2 / 17
1巻
1-2
しおりを挟む〇ユリアンヌ・ゲッスール(十八歳)
ゲッスール侯爵家の長女。王太子アルフレッド様の婚約者。
もっさりしたデブス。分不相応で見栄っ張り、贅沢病。
〇ハゲーザー・ゲッスール(五十四歳)
四代目ゲッスール侯爵。国一番のお金持ち。
私腹を肥やすことが大好き。ハゲ。生活習慣病の権化。
〇デビュリア・ゲッスール(五十三歳)
ゲッスール侯爵夫人。社交界の嫌われ者。
王家の血がちょびっと混じってる。デブ。生活習慣病の化身。結婚十五年目で待望の子ども(ユリアンヌ)を出産。
たったこれだけ書いただけで「救いようがねえ」と頭を抱えそうになった。
ちなみに、なんでゲッスール家に金があるかというと、領地に鉱山がいっぱいあるからだ。あっちこっちから宝石とか燃料とかがザックザク出てくる。
三代前に戦功を立てて男爵家から侯爵家に引き上げられたご先祖様は、最初はただ広大なだけの未墾の大地を押しつけられたと憤ったが、掘ってみたらびっくり仰天の大逆転劇で笑いが止まらなかったらしい。
「それで調子に乗って、わたしをまったく相応しくない地位に上らせようと、ハゲとデブが画策しちゃったんだよね。まあ、わたしも積極的に加担したけどもー」
わたしはまたペンを走らせた。
〇アルフレッド・ルデルヴァ(十九歳)
伝統ある大国、ルデルヴァ王国の王太子様でユリアンヌの婚約者。
黙ってても女が寄ってくる、冷たいほどの硬質な美貌の持ち主。中身は硬派な堅物で、お勉強大好き。バランスの取れた堂々たる体躯の持ち主で、剣も体術も得意。
〇ルデルヴァ王国
大陸東部から北部にかけて広大な領土を持つ強国であり、ユリアンヌ以下ゲッスール家の面々が暮らす国。
わたしは頭の中が煮えるほど、血管が詰まりそうなほど、前世で読んだファンタジー小説について思い返してみた。
「うーん。ルデルヴァっていう国が舞台で、ヒーローがアルフレッドっていう小説には心当たりがないなー」
わたしは腕組みをし、むうっと唸った。ボランティアさんに貸してもらった小説はどれも最低三回は読み返したから、間違いはないはずだ。
「十八歳の若さで死ぬんだから、小説みたいに異世界転生のひとつでもさせろやって思ってはいたけど。まさか、本当に異世界に転生したってこと……? 斬新なのはいいけど、自分の身に降りかかると恐ろしさで総毛立つわ」
泥臭い叩き上げの侯爵家の、意地悪で好き放題やりまくりのご令嬢。おまけに不細工極まりないあたりが、悪役度をぐんと高めている。客観的に見て、わたしがこの世界の〝悪役令嬢〟であることは間違いないだろう。
せめてここが、わたしが胸躍らせながら読み漁った小説の世界だったらよかったのに。それならこれから起きることがわかるから、あの手この手で対策を練ることができるのに。
「ひとまず次いこう、次」
〇サーシャ・ゲッスール(十七歳)
ゲッスール侯爵家の次女。
金髪碧眼、並外れた美貌の持ち主。美しい曲線を描くブロンドは流れるように艶やか。小さな顔、桜貝みたいな耳、滑らかな肌は透けるよう。身も心も美しいまさに「別格」の存在。
「うわー、マジで正反対。もう、ズバッと対照的」
夢のように美しいサーシャの美貌について書き連ねていると、深く、暗い穴ぼこに落ちていくような気分になった。
わたしときたら太りすぎで、真っ黒い髪の毛はパサついていて、ニキビだらけで。
無理やり結い上げててっぺんでお団子にした髪はこんもりと膨らんでいて巨大。サーシャとは違う意味で人目をひく。振り向かれ、驚かれる。
わたしの口から声にならない嘆息が漏れ、すぐに失笑に変わった。
きっと誰からも好意的に受け入れられ、認められるに違いない世にも稀な美少女と。婚約者から嫌悪され、避けられているわたし。どっちが王太子妃に相応しいかなんて、わかりきっているではないか。
わたしは椅子から立ち上がって、自分の姿を鏡で確認した。痛いったらなかった。目が馬鹿になりそうだ。
「ここまで太ったのはこの一年くらいだけど、やっぱストレスかな。認めたくなかったけど、王太子妃の器じゃなかったんだよねー。お母様はわりと美人なのに、なんで頑張ってしまったのだハゲーザーの遺伝子」
目立ちたいばかりに、アルフレッド様に群がる女たちから少しでも抜きん出たいばかりに、けばけばしいショッキングピンクやらグリーンやらが目に突き刺さる、奇抜なドレスを着てたわたし、滑稽だけど、わりと不憫じゃない?
