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1巻

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 〇ユリアンヌ・ゲッスール(十八歳)
 ゲッスール侯爵家の長女。王太子アルフレッド様の婚約者。
 もっさりしたデブス。分不相応で見栄っ張り、贅沢ぜいたくびょう


 〇ハゲーザー・ゲッスール(五十四歳)
 四代目ゲッスール侯爵。国一番のお金持ち。
 私腹をやすことが大好き。ハゲ。生活習慣病の権化ごんげ


 〇デビュリア・ゲッスール(五十三歳)
 ゲッスール侯爵夫人。社交界の嫌われ者。
 王家の血がちょびっと混じってる。デブ。生活習慣病の化身。結婚十五年目で待望の子ども(ユリアンヌ)を出産。


 たったこれだけ書いただけで「救いようがねえ」と頭を抱えそうになった。
 ちなみに、なんでゲッスール家に金があるかというと、領地に鉱山がいっぱいあるからだ。あっちこっちから宝石とか燃料とかがザックザク出てくる。
 三代前に戦功を立てて男爵家から侯爵家に引き上げられたご先祖様は、最初はただ広大なだけの未墾みこんの大地を押しつけられたといきどおったが、掘ってみたらびっくり仰天の大逆転劇で笑いが止まらなかったらしい。

「それで調子に乗って、わたしをまったく相応ふさわしくない地位に上らせようと、ハゲとデブが画策しちゃったんだよね。まあ、わたしも積極的に加担したけどもー」

 わたしはまたペンを走らせた。


 〇アルフレッド・ルデルヴァ(十九歳)
 伝統ある大国、ルデルヴァ王国の王太子様でユリアンヌの婚約者。
 黙ってても女が寄ってくる、冷たいほどの硬質な美貌の持ち主。中身は硬派な堅物かたぶつで、お勉強大好き。バランスの取れた堂々たる体躯たいくの持ち主で、剣も体術も得意。


 〇ルデルヴァ王国
 大陸東部から北部にかけて広大な領土を持つ強国であり、ユリアンヌ以下ゲッスール家の面々が暮らす国。


 わたしは頭の中が煮えるほど、血管が詰まりそうなほど、前世で読んだファンタジー小説について思い返してみた。

「うーん。ルデルヴァっていう国が舞台で、ヒーローがアルフレッドっていう小説には心当たりがないなー」

 わたしは腕組みをし、むうっとうなった。ボランティアさんに貸してもらった小説はどれも最低三回は読み返したから、間違いはないはずだ。

「十八歳の若さで死ぬんだから、小説みたいに異世界転生のひとつでもさせろやって思ってはいたけど。まさか、本当に異世界に転生したってこと……? 斬新なのはいいけど、自分の身にりかかると恐ろしさで総毛立つわ」

 泥臭い叩き上げの侯爵家の、意地悪で好き放題やりまくりのご令嬢。おまけに不細工極まりないあたりが、悪役度をぐんと高めている。客観的に見て、わたしがこの世界の〝悪役令嬢〟であることは間違いないだろう。
 せめてここが、わたしが胸躍むねおどらせながら読みあさった小説の世界だったらよかったのに。それならこれから起きることがわかるから、あの手この手で対策を練ることができるのに。

「ひとまず次いこう、次」


 〇サーシャ・ゲッスール(十七歳)
 ゲッスール侯爵家の次女。
 金髪碧眼きんぱつへきがん、並外れた美貌の持ち主。美しい曲線を描くブロンドは流れるようにつややか。小さな顔、桜貝みたいな耳、なめらかな肌は透けるよう。身も心も美しいまさに「別格」の存在。


「うわー、マジで正反対。もう、ズバッと対照的」

 夢のように美しいサーシャの美貌について書き連ねていると、深く、暗い穴ぼこに落ちていくような気分になった。
 わたしときたら太りすぎで、真っ黒い髪の毛はパサついていて、ニキビだらけで。
 無理やり結い上げててっぺんでお団子にした髪はこんもりと膨らんでいて巨大。サーシャとは違う意味で人目をひく。振り向かれ、驚かれる。
 わたしの口から声にならない嘆息が漏れ、すぐに失笑に変わった。
 きっと誰からも好意的に受け入れられ、認められるに違いない世にもまれな美少女と。婚約者から嫌悪けんおされ、避けられているわたし。どっちが王太子妃に相応ふさわしいかなんて、わかりきっているではないか。
 わたしは椅子から立ち上がって、自分の姿を鏡で確認した。痛いったらなかった。目が馬鹿になりそうだ。

