中、傍らで眠る人を暫く見つめて、夕べのアレが夢ではなかったのだとぼんやり反芻する。
無防備な寝顔と、掛け布団から覗く一糸まとわぬ白い肌に思わず見入る。
その肌に所々散っている小さな鬱血痕。
次第に鮮明に思い出されてくる。
危うく熱が蘇りそうになって、慌てて寝床からそっと滑り出た。

室内には、ずっと暖炉の熱を吸わせておいた魔石が、吸わせた時間分、同程度の熱を放出することで程々の室温にしてはいたが、やはり早朝は肌寒くなる。
俺はその魔石に新たな魔力をつぎ込んで少し温度を調節してから、神子様を起こさないように静かに部屋を出た。

神子様が目覚めたときのために一応サイドテーブルに水差しを置いた後、朝支度をし始める。

乾燥させた野菜や根菜、野草を煮込み、大きめのスティック状に切ったベーコンを入れて、スープをつくる。
ライ麦パンとハードタイプのチーズをスライスしながら、神子様が昨日帰宅したときの事を思い出す。

いつになく感情的になっていた神子様。
帰宅直前のグレイモスとの会話を思い出す。

せっかく王家との縁を絶ちきれたのに、今度も又召喚したとき同様、本人の意思を全く無視して、神子様の超越した能力を当て込み、否応なしにクーデターに巻き込もうとしている…、と言う事か。彼は、つまり王兄殿下側の間者のような者。

いや。
王兄殿下を押し上げて政権交代は別に良い。
もともと、現国王陛下が王太子だったときから、兄君の方が優秀だと言われていたし、未だ王兄殿下を押している一派が根強いという噂も聞いた事はある。

実際、今の陛下がまともに政務を執り仕切れているのかと問われれば…。

王兄殿下を、その能力も人となりも俺は知らないが、世間の噂通り現陛下よりマシならば、政権交代した方が世のため人のためなのかも知れない。
…まあ、正直俺にとってはどうでも良い。
ただ、それに神子様を巻き込み、利用しようとしなければ、だ。

それにしても。グレイモス!
そんなヤツだったとは!
初めて神子様のお立場に寄り添った事を言うヤツが現れたと思って、少しだけ良い奴だと勘違いしてしまった。
何かと色目を使うのは気にはなったが、あの神子様だ。多少、妙な気持ちが起きても仕方が無いかも知れないという意識が、どこか俺の奥底に有ったのだと思う。

あれほどの理不尽な目に遭っても、神子様は可能な限り誰をも傷つけず穏便に出て行こうと努力されていた。
端で見ている俺がもどかしく感じるほど。

神子様は明日、神殿に行くと約束された。
どうされるのだろう。
王兄殿下に協力を求められ、拒絶したところで、ハイそうですかと引き下がってはくれまい。
きっと陛下に対する幻滅はあるだろうし。協力してしまうのだろうか。
もう、王宮だとか王族だとかには関わって欲しくないのだけれど。

そんな事を考えながら、パントリーから出した豆を煮込み直していたら、神子様が階段を降りてきた。

俺は慌てて駆け寄る。
「お体は大丈夫ですか?」
無意識に差し伸べた腕に掴まりながら「大丈夫。セルフヒールをかけたから」と照れくさそうに笑った。
掴まっていた手がスルリと俺の肩に巻き付いて、えっ、とたじろいでいる隙に、ちゅっと軽い音を立てて鼻の頭にキスをされた。
ビックリして固まっていたら蕩けるような笑顔で「おはよう」と告げられる。

そうだった。
慌てていたから朝のご挨拶もしていなかったと途端に恥ずかしくなる。
「あ、お、おはようございます」
「ミランって、酷い子だよね」
意識しすぎてあからさまにギクシャクする俺の様子に、少し睨みながら神子様が言う。
確かに、夕べの俺は酷かったと思う。あまりにもがっつきすぎて。
恥ずかしさと申し訳なさで一歩下がってひたすら謝った。

「も、申し訳ありません…、む、無体をはたらきました。もう、あの、どうにも押さえられなくて…」
「てっきり、ウブな不器用さんかと思っていたのに、蓋を開けてみたらあんなに手慣れた達人だったなんて、もう、反則だよ!」
ゆるいゲンコツで撫でるような猫パンチを食らった。
「…は?」

一瞬意味が分からなかった。分かったときには、顔から火が出るのでは無いかと思うほど赤面し、思わず手で顔を覆った。

「ホラ、そういうトコロだよ!…そんな反応して!てっきりウブな子だと思っちゃうだろ!あー、もう、すっかり騙されたわ」
力なく椅子に座りながら神子様は目元を手で覆った。

俺は、えっと、えっと…と、おろおろするばかりでどう返答をして良いのか分からない。
そんな俺を一瞬だけ見上げて目を伏せ、片手を取ってその手の甲を頬に当てられる。
ドキリとした。

「うん。…でも、ありがとう。素敵な思い出が出来たよ」

その言葉に一瞬にして俺は冷や水をかけられたように血の気が引いた。とっさに神子様の前に跪いて膝に縋る。
「どう言う事ですか?そんなの…まるで、これでお別れみたいじゃないですか!まさか、どこかに行ってしまうおつもりですか?明日、王都に出かけて何か事を起こすつもりなのですか?」

いやだ!もう絶対に離れたくない!
明日、王都に行くのを阻むべきだろうか。それとも俺も付いて行くべきだろうか。
神子様の居ない生活なんてもう考えられない!絶対に耐えられない!

必死の俺の形相に一瞬たじろいで、「ああ、ゴメン。そういう意味じゃ無いよ」と苦笑をこぼした。
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