うちのハゲが王家にバカスカ寄付してるから、金づるとしての価値はあるけど。それ以外で、わたしがアルフレッド様の婚約者として認められる要素ってあった?
「ないないないー、悲しいくらいないー」
思わずため息をついてしまう。
「まぁ、これだけわたしとサーシャが違ってるのは、そもそもサーシャが養子だからなんだけどさー」
サーシャは実はハゲーザーの弟の娘で、生後すぐに両親を亡くしている。なので実際は従姉妹。
ユリアンヌがひとりっ子では可哀想、というハゲーザーとデビュリアの親心から、ゲッスール家の第二子として届け出ることにしたらしい。
わたしは席に戻り、サーシャの続きにこう書き加えた。
王家側(アルフレッド様が含まれるかは不明)は、当初サーシャを婚約者として指名(あるいは希望)していた。
ああ、なんかもう。胸の中で呟くと、スカスカした笑いが込み上げた。
客観性というものが微塵もないころは、サーシャの美貌を勝手に僻んで、怒って、傷ついて、ひたすら妬んで。サーシャに酷い言葉を投げつけて、身の回りのものを取り上げたり隠したり。
(あまつさえ、わたしってば積極的に能動的に、とんでもないものを取り上げちゃってんじゃないのー……)
ルデルヴァ王家は、ただ今絶賛貧乏中だ。アルフレッド様には七人も姉がいて、四人も妹がいる。
上の王女様たちはみんな外交のため、よその国にお嫁に行った。そして下の王女様たちも、それぞれ違う国との縁組が決まっている。
国王様と王妃様はかなり見栄っ張りで、諸外国の使者に恥ずかしくないようにと、王宮を新築したからさあ大変。娘たちに持たせる持参金や衣装を用意するとなると、国庫はアップアップで溺死寸前。そこにつけ込んだのがゲッスール家というわけだ。
歴史の長いルデルヴァでは、王太子妃は他国の皇女か王女、または国内の公爵家から迎えることが慣例化している。
それにもかかわらず、莫大な持参金と毎年の寄付を餌に、歴史の浅い侯爵家から王太子妃を出そうという両親の目論見は成功した。だが、大成功というわけじゃなかった。
(長女は婿を取って家を継がにゃならんだろうって、指摘を受けたんだよね。つまり、遠回しにサーシャの方が相応しいって言われたわけだー)
サーシャのことなんて頭の片隅にもなかった両親は慌てふためき、わたしは癇癪大爆発。サーシャは病弱を理由に社交の場から遠ざけられることと相成った。
もう指に力が入らず、なかなか上手にペンを掴めない。
それでもわたしは大きく、深く息をついてから、最後にとっておいたカイルについて記した。
〇カイル・ゲッスール(十七歳)
ゲッスール侯爵家の嫡男。
繊細で優美な美貌には、女性的な色香さえ漂う。ユリアンヌに対しては、基本薄笑いの表情を崩さない。
三代前に分家となった男爵家から、大急ぎで、ほとんど攫われるようにして、七歳のとき養子に迎えられた。長女ユリアンヌが婿を取らないで済むように。
(そりゃ、カイルに恨まれるはずだわ。家の存続のために、いずれ婿を取るか養子を迎える必要はあったとはいえ。自分が王太子妃になりたいばっかりに、男爵と男爵夫人の顔を札束で叩いて、七歳児を無理やり家族から引き離したんじゃー……)
まさしく悪役令嬢だ、と自覚せずにはいられなかった。胸が空っぽで、それでいて膿んだようにじくじくと痛んで、思わずべそをかきそうになった。
正直、弟妹たちにはスライディング土下座をかましたい。しかし、いきなり謝られてもカイルもサーシャも困るだろう。
「第一、謝ったところで許してもらえるわけがないよー。わたしってば、それくらいのことをしちゃってる。サーシャとカイルに償いたいけど、いったいどうやって償えばいいの? ここが小説の世界だったら、ごく自然に〝ざまぁ〟されるんだろうけどー……」
悪役令嬢にざまぁを! きっちりとざまぁを! といきり立つ前世の自分の姿が目に見えるようだった。
わたしはやや歯を食いしばり、ノートを何枚かめくって真っ白いページを開いた。
●【ざまぁ】
「様を見ろ」が語源。人の失敗や不運に対して、心の中で愉快だと思いながら発する罵り言葉。小説やゲームの中では、悪役のキャラが因果応報で酷い目にあったり、不幸になったりすることを指して使われることがある。
短く、何度もうなずいた。
これほどの悪行を積んできた〝悪役令嬢〟のわたしには、確実に四方八方から〝ざまぁ〟の矢印が向いている。それだけは間違いなかろう。