「ここまで太ったのはこの一年くらいだけど、やっぱストレスかな。認めたくなかったけど、王太子妃のうつわじゃなかったんだよねー。お母様はわりと美人なのに、なんで頑張ってしまったのだハゲーザーの遺伝子」

 目立ちたいばかりに、アルフレッド様に群がる女たちから少しでも抜きん出たいばかりに、けばけばしいショッキングピンクやらグリーンやらが目に突き刺さる、奇抜なドレスを着てたわたし、滑稽こっけいだけど、わりと不憫ふびんじゃない?
 うちのハゲが王家にバカスカ寄付してるから、金づるとしての価値はあるけど。それ以外で、わたしがアルフレッド様の婚約者として認められる要素ってあった?

「ないないないー、悲しいくらいないー」

 思わずため息をついてしまう。

「まぁ、これだけわたしとサーシャが違ってるのは、そもそもサーシャが養子だからなんだけどさー」

 サーシャは実はハゲーザーの弟の娘で、生後すぐに両親を亡くしている。なので実際は従姉妹いとこ
 ユリアンヌがひとりっ子では可哀想、というハゲーザーとデビュリアの親心から、ゲッスール家の第二子として届け出ることにしたらしい。
 わたしは席に戻り、サーシャの続きにこう書き加えた。


 王家側(アルフレッド様が含まれるかは不明)は、当初サーシャを婚約者として指名(あるいは希望)していた。


 ああ、なんかもう。胸の中でつぶやくと、スカスカした笑いが込み上げた。
 客観性というものが微塵みじんもないころは、サーシャの美貌を勝手にひがんで、怒って、傷ついて、ひたすらねたんで。サーシャにひどい言葉を投げつけて、身の回りのものを取り上げたり隠したり。

(あまつさえ、わたしってば積極的に能動的に、とんでもないものを取り上げちゃってんじゃないのー……)

 ルデルヴァ王家は、ただ今絶賛貧乏中だ。アルフレッド様には七人も姉がいて、四人も妹がいる。
 上の王女様たちはみんな外交のため、よその国にお嫁に行った。そして下の王女様たちも、それぞれ違う国との縁組が決まっている。
 国王様と王妃様はかなり見栄っ張りで、諸外国の使者に恥ずかしくないようにと、王宮を新築したからさあ大変。娘たちに持たせる持参金や衣装を用意するとなると、国庫はアップアップで溺死寸前。そこにつけ込んだのがゲッスール家というわけだ。
 歴史の長いルデルヴァでは、王太子妃は他国の皇女か王女、または国内の公爵家から迎えることが慣例化している。
 それにもかかわらず、莫大な持参金と毎年の寄付をえさに、歴史の浅い侯爵家から王太子妃を出そうという両親の目論見もくろみは成功した。だが、大成功というわけじゃなかった。

(長女は婿を取って家を継がにゃならんだろうって、指摘を受けたんだよね。つまり、遠回しにサーシャの方が相応ふさわしいって言われたわけだー)

 サーシャのことなんて頭の片隅にもなかった両親はあわてふためき、わたしは癇癪かんしゃく大爆発。サーシャは病弱を理由に社交の場から遠ざけられることと相成った。
 もう指に力が入らず、なかなか上手にペンをつかめない。
 それでもわたしは大きく、深く息をついてから、最後にとっておいたカイルについて記した。


 〇カイル・ゲッスール(十七歳)
 ゲッスール侯爵家の嫡男。
 繊細で優美な美貌には、女性的な色香さえただよう。ユリアンヌに対しては、基本薄笑いの表情を崩さない。


 三代前に分家となった男爵家から、大急ぎで、ほとんどさらわれるようにして、七歳のとき養子に迎えられた。長女ユリアンヌが婿を取らないで済むように。


(そりゃ、カイルにうらまれるはずだわ。家の存続そんぞくのために、いずれ婿を取るか養子を迎える必要はあったとはいえ。自分が王太子妃になりたいばっかりに、男爵と男爵夫人の顔を札束で叩いて、七歳児を無理やり家族から引き離したんじゃー……)