「あの女の名前を書くのは、はなはだ不愉快だけどー……」
わたしはノートのページを戻り、カイルの次に少しの間をあけて、違う人物の名前を書き込んだ。
〇アマリア・ラストン(十八歳)
ラストン公爵家のひとり娘。
家柄と年齢、容姿や才学などの面から、王太子妃の第一候補とみなされていた。しかし、方々に金をばらまいて裏街道を突っ走ったユリアンヌにその座を奪われた。
このところ、頻繁に王宮に出入りしているらしい?
三度の飯より噂話が大好き、というお母様似のわたしは、どんなに小さな茶会でも顔を出してきた。そして、アルフレッド様の婚約者として威張り散らしてきた。
(自分が特別であることを信じきってたからなー。おべっかとかごますりしてくる子分はいっぱいいたし、噂話も自動的に収集できてたんだけど。アマリアの噂は、耳に届いてなかったなー)
わたしは椅子にふんぞり返って顎を上げ、ふんっと鼻から息を吐き出した。
昔からあのアマリアという女には、せせら笑われていた。取り澄ましたお上品な顔が大っ嫌いすぎて、アマリアのところだけ不揃いな文字になり、雑になってしまった。
しかしアマリアの容姿にはヒロインっぽさがあるし、王太子妃の資質もありまくりだ。今の状況から予想するに、わたしのライバル的なポジションにいるのはアマリアで間違いないだろう。あの女のことだ、たいそう本格的なざまぁプランを練っているに違いない。
「とにかく、ラストン公爵とアマリアの動向について、カイルから聞き出さないことにはねー。当面は不信感を抱かれないように、悪役らしさは失わずにいよう」
そのとき、ノックの音がした。わたしは口の端をじわりと持ち上げ「お入りなさい」と答える。
「ああ……って、なんで侍女がひとりもいないんだ?」
カイルは扉の外から部屋の中を覗いて、心持ち眉を上げた。
「あなたが浮かれてご注進に及んだからでしょ。聞かれて困る話だろうから、人払いをしてあげたのよ。家督を継げる十八歳まであと半年近くあるくせに、ラストン公爵やオルドリッジ公爵との繋がりをわたしに暴露したのは、下策だったわね」
やや長めの前髪を掻き上げて、カイルはわざとらしい苦笑を浮かべた。その申し分のない美貌に向かって、わたしはふんっと鼻を鳴らす。
「大方、わたしが王宮に突撃して醜態を晒すとでも思ったんでしょう。でもお生憎ね、そこまで馬鹿じゃないわ。そうそう、ラストン公爵家とオルドリッジ公爵家、あそこは一枚岩じゃないから。どっちにもいい顔してると、痛い目を見るわよー」
つい釘を刺す、という口ぶりになった。カイルが汚いものを見るみたいな目になる。言葉にされない分、よけいに強く嫌悪感が伝わってくるようだ。
「それで? やっぱり義父さんに言いつけて懲らしめてもらうって? そんなの、義姉さんがいつもやってる――」
「いいからお入りなさいなー、立ち話も疲れるでしょう」
カイルが舌を鳴らした。かなりの大股で部屋の中に入ってくる。背丈に比して手足が長いところが、アルフレッド様と似ている。
どさりとソファに腰を下ろしたカイルは、この屋敷で一番広くて一番豪華な部屋を眺め回した。
「……あれ、全部読んだのか?」
カイルの視線を追って、わたしも床から天井まである、壁一面を埋め尽くす本棚に目を向けた。
「おかしなことを聞くわねー。本って、読むために買うものでしょ?」
まあ、アルフレッド様との話題作りのために読んでた面もあるけど。古文書とか学術書とか希少本とか、かなりつぎ込んじゃったしなあ。カイルはわたしの無駄遣いが気に食わないんだろうなあ。
「それはそうと。わたしを追い込むならもうちょっと上手にやることね。こっちも貴族社会のどす黒い部分には、首までどっぷり浸かってるのよ」
芝居がかった声で、脅かすように言ってやった。
「そりゃあ、わたしへの称賛の眼差しも、褒め言葉も、万雷の拍手もすべて〝お金〟の力よ? そして、その力があれば、邪魔なものも案外労せず取り除くことができるの。十八歳になるまでは、わたしに逆らうべきではないと思うけどー?」
わずかの間、カイルは押し黙った。こいつめ、やっぱりラストン公爵にそそのかされて、わたしを自爆させようとしてやがったな。
まあ、記憶が戻る前なら確実に王宮に乗り込んで、喉も裂けよとばかりに咆哮し、誰彼構わずアルフレッド様とアマリアとの関係を問いただしたと思うけど。