 まさしく悪役令嬢だ、と自覚せずにはいられなかった。胸が空っぽで、それでいてんだようにじくじくと痛んで、思わずべそをかきそうになった。
 正直、弟妹たちにはスライディング土下座をかましたい。しかし、いきなり謝られてもカイルもサーシャも困るだろう。

「第一、謝ったところで許してもらえるわけがないよー。わたしってば、それくらいのことをしちゃってる。サーシャとカイルにつぐないたいけど、いったいどうやってつぐなえばいいの? ここが小説の世界だったら、ごく自然に〝ざまぁ〟されるんだろうけどー……」

 悪役令嬢にざまぁを! きっちりとざまぁを! といきり立つ前世の自分の姿が目に見えるようだった。
 わたしはやや歯を食いしばり、ノートを何枚かめくって真っ白いページを開いた。


 ●【ざまぁ】
「様を見ろ」が語源。人の失敗や不運に対して、心の中で愉快ゆかいだと思いながら発するののしり言葉。小説やゲームの中では、悪役のキャラが因果応報いんがおうほうひどい目にあったり、不幸になったりすることを指して使われることがある。


 短く、何度もうなずいた。
 これほどの悪行を積んできた〝悪役令嬢〟のわたしには、確実に四方八方しほうはっぽうから〝ざまぁ〟の矢印が向いている。それだけは間違いなかろう。

「あの女の名前を書くのは、はなはだ愉快ゆかいだけどー……」

 わたしはノートのページを戻り、カイルの次に少しの間をあけて、違う人物の名前を書き込んだ。


 〇アマリア・ラストン(十八歳)
 ラストン公爵家のひとり娘。
 家柄と年齢、容姿や才学などの面から、王太子妃の第一候補とみなされていた。しかし、方々に金をばらまいて裏街道を突っ走ったユリアンヌにその座を奪われた。
 このところ、頻繁に王宮に出入りしているらしい?


 三度の飯より噂話が大好き、というお母様似のわたしは、どんなに小さな茶会でも顔を出してきた。そして、アルフレッド様の婚約者として威張いばり散らしてきた。

(自分が特別であることを信じきってたからなー。おべっかとかごますりしてくる子分はいっぱいいたし、噂話も自動的に収集できてたんだけど。アマリアの噂は、耳に届いてなかったなー)

 わたしは椅子にふんぞり返ってあごを上げ、ふんっと鼻から息を吐き出した。
 昔からあのアマリアという女には、せせら笑われていた。取りましたお上品な顔が大っ嫌いすぎて、アマリアのところだけ不揃いな文字になり、雑になってしまった。
 しかしアマリアの容姿にはヒロインっぽさがあるし、王太子妃の資質もありまくりだ。今の状況から予想するに、わたしのライバル的なポジションにいるのはアマリアで間違いないだろう。あの女のことだ、たいそう本格的なざまぁプランを練っているに違いない。

「とにかく、ラストン公爵とアマリアの動向について、カイルから聞き出さないことにはねー。当面は不信感を抱かれないように、悪役らしさは失わずにいよう」

 そのとき、ノックの音がした。わたしは口の端をじわりと持ち上げ「お入りなさい」と答える。

「ああ……って、なんで侍女がひとりもいないんだ?」

 カイルは扉の外から部屋の中をのぞいて、心持ち眉を上げた。

「あなたが浮かれてご注進に及んだからでしょ。聞かれて困る話だろうから、人払いをしてあげたのよ。家督を継げる十八歳まであと半年近くあるくせに、ラストン公爵やオルドリッジ公爵とのつながりをわたしに暴露したのは、下策だったわね」

 やや長めの前髪をき上げて、カイルはわざとらしい苦笑を浮かべた。その申し分のない美貌に向かって、わたしはふんっと鼻を鳴らす。

「大方、わたしが王宮に突撃して醜態しゅうたいさらすとでも思ったんでしょう。でもお生憎あいにくね、そこまで馬鹿じゃないわ。そうそう、ラストン公爵家とオルドリッジ公爵家、あそこは一枚岩じゃないから。どっちにもいい顔してると、痛い目を見るわよー」