カイルは下唇を軽く噛んだあと「で?」と首をかしげた。
「さしもの義姉さんも、格上の公爵家までは取り除けないだろうさ。ここのところアルフレッド様から避けられてるってのは事実なんだろ。俺が動かなくとも、面白くない事態になるんじゃないか?」
不快感を言葉のはしばしに滲ませ、カイルは薄笑いを浮かべた。
「まあ、そうなるでしょうね」
わたしはあっさりうなずく。カイルはそこまで驚く必要はなかろうってくらいに、目と口をぱっくり開いた。
「ひとつ聞くわ。面白くない事態が始まろうとしているのか、始まってしまったのか、どっち?」
「……それは。よく、わからない。アマリア嬢が王宮に出入りしてるってのも、他国の王女の件も、ラストン公爵やオルドリッジ公爵が言ってるだけだし。アルフレッド様が本当に会ったのかどうかまでは……。でも、アルフレッド様が若い娘の好みを聞いて回ってるって噂は、俺の友人も耳にしてる」
「もー、ほんと頼りないわねー。繋がりがあるって、ただわたしを怒らせるための駒に使われただけじゃない。威張るなら、もっとちゃんと情報取ってきてからにしてよねー」
カイルの顔が真っ赤に染まった。
「それにしても、あの硬派なアルフレッド様が若い娘に興味を持つなんて。ついに色事に目覚めたってことかしらー……」
つまり、アルフレッド様がわたしに「俺の胸の中で未来を考えろ」とか「すべての過去を忘れ、何もかも捨て去って愛だけに生きろ」とか言ってくれる可能性は、どう考えてもゼロってことだ。
今から思えば、アルフレッド様と初めて顔合わせをした日からしくじっていたのだ。そして、そのまま十年もしくじりを重ねてしまったと。
わたしはノートのページをめくり、再びペンを走らせる。
「……それ、何語だ?」
立ち上がったカイルが覗き込んできた。
「オーホッホ、わたしくらいになると超難解な言語もスラスラなのよー」
正直に「日本語」って答えると悪魔祓いとかされかねない。
●【ざまぁの前提条件】
①カイルとサーシャが幸せになること。
②ハゲとデブの命があること。
③ゲッスール家が存続すること。
これらはどの方向からの、誰からのざまぁになるかで、方法が大きく違ってくるだろう。
婚約破棄、断罪、国外追放、処刑、爵位の剥奪――起こりうる未来を、ファンタジー小説で先取り学習していてよかった。
頭の中で、これからやるべきことが具体的な像を描いていく。わたしがざまぁされるのが確定っぽいのは苦々しく思うが、それはもう仕方がない。だが、いままで酷い仕打ちをしてきたカイルとサーシャを巻き込むわけにはいかない。
具体的なざまぁの詳細はまだわからないが、恐怖におののいている場合じゃない。なんとしても、どんなことをしても、カイルとサーシャに及ぶ被害が最小限で済む道を模索しなくては。
そして絶対、必ず、間違いなく、これまで迷惑をかけてきた人たちへの〝罪滅ぼし〟とか〝恩返し〟もしなければならないだろう。ていうか、それに向かって邁進したい。
それが、悪役令嬢であるわたしにできる、唯一の償いだから。
(小説の世界だとしても、筋書きがまるでわからないし。チートできるほどの知識も経験もないからなー。さぐりさぐり、やっていくしかない)
そんなことを考えていると、カイルが小さくくしゃみをした。
「やだ、やっぱりさっきの花瓶の水で身体が冷えちゃった? それでなくても今の時期は風邪が流行ってるから、二十分に一回くらい紅茶を飲みなさい。そしたら風邪の菌が洗い流されるらしいし、お腹の中でも戦ってくれるからー」
「あ? ああ」
カイルの間抜けな返事を聞きながらも、わたしはノートから目を上げないままで、最後にこう書き加えた。
●【到達目標】
サーシャを王太子妃に、カイルをゲッスール侯爵にすること。
これが、ふたりにとって最も幸せな道だろう。
(とりあえず、確実にわたしに恨みがあるのはカイルとサーシャ、クソいけ好かないアマリア。アルフレッド様はどう思っているのかわからないけど……ヒロインのアマリアのために、悪役令嬢のわたしとの婚約を破棄するのは小説の定石だよね)
わたしは多方面からざまぁの矢印を向けられているだろうから、誰に断罪されることになるかは不明。サーシャやカイルからというケースも想定しなければならないが、最も厄介なのはアマリアだ。アマリアは王太子妃の座を狙っているし、きっとわたしがざまぁされたあとは、ラストン公爵家が目障りなゲッスール侯爵家をつぶしにかかるはず。それは絶対に阻止したい。でも、今わたしが派手に動き回ったら、ラストン公爵一派の思うつぼだ。
わたしは考えをまとめつつ、こめかみあたりのくぼみ、目頭のすぐ内側、眉毛の内側の端にあるくぼみ、目の下の骨の中央を順番にぐりぐり押した。
「……何してるんだ?」
「ん? ここらへんを押すと、眼精疲労に効果があるのよー。あなたも領地経営のことで細かい数字とか読むでしょ、目が疲れたらやってごらんなさい」
まあ、わたしの場合は記憶が戻ってから、目に映るものがハゲとデブとブスと、筆舌に尽くしがたい美男美女って振り幅が大きすぎるせいなんだけど。おまけに目に突き刺さるド派手なドレス着てるもんだから、もう眼球がストライキ起こしそうなんだよね。
「カイル。悪いんだけど、うちの領地の収支報告書を持ってきて」
「はぁっ!?」
「いいでしょー別に。何も、あなたがお父様に内緒でつけてる裏の帳簿を持ってこいって言ってるわけじゃなし」
カイルが息を呑んだ。軽くカマかけただけなのに、わかりやすい。わかりやすすぎるぞ、カイル。
ハゲのやつ、カイルに対して自分に都合よく動く〝駒〟を作ろう感がすごかったしなあ。カイルも表面上はハゲに従ってるけど、やっぱクーデター起こす気マンマンだったか。
「お、女のくせに帳簿が読めるわけが……」
「オーホッホ、わたしを誰だと思ってんのー」
なんせ十年も王太子様の婚約者っつー立場にあるわたしである。
やらされてたんじゃなくて自主的にやってた、と言った方が正しいが、金にあかして一流の講師陣を呼びまくって、セルフお妃教育受けてたしな。
(今思えば、変なファイトが湧いてたよなー。この十年、お勉強系は唯一アルフレッド様と盛り上がる話題だったし。でもやりすぎたのかな。可愛くない知識まで身につけちゃったから、嫌われたのかな)
そんなことを考えていたら、カイルがわたしに探りを入れる目を向けてきた。
「ちゃっちゃと行って頂戴なー、はいダッシュ!」
わたしはぽっちゃりした手をパンッと合わせて、高らかに号令をかける。
カイルはちっと舌打ちをすると、肩を怒らせ足を踏み鳴らして部屋を出ていった。すぐに戻ってくると、鼻息荒く帳簿を机に叩きつける。
「はーい、ありがとう。もう戻っていいわよ」
「はぁ!?」
カイルは疑うような目を向けてきたが、問いただすのを諦めたのか、やがてわたしの部屋から足音高く出ていった。
「うーん、やっぱこれしかないなー」
夜を徹してカイルが持ってきた収支報告書を読み込んだわたしは、腹の底から唸るように独白したあと、ノートを広げた。
●【喫緊の課題】
ハゲとデブに節約させること。
「贅沢三昧しすぎて領地の運営資金にまで手をつけてるって、かんっぺきにアウトだわ。よそに比べて税の負担が重いのは、領民の収入が多いからって面もあるけど……とにかく公共施設が貧弱すぎるわねー。豊かなわりに病院や学校が少なすぎるから、領民の不満もたまってるはずだわ」
カイルが言っていた通り、資源というのは無限に湧き出てくるものじゃない。まだ余裕があるうちに税制改革や街の整備をして、人材育成にもお金を投じなければ、ざまぁされなくてもゲッスール家は没落するだろう。
「いずれ資源が枯渇したときのことも考えないとなー。手つかずになってる土地がたくさんあるから、寒冷地でもできる農法を取り入れれば……」
収支報告書の最後のページに、カイルが書いたであろう手書きの報告書が挟まっていた。
「畑作ではムギ、ダイズ、ジャガイモ、牧草などの飼料作物、果樹ではリンゴやサクランボなどが適しており、農業を営む者に計画的な支援を……また羊、牛、豚などの畜産業を……」
わたしは思わず胸の前で手を合わせた。カイルってば、チャラい見た目のわりにやるじゃない。
報告書にバッテンがついているところを見ると、おそらく目先の利益しか考えてないハゲに却下されたのだろう。
「うん、あの子やっぱり地頭がいいわー。ゲッスール侯爵家への憎しみで目が曇って、自棄を起こさせるのはあまりにもったいない」
何より、このまま順調にクーデターを起こして、大罪である親殺しなどさせようものなら、ラストン公爵やオルドリッジ公爵は嬉々としてゲッスール家を取りつぶす方向に動くだろう。だからカイルからのざまぁで、わたしたちが殺されることは避けたい。