 つい釘を刺す、という口ぶりになった。カイルが汚いものを見るみたいな目になる。言葉にされない分、よけいに強く嫌悪けんお感が伝わってくるようだ。

「それで? やっぱり義父とうさんに言いつけてらしめてもらうって? そんなの、義姉ねえさんがいつもやってる――」
「いいからお入りなさいなー、立ち話も疲れるでしょう」

 カイルが舌を鳴らした。かなりの大股で部屋の中に入ってくる。背丈に比して手足が長いところが、アルフレッド様と似ている。
 どさりとソファに腰を下ろしたカイルは、この屋敷で一番広くて一番豪華な部屋を眺め回した。

「……あれ、全部読んだのか?」

 カイルの視線を追って、わたしも床から天井まである、壁一面を埋め尽くす本棚に目を向けた。

「おかしなことを聞くわねー。本って、読むために買うものでしょ?」

 まあ、アルフレッド様との話題作りのために読んでた面もあるけど。古文書とか学術書とか希少本とか、かなりつぎ込んじゃったしなあ。カイルはわたしの無駄遣いが気に食わないんだろうなあ。

「それはそうと。わたしを追い込むならもうちょっと上手にやることね。こっちも貴族社会のどす黒い部分には、首までどっぷりかってるのよ」

 芝居しばいがかった声で、おどかすように言ってやった。

「そりゃあ、わたしへの称賛の眼差まなざしも、め言葉も、万雷ばんらいの拍手もすべて〝お金〟の力よ? そして、その力があれば、邪魔なものも案外労せず取り除くことができるの。十八歳になるまでは、わたしに逆らうべきではないと思うけどー?」

 わずかの間、カイルは押し黙った。こいつめ、やっぱりラストン公爵にそそのかされて、わたしを自爆させようとしてやがったな。
 まあ、記憶が戻る前なら確実に王宮に乗り込んで、のどけよとばかりに咆哮ほうこうし、誰彼構わずアルフレッド様とアマリアとの関係を問いただしたと思うけど。
 カイルは下唇を軽く噛んだあと「で?」と首をかしげた。

「さしもの義姉ねえさんも、格上の公爵家までは取り除けないだろうさ。ここのところアルフレッド様から避けられてるってのは事実なんだろ。俺が動かなくとも、面白くない事態になるんじゃないか?」

 不快感を言葉のはしばしににじませ、カイルは薄笑いを浮かべた。

「まあ、そうなるでしょうね」

 わたしはあっさりうなずく。カイルはそこまで驚く必要はなかろうってくらいに、目と口をぱっくり開いた。

「ひとつ聞くわ。面白くない事態がか、のか、どっち?」
「……それは。よく、わからない。アマリア嬢が王宮に出入りしてるってのも、他国の王女の件も、ラストン公爵やオルドリッジ公爵が言ってるだけだし。アルフレッド様が本当に会ったのかどうかまでは……。でも、アルフレッド様が若い娘の好みを聞いて回ってるって噂は、俺の友人も耳にしてる」
「もー、ほんと頼りないわねー。つながりがあるって、ただわたしを怒らせるためのこまに使われただけじゃない。威張いばるなら、もっとちゃんと情報取ってきてからにしてよねー」

 カイルの顔が真っ赤に染まった。

「それにしても、あの硬派なアルフレッド様が若い娘に興味を持つなんて。ついに色事に目覚めたってことかしらー……」

 つまり、アルフレッド様がわたしに「俺の胸の中で未来を考えろ」とか「すべての過去を忘れ、何もかも捨て去って愛だけに生きろ」とか言ってくれる可能性は、どう考えてもゼロってことだ。
 今から思えば、アルフレッド様と初めて顔合わせをした日からしくじっていたのだ。そして、そのまま十年もしくじりを重ねてしまったと。
 わたしはノートのページをめくり、再びペンを走らせる。