「でもたしかに、あのハゲにいつまでも侯爵させてちゃ駄目だよねー。カイルが新侯爵になれる十八歳まであと半年、下手な暴走をしないように気を配って、その間にサーシャにうまいこと婚約者ポジションをスライドさせれば……」
王太子妃の座は、もとをただせばサーシャのものだったのだから、サーシャに返すのは当たり前のこと。わたしが進むべき道はこれしかない。
よし。なんとかなりそうな気がする。ただ、やはり障害になるのはアマリアの存在だ。
おそらくアマリアは、理不尽に王太子妃の座をわたしに奪われたと思っているのだろう。
この十年、アマリアと社交の場で顔を合わせるたびに「なぜにおまえが」という視線を向けられ続けたし、ときには陰口も言われた。いやまあね、なんせ金持ってるだけのデブでブスだしね。
43
お気に入りに追加
16,010
あなたにおすすめの小説
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
断罪されているのは私の妻なんですが?
すずまる
恋愛
仕事の都合もあり王家のパーティーに遅れて会場入りすると何やら第一王子殿下が群衆の中の1人を指差し叫んでいた。
「貴様の様に地味なくせに身分とプライドだけは高い女は王太子である俺の婚約者に相応しくない!俺にはこのジャスミンの様に可憐で美しい女性こそが似合うのだ!しかも貴様はジャスミンの美貌に嫉妬して彼女を虐めていたと聞いている!貴様との婚約などこの場で破棄してくれるわ!」
ん?第一王子殿下に婚約者なんていたか?
そう思い指さされていた女性を見ると⋯⋯?
*-=-*-=-*-=-*-=-*
本編は1話完結です(꒪ㅂ꒪)
…が、設定ゆるゆる過ぎたと反省したのでちょっと色付けを鋭意執筆中(; ̄∀ ̄)スミマセン
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。
レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。
【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。
そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
側妃は捨てられましたので
なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」
現王、ランドルフが呟いた言葉。
周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。
ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。
別の女性を正妃として迎え入れた。
裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。
あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。
だが、彼を止める事は誰にも出来ず。
廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。
王妃として教育を受けて、側妃にされ
廃妃となった彼女。
その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。
実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。
それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。
屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。
ただコソコソと身を隠すつまりはない。
私を軽んじて。
捨てた彼らに自身の価値を示すため。
捨てられたのは、どちらか……。
後悔するのはどちらかを示すために。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。