「……それ、何語だ?」

 立ち上がったカイルがのぞき込んできた。

「オーホッホ、わたしくらいになると超難解な言語もスラスラなのよー」

 正直に「日本語」って答えると悪魔ばらいとかされかねない。


 ●【ざまぁの前提条件】
 ①カイルとサーシャが幸せになること。
 ②ハゲとデブの命があること。
 ③ゲッスール家が存続そんぞくすること。


 これらはどの方向からの、誰からのざまぁになるかで、方法が大きく違ってくるだろう。
 婚約破棄、断罪、国外追放、処刑、爵位の剥奪はくだつ――起こりうる未来を、ファンタジー小説で先取り学習していてよかった。
 頭の中で、これからやるべきことが具体的な像を描いていく。わたしがざまぁされるのが確定っぽいのは苦々しく思うが、それはもう仕方がない。だが、いままでひどい仕打ちをしてきたカイルとサーシャを巻き込むわけにはいかない。
 具体的なざまぁの詳細はまだわからないが、恐怖におののいている場合じゃない。なんとしても、どんなことをしても、カイルとサーシャに及ぶ被害が最小限で済む道を模索しなくては。
 そして絶対、必ず、間違いなく、これまで迷惑をかけてきた人たちへの〝罪滅ぼし〟とか〝恩返し〟もしなければならないだろう。ていうか、それに向かって邁進まいしんしたい。
 それが、悪役令嬢であるわたしにできる、唯一のつぐないだから。

(小説の世界だとしても、筋書きがまるでわからないし。チートできるほどの知識も経験もないからなー。さぐりさぐり、やっていくしかない)

 そんなことを考えていると、カイルが小さくくしゃみをした。

「やだ、やっぱりさっきの花瓶の水で身体が冷えちゃった? それでなくても今の時期は風邪が流行はやってるから、二十分に一回くらい紅茶を飲みなさい。そしたら風邪のきんが洗い流されるらしいし、お腹の中でも戦ってくれるからー」
「あ? ああ」

 カイルの間抜けな返事を聞きながらも、わたしはノートから目を上げないままで、最後にこう書き加えた。


 ●【到達目標】
 サーシャを王太子妃に、カイルをゲッスール侯爵にすること。


 これが、ふたりにとって最も幸せな道だろう。

(とりあえず、確実にわたしにうらみがあるのはカイルとサーシャ、クソいけ好かないアマリア。アルフレッド様はどう思っているのかわからないけど……ヒロインのアマリアのために、悪役令嬢のわたしとの婚約を破棄するのは小説の定石だよね)

 わたしは多方面からざまぁの矢印を向けられているだろうから、誰に断罪されることになるかは不明。サーシャやカイルからというケースも想定しなければならないが、最も厄介やっかいなのはアマリアだ。アマリアは王太子妃の座を狙っているし、きっとわたしがざまぁされたあとは、ラストン公爵家が目障めざわりなゲッスール侯爵家をつぶしにかかるはず。それは絶対に阻止そししたい。でも、今わたしが派手に動き回ったら、ラストン公爵一派の思うつぼだ。
 わたしは考えをまとめつつ、こめかみあたりのくぼみ、目頭のすぐ内側、眉毛の内側の端にあるくぼみ、目の下の骨の中央を順番にぐりぐり押した。

「……何してるんだ?」
「ん? ここらへんを押すと、眼精疲労がんせいひろうに効果があるのよー。あなたも領地経営のことで細かい数字とか読むでしょ、目が疲れたらやってごらんなさい」

 まあ、わたしの場合は記憶が戻ってから、目に映るものがハゲとデブとブスと、筆舌ひつぜつに尽くしがたい美男美女って振り幅が大きすぎるせいなんだけど。おまけに目に突き刺さるド派手なドレス着てるもんだから、もう眼球がストライキ起こしそうなんだよね。

「カイル。悪いんだけど、うちの領地の収支報告書を持ってきて」
「はぁっ!?」
「いいでしょー別に。何も、あなたがお父様に内緒でつけてる帳簿を持ってこいって言ってるわけじゃなし」

 カイルが息を呑んだ。軽くカマかけただけなのに、わかりやすい。わかりやすすぎるぞ、カイル。
 ハゲのやつ、カイルに対して自分に都合よく動く〝こま〟を作ろう感がすごかったしなあ。カイルも表面上はハゲに従ってるけど、やっぱクーデター起こす気マンマンだったか。

「お、女のくせに帳簿が読めるわけが……」
「オーホッホ、わたしを誰だと思ってんのー」

 なんせ十年も王太子様の婚約者っつー立場にあるわたしである。
 やらされてたんじゃなくて自主的にやってた、と言った方が正しいが、金にあかして一流の講師陣を呼びまくって、セルフお妃教育受けてたしな。

(今思えば、変なファイトがいてたよなー。この十年、お勉強系は唯一アルフレッド様と盛り上がる話題だったし。でもやりすぎたのかな。可愛くない知識まで身につけちゃったから、嫌われたのかな)

 そんなことを考えていたら、カイルがわたしに探りを入れる目を向けてきた。

「ちゃっちゃと行って頂戴ちょうだいなー、はいダッシュ!」

 わたしはぽっちゃりした手をパンッと合わせて、高らかに号令をかける。
 カイルはちっと舌打ちをすると、肩をいからせ足を踏み鳴らして部屋を出ていった。すぐに戻ってくると、鼻息荒く帳簿を机に叩きつける。

「はーい、ありがとう。もう戻っていいわよ」
「はぁ!?」

 カイルは疑うような目を向けてきたが、問いただすのを諦めたのか、やがてわたしの部屋から足音高く出ていった。


「うーん、やっぱこれしかないなー」

 夜を徹してカイルが持ってきた収支報告書を読み込んだわたしは、腹の底からうなるように独白したあと、ノートを広げた。


 ●【喫緊きっきんの課題】
 ハゲとデブに節約させること。


贅沢ぜいたく三昧ざんまいしすぎて領地の運営資金にまで手をつけてるって、かんっぺきにアウトだわ。よそに比べて税の負担が重いのは、領民の収入が多いからって面もあるけど……とにかく公共施設が貧弱すぎるわねー。豊かなわりに病院や学校が少なすぎるから、領民の不満もたまってるはずだわ」

 カイルが言っていた通り、資源というのは無限にてくるものじゃない。まだ余裕があるうちに税制改革や街の整備をして、人材育成にもお金を投じなければ、ざまぁされなくてもゲッスール家は没落するだろう。

「いずれ資源が枯渇こかつしたときのことも考えないとなー。手つかずになってる土地がたくさんあるから、寒冷地でもできる農法を取り入れれば……」

 収支報告書の最後のページに、カイルが書いたであろう手書きの報告書がはさまっていた。

「畑作ではムギ、ダイズ、ジャガイモ、牧草などの飼料作物、果樹ではリンゴやサクランボなどが適しており、農業を営む者に計画的な支援を……また羊、牛、豚などの畜産業を……」

 わたしは思わず胸の前で手を合わせた。カイルってば、チャラい見た目のわりにやるじゃない。
 報告書にバッテンがついているところを見ると、おそらく目先の利益しか考えてないハゲに却下されたのだろう。

「うん、あの子やっぱり地頭がいいわー。ゲッスール侯爵家への憎しみで目が曇って、自棄やけを起こさせるのはあまりにもったいない」

 何より、このまま順調にクーデターを起こして、大罪である親殺しなどさせようものなら、ラストン公爵やオルドリッジ公爵は嬉々としてゲッスール家を取りつぶす方向に動くだろう。だからカイルからのざまぁで、わたしたちが殺されることは避けたい。

「でもたしかに、あのハゲにいつまでも侯爵させてちゃ駄目だよねー。カイルが新侯爵になれる十八歳まであと半年、下手な暴走をしないように気を配って、その間にサーシャにうまいこと婚約者ポジションをスライドさせれば……」

 王太子妃の座は、もとをただせばサーシャのものだったのだから、サーシャに返すのは当たり前のこと。わたしが進むべき道はこれしかない。
 よし。なんとかなりそうな気がする。ただ、やはり障害になるのはアマリアの存在だ。
 おそらくアマリアは、理不尽に王太子妃の座をわたしに奪われたと思っているのだろう。
 この十年、アマリアと社交の場で顔を合わせるたびに「なぜにおまえが」という視線を向けられ続けたし、ときには陰口も言われた。いやまあね、なんせ金持ってるだけのデブでブスだしね。


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